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かぜのうた

第17章 閃光の美風

それから数日間は何も起こらなかった。もちろん、情報だけは私が整理する目的で疾風にも話していたけど、目新しい情報は一切なかった。変わったことと言えば、いつのまにか私と疾風が付き合っていることがみんなにバレてしまったことくらい。あの時、屋上にも時計塔にも誰もいなかったのは絶対間違いないから、きっと詩織と遥が言いふらしたに違いない。でも、私にはほとんど気にならなかった。むしろ、みんなが…そして誰よりも、疾風が…認めてくれたことが嬉しかった。
今日は1月13日、土曜日。疾風と「初めてのデート」。それは、今まで2人で出かけていたときとほとんど変わらない。ただ街中に出て、映画を見て、ちょっぴり遊んで、二人だけで夕食をとって…。それだけなのに、今までよりも何倍も、何十倍も嬉しかった。2人が恋人になってからの違いなんて、手を握って歩いているかそうじゃないか、くらいの違いしかない。でも、そのたったの5センチが、私の世界を大きく広げてくれた。それに、私の世界をずっとずっと、明るくしてくれた…。 帰りに公園に寄ってもらった。そこは、幼稚園の頃に二人がいつも遊んでいた公園…。小学生になってからは、さすがに二人だけで遊ぶなんて事はなくなったけど、この公園の横を通り過ぎるたびに、そしてそこで仲良く遊んでいる男の子と女の子を見るたびに、私の中の記憶が蘇ってくる。今、ちょっぴり大人になった2人だけが公園にいる。今日はあいにくの曇り空で、月は見えない。もっとも、今は新月から三日月、ってところなんだけど。2人を照らすのは、その公園に一つだけある外灯だ。私は童心に帰った気がして、無邪気に滑り台にのぼってみたりする。すべる方とは反対側に腰掛けて、私は疾風を見下ろしていた。普段と違う位置関係って、やっぱり新鮮だ。疾風は私のほうを見たままで、上ろうとはしない。
「もう…美寛ってば…」
「な〜に、疾風?子供っぽい仕種がカワイイ、っていいたいんでしょ?」
私がとびっきりの笑顔を見せると、疾風はちょっぴり苦笑いした。そして俯く。
「…少しだけ」
「あ〜、疾風…照れてる?」
私は疾風の顔を覗き込むしぐさだけした。もちろん、私のほうが上にいるんだから疾風の顔は見えない。
「別に…」
「ウソだ、絶対照れてる!疾風…まさか、ロリコン?」
「うるさいなぁ」
そういいながら疾風は、俯けていた顔を私のほうへと向けた。ちょっぴり怒っているのかな、なんて思ったけど、意外に笑顔だった。
「でも、ある意味そうかもね。だってそうじゃないと、美寛より雅さんに惚れただろうから」
「あ〜、ヒッドイなぁ!」
そうは言いながらも、私は笑顔だった。
「降りて来いよ。そろそろ行こう」
そう言って、疾風は右手を差し出した。私は立ち上がって、その右手をつかもうと、自分の右手を差し出そうとした。ちょうどその時。
「えっ…?」
「ん?どうした、美寛?」
疾風は不思議そうに私を見上げている。私は、今までの自分の行動を思い返しながら考えていた。ああ、閃きってこういう瞬間に来るものなんだって分かった気がする。私は滑り台の上から、疾風に勢い込んで話しかけていた。
「疾風!!」
「な、何?」
疾風は不思議そうな顔でまだ私を見ている。
「彩芽を殺した犯人が…分かったの」

私と疾風は公園のベンチに座った。二人の足元を、冷たい風が吹き抜ける。ここ最近で一番冷たい風だ。疾風はここだと寒くないか、って言ってくれたけど、私は今のうちに話したいから、と無理を言った。疾風はそれ以上何も言わなかった。
「ゆっくりでいいからな」
そう疾風は言ってくれた。私は、疾風に寄り添う。疾風は何も言わずに受け止めてくれる。こんな格好をしているカップルがまさか殺人事件の話をしているなんて、遠くから見ただけでは絶対に分からないだろう。
「あのね…犯人は、鏡野先生よ」
その言葉に、疾風はかなり意外そうな顔をした。
「え…先生が!?でも、美寛」
「分かってる。先生はずっと理科準備室から出ていない、でしょ?疾風、違うの。逆なのよ」
「逆?」
「あの犯行は、理科準備室からじゃないと出来ないの。いい?正面から彩芽を撃つことはできない。だってボーガンの射程距離を考えれば、犯人が立っていた場所は空中になっちゃうもの。もう、風花の怨念が犯人だ、なんて言わないよ。でもね、疾風。やっぱり横からじゃ無理なの。すごい偶然がたくさん重なったとしても、犯人がそこから脱出する方法がないもの。それは…ほら、『準密室』っていう話をしたでしょう?」
疾風は一つだけ頷いてくれた。
「だったら、残る可能性は1つしかないの。すなわち…現場に入らずに殺す」
「それが…理科準備室だって言うのか?でも美寛」
疾風は私の体を抱き寄せてくれた。たぶん、私が話をしている間に身震いしたからだろう。本当は、今から私が話す「真実」が自分でも怖くて身震いしただけだったけど、疾風の優しさはうれしい。
「ボーガンの矢が曲がって飛ぶわけないじゃない」
「疾風、違うよ!ボーガンの矢の軌道は絶対にまっすぐよ。だから、被害者の…彩芽の姿勢を変えればいいの」
「え…姿勢?」
「そうよ、疾風。前にも言ったよね?彩芽は死に際に電話していたみたいだ…って。それが鏡野先生からの電話だったとしたら?そして、先生が下を見るように言ったとしたら?」
「下を…見る?」
「そうよ、先生はただそれだけ、彩芽に言えばいいの。先生は窓から身を乗り出して、上にボーガンを向けたまま電話をかける。彩芽は何事かと思ってフェンスから下を見る。その瞬間に、ボーガンの矢が飛ぶ…」
彩芽がかなり下を向いていたとすれば、ボーガンの入射角度も不自然ではなくなる。
「あとは彩芽が反動で吹き飛ばされるだけ。そうすれば、後頭部の傷だって納得いく説明ができるでしょ?」
「でもさ、それなら司書室からでもできないか?司書室だって校舎側の出入り口のほぼ真下にあるけど…」
「ううん、それは無理。あそこの窓は嵌め殺しだって言ったでしょ?」
「そうか…あれ、でも美寛?」
疾風にはまだ納得がいかないところがあるらしい。
「先生、ずっと萌葱と一緒にいたんじゃないのか?本人がそう言ってたんじゃ…」
「…え?あ、そう言えば…」
私は将弥くんの言葉を思い出す。確かにそうだ。将弥くんはずっと一緒にいた、と言って…?いや、違う。よくよく思い出したとき、私にはそう確信を持って言えた。
「…ううん、違う!萌葱君は、『ずっと一緒にいたって言ってもいいくらい』って言ったのよ!それに、そう…5分くらいの間は廊下を掃除していた、とも言ってた!あれだけの犯行、5分もあれば十分できるよ!!」
しばらくはどちらも話さなかった。私の心の中に渦巻いている、この気持ちは何だろう?事件を解決した時にはきっと、誇らしげな気持ちになると思っていた。でも、今こうして解決してみると…。誇りはない。彩芽の敵を討ったなんて気持ちも当然ない。喜ばしい感情なんてない。心の中にはわだかまりしか残らない。
「あのさ…美寛?」
疾風の声はいつもよりも低かった。そうだ、この声…私に彩芽が死んでいたことを伝えた、あの時と同じ声だ。たぶん疾風は、何かつらいことを口に出そうとしているんだろう。
「動機…何だと思う?実の娘を殺さないといけない動機なんて…俺には思いつかない」
そうだ…動機だ。そんなの、私にだって思いつかない。最近のニュースは、児童虐待による子供の死を報じるたびに、その加害者の「心の闇」を分析しようとする。でも、そんなの分からない。人の心なんて分からないものなんだから、本人に聞かないと分からないだろうし、ある部分は本人に聞いてさえも分からないだろう。…私だって、「疾風のどこが好きなの?」と聞かれたら上手く答えられない。たぶんその時は、惚気て「全部!!」って答える。とにかく、心は言葉に出来ない。それをムリヤリ言葉にしても、たぶん「分かった気になる」だけだ。
「うん…そうだね、私にも…分からない。ねぇ、疾風?」
私は今、疾風にどうしても聞きたいことが1つあった。
「ここまで分かって…私、どうしよう…?」
私が推理小説を読んでいて、いつも引っかかるのはこの問題だ。犯人をどうするのか?私は「僧正殺人事件」のファイロ・ヴァンスのような事や「Yの悲劇」のドルリィ・レーンのような事はしたくない。それは…優しすぎるのかな…心のどこかが、どうしても受け付けない。それに、私は厳しすぎる言い方も苦手だ。自分の一面も言い当てられているような気がして、気後れしてしまう。罪は、絶対消えない。でも、それを告発する時であっても、私はできるだけ優しくありたい、と思う。そう、それは告解者に対するブラウン神父のような…。でも、私には神様がいるとはどうしても思えない。私にとっての「神様」は、犀川創平にとっての「現実」に近い。
そう、たぶん私は「自首してほしい」のだ。でも、自殺はしてほしくない。こんなところでも、自分と「死」の概念が切り離されていることに改めて嘆息する。私にとって目の前で自殺されることは悪でも、自首した結果死刑になることは善なのだろうか。結局私は、「現実」を見ていないのだろうか。
「明後日…聞きに行くか?鏡野先生に」
疾風の口から、ふとそんな言葉が漏れた。
「そこから先、先生がどう考えるかは先生の意志、だろ?俺は…それを尊重していいと思う」
殺人犯の意見を尊重する、なんていうのもおかしな話かもしれない。でも、私は素直にその案を聞き入れた。
「うん、そうしよう…じゃあ、月曜日の、放課後に…」

月曜日。結局一昨日と昨日はあまり眠れなかった。学校に行ってから疾風と話すと、疾風もやっぱり似たような心境みたいだった。始業時刻になった時も、まだその感情は消えなかった。そういう時は、無理にでも別のことを考えて気を紛らわす。えっと、今日の一時間目は数学だったっけ…。いや、違う。確か授業変更で理科になったんだ。それを思い出すと急に、忘れようとしていた感情が湧き上がってきた。どうしよう、理科の担当は鏡野先生なのに…。遠くで一時間目の開始を告げるチャイムが鳴る。
ところが、急に入ってきたのは私たちの担任だった。ちなみに担当は英語。どうしたんだろう?最初は忘れ物かとも思ったけど、そうじゃない。いつもとは顔が違う。
「すみません、急だけど今日の一時間目は自習になりました…」
それだけ言って私たちの担任は教室を後にした。みんなが戸惑いつつも喜ぶ中で、私は疾風と眼を合わせた。ところが疾風はもう顔を伏せている。どうせ眠る気だろうと思ったから、もう疾風のほうは見なかった。一時間目が自習と分かると私も急に眠たくなってきたので、結局一時間目の間中まどろんでいた。

私たちが鏡野先生の死を知ったのは、それから数時間後のことだった。


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