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しきのうた

第5楽章 〜みくのうた〜


「何が起ころうとわたしの人生はパズルとともにあり、パズルを失わないためにすべきことがあれば、わたしはそれをするだろう。」
シェリー・フレイドント『数独パズル殺人事件』より

ウチは上京してきた。ウチにとってはちょうど3ヶ月ぶりの上京という事になる。今日ウチがわざわざバスで上京してきた理由はたった1つ。今日はいわゆる「オフ会」なんだ。何のオフ会かというと、それはパズルのオフ会。技術の進歩した現代では、インターネットやケータイサイトを通じてパズルが遊べてしまう。普通の人間には何の感慨も与えないけど、ウチみたいに、子供の頃からパズルとともに育ってきた人間には感動的なことだった。ウチも今年に入ったあたりからネットでのパズルを始めた。そしてネットを通じて、様々なパズル作家さんや解き手の方々と知り合った。今日はその方たちが集まって色々と歓談することになっていたので、ウチも参加させてもらうことにしたの。集合場所は以前上京した時にも訪れたA駅だった。コンコースにはたくさんのポスター。ほとんどのものに、2次元か3次元の女の子が載っている。友だちとの電話に夢中になっていて、切符を改札口に通すのに少し苦労してしまった。そんな自分に少し苦笑しながら、ウチは辺りを見回す。改札を出てすぐのところに、それらしいグループがいた。基本的にパズルを解く人たちというのは、何となく「匂い」とか「波長」とかいったもので分かってしまう。
「…おっ、君もそうかい?え〜と、君は誰?」
ウチが集団に近づいていくと、1人の男性が話しかけてきた。長身で眼鏡をかけている坊主頭の男性。年齢は…おそらく20代だろう。
「ウチ、実玖です!」
ウチは少し飛び上がるような感じで、右手を胸の前に持ってきて言う。
「おぉ、君がそうなんだ〜。こんにちは、実玖さん。僕は笠雄一(りゅう・ゆういち)…こんな名字でも日本人だよ。おっと、本名で言っても分からないよね。ハンドルネームでいうと天放(てんほう)だ」
「えっ、あなたが!?」
「ははは…もっと年寄りを想像していたかい?もっとも高校生の君から見たら年寄りかな?」
ウチは慌てて首を大きく横に振る。
「いえ、そんな事ないです!」
「お、新顔じゃないですか〜」
そこに別の男性が声をかけてきた。彼も眼鏡をかけているけど、背は天放さんよりは低い。でもウチよりは確実に高い。年齢は…彼もきっと20代だろう。
「ああ、辻さん」
「やだなぁ、天放さんは。本名で呼ぶなんて他人行儀ですよ〜」
「いやいや、わざとですよ。こちらの実玖さんを驚かせなくちゃいけないでしょう?」
「ああ、そうですね。はじめまして、実玖さん。僕はスドキングです」
「ええっ!!?」
ウチは本当にビックリした。スドキングさんは、ウチらのコミュニティの中では古参で、ある意味で長老的な存在だった。そんな、こんな若い人が、あの大御所…。ところが横にいる天放さんは、その名前を聞いた瞬間に吹き出していた。
「こらこら、実玖さんが本気にするでしょうが」
「あはは、そうですね」
う〜んと、どうやら“辻さん”は他人の名前を騙ったらしい。辻さんは改めて自己紹介をする。
「改めまして、僕はルート10です」
「ええっ!!?」
ウチはまたまた驚く。ルート10さんといえば、イラストロジックなどを筆頭に活躍されている作家さんだ。ウチはただただ見つめるばかりだった。
「おお、いい反応ですね〜」
「いえ、そんな…」
ウチは恐縮する。そんな、こんな(その世界では、だけど)名だたるメンバーが集まっているのだ。ウチみたいな新参者は萎縮しっぱなしになる。ひとしきりウチはこの2人と話していた。もっとも話題が「ぴぃくんの本名について」という、ウチにはさっぱり分からない話だったけど、2人とも興奮して論議していたのでウチも面白く聞いていた。するとその時、1人の女性が声を上げた。
「よし、みんな〜、そろそろ行くよ〜」
「人数は、っと…あれ?1人足りないですよ?」
天放さんが人数を数えてから、先に立って歩き出そうとしていた女性に声をかける。非常に若々しい印象の女性だ。
「ああ、今ヘイズさんから、かなり遅れそうって連絡があったの」
ヘイズさんといえばスドキングさんと並ぶ、ウチらのコミュニティの古参だ。天放さんはそれを聞くと納得したような表情を浮かべた。
「あ、そうですか。うん、それじゃあ行きましょう」

ウチらはみんなでA街を歩いていた。10分ほどで近未来的な建物の中へと入る。その間もウチは色々な人と話をしていた。新顔なので、逆に色々な人が話しかけてくれる、というのもある。…ウチはこの国の首都であるこの街を、正直あまりいい目で見ていなかった。そこにはウチの地元にあるような、温かみがないと思っていたから…。でも、実際それは、少なくとも今だけは間違っていると確信を持って言えた。建物に入る前からウチがずっと話していたのは、さっき先陣を切って号令をかけた女性だった。彼女のハンドルネームはヴィーナ、本名は白木栄子。彼女はパズル作家ではなくソルバー…つまりパズルの「解き手」として有名な人。年齢は37歳だそうだけど、どう見ても30代には見えない人だった。
「どう、実玖さん?溶け込めそうかな?」
「ええ、大丈夫です!」
ウチは元気よく答える。その言葉にヴィーナさんも微笑んだ。手にはA4の用紙が握られている。どうやら会場の地図や参加者名のリスト、それから今日の会場での「出し物」を企画した書類らしい。
「そう、それはよかった。ところでさ、実玖さんの名字…何て読むの?カスガでいいのかな?」
「ええ、それで合っています」
「かっこいい名前だね。…ね、ハンドルネームの由来は?辻さんみたいに、本名を操作した感じ?」
「えっと…えっ?辻さんって、ルート10さんですよね?どうして…?」
ウチが不思議そうに聞くと、ヴィーナさんは白い歯を見せた。
「辻、という漢字を上下に反転させるの。真ん中に横線を引いて、その線を中心に180度回転させるイメージね。すると今まで部首の『しんにょう』だった部分が根号(√)に見えるでしょ?」
「あっ、ホント!」
「あとは漢数字の10、ってことね。…ところでさ、実玖さん、若いよね。生年月日は?」
「え、ウチですか?ウチは1989年の…」
そこでウチは生まれた月と日を順番に指で示しつつも、口ではいつものようにこう言った。
「宝瓶宮11日生まれです」
「おおっ!ってことは、あのサム・ロイドと同じ誕生日なんだ〜!いいねいいね」
ちなみにサム・ロイドとはアメリカの天才的パズル作家。仔馬のパズルや14と15の位置を入れ替える15パズル、ボタンホールパズルなどで知られていて、「パズル作家」という職業に初めて就いた人物ともいえる。デュードニーやリュカ、ガードナーらと共にパズルの世界では有名人中の有名人だ。そんな話をしているうちに、会場らしき広間にたどり着いた。その上には「ル・ロマン・ポリシエール・ドゥ・モンド」とフランス語で書かれていた。
「『ミステリの世界』…?」
ウチが和訳して読むと、ヴィーナさんが少し驚いたような顔をしてこたえる。
「そうそう、今回の『出し物』をかっこよく言ってみたの。それにしても実玖さん、よく読めたね」
そう言いながら、ヴィーナさんはウチの指を見て付け加えた。
「でも確かに実玖さん、フレンチって感じがするなぁ」
そうかなぁ?と心の中で思いつつも、ウチは笑顔を返した。

「みなさん、本日は遠い人は遠いところからよくお越しいただきました。今から10月のオフ会を始めま〜す」
しばらくしてオフ会が始まった。進行役はやはりヴィーナさんが務めている。最初は自己紹介と歓談の時間。ウチは初参加ということで壇上に上がらされた。
「今日初めて来てくれたのは、実玖さんで〜す!」
「こんにちは、実玖です!よろしくお願いします!!」
ウチは右手を胸の前に持ってきて西洋風のおじぎをしてみせる。会場からは盛大な拍手が起きた。といっても30人ほどしかいないので、盛大な拍手、といえるかは微妙だろうけど。
「いや〜、若い人がいるといいねえ」
ウチの挨拶が終わった後にそう言ったのは、50歳くらいの大柄な男性だった。
「実玖さん、あの人が本物のスドキングさんね」
ルート10さんに囁かれて、ウチは目をみはった。確かに、言われると貫禄が漂ってくる気がするんだから不思議だ。スドキングさんはウチらのほうへ歩み寄ってきた。
「やぁ、初めまして」
「こんにちは!お会いできて嬉しいです」
「ありがとう。しかし若い人が今日は少ないね。同世代の人がいないと不安じゃないかい?」
ウチは首を横に振る。ウチはあまり年上の人は苦にならない。むしろ年下と接するのがかなり苦手だった。ウチは素直に、スドキングさんにそう告げる。
「ああ、それならよかった。これからもよろしくね」
「よし、じゃあそろそろ出し物を始めますよ〜」
後ろでヴィーナさんの声がする。それと同時に会場が一瞬静寂に包まれた。
「今日のオフ会の出し物は、推理ゲームです」
パズルが好きな人たちは、概してその論理的なプロセスを好む。そのため推理小説をよく読んでいる人も多いようだ。それにそもそも、ウチらパズル好きというのは、基本的にどんな遊びでも楽しんでしまう。日常のあらゆるものを遊び心で変化させてパズルにしてしまうし。
「ルールは簡単。今から誰かに何かが起こります。残された皆さんはそこでチームを作って、その何かを起こした犯人を導き出してください。私と何かが起こる人、それから犯人しかこれからの段取りを知りませんので、皆さん気をつけてね。それじゃ、今から10分間は、まず自由行動といきましょう」
つまり…この10分で何か事件が起きる、ということだ。ウチは近くにいた天放さんに話しかける。
「どうなるんでしょうねぇ。どうしていればいいのかな?」
「う〜ん、分からないな。ここは1つ、犯人と疑われるような行動をわざと取って、みんなを混乱させるのもありかもね。例えば実玖さん、そこで歌って踊ってみるとか。みんなは実玖さんの発狂?が、『誰かに何かが起こる』ことの意味かなと勘違いするかも」
「ウ、ウチはそんなことできませんよ!」
ウチが真顔で否定すると、天放さんは声を上げて笑った。
「だから、例えばの話でしょ?面白い人だなぁ」
「もう…ちょっとウチ、お手洗いに行ってきますね」
ウチは顔を赤くしながらホールの外に出て、お手洗いのある方向へと行く。用を足してホールに戻ってきてからは、ウチは部屋の隅でおとなしくしていた。右手を胸にあてて小さな声で歌を歌ってみたり、上着の左ポケットから鏡を取り出して、髪を直したりしていた。しばらくするとヴィーナさんのわざとらしい一言が、ホールの和やかな雰囲気を破った。
「あれ…?スドキングさん、どこに行ったのかな?」
ウチはみんなのところに近づいていって、辺りを見回す。確かにスドキングさんはいない。
「お?もしかして例の誰かさんはスドキングさんだったんですか?」
ウチらはスドキングさんを探しにホールへ出た。スドキングさんはすぐに見つかった。トイレの手前の休憩室にいたのである。彼の首にはゆるくロープが結ばれていた。どうやら絞殺されたという仮定らしい。苦しそうな表情を作っているスドキングさんがユーモラスで、ウチにはそれがおかしかった。脇にはノートやボールペン、修正ペンといったパズル製作に必要な道具が揃えられている。ルート10さんが真っ先に近づいて声をかける。
「スドキングさ〜ん、大丈夫ですか〜?」
「…返事がない。ただの屍のようだ…」
ルート10さんの後ろから、天放さんが低い声でそう言う。その言葉に、周りにいた数人から笑い声が漏れたが、ウチにはどうしてなのか分からなかった。一度ホールへ戻ると、そこで待っていたヴィーナさんが話しはじめた。
「さて、じゃあ皆さんにはチームになってもらって、チームで相談して犯人を捜してください。その際のヒントは、スドキングさんの脇に示されたダイイングメッセージです!」
確かに、スドキングさんの脇には一見するとおかしな光景が広がっていたのをウチは思い出す。たしか、ノートの1ページ目が開かれていて、そこに修正ペンの液が広がっていた…。おそらくこのダイイングメッセージから、犯人がつかめるのだろう。チーム分けの結果、ウチは遊び屋さんとガンマさんと3人でチームを組むことになった。遊び屋さんというのは前平さんという女性で、おもちゃ屋さんで働いているからそういうペンネームをつけているそうだ。彼女はクロスワードのような紙で解くパズルではなく、タングラムやキャストパズルといった、手にとって遊ぶパズルを好んでいた。一方ガンマさんは…信じられないけど、本名が眼間というらしい…30代の男性だった。理知的で寡黙な印象を受けるが、話すと意外に気さくな人だった。ウチはスドキングさんが今も死体の振りをしている休憩室で、2人と相談していた。
「う〜ん…この修正ペンの跡が何を意味するか、ってことですよね?」
「そうだろうけど…どういう意味だろう?この広がった模様が何かになっているとか?」
ガンマさんが首をかしげる。修正ペンの液は、まったく文字や模様の形はしていなかった。マンガで爆弾が爆発した時のように、放射状に飛び散っている感じだ。おそらく修正ペンの先をノートにつけて、後先考えずにただ液体を放出した、という感じだろう。
「そうね…形には意味がないと思うなぁ。これじゃロールシャッハテストだもん」
「ですよね…じゃあ何だろう…?」
「実玖さん、真剣に考えなくても大丈夫。困ったらネタに走ってもいいし」
ガンマさんが笑いながら言う。確かに、これだけのヒントじゃ正解には普通たどり着けない。だとすれば想像力を働かせて、突拍子もない答えをみんなで笑うのもありだろう。
「う〜ん、でもやっぱり正解らしきものにはたどり着きたいですよね」
「まあ、そうね。でもそうすると、あとは何が残っているかしら…」
ウチらは3人で頭を抱える。修正ペンから考えられる、他の要素といえば…。
「…あ、もしかして…」
「お、実玖さん、思いついた?」
「これで示したかったのは、白っていう色自体のことじゃないんですか?」
「おお、なるほど!…あれ、でもハンドルネームに白がつく人なんていたっけ?」
ガンマさんが再び首をかしげる。しかし、そこであっと声を上げたのは遊び屋さんだった。
「ガンマくん、違うわ!ハンドルネームじゃなくて本名よ!!」
「えっ、本名?」
ウチもガンマさんも遊び屋さんの方を見る。
「そうよそうよ、本名に白という感じが含まれる人よ!1人いるじゃない!!」
ウチもそこでようやく、遊び屋さんの言いたい事がわかった。
「あっ…白木栄子さん、つまりヴィーナさんですね!!」
「そうよ、きっとそうなのよ!」
そしてウチらは意見をまとめて、ホールへと戻った。

「よし、じゃあみんな意見はまとまったかな?」
しばらくして、全員がホールに集まった。スドキングさんも「生き返って」、今はヴィーナさんの隣で笑顔を見せている。ここからはみんなで解答を発表する時間、ということだ。ウチらも当然、さっきの意見を発表した。同じ意見に落ち着いたチームがもう1つあった。他の意見としては、白という色で犯人がいないことを表したかったのだ(つまり自殺)とか、犯人は白い服を常に着ているこのホールの従業員だとかいう答えもあったけど、それらの説はヴィーナさんに否定された。
「いやいや、自殺じゃないしこの中の誰かが犯人って言ったし、それに私は最初に、私とスドキングさんと犯人は段取りを知っている、って言ったでしょ?だから私もスドキングさんも、最初から犯人の候補に入っていないのよ」
そうやってみんなの意見が出されていき、最後に天放さんの班になった。ここで天放さんが思いもよらない答えを披露してくれた。
「昔あるドラマであったんですけどね、死んだ人が白紙を握っているだけのダイイングメッセージで、これは結局『自分がここで犯人の名前を紙に書いてもどうせ犯人が第一発見者になり、その紙は犯人によって破棄されるから無駄だ。だから私はあえて何も書かれていない紙を握っておいたのだ』という解釈をして、第一発見者が犯人だった、っていう事があったんですよ。つまり今回の白い修正液は、これと同じ意味じゃないでしょうか?あの下に何か書いたけど、それを第一発見者に見られたら無意味になると思って修正液で消した…。すなわちあの時、真っ先にスドキングさんに駆け寄った…」
そこで天放さんは格好よく指差した。
「ルート10さん、あなたが犯人でしょう!」
ホールの中に静寂が漂う。みんなの視線は笑顔のルート10さんに注がれた。そしてルート10さんが口を開く。
「………残念〜!違うんですねえ」
みんなの肩から力が抜ける。ウチも大きく息をついた。しかし、ここから思いもよらないことが起きたのだ。

「お話は聞かせていただきました」
いきなりホールの入り口から声がしたのだ。ウチは驚いて振り向く。他のみんなも驚いて振り向くが、すぐに「あっ」という声を漏らした。どうやら他の人はみんな顔見知りらしい。
「企画に間に合ってよかったです。昨日からの大雨のせいで、高速道路で土砂崩れが起きちゃって…普通の道を迂回してきたんです。それで遅くなっちゃったんですね。すみませんでした」
今の話を聞いたところでは…どうやらこの人が、遅れてくると話をしていたヘイズさんらしい。ヘイズさんはホールに入ってきて話を続ける。
「それで、スドキングさんの件ですよね。修正液がダイイングメッセージを表している、っていう。思うんですけど、あれで表したかったのは、白い液体、っていう事だったんじゃないでしょうか?」
「白い…液体?」
遊び屋さんが不思議そうに聞き返す。ヘイズさんは頷いた。
「ええ、そうです。例えば、犯人は今でも、白い液体を身につけている…とか」
ウチはその言葉に、思わずハッとしてしまった。一方他の人たちはまだ不思議そうな顔だ。ガンマさんが口を開く。
「白い液体を…身につけている?そんな事があるかい?だれも顔にペイントなんてしてないし、白い口紅をつけているようないわゆるヤマンバはいないし…」
「違いますよ、もっと身近にあるじゃないですか?例えば……マニキュア」
そういってヘイズさんは、ウチに近づいてきた。ヘイズさんはウチの手をとる。
「初めまして。きれいな指ですね?爪の先が白く塗られているネイル…フレンチネイル、って言うんでしたっけ?」
「ええ、そうです…」
「実玖さん、あなたが犯人ですよ、ね?」
その言葉にウチは無言で頷いた。場内から歓声がもれる。ウチは思わず、つぶやいていた。
「あの…あなたは…?」
ヘイズさんは私の指から手を離し、左手を胸の前に持ってきてこう告げた。
「え、ウチですか?ウチのハンドルネームはヘイズ。そして本名は…ホントに偶然ですけど…霞賀実玖、っていうんですよ、華菅実玖さん?あなたみたいなかわいい女性のハンドルネームと同じ名前で光栄です」

 
「何これ、ひっど〜い!!ダイイングメッセージものじゃないなんて!!」
私は実玖から送られてきた文章を読み終えるなり、そう口にしていた。
「実玖ってば、も〜!!」
「実玖の好きそうなことだよな」
疾風も納得してくれる。私と疾風は、昨日実玖から送られてきた文章に目を通していたの。「この前参加したオフ会で、こんな事があったんですよ〜」とだけ言われて送られてきたの。それを疾風と2人で読んでいたところなんだけど…もう、こんな叙述トリックを仕掛けているなんて〜!!
「叙述トリックって…何?」
疾風が私に聞いてくる。そうか、疾風は推理小説のこと、ほとんど知らないもんね。お姉さんの美寛ちゃんが説明してあげる。
「叙述トリックっていうのは…小説が文字だけで構成されているのを利用して、ある事実をそうでないように見せかけて書くことよ。一番典型的なのは、男と女の錯誤。それから場所を錯誤させたり、人物を錯誤させたり、時代を錯誤させたり…そういう錯誤を利用して、読者をミスリードさせていくトリックなの。そうじゃない作品もあるけど、基本的に物語のコアに関わるトリックよね」
「なるほど…つまり今回は、最初から登場している実玖が『霞賀実玖』であると思わせておいて、実際は霞賀実玖ではない…しかも女の子の、ハンドルネーム『華菅実玖』を登場させているって事だな。で、これは本当に偶然なの?」
「みたいだよ。ほら、最後にちょっぴり書いてあるけど、この『華菅実玖』ちゃんの本名は花岡久美ちゃんで、久美ちゃんのハンドルネームが、漢字は違うけどカスガミクになったのは偶然だ、って。それからヘイズは英語で霞を表す単語なんだって。それにしても〜!」
私は疾風の肩にもたれかかる。
「八つ当たりしないでよ」
疾風はそういいながらも、私の体を受け止めてくれた。やっぱり疾風は優しいね、と思っていたら…。
「それにさ、美寛?美寛はこの話を読んでいて、違和感を覚えなかったの?」
その言葉に私は跳ね起きた。
「え!?違和感…って、何の話?」
「いや、だから…実玖にしてはおかしいな、って記述が何個もあったじゃない」
「え、ウソ!?どこに!!?」
私は疾風の目を覗き込む。疾風は順番に説明してくれる。あ、ここからカッコつきの『実玖』は華菅実玖…つまり久美ちゃんのことだと思って聞いてね。
「いい、美寛?まず物語の冒頭…『実玖』は3ヶ月ぶりにAに来たって言ってるよね?確かに実玖も8月に、璃衣愛と一緒に俺たちの家に遊びに来ている。でも、後ろの方を見てよ。このときのオフ会は10月なんだ。『実玖』がAに来ているのは、どう考えても7月の出来事になるじゃない」
「あっ…ホントだ…!」
「それから電話をしていたから切符を改札口に通すのに少し苦労したって話。…これは少し確率論的な話になるけど、普通右利きの人間って左手に電話を持つんだ。電話しながらメモする用事があるときに、利き手をあけておいたほうがいいからね。実玖は右利きだから電話は左手に持って、すると右手があくはずだ。それなら切符を通すのに苦労なんかしないでしょ?改札口は右側にある。あれに戸惑うのは左利きの人間だけだよ」
「え…ってことは、『実玖』は左利きって事?」
「これはあくまでプロパビリティーの話だよ。レフティーの女の子って珍しいけど、きっとそうだと思う。後ろのほうで、左ポケットから無造作に鏡を取り出しているけど、これも左利きと考えたほうが自然だよね。あと、実玖は独特のおじぎの仕方をするけど、あの時は左手を胸に持ってくるだろ?確か歌を歌う時も、あいつは左手を胸に持ってくるよね?でも『実玖』は2回とも、右手を前に持ってきている。これも手を大仰に折り曲げるほうが利き手と考えれば、『実玖』は左手が利き手と言えるかもね。ほら、『実玖』は歌う時も右手を胸にあてているだろ?ま、でもこれはちょっと頼りない論拠かな。それより『実玖』が鏡を持ち歩いてるって記述もかなり不自然じゃないか?」
確かに…鏡を持ち歩いている男なんてそうそういるもんじゃない。
「あと…ヴィーナさんがハンドルネームを聞く事だって、よく考えてみれば不自然だろ。『実玖』が本当に霞賀実玖だったのなら、実玖はネットの世界でも本名を使っていることになる。そんな人にハンドルネームの由来なんて聞くわけないじゃない」
「む〜…でもでも、あの誕生日の言い方は絶対に実玖でしょ!」
「あれにも落とし穴があると思うなぁ」
疾風はそういいながら、ネットで何かを検索し始めた。
「…ほら、サム・ロイドの誕生日は1月31日だって。実玖は1月30日生まれだから、1日違うじゃない。そもそも実玖、自分の誕生日は宝瓶宮10日だって言ってなかった?」
そんなの…私が聞かされたのは半年近く前のことだから、もう覚えていない。
「あとは…きっと『実玖』がホールを出たあと、『お手洗いのある方向へと』行ってから『用を足して』って書いてあるだろ?これ、きっとお手洗いに行ったんじゃないと思うよ。たぶん…」
「あっ…スドキングさん擬似殺害の…」
「うん、準備を手伝ったんだと思う。あと、これは主観的な意見だけど、スドキングさんと話すときに『実玖』は『年下の人と接する方がかなり苦手』って地の文で書いてるだろ?でも、これもそうじゃないと思う。ほら、この前璃衣愛がキャンプの話をしてたじゃない?ボートの往復がどうこう言ってた…。あの時、実玖は普通に由衣美ちゃんっていう年下の女の子と遊んだり話したりしていた、って言ってただろ?『かなり苦手』とはそぐわないと思うんだ。それから、これはちょっとひどい伏線だけどね、『…返事がない。ただの屍のようだ…』ってあるでしょ?このセリフ、ドラゴンクエストでかなり有名なセリフなんだ。美寛は…きっと知らないでしょ?」
私は頷く。そんな事知ってるわけがない。
「でもこのセリフを、ゲーム好きの実玖が知らないわけがない。あんなに細かいところまでプレイしたゲームは覚える人間だからな。『実玖』みたいに、どうしてみんなが笑ったか分からない、なんてありえないはず。そういう意味で言うなら、ト書きで全くゲームの話もミステリの話も出てこないのが最大のおかしな点だよな。実玖が書くなら普通、もっと似たゲームの状態だのミステリの登場人物の話だのが出てくるだろ?読み手として俺や美寛を想定しているなら、なおさらだよ。俺にはわからないけどミステリのことでも、変な伏線を入れていたんじゃない?」
「む〜…」
私は黙り込む。何だかここまで詳しく説明されると、実玖より疾風に腹が立ってくる。しかも疾風の言葉で、私はミステリに対する1つの違和感に思い至ってしまったのだ。推理小説とパズルが好きな実玖が、高田崇史のいわゆる「パズル」シリーズを読んでいないわけがない。つまり、天放さんとルート10さんが議論していたこのシリーズの登場人物である「ぴぃくん」を、本当の実玖が知らないはずがないのだ。それなのに『実玖』は「ウチにはさっぱり分からない話」だったって言っている。これは…確かにおかしい。む〜っ、実玖のヤツ〜!!
「ま、これはこれでいいんじゃないの?俺は良かったと思うよ」
「そうだとしても!疾風は見破ったから良かったなんて言えるんだろうけどさ〜!」
「違うよ、美寛ちゃん。俺は実玖の小説のことを言ってるんじゃなくて」
疾風は笑顔を浮かべて、私の頬に人差し指をそっとあてた。
「何かを真剣に考えている、美寛のかわいい顔が見れたからさ」
私は胸の高鳴りを必死に押さえこみながら、疾風の顔を思いっきり睨んでやった。


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