inserted by FC2 system

そらのうた


第十一羽

私と疾風は谷在家さんの部屋に向かった。ノックをしても返事がない。
「寝てるのか?」
「こんな事件の直後に寝られるほど無神経なのは、お姉ちゃんくらいしかいないと思うけどなぁ」
疾風は扉を開けようとする。ガタッと音がした。
「…はは〜ん、疾風、これはアレだね」
「アレ?」
「バリケードだよ、きっと。部屋にあったタンスとかを動かして、ドアをふさいでるんだと思う」
「なるほど…谷在家さんなら、1人でタンスくらい動かせそうだな」
「おとなしく引き下がった方が良さそうね」

「…誰?」
続いて訪れた由里さんの部屋では、微かな応答があった。私はドアを開けずに話を始める。由里さんはきっとまだ気がたっているだろうから、部屋の中に入り込むようなことは出来ないと判断した。ところで、由里さんに部屋を追い出される形になってしまったお姉ちゃんは、一体どこに行ったんだろう?
「私、美寛です。あと、疾風」
「どう…したの?」
「扉は開けなくていいですから、いくつか質問させてください」
「何のマネ?アリバイでも聞くつもり!?」
やっぱり由里さんはまだ興奮しているようだった。
「いえ…そんなことは聞きません。むしろ、あの時間にアリバイがあるほうが不自然ですよ」
「…そう、ごめんなさい。それで?」
私は疾風にバトンタッチする。
「一番聞きたいのは、これなんです。…由里さん、教授って煙草とかパイプとか吸ってました?」
「え?…ううん、私はそんなところは見たことない」
なるほど、麻薬を吸っているか…ってことか。確かにマリファナなどは一見、見慣れない葉巻のようなものにしか見えない。でも、皮下注射で摂取する麻薬もあるから、この質問だけですぐに、教授が麻薬関連のものをしていないとは断言できない。
「そうですか。ありがとうございました。…もう、いいですよ」
「ねぇ」
由里さんの声がする。さっきより声はちょっぴり小さくなったようだ。
「あなたたち、どうしてこんなことを聞くの?」
「喪に服した方がいいですか?」
疾風もちょっぴり小さな声で言い返した。確かに、由里さんの部屋の両隣は川内さんの部屋と谷在家さんの部屋だ。あまり大きな声は出さないに限る。
「…正直、あなたたちの神経は信じられない。どうして、そんなことを調べる気になるの?」
私は…その問に答えられなかった。私はやっぱり、不可解な人間の死を犯人当てゲームに置き換えているのかな?不意に不安になる。でも、疾風はすぐに言い返していた。
「これが俺と美寛の追悼の仕方です。もちろん、俺たちには教授と今まで面識がなかった、という部分が影響しているのかもしれません。でも、俺たちは少なくとも、アルバート家の家訓に従うつもりはないですから」
返事はなかった。

私たちは円さんの部屋をノックした。小さな声で「どうぞ」と聞こえる。
「あら、あなたたちは…」
円さんの顔は、昨日と違ってすっかりやつれていた。
「どうしてここへ?」
「話し相手になりたいと思って」
私は正直に言う。疾風はどう思っているか分からないけど(それがもどかしい!!)、これは私の本心だった。
「…ありがとう。私は…」
円さんはゆっくり口を開いた。
「彼を…正さんを愛していました。私のことをいつも思ってくれていた。来年の定年を迎えたら、私もこの島に隠棲しようと、最近はそればかりが口癖でした。私もそれを楽しみにしていました。なのに…惨いことです」
私は思わず顔を俯かせる。…見るに耐えなかった。
「彼とはじめて出会ったのは、私が5歳の頃でしたか。親戚の家が子鷲島にありましてね、私もほんの時々、島に渡っていたんですけど、その近所でうまれた赤ん坊だった頃ですよ。そのときにはまだ彼が、将来自分の嫁ぐ人になるとは思ってもいませんでしたねぇ…。新幹線が出来た頃に思いを告げられたときは…正直言って、驚きましたよ。今で言う大学生と中学生ですよ?さすがに周囲も反対しましたが、私と彼は密かに付き合い始めました。そして…結婚して、穏やかな時間を過ごしていきました…」
円さんの回想は滔々と続いた。まるでそれは、離れのことを子どものように無邪気に話す教授のようだった。私は悲しみを抱きながら聞いていた。…こんなことになるなんて…私には、月並みだけど犯人が許せなかった。円さんはやがてしゃべりつかれたのか、再び目を閉じて眠り始めた。それを見て疾風が席を立つ。
「…行こうか、美寛」

「ね、疾風?疾風はあれを聞いてて、どう思った?」
私は素直に、その質問をぶつけてみた。
「悲しいとは思ったよ。…ただ」
「ただ?」
疾風はふっと息を吐き出す。
「過去に縛られると、ああなるのか、って。あんなふうに陰鬱に見えるのか、って」
疾風は視線を床に落とす。私は疾風の顔を覗き込んだ。…あ、澄んだ黒い瞳…!!
この瞳は、私にとっての秘密の合図だった。疾風が無意識に見せる、何も見えていないかのような黒い瞳。疾風がこの瞳を見せる時は、決まってよくないことを考えている証拠なの。自分の存在の無力さ、過去の自分に対する後悔、そして…死。まるで闇のように黒い瞳からは、疾風の暗いところが際限なく溢れてくる。それを優しく包んで、癒してあげるのが、私、雪川美寛の、疾風を理解している世界中でただ一人の女の子の、疾風に世界でたった一人だけ必要とされている女の子の、大事な役目。疾風のために本気で怒って、本気で泣いたあの日から、私はそう誓っている。
「でもさ、今の疾風はそうは見えないよ?」
その言葉に、疾風は顔を上げた。
「…え?」
「疾風は、自分のこと、心配してたんでしょ?」
疾風は弱く頷く。私は疾風のことを正面から思いっきり抱きしめた。そして、背伸びをして耳元に囁く。
「あのね、疾風。疾風は昔に比べたら、ずいぶん強く、明るくなったと思うなぁ」
「そう…なの?自分じゃよく分からない」
「私が言うんだもん、間違いないよ。…私、もちろん、疾風の全部が大好きよ。でも、大事な時に暗くならない、弱くならない疾風のほうが、暗くて自信なさげにしている疾風よりも好きなんだからね。疾風の大好きな美寛ちゃんは、疾風のカッコイイ笑顔がないと、疾風に守られてないと、生きていけないんだぞ♪」
「美寛…ありがとう」
疾風は私の体にそっと手を回す。次の瞬間、二人の距離がぐっと近くなる。そしてこのまま、2人は重なり合って…がいつものパターンなんだけど、そんな私の期待を裏切るかのような変な声が聞こえてきた。
「あけて〜」
私も疾風も思わず辺りを見回した。…あの声は…お姉ちゃん?
「ね、お姉ちゃん?どこにいるの!?」
「こっちだよ〜。お手洗い」
私と疾風は慌てて駆け出す。すると、トイレの前にモップが倒れていた。…どうやらトイレの横においていたモップが倒れてちょうどドアの部分に引っかかってしまったらしい。そして、運悪くその時、トイレの中に入っていたお姉ちゃんが取り残された、というわけだ。
「雅さん、大丈夫ですか?」
疾風がモップをどける。…いつもより行動が早い気がして、私はちょっぴり嫉妬した。疾風がモップをどけると、お姉ちゃんが頬を赤らめて出てきた。
「もう、ビックリした」
お姉ちゃんは照れ笑い。ムカツクほどかわいい。私は、頬を赤くしている疾風のわき腹を思いっきり殴った。
「ごめんね、ハヤ君。ありがとう…って、大丈夫?また美寛ちゃんにイジワルされた?」
「大丈夫…慣れてるから」
…疾風くん、もう1発殴られたいの?私が再び疾風の顔を見ると、疾風は何故か、何かにショックを受けたような顔をしていた。…よっぽど怒ってる私はキライなのね。

私と疾風はその後、港のほうまで歩いた。もちろん船はあたりに見えない。疾風はさっきから何かをずっと考えていた。何かを思い出そうとしているみたいなので、私は邪魔をしない。相変わらず鷲は、島の周りを当てもなく飛んでいる。
「あ、そう言えば!!」
私は急に思い出す。パパとママに電話するのを忘れていた。
「ん?親父さんに電話?」
「うん、そう」
あ、疾風は私のパパを親父さんって呼ぶの。私はケータイの電源を入れる。私のケータイは電波が繋がった。よくこんな孤島まで繋がったもんだ…と私は1人で感心していた。川内さんのケータイは繋がらなかったのに…?
「きっと、教授と同じメーカーなんじゃない?あの教授なら、自分の離れあたりにアンテナを置いている可能性もあると思う」
なるほど。私は電話をかけようとする。するとなんと、急に電話がかかってきたのだ。もしかしてパパ?と画面を見ると、相手は璃衣愛だった。私は電話に出る。
「もしもし〜、美寛?」
「うん、璃衣愛、お久しぶり。11月以来、かな?」
「大学合格した〜?」
璃衣愛がにやけた口調で聞いてくる。こいつは…。あ、璃衣愛は大学に行かずに某デパートに就職するからね。だからこの時期にこんな呑気でいられるのよ。私はふと思い出した11月の出来事をネタに璃衣愛をからかう。
「璃衣愛こそ、今度こそ実玖と挙式したの?」
「バ…バカなこと言わないで!!なんでこんなヤツと…」
電話から、璃衣愛のものではないクスクス笑う声がする。どうやら実玖本人が隣にいるらしい。
「ちょっと、実玖!そんなに笑うんじゃない!!…もう…。それで、元気にやってるの?」
それからしばらくは、普通の雑談。疾風も私のケータイに耳をあてて話を聞いている。
「あ、ところでさ、疾風君そばにいる?」
璃衣愛の口調がちょっぴり変わった。
「うん、いるよ〜。どうしたの?」
「何かね、実玖がゲームの話で聞きたいことがあるんだとさ」
あ、それは疾風じゃないと無理ね。私は素直に疾風に電話を変わった。そして今度は、私がさっきの疾風のまね。
「あ、もしもし、疾風さんですか?ウチです」
実玖の快活な声。実玖は男のクセに、一人称が「ウチ」なの。きっと実玖のおじいちゃんおばあちゃんは、オレオレ詐欺に引っかからなかったに違いない。ちなみに実玖は、推薦入試で秋ごろに大学進学を決めてしまったの。こいつも呑気な身分って訳。
「どうしたんだ?」
「ちょっとしたことなんですけど、思い出せないことがあって。あのですね、ドラゴンクエスト7のモンスターパークに、塔のステージがあるじゃないですか?で、あそこの塔の5Fから3箇所、外に出れるでしょ?あそこの外壁に1匹ずつモンスターがいますよね?1匹はフライングデビルだったと思うんですけど、あと2匹って何でしたっけ?」
さっすが実玖…見事に訳の分からない質問をする。しかもこれを「ちょっとしたこと」だなんて!きっと実玖の隣にいるはずの璃衣愛は、呆れているはずだ。
「えっと…1匹はゴールドキッズだろ」
そしてその答えが瞬間的に出てくる疾風を、私も呆れてみている。
「もう1匹は……?ああそうだ、確か、そらの…」
「あ、そっか、そらの狩人でしたっけ。疾風さん、ありがとうございます…って、どうしたんですか?」
私は正気にかえって、疾風の顔を覗き込んだ。…疾風の顔がおかしい。
「実玖、ありがと!!!」
疾風はそう言って急に電話を切る。そしてそのまま、右手を口に当てて考え始めた。その目は真剣。これって、これって、もしかして…。しばらく私は、疾風の背中に寄り添う。そうしてしばらく、待っていた。疾風の口から、あの言葉が出るのを信じて…。
「美寛、おまたせ」
「疾風…もしかして…」
「ああ、分かったよ。全て…分かった」
「本当!?」
「ああ…そうなんだけど、ね…まだ1つ問題があって」
「え?問題って…まだ解けていない問題があるの?」
「いや、違うよ」
疾風はちょっぴり微笑んだ。
「この犯人を、どうしよう、っていう問題さ」
その冷たい笑顔に、思わず私は凍る。ま、まさか、疾風は犯人を鳥葬する気なんじゃ…。私は強く、その考えを打ち消した。それにしても、本当に疾風は、犯人が分かったのかな…。私の胸は自然と高鳴る。私は空を見上げた。鷲たちはそこには、もういなかった。


最初に戻る前を読む続きを読む

inserted by FC2 system