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しきのうた

第4楽章 〜りあのうた〜


「何人かで川を渡る、という有名なパズルがあるじゃないか。」
高田崇史『試験に出ないパズル』より

この世界に完璧な人なんていないの。例えばほら、アキレスとかジークフリートとか、体の一部分に弱点があるでしょ?体のどこか、っていう意味じゃなくても、運動はできるけど勉強は出来ないとか、そういうのが普通でしょ?ああ、そういえば友達が言ってたよ。バスケ部のエースで勉強も出来る、しかもとってもカッコイイ男の子がいたんだけど、実はその子、体臭がちょっと…だったんだって。友達は「天は二物も三物も彼に与えた代わりに、それを台無しにするような体臭まで与えちゃったのよ!」なんて言ってたけど、それはちょっと言いすぎかな。でもでも、普通みんなそんなもんだよね?例えばほら、夏一は水泳はすごいけど勉強はあんまり、でしょ?で恋奈は真逆…勉強はできるけど運動は苦手でしょう。実玖は背が低いし、あとほら、美寛は料理できないし、疾風くんは社交的じゃないしさぁ…。ね、分かるでしょ?それは私だって同じなの。私はスタイルもいいし運動もできるし、勉強も出来ないわけじゃないし料理だって出来る。性格だって割といいほうだと思ってる。だけどさ…。

「いや、璃衣愛ちゃん、それは分かりますよ。バッツだって璃衣愛ちゃんと同じですしね。でも…」
実玖は地面にしゃがみこんでいる私に声をかける。地声より少し高いその声は、女の子と話すときや電話口で使う、実玖の中ではちょっと特殊な声。実玖は笑いながら、私の肩に手を乗せる。む〜、普段と立場が逆だぁ…。
「みんな渡っちゃいましたよ?」
私は目の前を見る。実玖の茶色いジーンズが目に飛び込む。そして、その足の隙間から見え隠れしているのが、さっきから私を悩ませている…

吊り橋、なの。

「お〜い、璃衣愛〜!大丈夫かの〜?」
夏一が気楽に声をかけてくる。彼は檻尾夏一(おりお・なついち)。私と同じ村立星降高校の3年生。そもそも私たちの高校は村に1つで、しかも各クラス1組しかないので、私と同学年イコール私のクラスメートになる。夏一の顔は完全に私のことをバカにしている顔つきでムカついた。実玖はそれに気付いて、私に優しく声をかけてくれる。
「ははぁ、夏一たち、璃衣愛ちゃんを怒らせて、勢いで渡らせようとしてますね〜。乗ってあげます?」
「ううん…そんな気力もない」
私にしては珍しい弱音。きっとこんな時くらいしか吐かない。だって私、結川璃衣愛は昔から高所恐怖症なんだもの。あれは確か幼稚園の時に、Bパークっていう県内の遊園地に遊びに行ったときで、ジェットコースターが一番高いところで止まる事故があって…ああ、もう!!思い出しただけで寒気がする。山の上の展望台とか展望タワーとかそういうところは平気だけど、吊り橋みたいに、自分が立っていられる幅が狭いところで安全だと確信できないところは、ジェットコースターを思い出して、私には我慢できないの。実玖はしゃがみこんで私の顔を見る。そうそう、この男の子は霞賀実玖。身長も私より低いし、外見は中学生みたい。1月30日生まれ(本人は宝瓶宮10日生まれ、とかいう訳の分からない言い方をする)なので私より年下。でもこれでも一応、私の彼氏、なの。体格や性格もあって、普段は私がグイグイひっぱっている感じだけど、今は話が全然別だった。私の目に映る実玖の顔は、こころなしか少し赤い。
「う〜ん…おんぶしてあげましょうか?」
「バ…バカなこと言わないでよ!そんな姿、見られたくない!!」
「それなら行くしかないですよ。大丈夫、ウチがついてますから…」
はっきり言って実玖じゃあまり、本当の意味では大丈夫じゃない。…それは確かに、精神的には少し、ほんの少しだけ大丈夫になるけど。私は決心して立ち上がる。そして、吊り橋のほうに向かって歩き出す。吊り橋のはるか下の方に岩場と、さらさら流れる(ようにみえる)意外に広い川が見える。
「おぉ、ようやく来る気になったんか」
「茶化さないであげてくださいよ!」
にやついた顔を見せる夏一を、実玖がぴしゃりとおさえる。実玖にしては珍しい。でも、私はそれ以上考える余裕が一瞬にしてなくなった。うわ、この揺れ、ギイギイいう音、足を踏み出す場所にしては頼りなさすぎるボロボロの板…気を抜くと、すぐに気絶してしまいそうだった。
「大丈夫ですか、璃衣愛ちゃん?」
吊り橋を渡り終えた実玖が、私に手を差し伸べる。私はそれをぐっと掴んで、思わずその場にへたり込んだ。
「璃衣愛ちゃん、お疲れ様」
恋奈が声をかけてくる。彼女の名前は春沢恋奈(はるさわ・れんな)。典型的な文学少女、って感じの女の子。でも今日は、さすがにアウトドア用の服装をしている。そして彼女の脇にいるのは、けっこう大きめの犬で、名前はブラン。種類は…私は詳しくない。実玖に聞いたら「ああ、あの犬はグレート・ピレニーズって言って、忠吉さんと同じ種類ですね。フランスの犬ですから、きっとブランはフランス語の白…blancからとったんでしょう」とか言ってたなぁ。まったく、実玖はすぐに自分しか知らないような知識…具体的にはゲーム・アニメ・推理小説・フランス語…と結びつけちゃうんだから…。でも、実玖はそういう事を言うのが好きな子なのよね。本人は言っただけで満足するらしいから、私はあえて口を挟まないようにしてるの。ところで、実玖を除けば、優しい言葉をかけてくれるのは恋奈くらいだった。残りの2人はというと…。
「ま〜ったく、いつもの勝気さはどこへいったんだか」
「お姉ちゃん、だらしな〜い!」
恋奈の後ろから声をかけてくる2人…。1人はやはり私の高校のクラスメートで、聖恵介(ひじり・けいすけ)。もう1人はその妹で聖由衣美(ひじり・ゆいみ)。妹ではあるけど年は恵介とおおよそ一回りも違っていて、由衣美ちゃんはまだ5歳だった。
「そんな事、言わないであげてくださいよ。璃衣愛ちゃん、がんばったじゃないですか」
実玖は私をかばう。
「おいおい、こんなの頑張るうちに入らんじゃろう」
夏一が事もなげに言う。くそ〜、普段の私ならすぐに言い返すのに…。
「おし、さっさと行こうぜ」
恵介の掛け声で、私たちは移動を始めた。…あ、今日はこのメンバーでキャンプに来ているの。国道から脇にそれてちょっとした獣道を通って、吊り橋を渡ってしばらく歩くとキレイな中洲にたどり着く。こう言うと、なんだか「となりのトトロ」に出てきそうな情景だ。とにかく、今日は連休の初日という事で、みんなで遊びに来たわけ。
私たちは中州につくと、テントを張った。少し大きめのテントを2つ。夏一が持ってきたやつと恵介が持ってきたやつだ。それからは料理の準備。とりあえずお昼はバーベキューをするということで、私や恋奈は食材の準備をする。夏一と恵介は近くから拾ってきた木に火をつけている。そして実玖はというと…。
「いい、由衣美ちゃん?せ〜のっ!」
「…あれっ?石が消えちゃった!!」
由衣美ちゃん相手に手品を見せているらしい。握った手の中からコインや消しゴムを消してしまう、実玖がよくやる手品だ。私はそっと実玖のそばに近づいて、思いっきり実玖の頭を小突いた。
「実玖!ちょっとは手伝いなさい!!」
「あはは…ごめんなさい。由衣美ちゃん、一緒に手伝いましょうか」
「うんっ!」
これでよし…と思ったのは束の間で、それからは由衣美ちゃんが、夏一たちがつけた火にバケツの水をぶちまけたり、火の通っていない肉を食べようとしたりで散々だった。…あ〜あ、これなら実玖に任せておけばよかった…。さて、何とか料理も出来上がる。私は実玖の分をとってあげる。
「はい、実玖」
「あ、ありがとうございます」
実玖は私から料理を受け取ると、川辺にいる夏一のほうへ行ってしまった。その一方で、私の行動に恵介がつっかかってくる。
「お?さすがだな、璃衣愛。実玖にしかそういう事はしないわけね」
その言葉で私の耳が真っ赤になっていく。恋奈も横でクスクス笑っていた。
「ち、違っ…!これは、こうしないと実玖が野菜を食べないからだよ!アイツ不健康だからさ!!…べ、別に実玖のことを想ってこんな事してるわけじゃないんだからね!!」
その時、私の横から由衣美ちゃんの純朴な一言が聞こえてきた。
「あ〜、お姉ちゃん、ツンデレだ〜!!」
…幼稚園児じゃなかったら、私、絶対に由衣美ちゃんを殴ってる…。慌てて実玖のほうを見ると、どうやら話し込んでいるようで何の反応もなかった。よかった…。実玖は何の話をしているんだろ?私は実玖と夏一に近づく。…2人の足元にあったのは、緑色のきれいな魚だった。
「ねえ実玖、この魚、何?」
実玖は笑顔で答える。この顔は冗談を言うときの顔だ。
「え?これは、ポイゾナスボートバイターかキングオブキングスオブネブラか、ですね」
「つまり、外来魚ってこと?」
私はあっさりスルーして聞き返す。実玖は苦笑しながら先を続ける。
「ま、そういう事ですよ。この前ニュースでやっていたでしょう?隣の市のペット業者が、毒性を持つ魚を密輸し、処分に困って近くの川に捨てたとして逮捕された事件…あの川、基本的には隣の市を通ってますけど、水源は星降村にありますからね…つまり、この魚」
「え、まさか上流まで泳いできたってこと?」
「そうなんよ」
夏一が後を引き取って話す。
「それでこの川の生態系が狂うかも知れん、っていうんで、この前役場の人らがある程度駆除したじゃろう?あれがまだ残っとるらしいんだわ。おかげで危険で泳げんしのぉ」
そういえば、夏一が泳ぐのを見ていない。海や川では真っ先に泳ぎだすのに、とは思っていたけど、そんな理由があったのね。…それから私たちは夜まで遊んでいた。夜は飯盒炊飯でカレーを作って、ついでにちょっとしたキャンプファイアー。明るく燃える炎を見ながら、私の心は澄んでいく。恋奈はブランのそばでいつも通りゆったりしている。夏一は由衣美ちゃんと遊んでいた。由衣美ちゃん、どうやら結構男好きみたい。まだ5歳なのに…とは思うけど、何かがあるとすぐに実玖か夏一と話していた。兄の恵介は好かないらしい。その恵介は実玖と話をしている。
「おい実玖、何か歌えよ。ボーカロイドだろ、お前?」
「ちょっと…そういうジョークはやめましょう。でも、歌うだけならいいですよ…レンの歌にしましょうか」
そう言って実玖は立ち上がり、目を閉じて左手を胸に当て、右手でリズムを刻みながら歌い始める。いつもの歌い方、いつもの裏声だった。実玖はしっとりとバラード系の曲を歌っていく。あれ、実玖の声、掠れてる…?遊びつかれたからかな?私がそう思っていたとき、急に私の鼻に冷たいものがあたる。
「…ヤダ、雨降ってきた!?」
「そうみたいだね…ちょっと早いけど、テントに入ろうよ」
恋奈がそう催促する。実玖は歌うのをやめて、ふと言葉を漏らした。
「ちぇ、雨が降るなら雷も鳴ればそれらしいシチュエーションなんですけど…しょうがないですね」
私たちはテントへと入った。そしてそのまま、朝を迎えることになる。

私は目を覚ました。恋奈の姿は無い。もう起きだしているらしい。由衣美ちゃんは私の左で、ぐっすり眠っている。私の右にはブランが寝そべっていた。ブランもまだ眠っている。私はテントの外に出た。すると、恋奈が向こうから走ってくる。
「あっ、璃衣愛ちゃん!大変なの!!」
恋奈は息を切らす。私はその恋奈の焦りように、ただ事じゃないことを悟った。
「えっ?…どうしたの、恋奈?」
「橋が…」
恋奈は一度、呼吸を整える。
「吊り橋が、なくなったの…昨日の大雨で、木が腐って落ちちゃったんだと思う。とにかく、なくなってるの!」
「え…ええっ!!?」
私は一瞬安堵した。よかった、帰りにあの吊り橋を渡らなくていいんだ…。でもその後すぐに、事の重大さに気付く。つまり、私たちは帰れなくなったってこと!?
「ちょっと、他の道はないの?」
「私が知っている限りは、ないわ」
「ケータイは?つながらない?」
「うん、ここは圏外だもの。でも、親にはいつもの場所でキャンプをする、とは言ってきたよ」
それは私もそうだ。昔から村民がよくキャンプ場として使っているので、みんなキャンプの時に「いつもの場所で」と言えば分かってくれる。とりあえず、助けは来てくれるはず。とりあえず安心はしたけど、まだまだ気は抜けない。
「食料って…もうないよね?」
「今日の朝ごはんの分しか、ね」
そこに夏一が起きてきた。恵介も現れる。
「おいおい、橋が落ちた言うんか!?」
「そうらしいのよ。助けには来てくれると思うけど…どうする?」
「どうするも何も、ここは中州じゃろう。今は雨は降っとらんけど、どうせ夕べの雨で川はすぐに増水する。ヘタに留まっとったら水没するが」
「夏一の言うとおりだな。出られるならこの中州から出た方がいい。…泳ぐか?」
恵介の言葉にみんな渋ったような表情を見せる。
「えっ…私、そんなに泳げない…」
恋奈が深刻そうに言う。…川幅は、昨日吊り橋の上から「見てしまった」とおり意外に広い。足場も悪いし、幅跳びにはちょっときつい距離だ。流れもけっこう速いほうだし。しかも吊り橋のあるほうの反対側にはところどころに深みがあるので、落ちたらどうなるか分からない。もちろん、吊り橋側なら簡単に通ることは出来るけど、そこから先の帰り道がないなら意味がない。更に上流に橋がもう1本あったとは思うけど、確か私たちが昨日通った橋よりボロいから通行止めだったはずだ。ついでに言うと、恋奈本人は「そんなに」なんて言うけど、恋奈はほぼ全く泳げない。その上、私はあることを思い出す。
「待ってよ、恵介!泳ぐも何もさ、ほら、夏一、言ってたでしょ?昨日の魚がどうこう…」
「ああ、そうじゃ!」
夏一は昨日の毒性の外来魚の話をする。恵介は舌打ちをした。
「それじゃ泳ぐのは無理だな。万一かまれたら話にならない…お?」
恵介は辺りを見回してから言う。
「そこのボート、何だ?」
本当だ。全然気付いていなかったけど、恵介の視線の先…少し離れたところにボートがある。乗れて2人くらいの小さなボートだ。1組のオールが、申し訳程度に添えられていた。
「こいつを漕いで渡るか?」
「そうするしか、なさそうだね…」
「え?ボートを漕ぐって事?」
恋奈が不安そうな声を上げる。
「いや、しょうがねえだろ。泳ぐよりはマシだろ?」
「それは、そうだけど…私、川を往復するのは…自信ない。半分くらいは、頑張れると思うけど…」
「いや、そりゃそうだろ。俺や夏一だって昨日の焚き木集めやら何やらで多少は疲れてる。長く漕げて3往復がいいとこだろうな」
確かにそうだ。私もあまり自信がない。恋奈よりは体力あるけど、きっと1往復がやっとだと思う。
「あと、ブランがね…怖がると思うの。私と一緒じゃないと、ボートなんて、乗れないはず」
「ちっ…面倒だな。こういう小難しい話をまとめるのは、実玖に任せるに限る。あいつ、まだ起きてこねえのか?」
その時だった。後ろから由衣美ちゃんの声が聞こえてくる。由衣美ちゃんはいつの間にか私たちのすぐそばにいて、恵介の服の裾を引っ張っていた。
「ねえねえ!」
「あ?なんだ由衣美?」
「お兄ちゃん、顔赤いの。お熱があるの」
「あ?俺が?…んな訳ないよな。夏一か?」
夏一のほうを見る。彼はきょとんとしていた。夏一はいたって健康そのものだ…というか夏一が風邪を引いているのを見た記憶がない。昔実玖が冗談半分で「ナントカはカゼ引かないし」って言っていたのを思い出す。思い出し笑いしそうになったけど、私は由衣美ちゃんの言葉の意味に気がついて思わず息を呑む。じゃあ、まさか…!
「由衣美ちゃん、それって…実玖のこと!?」
由衣美ちゃんは大きく頷く。私はすぐにもう一方のテントに駆け出していた。

「実玖っ!!」
実玖は右手を額に当てたまま、まだ起きていない。私の声にゆっくりと、顔を向ける。
「あ…璃衣愛ちゃん…ごめんなさい、ちょっとやっちゃったみたいですね…」
私はいまさら思い出す。そうか、昨日の実玖のかすれた歌声、吊り橋を渡る前のほんのり赤らんだ顔…あれは風邪の前兆だったんだ…。
「実玖、大丈夫?しっかりしてよね」
「おいおい、お前は…どうしてこういう悪いタイミングで風邪を引く?」
後ろから恵介が顔を見せる。私は思わず大きな声を出していた。
「うるさいわね!実玖に責任はないでしょ!?」
「ヒュー、怖ぇなあ。実玖が絡むといつもこうだ」
恵介はすぐに顔を引っ込める。もう、あいつは…すぐにつっかかってくるんだから!
「お兄ちゃん、平気?」
恵介と入れ替わりに由衣美ちゃんが入ってくる。
「うん、平気だよ。旅先で病気になるのには慣れてるし。…それより璃衣愛ちゃん、少し聞こえていたんですけど…ボートどうこう、って何の話ですか?」
「えっ…」
私は話すのをためらった。いまこんな頭を使う話を実玖にしたら、実玖の熱がますますひどくなるんじゃ…。
「あのね、お兄ちゃん、吊り橋、落ちちゃったんだって!だからボートで帰るんだよ!」
私が悩んでいるそばから由衣美ちゃんが笑顔で話す。はぁ…こうなったら話すしかない。
「うん、実玖、そういう事なの」
私は分かっている限りのことを話す。実玖は目を閉じたまま頷いていた。
「今の状況はだいたいこんな感じ。それで…運ぶのは私たち6人とブラン、それから荷物は分担してもつとして、2張りのテントだよね。これは大きすぎるから、人間と同じくらいのスペースをとると思う。それで…実玖がこんなことになってるでしょ?だから、実玖は漕がない。対岸に移動するとき以外は、テントの中にいて」
「でも、テントを張るのはどうするんですか…?」
「それは、私か恋奈か夏一か恵介か、4人のうち2人がいれば張れるよ。一方のテントをしまって対岸で張りなおして、そこに実玖を移して…こうすればいいでしょう?」
「そうですね。…オール、1組だったんでしょう?」
私は頷く。…そういえばそうだ、オールが1組しかなかった。2組ならもう少し楽になるのに。
「ええ、分かりました。あとは順番に移動するだけですね」
そう実玖が言うと、由衣美ちゃんがふくれっ面をする。
「え〜、私お兄ちゃんと一緒がいい!」
「ちょっと、ただでさえ分かりにくい状況なんだから、今はそんなワガママ言わないでよ!」
「ヤダ〜!!」
由衣美ちゃんは泣きそうになる。その時、すぐに実玖が少し起き上がって、由衣美ちゃんの頭を優しく撫でた。そして動作と同じような優しい声で話しかける。
「由衣美ちゃん、いい子だから泣かないで。…あのさ、絶対お兄ちゃんじゃなきゃダメ?夏一…あの背の高いお兄ちゃんといっしょでもイヤ?」
「……それなら、いいよ」
「うん、ありがとっ!」
実玖は笑顔を見せる。それからまた、すぐに横になって目を閉じてしまった。もう、無理してるんだから…。
「璃衣愛ちゃん…」
「何、実玖?」
実玖は目を閉じたまま話す。
「8世紀ごろ、今で言うイギリスからフランク王国に招かれ、王国に学校を作るなどその文化や教育に貢献したアルクィンは、ある有名なパズルの創始者として知られています…」
由衣美ちゃんも私もポカンとしてしまった。由衣美ちゃんはそのままよく分からない顔をしていたけど、私にはこれが、実玖の話の前置き…無駄な部分とも言う…だというのが分かる。
「それは、人間とヤギとキャベツが登場するパズル。ある特定の条件にしたがって、これらの全てを自分たちがいるのとは反対の岸に船で移動させるという、いわゆる“川渡りパズル”と呼ばれているものなんです。今、ウチらが置かれている状況もこれと同じ…。一方の岸にウチ、璃衣愛ちゃん、恋奈さん、夏一、恵介、由衣美ちゃん、ブラン、2張りのテントがあります。そしてボートは2人乗りのものが1艘。各々漕げる回数が決まっていて、璃衣愛ちゃんが1往復、恋奈さんが1往復の半分…片道ですね…そして夏一と恵介は3往復。オールは一組だから、2人が乗船するときは誰か1人が漕いで、もう1人は何もしないってことですね。その上にある条件が@由衣美ちゃんとウチ・夏一の両方を分けてはいけないA恋奈さんとブランを分けてはいけないBウチは移動中を除いてテントの中にいないといけないCテントは璃衣愛ちゃん、恋奈さん、夏一、恵介の4人のうちいずれか2人以上がいれば、テントをしまって運べる状態にし、また一度しまったテントを張りなおすことが出来る…こういうわけです。たぶん、この条件を全て満たす移動方法があるはずです…それを見つければ、動くことが出来ると思いますよ…」
実玖はそれだけ言うと、ふっと息を吐いて額に当てていた右手を目の上にのせる。私は実玖の額に手をそっと持ってくる。かなり熱い。実玖は37度くらいの微熱なら余裕で行動する子だ。その実玖が自分のことを動けないとして話を進めているんだから、けっこうツライに違いない。
「分かった…それをどうにかして、考えればいいのね」
「ええ、お願いします…石か何かを駒にしたり、絵に描いたりしないと難しいと思います…」
私は由衣美ちゃんとテントを出た。外では3人が話し合っている。ブランもいつの間にか起きてきていて、恋奈の足元に座っていた。
「実玖、大丈夫そう?」
「ま、実玖は簡単にはくたばらないから大丈夫よ。それより、ね…」
私は今の実玖の話をみんなにする。さっそくため息をつくのは恵介だ。
「おいおい…そんな問題に好き好んで挑戦する人間が、この中で実玖以外にいると思うか?」
「でもそれ以外にこの中州から出る方法がないんだったら、考えるしかないじゃないの!」
私は言い張る。というか、実玖があそこまで無理して要点を喋ってくれたんだから、正直無駄にしたくなかった。
「か〜っ、そりゃ俺には無理だ。それなら俺は、別の手段を探すさ。その方が時間を無駄にしない気がするんでね」
「そうじゃの、俺もそうしようわ。こういうやつは俺も苦手やけん」
恵介と夏一は、そうしてどこかに行ってしまった。もう、あいつらは…!でもいいか、あいつらの頭なんて元から望んでもいないし。
「私は…考えてみる。2人についていっても、足手まといになるだけだろうし」
「よし、じゃあちょっと考えてみよう」
私と恋奈は手近にある石を拾って考え始める。由衣美ちゃんはまた実玖の休んでいるテントに入っていった。ブランはやはり恋奈のそばから離れない。考えていくうちに、とりあえず無理なパターンが何個かあるのが分かった。例えば真っ先に恋奈とブランを対岸に送ると、恋奈がもう漕げないからどうしようもなくなる。ボートが自力で帰って来れない以上、誰かが漕いで戻ってこないといけない。まずそういうのを理解して…。

私たちはしばらく考え込んでいた。そして色々石を動かしながら考える。どれくらい時間が経ったか分からない頃…。
「あれ!?今、できたんじゃない!!?」
「えっ、ホント!?今、どうやって動かしたっけ?」
「えっと、最初がこうでしょ、次が…」
私と恋奈は記憶をつなぎ合わせる。…本当だ!これなら条件を全て満たして、対岸に移動できる!!
「よし、さっそく恵介と夏一を呼び戻してこなくちゃ!」
「確か、2人ともあっちに行ったよね?私、ちょっと見てくるよ。ブラン、おいで!」
「おでかけ?私も行く〜!」
恋奈、由衣美ちゃん、ブランはそろって吊り橋の方へと歩き出す。1人取り残された私は、そのまま実玖のテントへと向かった。そこでは実玖がさっきと同じ格好で横になっている。さっきより呼吸が荒い。
「ねえ実玖!分かったよ!!方法、見つけた!!」
「本当…?ねえ、璃衣愛ちゃん…」
実玖はか細い声を上げる。私は実玖のすぐそばに腰を下ろす。
「なに?」
「ごめん…大きな声、出せないの…もっと、そばに来てくれる…?」
実玖はか細い声で話す。あ、そっか、大きな声を出しすぎると頭に響くか。私はちょっと反省してから、実玖の口元に顔を近づけた。すると実玖が、さっきみたいな小さな声でささやく。私は実玖の口元に耳を寄せた。
「おめでとう」
次の瞬間、私の頬に、優しい感触が伝わってくる。私は思わずのけぞった。真っ赤になった顔を実玖に見られないように、思わず後ろを向いて言い放つ。
「ち…ちょっと、実玖!何バカなことするの!!風邪うつす気!?」
実玖は思わず耳をふさぐ。あ…大きな声、出しちゃった…。
「ごめんなさい…」
実玖の言葉に私は振り向く。実玖はまた、右手で目を隠して横になっている。私は実玖に近づく。
「あのさ、今は私のことは気にしなくていいの。まずは早く風邪を治しなさい!お礼の言葉はそれからたっぷり聞かせてもらうから」
実玖は何も言わずに頷く。
「あのさ、実玖?だからね、もう少し…恋奈たちが恵介たちを連れ戻してきたら、動き始めるからね。準備してなよ?」
実玖がまた、静かに頷いた時だった。外の方から大きく呼ぶ声がする。
「お〜い!!」
その声を聞いて私はすぐに外に出た。恵介たちが、誰かを連れている…。しかもその誰かは、かなり大勢だった。間違いなく10人はいる。私の口から思わず声が漏れた。
「えっ…!?」
彼らが近づいてきてやっと分かった。星降村の役場の人たちだった。その中には役場の服に混じって、普通の運動用の服を着ている人たちもいる。中には恵介のお父さんの姿もあった。
「川の増水を心配して、役場の人たちが様子を見に来てくれたところに偶然会ったんだ。1つ上流の吊り橋…ほら、さっき崩れたのよりボロいっていうんで普段は通行できないやつ…を応急処置して、なんとか通れるようになったんで、そこから下りてきてくれたそうだ。や〜、助かった」
「まったく、お前らもせめて対岸におってくれたら、こんな大事にならんで済んだんじゃけどな」
恵介のお父さんが恵介を小突く。しかしその顔には笑顔が見られた。ちょっと、私、せっかく考えたのに〜!恋奈を見ると、ちょっと残念そうだったけど、でも彼女は笑顔をこぼしていた。
「荷物、こんだけ?じゃ、とっととみんなで帰ろうや」
その時には実玖も、どうにかテントから出てきていた。そして私たちは大挙して、中州を後にすることになる。もちろん、私が帰り道でも吊り橋の前で一騒動起こしたのは言うまでもない。

さて、最後に私から問題ね。私と恋奈が見つけた、条件を全て満たしてみんなを対岸に移動させる方法は、どうやって移動させるものでしょう?実玖が言うには「答えは複数個あると思うので、1つでも見つければOKですよ」だって。私だって苦労して見つけたんだから、みんなも探してよね!

編者注:解答はこの次の次、「アンコール」に掲載してあります。


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