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かぜのうた

第1章 開幕の微風

「死を恐れている人はいません。死に至る生を恐れているのよ…苦しまないで死ねるなら、誰も死を恐れないでしょう?」……森博嗣「すべてがFになる」(部分略)

「あけおめっ!!」
玄関から外に出てきた疾風の顔を見るなり、私は笑顔で疾風にそう言った。疾風はまだちょっぴり寝ぼけ眼で、そんな様子を見て私は、より一層疾風のことを愛おしく思ってしまうのだ。でもそんな私の気持ちには全然構いもせずに、疾風はただこう言い返しただけだった。
「美寛、“あけおめ”には遅くない?もう1月の4日だよ?」
「いいのいいの、そんな事気にしないで、ハヤ!今年になってから、私たち会うの初めてでしょ?」
疾風にそう言われながら、色んなことを私は頭の中で確認する。私の名前は雪川美寛。警察官の父、隆臣と主婦の母、由奈絵の間に出来た二人の娘のうち、後から産まれた方…つまり妹だ。私立深月高校の2年生で17歳。身長は154センチで、体重は…って、そんな話は別に今は関係ない。今の私にとって大事なことは、疾風の家の玄関に私がいることと、その私の目の前に疾風がいる事だけなんだから。そう思いながら、私は改めて今、自分の目の前に立っている男の子をしげしげと見つめる。彼の名前は月倉疾風。私と同じ私立深月高校の2年生。2月生まれの彼はまだ16歳。身長は170センチと今の若い男性にしてはちょっぴり低いかもしれないけど、それでも十分カッコイイ。彼のことを「ハヤ」と呼べるのは、幼なじみでもある私だけの特権。私たち2人は、常日頃から恋人同士と目されている…もっとも、この項目だけは私がそう信じたいだけかもしれないけど。そう、私、雪川美寛の唯一の悩みは、月倉疾風が私をどう思っているか…私のことを友達以上に好きなのか、分からないこと…。
「それで、美寛?これからどこに行くの?さっきの電話じゃ言ってくれなかったけど…」
そう、今私が疾風の家の玄関にいる理由は、これから2人で出掛けるためだ。場所はすぐに口に出来るのだが、じゃあどうしてそこに行くのか、と言われるとそれには答えられない。というより、答えたくない。あんなメールの内容を信じようとしているなんて、自分でもバカらしくて疾風には教えられない。だから私は行き先だけを告げる。
「ん?学校だよ、ハヤ。が・っ・こ・〜」
「はぁ!?3学期も始まってないのに?…何しに行くんだ?」
あ、やっぱり聞かれた。でも絶対教えない。…少なくとも、学校に着くまでは。
「ヒ・ミ・ツ」
必要以上に甘い声を出してみる。女の子なら、愛しい人の前では自然に声が甘くなるものだ。その差に気がついたのは最近のことだけど、だからこそ近頃は、こういう場面で意識して使うことが出来るようになったと思える。それに、こう言えば疾風はたいてい聞き流してくれるのだ。我ながら上手く疾風を操ってるな、と内心舌を出す。
「はいはい…で?制服じゃなくてもいいわけ?」
疾風は今、黒のコートを着ていた。その下に見えるのは着古した白のセーター。去年の疾風の誕生日に私がプレゼントしてあげた手編みのやつだ。すっごく喜んでくれた疾風の顔を私は今でもよく覚えている。でも、だからこそ編むのを半分以上姉に手伝ってもらったことを言い出せないでいる。ちょっぴり苦い想い出だ。下はちょっぴり深緑色がかったジーンズで、左側にチェーンがついている。そういえば最近、チェーンのアクセサリに興味があるって言ってたっけ。
「もちろん。私だって制服じゃないでしょ?」
そう言いながら自分の服を見返してみる。今の私が身につけているのは白のコートにピンクのセーター、膝丈の茶色のひらひらしたスカートにこげ茶のブーツ。お世辞にも大人っぽい格好とはいえない。でも、それは疾風に合わせてのことなのだ。髪も今は二つに束ねている。ちょっぴり子供くさいけど、疾風がこの髪型の方が好きらしいから、こうしてる。こんなちょっとした事にも、その裏には私にとって苦い想い出がある。去年のクリスマスに疾風とデート…他の人は、ただの「お出かけ」とか「お買い物」とか言うんだろうけど…に行ったときに、時間をかけてメイクしたりタイツをはいたり、というような、私にしては思いきった「大人のオシャレ」をしていったら、疾風にショックなことを言われたのだ。それは私にとって「似合わないよ」よりもヒドイ嫌味かもしれない。今でも覚えてる。疾風は私の服を見てこう言ったんだ…。
『そういう格好は、雅さんがしたら似合うと思うけど…』
なんてヒドイ事言うの!!その場で本気で怒ってやろうかとも思ったけど、やめておいた。あの時、私はちょっぴりズルな事をした。代わりにこう言いかえしてやったの。
『…じゃあ、私に似合う服、クリスマスプレゼントに買ってよ!』
実は、それで買ってもらったのが今着ているピンクのセーターなの。他の服とちょっぴりコーディネートするのは難しいけど、疾風が買ってくれたから、今でも大事に着ている。こんな小さなことにも、私はすごく意味を見出してしまう…。
「そ、分かったよ。何か知らないけど、行くなら早く行こう?」
その疾風の言葉で我に帰った私は、小さくうなずいて歩き始めた。ホントは手を握りたいのに、疾風は手を差し出してくれない。もう少し勇気があれば、私から疾風の手を握ることが出来るのに…。そんなもどかしい気持ちを抱えたまま、私は疾風と並んで歩き出す。
ふと強く北風が吹いた。私は左手を自分の顔の前にかざす。横目で疾風を見ると、彼も右手を顔の前にかざしていた。一瞬だけど、あの風に大切な何かを吹き飛ばされたような気がした…。


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