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かぜのうた

第8章 混沌の狂風

電話を終えてから、ずっとおじさまは考え込んでいた。まるで私が、この部屋のセピア色に溶けて見えなくなってしまったかのように。
「なるほど…これは、そう…」
「ねぇ、おじさま?一体どうしたんですか?パパは何て…」 私は待ちきれなくなってそう尋ねた。おじさまは暫くそのままの格好で微動だにしなかったが、やがてゆっくりと顔を私のほうに向けた。
「大変なことになった…今まで楽観視していたが、どうもそうは行かなくなったらしい」
「今の電話、パパからですよね?パパ、何て!?」
私が勢い込んで問いかけると、おじさまはゆっくりと、今のパパからの電話を繰り返すような口調で話しはじめた。
「いいかい、まず、ボーガンが特定できた…。数日前に銃刀法違反で捕まった人物から、改造エアガンとともに改造ボーガンも押収されていたらしい。ボーガンはそれと同型のもので、約2週間前にネットで販売された」
「はい。でも、それは別に…捜査が進展したからいいんじゃないですか?」
「いや…逆に、非常に厄介な問題が現れた。射程距離の問題だよ」
「射程距離…ですか?」
まだイマイチよく分からない。一体なんでそんなに頭を悩ませるんだろう?
「ああ。傷口などから見て、あのボーガンは被害者から約5メートル…大きく見て、被害者から4〜6メートル離れた地点から撃たれたものらしい。さぁ、美寛ちゃん、答えてくれ…あのドアの正面、4〜6メートル先には、いったい何がある?」
「何があるって言われても、何もないんですけど……って、ええっ!!?」
そうか、やっとおじさまの言いたいことがわかった。彩芽の倒れていた位置から正面に4〜6メートル行ったところには、何もないのだ。そう、ただあるのは中空だけ…。校舎の窓を開ければ山肌が見える、とは言ってもそれでも優に10メートルとか、15メートルとかは離れている。その間には、何もない。
「まさか…不可能犯罪?」
さっきまで起きて欲しいとちょっぴり思っていた出来事が、眼前で起こっているのだ。もう私は、それを幻想の世界で受け止めることは出来ない。今までの私なら「これで屋上が8の字型だったら」とか無駄口を叩けたかもしれないが、今の私ではもう無理だ。今、これが「現実」になってしまったんだ…。とにかく私は、まず現実的な質問をすることにした。
「おじさま、誰がそのボーガンを買ったか、分からないんですか?」
私のこの質問に、おじさまはかなり反応した。しかし、その顔の険しさは変わらない。
「なるほど、いい質問だね…。確かに、警察が銃刀法違反で取り締まったその人物は、詳細な購買者リストを残していた。そして、そのボーガンの購入者は1名しかいなかった。しかしだね…」
しかし?しかし、何なのだろう。
「死者だったんだよ。購入者のところに登録されていた人物は、もう半年も前に死亡していた」
「そんな…偽名とかじゃなく、本当に死んだ人だったんですか?」
「ああ、警察で確認したそうだ。カザヨミ・フウカなる人物は確かに半年前に…」
「えっ……風花!!今、風読風花って言いませんでした!!?」
私は思わず勢い込んだ。その勢いに、おじさまも重大な何かを感じ取ったに違いない。
「美寛ちゃん、この人物を知っているのか?」
「知っているも何も…半年前までクラスメートだったんだから、当然!去年の7月に…その、自殺したの…」
それを聞くと、おじさまはまた考え始めた。左手を口に軽く当てている。おじさまが何事かを考える時に、いつもとる姿勢だ。
「そうなると…いや、美寛ちゃん、これは最初に考えていたほど浅いものではない。すると…まさか、あの紙にも意味があるのか?」
あの紙?紙の話なんて初耳だ。
「おじさま、紙の話なんて聞いていませんけど…?」
「すまなかった。被害者の胸ポケットに紙が入っていて、そこにはある散文が書かれていた。暗号でもないただの散文だったから、事件とのつながりはないと思って説明しなかった。でも、こうなるとその紙にも意味があるのかもしれない…」
そう言うと、おじさまは立ち上がった。そして、マホガニー製の机の一番上にある、鍵付きの引き出しを開ける。そこにはパパが内緒でおじさまに渡す、警察の「証拠物件」的なものが入っている、とおじさまから教えてもらったことがある。
「この紙の内容は、何かを意味するのかい?」
おじさまから手渡されたのは1枚のファックス用紙だった。パパが本物をコピーして、それをおじさま宛てに送ったものだろうというのは察しがついた。でも、何が書いてあるのだろう。不思議に思いながらその文面を見た瞬間に、私は卒倒しそうになった。セピア色が、溶けていく…。現実と幻想の境が、なくなっていく気がした。そこには、こう書かれていたのだ。

かぜのうた
からだがなくなったら
ひとはなにになるのかな
じぶんは風になりたい
風になればそらもとべる
どこにでもじゆうにいける
でもきえることは
ゆるされなくなるね
それならじぶんは
すきなひとといっしょに
ずっと風のままでいよう
風のままでいきていこう


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