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かぜのうた

第6章 幕間の涼風

「おかえり〜、みひろちゃん」
色々な思いを胸に抱えたまま帰宅した私を出迎えてくれたのは、私の姉、雅だった。私の疾風に対する気持ちと同じくらい、私のお姉ちゃんに対する思いも複雑だ。基本的には自慢できるお姉ちゃん、なのだ。身長は159センチ、胸の辺りまであるウェーブのかかった黒髪は本当に綺麗だ。色白でスタイルもいいし、童顔でかわいい。のんびり屋でちょっとぬけたところもあるけど、怒ることなんて絶対ないし、要は性格もいい。だからこそなんだけど、妹としては自慢できる反面すごく嫉妬する。「なっち」の「ふゆん」に対するイメージに近いけど、そこまで強くはないし、お姉ちゃんには全然打算的なところはない。そういえば疾風が「ガーネットとエーコみたい」ってお姉ちゃんと私のことを形容したことがある。そのときは正しい喩えかどうか分からなかった。でも、何日かあとに疾風をビンタしたのを覚えてる。私のことを「6歳の女の子」だなんて!
「事情はパパからきいてるの。みひろちゃん、だいじょ〜ぶ?」
そうか、パパ、家に連絡してきたのか。私は無愛想に答えた。
「大丈夫だよ、お姉ちゃん。ただちょっと疲れただけ」
「そっか〜。ハヤくんは?」
「もう帰ったよ。私、少し眠るからね」
お姉ちゃんの一番嫌なところはここだ。疾風のことを「ハヤくん」って呼ぶところ。疾風のことを「ハヤ」って呼べるのは私の専売特許なのに、お姉ちゃんは平気で侵犯してくる。どうにかしてその呼び方は止めさせたい。でも、疾風本人がお姉ちゃんにそう呼ばれることを嫌がらないから、私が大きな声で「そんな呼び方しないで!」とは言えない。だから最近の私は、お姉ちゃんが「ハヤくん」って言葉を使ったら意識して少し冷たくする。でも、今のところお姉ちゃんは全然気がついてくれない。
私は二階の自分の部屋に戻って桃色のパジャマに着替えた。そして、鏡に映る自分を見ながら二つに束ねていた髪の毛をほどく。明るめの茶色の髪がちょっぴり、はらっと肩にかかった。私は高校に入ると同時に髪を茶色に染めた。周囲にはかなり反対された。でも、特に校則で禁止されているわけでもなかったし、それより何より、お姉ちゃんと違う印象を周囲に…疾風に、見せたかった。最初に茶髪になった私を見たとき、やっぱり疾風はちょっぴり驚いていた。でも疾風は、その表情をすぐ消して、私にこう言ってくれた。
『この方が似合うよ』
そう言って、彼は私の髪を二つに束ねたのだ。もちろん、その場にゴムなんてなかったから、手で持ってくれただけだけど。それでも、私には十分嬉しかった。はじめて、茶髪の私を褒めてくれた人だったから。
私はベッドに入った。眠ろうとしたけど、風の音が気になって眠れない。窓の外を通り過ぎていく風が、私に、今日の屋上での出来事を思い出させる。風がいたずらをして、わざとあの時と同じ音を出して通り過ぎていく。結局かなり長い間まどろんで、それでも最後には眠りにおちた。その時、私は疾風がプレゼントしてくれたレッサーパンダのぬいぐるみを、きつく抱きしめていた。

目が覚めたときにはもう夜だった。私はパジャマ姿のまま、寝ぼけ眼をこすって階下に降りる。そこにいたのは、パパだけだった。
「あ、パパ、おかえり」
「ああ、美寛。目が覚めたか?」
パパが勧めてくれる椅子に腰掛け、ふと壁にかかっている大きめの時計を見る。あと30分もしたら明日になるんだ。そのことを初めて実感した。こんなに長く感じた一日は初めてだ。パパは自分の近くに置いてあった私のカップに、紅茶を注いでくれる。私が起きだすのを待ってくれていたのかもしれない。
「うん…まだ、気分は冴えないけど…」
私は差し出されるままに紅茶を飲む。久しぶりに、心の底から温まるような気がした。ひとしきり心を温めたら、次は頭を温めたくなってくる。ううん、どちらかというとそのことで頭をいっぱいにしたい。他の事なんて考えられないくらい。
「ねぇ、今日のことだけど…あれから、何か分かったの?」
私の問いかけにパパは苦笑いした。
「はは…お父さんには答えられないよ。いつも言うけど、お父さんたち警察官には守秘義務があるんだから」
琴葉ちゃんのママなら話してくれるんですけど。私は、不貞腐れたようなポーズだけとった。もちろん、本心じゃない。パパと私の間にはちょっぴり邪道な「抜け道」があるのはお互い知っているから。
「だから、その事はいつものやり方で聞いてくれ」
いつものやり方、というと諜報機関めいているけど、そんなに大げさなものではない。要は、神崎のおじさまに話を聞いてくれ、とパパは言っているのだ。高校時代からのパパの友達、神崎龍牙。おじさまは幼少の頃から舞台俳優として活躍しながら、同時に名探偵でもある私のドルリィ・レーン様。今は足を怪我してしまったこともあって俳優業はお休み。神崎のおばさま(彼女はおじさまの妹にあたる)と2人で悠々自適に暮らしている。でも、パパから情報を得て、今でも非公式に警察に協力している。推理小説で言うなら、吉祥院慶彦のような立場だ。この立場にいる神崎のおじさまから話をきけば、少なくとも警察が言うところの「守秘義務」を破ることにはならない。本当は、それでも十二分にいけない事だけど。完全に機密情報漏洩罪だ。でも、私だって活躍できる、だって私は神崎のおじさまに才能を買われているのよ、とも自惚れてみる。それに私には「寛」の字が入っているもの。寛容や忍耐を表す英単語はpatienceでしょ?厳密には寛容と忍耐は違うけど、そうやって推理の世界における自分の存在を正当化してみたりもするのだ。
「ところで、美寛」
その言葉で私は我にかえった。ふとした事から、好きな推理小説の話に入り込んでしまうのは私の悪い癖だ。パパは、さっきに比べればずいぶん真剣な顔をしている。
「美寛は今日の朝、10時半から11時半まで、どこにいたんだい?」
その言葉に私はビックリした。ねぇ、それって、もしかして…。
「パ、パパ!?私のアリバイまで聞くの!?」
私が驚いてそう訪ねると、パパはちょっぴり笑った。心底からの質問では当然ないだろう。パパは冗談めかしてこう答えた。
「なんだ、美寛?お前の好きな推理小説の世界では、死体の第一発見者を真っ先に疑うのは当然じゃないのか?」
それは、そうだ。ある有名な推理小説に対して、二階堂蘭子もそう批評している。そうだと頭では分かっていても、その質問を現実に提示されると、これほどインパクトのある質問も珍しい。やっぱり、これが現実と幻想の差なんだ、とパパを目の前にして改めて痛感する。
「で、でも、そんな事!もうハヤに…月倉くんに聞いたでしょ?」
するとパパは笑いながらこう続けた。
「ああ、当然ね。でも今ここで美寛に話を聞いて、二人の証言が完全に一致していれば、お父さんとしても安心だろう?いくら仕事だとはいえ、実の娘を疑えるほどお父さんも機械的な人間じゃない…」
そこで私は、今日の朝の出来事を話した。10時半といえば、私が疾風の家を訪れた時刻だ。それから花屋に寄って、深月高校の自分たちの教室に行き、時計塔へ出ようとしたこと、屋上の扉が開かなかったので警備員の梓田さんを呼んだこと、結局時計塔側の出入り口から屋上へ向かったこと、そこで死体を発見して気を失ったこと…。それらを一通り、話して聞かせた。パパは呆れたことにメモを取っている。いや、警察官からしてみれば、誰に対しても同じ態度を取れるというのは「殊勝な」行為なのだろう。私が話し終わって初めて、パパは再び口を開いた。
「うん、全部月倉くんや梓田さんの発言と一致しているね。じゃあ、これは大丈夫…。お父さんが美寛に聞きたいことは、あと2つだ」
何?まだ何か聞きたいことがあるの?不安と期待が私の胸の中に生まれた。
「まず、一つ目。屋上に上がったときに、山肌に人影を見なかったか?」
私はその問いかけを反芻しながら、どういう事か考えていた。そうか、彩芽が死んだのは、どう考えたってボーガンのようなものから発射されたらしい、あの矢のようなものによってだ。彩芽を撃つなら、当然彼女の正面に犯人はいなくちゃいけない。すると、もっとも自然に考えられるのは山肌に犯人がいて、そこから彩芽を狙撃した、って事になるのか。私はよく思い出してみてから答えた。
「ううん…私が思い出せる限り、屋上に上がってからはハヤと…その、彩芽以外の人は見てない」
「そうか…じゃあ、もう一つだけ」
そう言うと、パパはちょっぴり体を乗り出した。
「美寛、どうしてわざわざ今日、学校のしかも時計塔に行ったんだい?」
私は、自分の顔が真っ赤になっているのが分かった。


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