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かぜのうた

第10章 心痛の一風

「それにしてもさ…」
疾風が左の頬をさすりながら言う。疾風の左の頬だけ少し赤い。ちょっと強くやりすぎたかな、とも思ったけどあんなにストレートに言う疾風の方が絶対に悪い、と自分に言い聞かせる。クリスマスとお正月が一緒にくるんだから、この時期太らない人なんてまずいないと思う。
「なんで彩芽なんだ?それに、なんで風花なんだ?」
私はちょっぴり膨れっ面をしたまま疾風の方を見る。その時、疾風が意外に真面目な顔をしていたから、私も思わず口の中から息を吐き出した。
「動機の問題、って事?」
そういえば、私は全然考えていなかった。いわゆる本格派では、あまりにロジックやトリックを重視するために、かえって動機や心情に重きが置かれない傾向が、ないわけではない。私はそれと「人間が描けていない」という批判は別のものだと思っているけど、確かに私は動機のことなんて考えもしていなかった。そうか、現実に愉快犯なんてそうそういない。みんな何かの目的があって、そして目的にたどり着くための方法として、殺人以外の方法を自分で塞いでしまうことによって、それをしてしまうのだろう。
「まぁ、そういう事かな。何で彩芽が殺されなきゃいけなかったんだ?なんで犯人はその事と風花を結び付けなきゃいけないんだ?」
「彩芽を殺したい理由…か。それは私にはわかんないけど、それを風花と結び付けたい理由なら、思い当たることはあるよ」
「ああ…例えば、風花が死んだ原因が彩芽にあって、それを知った誰かがその復讐のために、って事だろ?」
うん、それもある。というか、現実ならそれしかない。現実ならそれしかないけど…。
「それも1つだよね。でも、よくミステリで出てくるのは、本当の動機を隠すため…ってもの」
「本当の動機?」
「そ。い〜い、例えば彩芽が死んだお祖父ちゃんとかから莫大な遺産を相続していたとするでしょ?で、彩芽がもし死んだらその遺産は親戚の元に移る、っていう事がもしも親戚の人に分かったとすれば…」
「ああ、親戚が彩芽を殺しかねない」
「ね?でも、普通に殺したら絶対真っ先に疑われるのはその親戚じゃない。だから、別の動機…ここでいうなら風花の自殺に彩芽が絡んでいるようなことを匂わせて、疑いの矛先を変えてしまおう、ってこと」
疾風は分かったような分からないような声を出した。
「ふ〜ん…でも、そういう事はきっとないな。第一、彩芽の家ってそんなに金持ちか?彩芽の父親って、あの鏡野先生だろ?所詮は公務員なんだから、そんな金持ちだとは思えないんだけど」
あくまで仮定の話、って言ったじゃない。私がそう思っている間に、疾風は少し先に進んでいる。
「なぁ…風花が自殺しそうな理由に彩芽が結びつくことなんてある?」
その時だった。そう単刀直入に問われて、私にある記憶が蘇ってきた。
「あ…もしかして…」
私は自分の頭の中にある記憶を手繰り寄せる。そうだ、彩芽と風花の中が悪くなっていた時期があった。確かあれは、去年の6月…。そうだ、そうだ。今、私の頭の中に鮮烈な映像が再現されつつある。
「何か、あったのか?」
「うん、今思い出した。彩芽って、よく悪戯するでしょ?一昨日みたいに…」
その言葉を口にすると、不意に私の心は寂しくなる。
「去年の6月ごろだったと思うけど、彩芽が風花に悪戯したの。その…」
私は声を落とした。こんな言葉を、それも男の子の前で口にするのは正直いい気持ちじゃない。でも、これはけっこう大事なことかもしれないから、疾風に聞こえるくらいの小さな声だけど、はっきり口にする。
「売春…疑惑っていう…」
「…は?え、それって…あの?」
疾風もそういう言葉をはっきりと口にするようなデリカシーのなさは持ち合わせていないらしい。私は少し安心して、続きを口にする。
「うん。今年の春休みに、風花が誰かと一緒に『そういうところ』に行ったらしい、って噂を彩芽が…流したらしいの。そしたら当然だけど、風花ものすごい怒って…」
疾風はかなり驚いているみたいだった。女子の間だけで囁かれた噂だったから、今疾風が知らなかったのも無理はない。事が収まったあとも、みんなで隠そうと決めて女子は結束していた。私は今、それを裏切ったことになるのかもしれないけど、学年の女子たちへの友情と疾風への愛情なら、私は疾風への愛情をとる。
「それで翌月、あんな事になっちゃったでしょ?そういえば、風花が死んでから少しの間、もしかしたら…なんて話はあったの。その、もしかしたら…本当に風花は、そういう事をしたんじゃないかって。風花って、どっちかっていうと幼くて、純真で…」
そのあとに思わず「ハヤの好みで…」と付け加えかけてあわてて口を押さえた。急いで別の言葉を付け足す。
「とにかくそういう子だったから、それを苦にして…」
危ない危ない。そういえば、私と風花は、性格はともかく外見は割と似ていた。私が茶髪で、彼女が黒髪。あと、私は普段髪を結ばないけど、風花はよくリボンを2つしていたっけ。2人の差はそれくらいで顔立ちも比較的幼いし…。どちらかが歩み寄れば双子にも見えるかもしれなかった。だから今、私は自然に風花の描写に自分を投影しかけてしまったのだ。でも私は、風花ほど臆病じゃないつもりだし、たぶん純真でもないだろう。
「そうか…」
疾風は私の不自然さに気がつかなかったらしい。疾風の鈍感なところに素直に感謝した。そうして2人とも、少し黙り込んでしまった。ふと、私の頭をおじさまがよぎった。そうだ、このお話をおじさまにすれば、もしかしたらおじさまなら何かを掴んでくれるのかも…。
「私、そろそろ帰るね?今の話、おじさまにもしておきたいし…」
疾風には神崎のおじさまの話をしている。だから気軽に、おじさまのことは口に出せる。
「玄関まで送っていってやるよ」
私が部屋を出ようとしたときに、疾風も立ち上がった。こんな事は初めてだったから、少し驚いた。何を言われるのかと思ってしばらく黙っていると、玄関の前で疾風はこう言ってくれた。
「あんまり思いつめるなよ。思いつめた顔をしてる美寛はブスだからな」
その言葉には、素直に笑うことが出来た。私の心の中で冷たくなっていた部分が、この時少しだけ、冷たい眠りから目覚めたような気がした。私はこの気持ちを抱えたまま、おじさまの家へと歩き出す。なぜかちょっぴり早足になった。この気持ちを、この冷たい風にさらわれたくないからかもしれない。


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