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freedom -解放-

「行って来ます」
有菜は家を出て、見慣れぬ通学路を歩き出した。
有菜は父親の仕事の都合で、この町の小学校に通う事になった。家から学校が見える程近いので、彼女が実際に通学路を歩くのは初めてである。御洒落な家、郵便局、文房具屋、一本だけそびえ立っている未だ緑色をした銀杏の樹…学校の方を見据えながら、有菜は目新しい周りの景色も眺めながら歩いていた。そして、その銀杏の樹の下にあるガードレールに、鎖で継ながれた一匹の白い犬が居るのを有菜は見た。
「うわぁ…」有菜は犬に駆け寄る。「カワイイなぁ…」
犬の頭を撫でてやりながら、有菜は周りを見廻した。「このコ、誰かの飼い犬なのかな…」
その時、後ろから自転車のベルの音がした。そして、この町では数少ない聞き慣れた声。
「あれ?有菜、何やってんの?」
「お姉ちゃん」振り向く有菜。自転車に叉がっていたのは、見慣れた姉の真理亜だった。その服は見慣れぬ制服であったが。
「アンタ、あたしより先に家出た筈でしょ?」真理亜は、有菜の手が犬を触れているのを見た。「…どしたの、その犬?」
「此処に継ながれてたの」と有菜。「誰かが飼ってるのかなぁ」
「うーん…鎖に継ながれてんだから飼い犬っぽいケド…こんなトコに継ないどくなんてヘンよね」
「何なんだろうね」
「さあね」真理亜は腕時計を見て言う。「ほら、そろそろ行かないとアンタ遅刻するわよ」
「う、うん…」有菜は後ろ髪を魅かれる想いでその場を立ち去った。数度振り返ったが、その度に彼女はあの犬を見た。

その日の放課後。
「有菜ちゃん」
「え?」下駄箱で不意に呼び止められ、振り向く有菜。同じ位の背丈の少女が立っていた。「え、えーっと…」
「あ、私は浅月 幸香。さっちゃんでいいよ」彼女は靴を履き替えながら言う。「一緒に帰ろうよ」
「う、うん…でも、帰る方向違ってたら…」
「大丈夫、私、この辺はくまなく知ってるんだよ。路地裏の猫に何匹赤ちゃんが居るかまでね」
「ふーん…」有菜は、ふと或る事を思いついた。「そうださっちゃん、ちょっと訊きたい事があるんだケド…」

*      *      *

「このコなんだケド…」有菜は幸香を、例の銀杏の樹の下に連れて来た。
「あー、シロちゃんだね」幸香は犬に駆け寄る。
「シロ…ちゃん?」きょとんとする有菜。「さっちゃんの犬なの?」
「ううん、違うよ」しゃがみ込み、犬を撫でながら言う幸香。「このコは今は誰のでもないんだ」
「今は、って…?」
「うん、コレは近くの文房具屋のおばちゃんから聞いた話なんだけどね、このコの飼い主が半年くらい前にこの町から引っ越すことになって、その時連れて行けなくなったこのコを此処に継ないでおいたんだって。シロちゃんって名前はこの辺りのヒトたちが自然に付けた名前なんだよ」
幸香は自慢気にそう言うと、有菜の方を向いた。有菜の瞳には、大粒の涙が光っていた。
「あ、有菜ちゃん…?」戸惑う幸香。「わ、私何か悪いコトでも言っちゃったかな…」
「う、ううん…」顔をくしゃくしゃにしながら言う有菜。「シロちゃんが、可哀想だから…」
「可哀想…?」
「だって、シロちゃん、その飼い主を、ずっとずーっと待ってるんでしょ?多分、そのヒトは帰って来ないのに…」涙を手で拭いながら言う有菜。
「有菜ちゃん…」
そして、半ば泣き止んだところで有菜は顔を上げて言った。
「…決めた、わたし、シロちゃんとお友達になるもん」
「お、お友達って…」幸香は目を点にして言う。「どうやって…?」

次の日の給食の時間。
「あれ?松葉さん、パン嫌いなの?」パンをビニール袋に入れて持って帰ろうとしている有菜を見て、隣の席の女の子が言う。
「う、ううん…」見つからないようにしたつもりだった有菜は、彼女に指摘されて驚く。
「え?じゃあ松葉、ソレ俺にくれよ」前の席に座る男の子が大きな声で言う。
「ダメ!」有菜はビニール袋をぐっと抱き寄せて防衛する。「コレは、お友達にあげるんだから」
「友達って何だよ、松葉」彼はなおも追及する。
「こらこら沢田」彼の頭を小突きながら言うのは、幸香であった。「転校してきたばっかの有菜ちゃんを困らせるんじゃないの」
「困らせてなんかねーよ」沢田と呼ばれたその男の子が言う。「コイツがケチケチすっからよお」
「じゃあ私のあげる」幸香は自分のパンを沢田に押し付けるように渡す。「ほら、これでいいでしょ」
「…けっ」沢田はパンを幸香に返し、上手く丸め込まれた様で悔しそうな表情で着席した。
「これでいいんだよね」幸香は有菜に微笑みかける。有菜は大きな笑顔でうなづいた。

*      *      *

「美味しい?シロちゃん」
銀杏の樹の下で、有菜と幸香はシロにパンを与えていた。シロはそれを静かに、しかしむさぼる様に食べていた。
「お腹空いてたんだねー」幸香がシロの頭を撫でて言う。「明日は私のも持って来るね」
「…そうだね」
有菜はシロを見ながら、ふと2か月前の自分を重ねた。

――オ前ナンカ ドッカ 行ッチマエヨ――

――松葉ッテ バッカミタイ アハハハ――

「…ちゃん?有菜ちゃん?」
「え」顔を上げる有菜。幸香が、心配そうに有菜を見詰めていた。
「どうしたの?顔色悪いよ?」
「う、ううん…何でもないよ」笑顔を取り繕う有菜。「…ちょっとね」
「…ならいいんだけど」と幸香。「それにしてもさー、この鎖、ジャマだよね」
有菜は、シロの自由を拘束しているその錆びた鎖を見詰める。
「こんな鎖、なきゃいいのにねー」

次の日の放課後。
「今日は私の分のパンもあるし、みかんもあるからシロちゃんお腹いっぱいになるね」笑顔で言う幸香。
「うん、そうだね」有菜はふと、体育倉庫の前で一人の男性が何かをしているのを見た。「ねぇさっちゃん、あのヒト、何やってるの?」
「ああ、体育倉庫のカギが古くなって使い物にならなくなったから、鎖ごと切って新しいのを取り付けるんだって」
その時、有菜の頭に、一つの考えが衝動的に浮かんできた。そして、次の瞬間彼女は体育倉庫に駆け出していた。
「ちょ、ちょっと有菜ちゃん…?!」幸香は驚きながら急いで彼女の後を追った。

*      *      *

有菜は、いつもの銀杏の樹の下に向かい出せるだけの速さで走っていた。体育倉庫の前で、用務員から半ば強引に借りてきた工具を握りしめて。
「有菜ちゃん、待ってよー」幸香は必死で追いかける。
銀杏の樹の下に着いた有菜は、息を整える暇も惜しみ、すぐにシロの背後に進み出た。シロは不思議そうに、有菜の行為を黙って見ていた。有菜は錆びた鎖に工具を噛ませ、力いっぱい握りしめた。そして丁度幸香が駆けつけた時、鎖は切れた。
「や、やったぁ!」有菜は汗をほとばしらせながら、満面の笑みを浮かべて喜んだ。
「有菜ちゃんスゴーイ!」幸香も、驚きながらではあったが、喜び有菜を褒めたたえた。
シロはしばらく、少し動いたり周りを見廻したりしていたが、現在自分が置かれた状況に気付いたらしく、二、三度吠えて走り出した。有菜たちには、その初めて聞いたシロの声がとても嬉しそうに聞こえた。
「待ってよシロちゃん」有菜は鬼ごっこの鬼になったかの様にシロの後を追いかける。
その時だった。
其処は信号のない交差点だった。黒い車が死角から現れ、次の瞬間、白い小さな躰は宙を舞い、有菜の目前のコンクリイトに堕ちて来た。
「…え…?」有菜は自らの瞳を疑った。「シロ…?」
地面に叩き付けられた躯は、動かなかった。有菜は、今眼前で起こっている出来事は凡て悪い夢であれと祈った。
「だ、大丈夫かい…?」車から男性が降りてくる。幸香も駆け寄る。
「…どうして?」
「え?」彼は、少女の声が震えているのに戸惑った。
「どうして、シロを殺しちゃうの…?シロは、さっきやっと自由になれたんだよ?なのにどうして?ねぇ、どうしてなの…?!」有菜の頬を止めどなく涙が流れてゆく。「…どうして…?」

*      *      *

真理亜は、自転車を走らせていた。茜色に染まるいつもの道で帰宅するために。
しかし、ある交差点に到り着いた時、彼女の瞳には常ならぬ光景が飛び込んできた。少女が地面に座り込んでいる。予感がしたが、自転車を走らすにつれその予感は確信に変わってゆく。
「有菜…?」真理亜は交差点に自転車を停め、僅かの血がついたアスフアルトに座り込んでいた少女に駆け寄る。「ど、どうしたの、有菜?」
有菜は何も言わなかった。真理亜は、冷たい彼女の手を取った。手の中には、錆びた鎖の欠片が握りしめられていた。
「ねぇ、ねぇ有菜」悪い予感が募り、真理亜の声が大きくなる。「返事して、有菜」

銀杏の葉が、一つ落ちた。

Fin


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つぶやき

冴戒的にバリバリの新境地に挑んでみたつもりです。
僕の小説はとかくhappy endになりがちなので、今回は暗くちょっと哀しい感じにしてみました。実際に日本のどこかであったという話を基盤に、冴戒色っぽく、それでいて冴戒的には新しい感じに仕上げてみたつもりです。
あえて1話完結とした今作。こんなタイプもいかがでしょうか。

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