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かぜのうた

第14章 深化の薫風

「雪川さん、何をしていたの?」
私が図書館を出るとすぐに、後ろから白沢合歓の声がした。呼び止められるという嫌な予感はしていたから、さして驚きはしないけど、冷や汗が出てしょうがなかった。
「え?あの、さっきそこで小沢木先生に出会って、急に司書室へ行こうって誘われたから…」
ちょっぴりしどろもどろになりながら、そう弁解する。合歓は私に近づいてきた。
「それは別にいいの。私がききたいのは、その直前の話」
「ち、直前?」
そう問い返しながら、私はさっきまでの出来事を思い返していた。小沢木先生に会う直前なら、屋上で鎖井くんと話をして、そしてその前は…。
「とぼけないで。さっき、屋上で将弥君と一緒にいたでしょう?」
ああ、そうか。さっき、姥山さんが「合歓は将弥くんが好きだ」ってしゃべっていた。たぶん、合歓は私と将弥くんが話をしているのを見て嫉妬したんだ。
「何をしていたの?」
「な、何って…偶然あそこで一緒になったから、ちょっぴり話をしただけだよ…」
合歓は私をじっと見つめた。眼鏡の奥にある、済んだ大きな瞳は真剣そのものだ。たぶん、まだ疑われている。でも、そういうときに自分から話しちゃダメだ。自分のアリバイを必要以上に探偵や警察にアピールする犯人のように見えてしまうに違いない。
「本当に?他意はないの?」
「うん、偶然だよ…」
しばらく私が黙っていると、合歓から思いがけない一言が飛んできた。
「雪川さん?あなた、誰のことが好きなの?」
いきなりの質問だったからかもしれない。私は思わず本音を口に出してしまった。でも下手な誤解をされて敵を増やすよりはいい。それに私と親しい女の子たちなら、私が疾風のことしか見ていないことくらい知っている。そういうのに今時の女の子は目敏いのだ。私が鈍感なだけかもしれないけど。
「ハヤ。その…5組の、月倉…疾風…」
「…そう。それなら、いいの」
合歓はまた図書館に戻っていこうとした。その時、急に合歓に聞きたいことを思い出した。
「あ、白沢さん…」
「どうしたの?」
「あの、今までの話とは別に、聞いておきたいことがあって…」
私がそう切り出すと合歓は小首をかしげた。ちょっぴり悔しいけど、確かに優雅な仕種だ。
「何かしら?」
「えっとね、パパからもう一度確認したいことがある、って…。あ、私のパパは警察官でね、その…彩芽の件で、この前学校に来ていたの…」
たぶん合歓のような人には好奇心は通用しない。そう思った私はパパの仕事を口にした。すると不意に、合歓の表情が少し変わった。たぶん、雪川という名字に気がついていたのだろう。 「そう、いいわ。それで?」
「白沢さんが非常階段に出ていた時間がもっと正確に分かったりしませんか…って」
これはかなり賭けだった。もし合歓がそれを覚えていてパパに事前に話していたとしたら、明らかに不審がられる。でも、今回はどうやら大丈夫だったようだ。合歓は右手をあごの下にあてて、少し考えてから私に言った。
「いいえ…10時ごろから数回に分けて、雪川さんが叫び声をあげるまで、としか言えないわ。ずっと時計を見ながら作業をしていた訳ではないから」
「そっか…あ、本を持ってきた人は分かる?その人が覚えているかもしれないし」
「どうかしら…本を持ってきたのは市立図書館の司書の小口さんよ。彼が非常階段の目の前に車を止めて、私たちの作業をずっと手伝ってくれていたの」
「あ…じゃあ、少なくともその小口さんは非常階段のところから離れていない?」
「ええ、そうよ。…それだけかしら?」
そう言うとすぐに、合歓は図書館へと去っていった。私は大きくため息を一つついて、合歓がさっきの疾風の話を必要以上の人に…特に姥山さんに…広めないことを心から願った。私にしては珍しく、思わず独り言が漏れた。
「さて…これから、どうしよう?」
とは言っても、まだ用事はある。もう1人会わなければならない人がいるのだ。私は警備員の梓田さんに会うために南校舎へと戻ることにした。この時間なら、まだ警備員室にいるはずだ。
北校舎から南校舎へいくためのスペースは、屋根こそあるけど基本的には屋外も同然だ。制服だと足が寒い。1月の風は、今日もやむことなく私たちを覆っている。早足で南校舎の中へ入っても、外を吹く風はその音で、私をその内側へ閉じ込めていた。靴箱の側では、一年生が数人帰り支度をしている。私はその横を通って、警備員室の扉をノックした。
「はい、どなた…ああ、あの時の。よく来たねぇ」
梓田さんは笑顔で出迎えてくれた。警備員室は畳の間だ。梓田さんが勧めてくれる座布団に座って、梓田さんと話を始める。といっても、流し台に向かっている梓田さんの背中に話しかける格好だ。梓田さんはお茶を淹れてくれているらしい。
「梓田さん…私、謝りに来たんです。ほら、あの日…私、ウソをついちゃって…」
梓田さんはお茶を二つ、目の前のちゃぶ台に置いて私の向かいに座った。
「いいや、それくらいは構わんよ。それにほら…あれで何もなかったならともかく、見つかったものが見つかったものだったしな。警察の人が時計塔を少し掃除してくれたみたいだしの」
梓田さんは高らかに笑った。それを聞いて私も少し安堵し、温かい緑茶に手を伸ばす。
「それはそうと、あんた、雪川さんって言うんかの?」
「あ、はい。そうですけど…」
「いや、あの時は名札がなかったからなあ。って事はあれか、この前捜査に来た刑事さん。あれ、もしかしてあんたの…」
「はい、そうです。あの時来ていた刑事さんの1人、私のパパです」
「おお、そうかそうか。いや、なんとなく似ている気がしたもんでの」
それは多分、梓田さんの勘違いだろう。雪川なんて名字はそうそう無いとしても、私もお姉ちゃんも顔立ちは確実に母親譲りだ。でも、そんな軽い訂正は口にしない。せっかく梓田さんが事件の話に近いところを切り出してくれたのだから、それをいいことに話を進めてしまう。
「そうなんです。パパ、あれ以来すごく忙しくなって…」
「ああ、そうだろうのお。どうじゃ、何か進展したかの?」
すごい、願ってもない好返球だ。さっすが梓田さん、話が早い。ちょっとおだててみる。
「いえ、ほとんど…。もしかしたらパパ、梓田さんのお話とかを忘れてるのかもしれないなぁ。梓田さん、もしよかったら、私にもパパにどんな話をしたか教えてくれませんか?パパにもう一度思い出させたいから」
「おお、構わんよ。わしは、ほら、あんたに時計塔の鍵を貸した後は…ああ、あそこの鍵はあんたの隣におった男の子が返しに来たから心配せんでええ…ずっとここにおった。じゃから、その話はあんまり刑事さんとはしてないんじゃな。怪しい物音、人影…そういったものもわしにはよう分からん。なんせ、北校舎と南校舎はけっこう離れておるからの。それ以外の話といえばほとんど、入校時間の事じゃった」
「入校時間…あ、いつ学校に来たかって事?」
「そうそう、10時半くらいまでは記録しておるからな。え〜っと…」
梓田さんは立ち上がって、奥のたんすの方へと向かった。どうやらそれを書いた紙がまだ残っているらしい。梓田さんはしばらくの間、ごそごそとたんすの中を探っていたが、やがて何かの紙を持って戻ってきた。
「姥山さんが来たのが朝8時半。それから生徒が…男の子と女の子が1人ずつ、これが9時ちょっと前と9時ちょっとあとに来たのお。」
「え〜っと、男の子は前髪の長くて背の低い男の子?で、女の子は背の高くて眼鏡をかけた…」
「そうそう、そんな格好じゃったの。これでも目はいいから、そこんところは間違いない」
「どっちが先に来たか、とか分かります?」
「ん?あ〜、たぶん女の子じゃの。そうじゃそうじゃ、男の子の方を見て、こりゃさっきの女の子の方が背が高いぐらいじゃわい、と思ったんじゃから」
「ありがとうございます。…それから?」
「ん、それから?…ああそうじゃ、まだ途中じゃな。次に来たのは、ほら、あの、誰じゃったか、音楽の…」
「小沢木先生?」
「そうじゃ、その先生が9時半。それから鏡野先生と亡くなったあの女の子、それからもう1人の男の子が3人で来たのお。これが10時ちょっと前じゃ」
「ふ〜ん…。あ、そうだ!みんな荷物とか持ってた?」
考えてみればこれはすごく大事な質問じゃないか。内部犯、という可能性にいたったなら誰かが学校内にボーガンを持ち込まなくてはいけない。ボーガンなんて代物がある学校はまず存在しない。ここから犯人を絞ることができないのだろうか。
「あ〜…そうじゃな、みんな何かしらは持っとったのお。中身はよく見えんかったが…」
あ、じゃあダメだ。やっぱり現実なんて、そうそう簡単にいくものじゃない。私は淹れてもらったお茶を全部飲んでしまって、それから立ち上がった。
「分かった、梓田さん、いろいろありがとう。もう一回、パパにちゃんと伝えてみるね」
「ん、よろしく頼むよ。またおいで」

警備員室から出た私は、そのまま2階へ上がった。何が有益な情報なのかは分からないけど、パパなり疾風なりに聞かせているうちに、何か大切なことが見えてくるだろう。私は自分の荷物を取りに教室に戻った。そうだ、私ってば荷物を全部教室に置きっぱなしだ。誰かがまだ教室に残ってくれていることを願って扉を開けると、そこには2人の女子がまだお喋りしていた。右にいるのが詩織で、左にいるのが遥。2人とも私の友達だ。もしかして、私と一緒に帰るつもりで残ってくれていたのだろうか?だとすると、こんな遅くまでいろいろ動き回っていたのは申し訳ないなぁ、と素直に思う。もう5時を過ぎてしまっていた。
「あ、美寛ったらやっと戻ってきた!もうっ、今までどこにいたの!?」
詩織が言う。口調は少し怒っているのもあるけど、それよりは…何だろう、私をからかっているような気がした。
「ごめん、ちょっと色々ね…。もしかして、一緒に帰るために待っててくれたの?」
「そんなわけないでしょ、普通ならとっくに帰ってる」
いきなりそれは、いくら冗談でもちょっぴりひどい。
「せっかく私たちが、美寛ちゃんの一回限りの恋をかなえてあげようと思ったのにな〜」
横から遥が思わせぶりなことを言ってくる。その言葉で、急に私の胸が高ぶった気がした。
「なに、それ…?一回限りの恋って、どういうこと?」
「だって美寛ちゃん、『愛しい愛しいハヤくんにフラレたら、もう私、生きていけな〜い』んでしょ?」
遥は思いっきり甘えた声を出した。どうやら私の真似、らしい。自分では絶対そんなことはないと思っているんだけど、周りから見ればきっと私は、それでも大げさじゃないくらいに疾風に甘えているんだろう。こういう事をされると、急にそのことを意識して、かなり恥ずかしくなる。それにしても、何そのセリフ!一昔前の少女マンガじゃないんだから、と言いそうになったけど、油断すると私はこう言いそうだから気をつけなくちゃ。
「…それで、だから何なの?」
ちょっと口を尖らせて二人に問いかけると、詩織の方がいきなり言い出した。
「月倉くんから伝言。5時半くらいまで時計塔にいるつもりだから、来る気があるなら来て、だって」
その言葉を聞いた瞬間、私は自分の荷物を取り上げて走り始めていた。後ろから詩織が「美寛、逢い引き〜?」なんていったような気がするけど、そんなのムシだ。今、自分の中には冷静さも論理力も、言葉さえない。あるのはただ、疾風への想い…。私は時計塔に向かって、目一杯のスピードをだしていた。


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