恋人はネコ☆ 〜Cat I love you!〜
6ひき目☆おかげさま「ったくよー、しのぶちゃんのやつ、あそこまで怒ることねーじゃんよー…」
放課後の放送部室。ふてくされた表情で机に突っ伏す鉄の右手は自らの頭部をさすり、左手はテスト用紙を握っていた。テスト用紙には大きく“2 追”の赤い文字。
「しのぶちゃんって?」
「ああ、数学の蒲池(かまち)よ。あのいかつい外見の割に、忍(しのぶ)なんて女の子らしい名前なもんだから、陰ではそう呼ばれることが多いのよ」
鉄の後ろには美菜緒とともみが、テスト用紙をまじまじと見ている。
「せんせーめちゃめちゃおこってたなのー…」
鉄の隣でやはり机にあごを乗せ脱力するよーじ。彼の目の前に置かれたテスト用紙には“3 追”の文字が殴り書きされていた。
「そりゃ怒るっしょ、2点とか3点とか取ってる上に、2人揃ってぐーすか寝てたんなら。しかも、中間でも期末でも3組で追試かかったのあんたら2人だけなんでしょ?」
「ていうか私、数学で2点とか3点とかっていう点数見たの初めてなんだけど…寧(むし)ろよくこんな点数取れたわね」
呆れ顔でテスト用紙を覗き込む美菜緒。
「えー、それは美菜緒先輩が勉強できるからでしょ」
「いや、そういう問題じゃないから。あたしも見たことないし」
鉄の負け惜しみ(?)はともみにばっさり斬り捨てられた。
「ふぇ、みなおってべんきょーできるなのぉ?」
ふっと顔を上げるよーじ。
「え?うーん…まぁ、そこそこは」
「またまたー、今回の期末テスト、平均88点で学年トップ10入りしといてよく言うわよー」
「えっ、な、なんでともみそんなこと知って…っ」
そこまで言いかけて、美菜緒は口をつぐんだ。そうだ、ともみの情報網にかかればそんなこと朝飯前だった。
「えっ?!トップ10入り?!ま、マジっスか、美菜緒先輩…っ」
「ふぇーっ、みなおスゴイなのぉ、スゴすぎるなのぉーっ!!」
鉄とよーじのキラキラとした眼差しが刺さるのを、美菜緒はひしひしと感じていた。
「…ま、まぁ、ね…って、な、何…?」
ちょっと赤くなった美菜緒の顔に、2人の男の顔が近づく。
「ねーねーみなおー」
「物は相談なんっすけどぉー…」
美菜緒の背筋に、じんわりと冷や汗が滲んだ。
「ったく…なんで私がよーじ達に数学教えなきゃならないのよ…」
所変わってよーじの部屋。ちなみに冷房が入っていて蝉の声も遠い。
「えー、でもでもぉ、もしオレ追試落っことしちゃったら、夏休みにたっくさん宿題出て、それを手伝うみなおもタイヘンなコトになっちゃうんだよぉ?」
「待って、その宿題を私が手伝うことって決定済みなワケ?」
「ま、そんなことより、さっさと始めようぜ。陽が沈んじまったら効率ガタ落ちだし」
「………そ、そうね」
「いまみなおなんか想像したぁ?」
「いっ…いちいちちょっと鋭いツッコミしないのっ!はい、さっさとやるわよっ」
何想像したんだ…と鉄は思ったが、口に出したらどつかれることが目に見えていたので心の中にとどめておいた。
「えーっと、テスト範囲の最初はっと…ああ、これね。二次関数とグラフ。どこから分からない?このy=x2のグラフとか大丈夫?」
「むぅ……」
美菜緒が示した教科書のページをしばらく睨めっこするよーじと鉄。
「…おい、よーじ。こんなの、やったか…?」
「てゆーかオレ、この“わいいこおるえっくすつー”ってゆうのとかよくわかんないんだケド…」
「…は?」
一番きょとんとした顔をしたのは美菜緒だった。
「え、えっと…じゃあこっちは?この、“sin30°+cos60°=”ってヤツ」
「んー……」
またしばしの睨めっこタイム。
「これ、本当にテスト範囲だったか?」
「てゆうかさぁ、“しんさんじゅうまるたすこすろくじゅうまる”ってどーゆーイミ?」
「……冗談、じゃ、なさそうだよね…」
美菜緒は思わず教科書と肩を落とした。
「いーい?このxっていうのは、とりあえず何か不特定の数ってことにしておいたもので、此処には色んな数字を代入してもいいの」
美菜緒は手にする教科書のランクも落とした。彼女の手にある教科書の表紙は「中学1年数学」。
「…うーん…こんなの中1でやったっけぇ…??」
「やったでしょ?てゆうかそれじゃあんたら高校入試どうしたのよっ?!」
「あー、あんときはガンバってたなの。たぶん」
「多分って…ていうかたかだか半年くらい前にガンバった内容くらい覚えといてよ…」
ぼわっ。
「…あ、陽ぃ沈んじまったみてえだな…」
体長30cmの黒い犬に変身してしまった鉄。
「みたいだねー…うまくシャーペンもてないなのぉ」
耳としっぽが生えたよーじは、ネコ手で必死でシャーペンを持とうとする。
「ってあんたねえっ、梶助さんはタバコとかふつーに持ってたじゃないっ」
「梶助おじさんはほらアレだよっ、えーっと、うーんと、あっ、トシノローってやつだよぉっ」
「それを言うなら年の功な」
眼前に繰り広げられるよーじと鉄の阿呆なコントに、美菜緒は深い深ーいため息をついていた。
翌朝。
「あ、おはよー美菜…」
ともみは見かけた友人の顔が、見知った友人であるかどうかちょっと目を疑った。
「あ…おはよ、ともみ…」
美菜緒の顔は白く、深いクマができ、若干頬がやせているように見えた。
「ちょ、ちょっと美菜緒、どしたの、その顔?」
「…今朝、やっと小学校卒業した…」
「は?」
結局小学校中学年くらいの内容からやり直し、一晩かけるどころか今朝になって(よーじの耳が引っ込み鉄が人間の姿に戻って少し経つ頃になって)ようやく、小学校の内容が終わった、という話を聞いて、本気でお腹が痛くなるまでともみが大爆笑をするのはこれから間もなくの話である。
そうして、あれやこれやで一週間後。1年3組の教室の前。
「いい?この1週間でやったこと、全部出し切るのよっ?」
「うんっ!」
「…ってあんたら、小学校受験の受験生とその母親じゃないんだから」
真剣な眼差しで向き合う美菜緒とよーじに、呆れ顔でツッコミを入れるともみ。
「そうだぞ、俺も居んの忘れんなよ」
「あら、居たの?」
間髪いれぬともみの言葉に、鉄は廊下の隅っこに体育座りで泣き出す。
「んー、でもオレ、ちゃんとできるかなぁ…」
よーじは不安そうにうつむく。筆箱を持つ手がぎゅっと握られる。
「大丈夫だって、あんだけ勉強したでしょ?」
しゃがみこんでよーじの顔を見上げ、にこっと微笑む美菜緒。
「それはそーなんだけどさーあ…」
「じゃあ、私がとっておきのおまじないしてあげる」
「ふぇ、おまじない…?」
「うん。ちょっと目閉じて」
よーじは言われるがままに瞳を閉じた。そして、そのちょっと赤く柔らかな頬に、美菜緒はほんの一瞬だけ自分の口唇(くちびる)をつけた。
「……っっ?!?!?!」
ともみと、しゃがみこんでいた鉄は、突然の出来事に目をぱちくらさせ、顔を赤らめ声にならない声をあげた。
「ふぇっ、み、みなお…っ?」
よーじはよーじで、ちょっと驚きちょっと恥ずかしがりながら、自分の頬に手をあてたりしていた。
「さっ、これで大丈夫でしょ?さっさと追試なんかパスしてきちゃいなさい」
「う、うんっ!オレ、行ってくるねっ☆」
よーじは飛び跳ねるみたいに元気よく教室に入っていった。
「あ、あのー、美菜緒先輩…?」
「え?何、犬養」
「お、俺も、自信、無いんですけど…おまじない、してもらえないっすか?」
「…いいわよ、目閉じて」
「えっ、いいんっすかっ?!」
軽い冗談のつもりだった鉄は、美菜緒の予想外の反応に吃驚(びっくり)した。
「ほら、さっさと目ぇ閉じる」
鉄は、高鳴る鼓動を抑え切れぬまま目を閉じた。