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そらのうた


第一部

「この小さな島が世界になって、宇宙を漂ってるみたいな気になるの」

有栖川有栖『孤島パズル』より


第一羽

骸のごとき鷲が、空高く舞い上がり、群れを成して、舞い降りる。そうして惨劇の扉は閉じられ、開かれる…。

「みひろちゃん、いる?」
私の部屋の扉を叩く音と、いつものようにちょっぴり優しい(悪く言えば間の抜けた)声。私の返事を待たずに、その声の主である雅お姉ちゃんは私の部屋に顔を覗かせた。
「…どうしたの?お姉ちゃん」
私は今読んでいた有栖川有栖の「乱鴉の島」(去年の本格ミステリベスト10で第1位になった作品よ)から、お姉ちゃんへと目を向ける。お姉ちゃんは笑顔だ。
「あのさ、一緒に旅行に行かない?」
「…えっ?」
お姉ちゃんの話はいつも唐突だ。だいたい話題の何ステップかが省略される。論理的な発言をしないという意味で、もしお姉ちゃんみたいな人ばかりが推理小説に出てきたら話は混乱するだろうなぁ、と私は苦笑いする。
「お姉ちゃん、最初からちゃんと説明してよ。それだけじゃ分からない」
「あっ、そっか。…えっとね、まず、私の友達に由里ちゃんがいるの」
予想通り、最初の話には旅行の「り」の字も出てこない。…あっ、由里の「里」の字は別よ。
「その由里ちゃんは、私と同じ大学で、民俗学を専攻しているの。それで、今度民俗学科で、卒業旅行があるんですって。教授の家がある南の島に行くんだけど、そこに一緒に行かない?って」
「…その旅行に、何でお姉ちゃんが一緒に行くことになったの?お姉ちゃん、専攻は国文学でしょ?」
ちなみにお姉ちゃんは来月、大学を卒業する。どうやらどこかの銀行で働くらしい。「らしい」というのは、私がそこまで詳しくこの話を聞いていなかったから。というのも、私(と疾風)はこの数ヶ月、本気で大学受験に追われていたからなの。今日は2008年3月1日。国立大学の前期試験が終わって数日経っている。気が抜けた時期とも、燃え尽きた時期とも言えるだろう。…実玖たちと遊んでいた11月の数日を除けば、10月の七不思議の件以来、私も疾風も変な事件には巻き込まれずに済んだ。去年の前半にすごいペースで変わった事件に巻き込まれた(自分から巻き込まれていった?)私としては、この数ヶ月何も起きなかった(私が見つけなかっただけ?)ことを神様に感謝しなくちゃね。
「うん、そうだよ。でも何か、空きが出来ちゃったんだって。だから由里ちゃんに誘われたの」
「空き、ねえ…」
大方、教授と一緒に過ごすのがイヤで、さっさと別の予定を組んでしまったんだろう。しかしそんな話に乗っかってしまうお姉ちゃんもお姉ちゃんだよね…。
「ちなみに3人分空いてるって。ハヤ君も一緒に来れるよ」
「…えっ…」
それを聞くと、ほんのちょっぴりだけど心が揺れる。疾風と一緒に、南の島で、バカンス、かぁ…。ちなみに説明するまでもないと思うけど、疾風は私の恋人。お姉ちゃんはいつも疾風のことをハヤ君って呼ぶの。私は正直、これだけはやめて欲しいんだけど、お姉ちゃんは直す気配も見せない。
「あっ、本気で考え出した?」
お姉ちゃんがちょっぴり笑いながら言う。私は顔を紅くして言い返す。
「べ、別に…と、とにかく!ちょっと、考えさせてよ…そんな急な話」
「うん、分かった〜。でも明日出発だから、お返事は急いでね」
「あ、明日ぁ!?」
私の言葉は、優雅に手を振って部屋を出て行くお姉ちゃんの前にかき消されていった。

「…それで?どこに行くって?」
今、私は疾風の部屋にいる。あれからちょっぴり詳しい話をお姉ちゃんに聞きだして、私はそのまま疾風の家にやってきたの。…今の私は、試験の結果っていう大きな不安を紛らわせるために、何か口実を見つけては疾風の家へ通っていた。ちなみに、私は疾風と同じ大学に通うために、ちょっと冒険した…つまり、自分にとってはちょっぴり難しめの大学を受験したの。その分、私のほうが大きな不安を抱えている…ってこと。もちろん、疾風だって不安は抱えていて、最近は夜に電話がかかってくることが多くなっていた。
「えっとね、S県の南の海上にある、比等鷲島だって」
「え…?島の名前、何だって?」
「ひとわし島。藤原不比等の『比等』に鳥の『鷲』って書くの。もともと半ば無人島だった島らしいよ」
「何で藤原不比等なんて難しい言葉を使うんだよ。比べるに等しいでいいじゃない。…まぁ、いいか。それで?その島を、その…尾鷲教授が買ったって事か?」
お姉ちゃんの最初の説明には出てこなかったけど、その(学生から嫌われているらしい)民俗学教授の名前は尾鷲正というそうだ。私はそれを思い出しながら話を続ける。
「ううん、買ったんじゃなくって持ってたらしいの。つまり、教授の家は元々、この比等鷲島の隣の島…子鷲(こわし)島にあったらしいの。こっちは今でも人が住んでいるみたい。それとは別に教授の一族が比等鷲島も所有していて、今回教授がその島に家を建てたんですって。今は教授が単身赴任で、奥さんがそこで住んでいるみたい」
「つまりその教授、地元の名士って事?」
「うん、そうね。ね、疾風…どうする?」
私がそう聞くと、疾風はフッと息を吐いてベッドに寝転がった。
「俺?俺の答えは決まってるよ。アスカンタのシセル王妃と同じ」
「…?つまり、どういうこと?」
私は疾風の上に寝転がって、疾風の顔をじっと見つめる。疾風は私の目を見て、そっと口を開いた。
「美寛が行くなら行く。行かないなら行かない」
「…え?」
「美寛の決めたことが、一番いい結果になるって決まってる。…そう思うよ」
疾風はちょっぴり微笑んだ。
「もう…疾風ってば…」
私は軽く疾風の頬にお礼をして、疾風の上から降りる。
「じゃあ、折角だし行ってみない?ここにずっと閉じこもっているよりは、気も楽になると思うし」
「ああ、分かった」
こうして私たちは、比等鷲島へと足を踏み入れることになる…。


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