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幻舞月明抄 其ノ貳・真


「ぷはーっ!!あー、やっぱり仕事の後の一杯は格別よねーっ!!」
此処は町中の或らゆる人々が集う安丸(やすまる)食堂。その丁度真中にある円卓で、背の高い女が豪快に猪口を飲み干し置く。
「相変わらず飲むの早いですねぇ、氷嘉留さん」
同じ円卓を囲む眼鏡の男が珈琲(コーヒー)の入った洋杯(カップ)を啜(すす)りながら言う。
「当たり前じゃないの龍弥。あ、冬真ー、もう一杯頂戴(ちょうだい)ー!」
氷嘉留と呼ばれた女は、通りすがった従業員の少年に声を掛ける。
「…いい加減飲み過ぎなんじゃねえの?少しは酒控えろよ」
冬真と呼ばれた金色のつんつん頭の少年は、ため息混じりに言う。
「いいじゃないの、この店の売上に貢献してあげてるんだから、固い事言いっこ無しよ」
「そういう科白(せりふ)はツケを全額払ってから言え!!」
冬真は氷嘉留に顔を近づけて怒鳴る。
「あんたらのツケ、一体幾ら溜まったと思ってんだよ。俺の給料の半年分以上だぞ。分かってん…」
「冬真様…」
冬真の興奮は、か細い声によって途切れた。
「ほ、ほたほ、穂妙留、さん…?」
氷嘉留の隣に座っていた琥珀色の髪の少女に、冬真の頬が薄(うっす)ら赤くなる。
「御免なさい、私達、今月仕事が一件しか無くて、お金が無いんです…。早くお支払いしたい気持ちは有るんですけど、出来ればもう少し待って戴けないでしょうか…」
穂妙留と呼ばれた少女は、冬真の方に顔を向けて切々と言う。冬真は先程までとは別種の興奮に包まれていた。
「え、あ、と…ほ、穂妙留さんが、そう言うのなら、し、仕方ねぇなぁ…っ。こ、今回は、特別、だかんな…っ」
そういうと、冬真は逃げるように厨房に駆け込んでいった。
「と、冬真様、どうかなさったのですか…?」
きょとんとした表情の穂妙留。冬真の表情は彼女には見えていない。
「ううん、別に。っていうか今日もありがと♪」
氷嘉留は、解(げ)せない表情の穂妙留をよそに、満面の笑みで再び酒を呷(あお)った。
「やれやれ、冬真もまだまだ青いですねぇ」
龍弥と呼ばれた男も、珈琲を啜ってぽつりと呟(つぶや)いた。

時は天化三年。
町の外れに、二人の兄弟が暮らしていた。
兄は叶(かのう) 龍弥。弟は叶 冬真。
幾千とも言われる程の針を常時持ち歩き、闘う時にはその針を巧(たく)みに扱うという秘儀を持つ叶家の一族である。
が、龍弥は舶来物(はくらいもの)を愛用し“ピストル”という武器を常備しており、冬真はまだ十三歳、針の扱いは半人前と言わざるを得なかった。
そして、そんな或る日の朝。

「…冬真」
卓袱台(ちゃぶだい)の横に座る龍弥が御飯茶碗を持ったまま言う。その口唇(くちびる)は腫(は)れている。
「あんだよ」
冬真は台所に向かったまま言葉を吐く。
「眠っている人の口唇にふんだんに山葵(わさび)を塗りたくるというのは、荒っぽい起こし方と言っても程があるのでは無いですか?出来ればふつーに起こしてもらえると嬉しいのですが」
「だったらふつーに起こしてる時にふつーに目覚めてもらえませんかねえ」
語気を荒げながら、冬真は卓袱台に味噌汁を置く。
「まともに起きてくれりゃあ、こっちも硝子(ガラス)引っ掻(か)いて爆音を立てたり寝床にひよこを忍び込ませたりしなくて済むから嬉しいんだけど」
「え、そんなのをしたこともあるんですか?」
冬真の血管がぶち切れる音が龍弥にも聞こえた。
「…ったく。あ、帰ったら洗っとくから、喰い終わったら茶碗水に漬けとけよ。かぴかぴになった茶碗洗うの面倒だからな」
「え、冬真、何處(どこ)かに出掛けるのですか?」
冬真の血管が更にぶち切れる音が龍弥にもはっきりと聞こえた。
「俺、兄貴に五、六回は言ったと思うんだけど?今日は隣町の市場に食料調達しに行くってよ」
「…あー、そう言えばそんなこと言っていたような」
「はあ…どっかの誰かさんがもっとしっかりして、もっと金稼いでくれてたら、俺もこんな安物情報を逐一仕入れて駆けずり回ったり、安丸食堂で下働きしたりしなくて済むんだけどな」
身支度をしながら深いため息をつく冬真。
「冬真は大変なんですねー」
「誰の所為だと思ってんだっつーの!!」
息を切らす冬真だったが、すぐに身支度を終えると駆け足で戸口に向かう。
「んじゃ、行ってくっからな。鍵とかちゃんと掛けとくんだぞ」
「はいはい、行ってらっしゃい」
龍弥は座ったまま冬真の後ろ姿を見送った。
「まるで子供をあやす親のようですね…一体、誰に似たのやら」

「ほい、六個買ってくれたから一割おまけしておくぜ」
「おーっ、ありがと、おっちゃん!」
辛うじて視界を遮らない程度の大荷物を抱えて青果屋を後にする冬真。
「ふぅ、これで大抵の物は買ったよな。あとはあれとあれと…ん?」
冬真はふと、人気(ひとけ)の無い細い路地に目を遣(や)った。何かを見たような気がしたのだ。
「…何だ?」
大きな荷物を抱えたまま、冬真は路地に足を進めた。すると、物陰に人の足のような物を見た。
「…え?」
荷物を一旦置くと、冬真は更に歩を進める。そして、其処に人間が一人横たわっているのを確認した。冬真と同じくらいか少し年下くらいであろうか、“くのいち”の格好をした栗色のやや長い髪の人物が倒れている。
「…息はしてんな…。おい、お前、おい!」
冬真はその肩を叩きながら呼びかける。程なく、その瞼(まぶた)が徐(おもむろ)に開かれ黄色の瞳が露(あら)わになる。
「…あ」
「おー、気がついたか?」
安堵(あんど)の表情を見せる冬真とは対照的に、相手はやや怯えたような表情で身を竦(すく)める。
「だーいじょうぶだって、別に取って喰ったりしねえよ。で、なんでこんなとこで倒れてたんだ?見た感じ忍者か何かみてえだけど」
笑って言う冬真に、相手は更に怯えた顔で言う。
「ど、どど、どうして分かったんですか…?ぼ、ボクが、忍者だって…」
「どうしてってなぁ…、そのかっこ見りゃ大抵の人は分かると思うけど」
「え…あ」
自分の服装を確認して、落ち着きを取り戻す代わりに少し顔を赤らめる。
「んで、なんで倒れてたんだ?」
「あ、えっと、それは…」

ぐぎゅるるるるーるるるううぅぅぅー。

異様な音に、一瞬二人は凍った。
「…少し、喰うか?」
相手は小さく頷(うなず)いた。

「俺、先刻(さっき)“少し”って言ったよな…?」
くのいち姿の相手は生で食べられる野菜を選び出し、路地に座って食べ始める。
「…はい」
「…で、なんで俺の持ってた荷物の半分くらい消えてんだろうな」
ため息混じりに言う冬真に、相手は残りの食糧を確認して目を丸くする。
「あっ…!!ご、ごめ…」
「いいよ、もう…お前めちゃくちゃ腹空かしてるみてえだし。俺、叶 冬真って言うんだ。お前は?」
「あ、ボク、服部(はっとり) あおいって言います…」
「ふーん、あおいねぇ。で、何であおいは腹ぺこであんなとこに倒れてたわけ?」
あおいは手を止め少し俯(うつむ)き、ちょっと考える間を置いてから言った。
「…ボク、見ての通り忍者の里に住んでたんですけど、里から遠いところで仲間と忍者修業をしていて、その帰りに他のみんなと逸(はぐ)れてしまって…ボク半人前なので、里の場所が分からなくって、そうして彷徨(さまよ)っているうちにこの町に着いたんですけど、お腹が空きすぎてしまって…」
「へー…それは大変だったんだな…」
冬真も少し考えてから言う。
「それじゃあ俺、店の常連客で情報に詳しい人何人か知ってるから、その人達に忍者の里の場所知ってるか聞いてみ」
「駄目です!!」
それまで控えめだったあおいが急に声を大きくしたので、冬真は面喰らってしまった。
「…え?」
「あ、す、すみません…」
再び声を落とし俯くあおい。
「に、忍者の里は、普通の人に知られちゃいけないところにあるので、そういうのはちょっと…」
「そういうもんなのか?それじゃ面倒だなぁ…」
「あ、あの…」
「ん?」
もじもじした様子のあおいだったが、冬真の顔を見て言う。
「と、冬真さんの家に、しばらく泊めさせてもらったりできませんか…?」
「え?」
余りに突然の要求にきょとんとなる冬真。
「あ、えっと、ボクら忍者は普通の人とは少し異なる“気”を出してるらしいので、何處かに居ればそのうち仲間が見つけ出してくれると思うんです…でもボク、お金とか持ってないし、半人前だから生き延びる術とかまだ知らないので…」
また俯くあおいの様子を見て、冬真が言う。
「…ま、ウチは莫迦(ばか)兄貴と二人だけの割にでかい家だし、少しの間なら一人くらい増えたって変わんねえけど?」
「ほ、本当ですか…?」
顔がぱあっと明るくなるあおい。
「おうよ、んじゃ今から行くか?」
「はいっ!!」
「んじゃこっちの荷物持って。買い物の続きも手伝えよ」
二人は人いきれの中に身を投じて行った。

「ふぅ、今日も働きましたー」
スーツ姿の龍弥が自宅の扉を開ける。水の音が聞こえた。
「あ、冬真は洗い物か洗濯物でもしているところなのですね。…あれ?」
龍弥の耳には、その水の音とは別に、楽しそうな話し声も飛び込んできた。
「…お友達でもいらしてるんでしょうか…?」
龍弥は台所に足を運ぶ。その目に入ったのは、彼にとって衝撃的な映像だった。
「…と、とと、冬真…っ?!」
声に気づいた冬真。洗い物の手を止めて振り向く。
「…あ、お帰り、兄貴…って、どうかしたのか?」
ものすごい形相(ぎょうそう)の兄を見て、冬真も少し驚いた。
「どど、どうかしたじゃないですよ!た、確かに僕は冬真を一人前に育て上げた自信は全く無いですけど、で、でも…」
龍弥はびしっと人差し指を冬真の隣に向ける。
「見知らぬ女の子を家に連れ込むようなそんな浮気な男に育てたつもりはありません!!」
著(いちじる)しい龍弥の剣幕と発言に、数秒冬真の思考回路が止まる。そして冬真の口がやっと開く。
「阿呆か、これはただの人助けだっつーの…てゆうか兄貴にそんなこと言える資格ねえし」
冬真の隣で指をさされきょとんとしていたあおいも発言する。
「そ、そうですよ…それにボク、ですし…」
そしてまた数秒の沈黙があって、龍弥と冬真が同時に叫んだ。
「「うそぉっ?!」」
「あ、あれ、冬真さんにも言ってませんでしたっけ…?ボク、ご覧の通り男ですよ…?」
舐(な)めるようにあおいを見つめる龍弥と冬真。
「ご覧の通りって言われても…その栗色の髪といいかわいらしい顔といい声といい名前といいその身形(みなり)といい、何處を如何(どう)見ても女にしか見えねえんだけど…」
冬真が零(こぼ)すように言う。
「え、そ、そうですか…?」
心外そうな表情のあおい。
「…ま、まぁ、綺麗な顔にこしたことはねえし…別に俺、お前が男だろうが女だろうが此処に置いておくことを変える気もねえしな」
金色の頭を掻きながら言う冬真。
「あ、ありがとうございますっ…!」
「で、先刻の“人助け”というのは…?」
「ああ、市場の路地でこいつが腹空かせて倒れてて…」
冬真が説明をし始めたその時だった。
澄んだ、落ち着いたような音が家全体に響いた。玄関の扉を叩く音だった。
「あ、お客さんでしょうか…」
玄関に向かう龍弥。
「おかしいな…普通玄関に誰かが近づいたら、俺でも勘付くのに…」
冬真は呟くと、あおいの方を見た。
「…あ、あ…」
顔を青くして、何かに怯えている様子のあおい。
「お、おい、どうした、あおい?」
玄関の方向を向いたまま怯えているあおいの正面に立ち、冬真はあおいに呼びかける。
「…あ、に、にげ…」
「え?何?」
「ああ、こんなところに居(お)ったのか、あおいよ」
冬真は、突然背後から聞き慣れぬ声がしたのに驚き振り向いた。其処には、忍者服をまとった六十前後の男が立っていた。
また何も感じなかった――冬真はその男がただならぬ者であることを察知し、咄嗟(とっさ)に身構えた。あおいは冬真の背後で小刻みに震えている。
「だ、誰だよ、あんた…他人(ひと)ん家(ち)に勝手に上がりやがって…」
「ああ、これは失礼。儂(わし)は服部 宗兵衛(そうべえ)。或る忍者の里を統(す)べる者であり、其処に居るあおいの祖父じゃ」
「忍者の里の長(おさ)で…あおいのじっちゃん…?」
冬真は再びあおいを見た。あおいは冬真の服を掴んで震えている。
「ど、どうしたんだ、あおい…?お前のじっちゃんが、迷子になったお前を迎えに来てくれたんじゃないのか…?」
あおいは、何とか言葉を紡(つむ)ぎ出しながら言う。
「…ご、御免なさい、冬真さん…ぼ、ボク…嘘を吐きました」
「嘘?」
「ぼ、ボク、迷子になったんじゃ、ないんです…里から、逃れて来たんです…」
「ええ?そりゃまたどーして…?」
「だ、だって…」
言葉を詰まらせるあおい。暫く間を置いたかと思うと、今度は一際(ひときわ)大きな声で叫んだ。
「おじい様がボクを女の子扱いするんですもん…っ!!」
「…は?」
顔を真っ赤にしているあおいと、その様子を見ながらきょとんとしている冬真。
「…ボク、幼少(おさなご)の頃から、他の同胞(きょうだい)や従兄弟(つまり宗兵衛の孫)と違って、髪も長くさせられてるし、こんな格好もさせられてるし、言葉遣いも丁寧にしろって言われてるし…如何(どう)考えても女の子みたいにさせられてるとしか思えないんですっ…!!ボク、其れが厭(いや)で里を抜け出して…」
「…何でまたそんなことを…?」
冬真は恐る恐る宗兵衛の方を向いてみた。
「…仕方ないじゃろう」
宗兵衛は諭(さと)すように言う。
「儂の孫がみんな男ばっかしなんじゃから!!」
「…はあ?」
何言ってんだこのおっさん、という思いを剥き出しにした表情の冬真。
「儂は女子(おなご)の孫が欲しかったんじゃが、何故か孫は凡(すべ)て男ばかり…そんな中で、最後に生まれた孫であるあおいのかわいらしい姿を見た途端(とたん)、女子のようだと思ったのじゃ。じゃから、あおいを女子のように育てようと…」
「…って、只のロリコンじゃねえかっ!!」
目の前の男が自分より四十以上年上であることを薙(な)ぎ倒したツッコミを入れる冬真。
「何と言われようと構わんよ。儂は、あおいさえ儂の許(もと)に居(お)れば其れでいいんじゃ。さ、あおいよ、帰るぞ」
宗兵衛の差し出す手を、あおいは冬真の服をぎゅっと握り締めたまま見つめる。
「ボクは…おじい様の許へは帰りません!冬真さん達と一緒に暮らすって決めたんですっ!!」
「…へ?」
突然のあおいの決断に、冬真は自分の耳を疑う。
「…そうか」
それまでの温厚な雰囲気を一変させる宗兵衛。
「お主、冬真とか言ったのう。お主があおいを誑(たぶら)かして儂の許から連れ出したのじゃな」
「はぁ?!」
冬真は先刻から自分の許可無く自分の立場が目まぐるしく変動していることに納得行っていなかった。
「あおいのかわいさからそのような愚行に出おって…儂がその性根(しょうね)叩き直してやるわっ!!」
そういうと宗兵衛は、脇腹から太刀(たち)を取り出して構えた。
「ちょ、一寸(ちょっと)待てっ、何いきなり…」
「問答無用、覚悟せいっ!!」
宗兵衛は冬真目掛けて太刀を振り下ろす。
「な、何でだよっ?!」
冬真は素早く太刀筋を躱(かわ)すと、懐(ふところ)から数本の針を取り出し宗兵衛に投げた。
「…ほう、小僧、なかなか面白い獲物を持っておるのじゃな」
冬真の針は、歳の割に素早い宗兵衛の動きによって避けられてしまう。
「じゃが、儂は忍者の里を統べる者じゃ。お主のような若僧に敗(ま)ける程老い耄(ぼ)れてはおらぬわ」
宗兵衛の太刀が冬真の胸元を捉(とら)えようとした。
避けきれねえっ…!!冬真は目を瞑(つむ)った。
だが、痛みはなかなか感じられなかった。不思議に思い冬真が再び目を開けると、すぐ目の前には栗色の頭があった。
「あ、あおいっ…?!」
太刀の先端が、あおいのくのいち服を貫いているのが冬真には確認できた。
「何故じゃ?何故あおいがそやつを…?!」
「は、半分は…おじい様への反抗心…」
苦しそうな声で言うあおい。
「も、もう半分は…冬真さんが、ボクをちゃんと受け入れてくれたこと…」
「…え?」
思わず聞き返す冬真。
「と、冬真さん、言いましたよね…ボクが男だろうが女だろうが、助けてくれるって…ボク、産まれて初めて、ボクという存在を、何の先入観(いろづけ)もされずに、他の誰か(ひと)に受け入れてもらえたんです…それが、嬉しかった、から…」
あおいの躰(からだ)がゆっくりとずり落ちる。脂汗(あぶらあせ)が滲(にじ)む。
「あおいっ?!」
「…十二年間、ありがとうございました、おじい様…。ボクはこれから、一人の男として、生きて、いきます…」
掠(かす)れた声が途切れ、あおいの黄色の瞳が閉じられた。
「あ、あおいー!!」
太刀を引っ込め、喚(わめ)く宗兵衛。
「まだ息はある!近くの医者に…」
「大丈夫ですよ。」
「…え?」
冬真と宗兵衛は、声のした方を見た。其処には、龍弥が居た。
「大丈夫って、どういうことだよ…」
「こういうことですよ」
龍弥は徐にあおいの許へ歩み寄ると、その着衣の上半分を剥奪(はくだつ)した。
「なっ、何をしおるかっ!…って、え?」
一瞬顔を赤らめる宗兵衛だったが、露(あら)わになったあおいの上半身を見て驚いた。小さな傷が一つ、臍(へそ)の上についているだけなのだ。
「こ、これって、どういう…?」
「先刻、太刀の先端のちょっとだけしか彼の腹部に刺さらなかったでしょう?恐らくはほら、この服の内側に何かの植物で作られた簡易の鎧のようなものが」
龍弥は脱がせた服の内側を見せる。
「あ、ホントだ…てことは、こいつのお陰で太刀はあおいには殆(ほとん)ど刺さらなかった、ってことか…?」
「ええ。恐らく彼は、自分が刺されたと直感したショックで意識を失っているだけでしょう」
「…よかった」
冬真は、小さく微笑んだ。
その顔を、宗兵衛はちらと見た。

「……あ」
瞼が開き、黄色の瞳が現れる。
「おお、目ぇ覚ましたか」
まだ朧気(おぼろげ)なその瞳に、冬真の心配そうな顔が映る。
「あれ…えっと、此処は…?」
あおいは上体を起こすと、自分が蒲団(ふとん)の上に寝ていたことを知った。そして、傍には冬真と龍弥。
「俺ん家だよ。ったく驚かすなよなー、突然気ぃ失うんだもんよ」
「…え、ボク、刺されてなかったんですか…?…ていうかおじい様はっ?!」
ぶんぶんと周囲を見渡すあおい。
「お帰りになりましたよ」
龍弥が言う。
「え…?」
「君が命を挺(てい)してまで守ろうとする冬真は悪い人間ではなかろう、と判断なさったようで、君の今後は冬真に任すと仰(おっしゃ)ってお引取りになりました」
笑顔で言う龍弥。
「え、そ、それじゃあ…」
「ま、そういうわけだから、此処にでも居れば?」
冬真はそっけなく言う。
「あ、あ…ありがとうございますっ!!」
「全く、素直じゃないんですから、冬真は」
小さく笑って言う龍弥。
「但し、一つだけ条件がある」
「え、条件…?」
冬真の言い出した言葉に、冷や汗を垂れるあおい。
「お前、最初に会った時、俺の買ってた食材の半分喰っちまったよな?」
「あ、は、はい…ごめんなさい…」
「それに、今2人で生活してくのもやっとなのに、3人になっちまったら生活は困窮のどん詰まりだ」
「は、はぁ…」
「と、いうわけで…」

「あおいちゃーんっ、もう一杯頂戴ー!」
「あっ、は、はいっ、只今っ…!」
舞台は再び安丸食堂。氷嘉留の呼び声に駆けていくのは、栗色の髪を束ね普通の町人の姿をしたあおいだった。
「おい氷嘉留、幾らあおいが諫(いさ)めねえからって、またツケ溜めんじゃねえよ」
氷嘉留を睨みながら言う冬真。
「だーいじょーぶだって、ねー、あおいちゃん♪」
「え?えっと…は、はい」
多少あたふたしながら答えるあおい。
「何が大丈夫なんだか分かって言ってんのか?」
「あ、冬真様…御免なさ」
「だだ、大丈夫に決まってるじゃないですかっ、穂妙留さんっ…!!」
「え?どうしたんですか?冬真さん…?」

「やれやれ…また穂妙留さんにしてやられてますね」
遠くの席から様子を見ている龍弥。
「あおい君も、男の子っぽい格好をすればそれなりに見えるじゃないですか。冬真のおさがりですけど…全く、冬真の世話好きは、本当に誰に似たんでしょうねぇ」
珈琲を一杯口に入れ、龍弥は微笑して窓の外を見上げた。
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あとがき
げんげつ第2話です。
第1話を読んだ友人から「この話の主人公は氷嘉留じゃなくて龍弥じゃないのか?」とツッコまれましたが、今回はもっと氷嘉留が出てなくて冬真大活躍の回だったり(爆)。
まぁ、僕としては鷹月姉妹と叶兄弟の4人が主人公、という気持ちではあるんですが。
てゆうか第2話長ぇ(苦笑)。第1話より2000字以上多い第2話って何なんでしょう^^;
あおいちゃんは元々げんげつ4人とは別個に考えてたキャラだったんですが、春企画のノリでげんげつに合流させちゃいました(笑)。
別の友人からは「男の子キャラ好きだねぇ」などとツッコまれましたが、今回なんか特にそうだよなぁ^^;

さて、前回のあとがきで出したクイズ、分かりましたでしょうか。
実はこの第2話にも仕込んだトリックなんですが…
答えは、頭の方にある「時は天化三年」。
これさらっと置かれてるので、ふつーに日本の昔にあった年号であり、この話が日本のとある特定の時代の話なのだ、とほぼ無意識に感じたと思います。
でも、実はこの「天化」という年号、日本には存在しません(爆)。
なので、この表現が時代を特定しているように見せかけて、実は全然特定していない、架空の時代設定の話なのだ、というわけなのでした。
ちなみに「天化」は某マンガの登場人物の名前だったり(笑)。

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