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そらのうた


第十五羽

「今の話…聞いてた?」
私は恐る恐る尋ねる。翔くんは何も言わず、ただ一度大きく頷いた。鷲の鳴き声が、不意に大きく聞こえてくる。それほどの、静寂。
「おい、翔くん!!君はどうして、教授を…」
「キライだったからさ」
私は翔くんの部屋での一言を思い出す。…あの「キライだから」は、高いところが嫌い、っていう意味じゃなかったの?もしかして、教授の存在自体が嫌いってことだったの!?私がそう思っていたら、疾風が思わぬことを言う。
「あの建物が、だろ?」
翔くんは大きく頷いた。…離れ自体が、キライ…?
「あんな建物、いらないよ。あれが一番キライ。あれを作ったおっちゃんもキライだ」
「ねぇ、翔くん!どうしてそんなに、あの離れを…」
川内さんが聞く。翔くんは何も言わない。
「俺の口から言ってもいいか?」
急に疾風がそう言った。疾風は、そんなことまで分かっているの?
「兄ちゃんに分かるのかよ!!」
「やよいちゃんの事じゃないのか?」
疾風がそういった瞬間、翔くんは身を震わせた。そして一歩後ずさる。
「えっ、疾風…どういう事?」
「この比等鷲島の位置関係を思い出せば分かる。島の真北に教授の離れがある。そして島の真東にあるのが翔くんの家だ。ところで美寛、教授の家のベランダから子鷲島が見えたよな?どっちの方角に見えたか覚えてる?」
「え?え〜っと…確か、北西だった気がする」
「そういう事さ。子鷲島と教授の離れと翔くんの家の位置関係、分かっただろ?」
「えっと…あっ、つまり、3つは一直線上に並んでいるって事?」
「ああ、そうさ。そして翔くんの家には、灯台みたいに照明がついていた」
「それが何か意味を持つのかね?」
「ええ、先生。…きっと、モールス信号です」
モールス信号?
「船の勉強をしているってことは、それくらい知ってるんだろ?つまり、翔くんはこっちの島にいる間…」
「もしかして…モールス信号でその、やよいちゃんと交信していたって事?」
そういえば…あのやよいちゃんと翔くんが子鷲島で話していたとき、何かが壊れて使えなくなった、って言っていたような…。
「まぁ、モールス信号じゃなくても…ほら、『未来予想図U』みたいな例もあるし…特別な合図を二人で決めて、明かりを使って交信していたんだと思う。教授の離れが建ったのは…今年の夏から半年掛かりで作ったって言っていたから…今年の冬か。そして翔くんは毎年この春先に比等鷲島を訪れている。ちょうど今年から、2人の交信は途絶えた。教授の離れのせいでね」
「まさか…そんな事で!!?」
川内さんが驚きの声を上げる。
「川内さん…普通の人にとっては全く下らないことに見えても、当人にとっては本気のことです。肩がぶつかっただけで、車の運転中にクラクションを自分に鳴らされたと勘違いしただけで、人殺しが起きた事だってあるでしょう?これだって、ドライにいえばそういう事です」
疾風は翔くんに向き直った。
「翔くん、君はどうしたい?」
「別に」
翔くんはそれだけしか言わない。私がもっと話を聞こうとしたときに、翔くんは再び口を開いた。
「ただ、1つ知りたい」
「何を?」
翔くんは冷たく、私たちに言い放つ。

「どうして人を殺しちゃいけないの?」

「な…翔くん、君は何を…」
「あんなやつ、どうして殺しちゃいけなかったの?別にいいじゃん…殺しても」
先生は身じろいだが、すぐに取り繕って言う。
「翔くんは、自分の前で人がうめき声を上げて倒れるのが、生理的に嫌じゃなかったのかな?自分の目の前で鮮血がほとばしるのが、生理的に嫌じゃなかったのかな?」
「別に」
翔くんの声はそっけない。川内さんが、今度は声を上げる。
「翔くん、あなた、法律で人を殺しちゃいけないって書いてあるのを知らないの!?」
「川内さん、ダメですよ。そんなことを言ったら、法律がない縄文時代や…失礼な言い方だけど…未開の部族では、人を殺していい事になる。確かに、だから現在の日本では人を殺しちゃいけない、とはいえるけど…法律はあくまで後付の理由で、根本的な理由じゃない」
疾風がその考えを否定した。
「姉ちゃんは?どうして?」
翔くんは私に聞いてきた。私は、正直に答えることにした。
「あのね、翔くんが教授を殺したのは…自分とやよいちゃんの仲を引き裂かれたみたいに…つまり、自分と恋人の中を邪魔されたから、ってことでしょ?」
翔くんは小さく頷く。
「う〜ん…正直言うとね…その気持ちは、分からないわけじゃないの。私も、私と疾風の仲を引き裂こうなんて女の子が現れて、その子があんまりしつこく疾風に付きまといでもしたら、殺しちゃうかもしれない。…でもさ」
私は顔を上げて、翔くんのほうを見る。
「殺される人も、誰かに愛されてるんじゃないのかな」
「あのおっちゃんが?誰かに?」
翔くんは吐き捨てるような口調で言う。私も粘り強く、翔くんに話しかける。
「そう。今日、円さん…教授の奥さんと話していたけど、円さんは、本当に教授のことを愛しているのよ。翔くんが自分たちの恋仲を引き裂いたからって教授を殺して、それがいいことだっていうのなら、円さんが自分たちの恋仲を引き裂いたからって翔くんを殺してもいい事になる。でしょ?翔くんは、円さんには殺されても文句言えないの。本当にそれでもいいの?」
翔くんの手は少し震えていた。
「…じゃ、誰にも愛されていない人なら殺していいの?」
「う〜ん…ドストエフスキーの『罪と罰』っていう本で、そういう人を殺してもやっぱりつらいっていう事にはなっている。でも、それは正直私には分からないな。でもさ、この世の誰にも愛されていないなんて断言できる人、そうそうこの世界にはいないよ。…それに、少なくとも教授は、絶対違う」
翔くんの様子が変わってきたのを、私は感じていた。なんだか揺れ動いている感じ。
「翔くん…答えにはなっていないと思うけど、俺の考えも教えておいてやるよ」
最後に疾風が、口を開いた。
「…なに、兄ちゃん」
「わざわざ目に見える形で人を殺す必要ないだろう。俺たちはいつも、多くの生命を奪いながら生きている」
「…え?」
この言葉に驚いたのは翔くんだけではない。周りで聞いていた私たちも、驚いてしまった。
「だってそうだろ?例えば翔くんが鷲にやるエサに使う肉だって…もとは生きてる豚なりニワトリなり、だろ?間接的にではあるけど、翔くんはその命を奪って生きていることになる」
「でも、それは人間じゃ…」
「じゃあ人間の例を挙げようか。子鷲島と同じような、医者が1人しかいないような島で、誰かが骨折したとかいって治療を受けていたとする。その間、医者はその人にかかりっきりだ。その間に別の人が、もっと重傷で、でも医者の手が空いていなかったばっかりに死んでしまったらどうする?死んだ人の家族は、『あいつが骨折なんかで医者に治療を頼むからだ』って思わないか?骨折した人が、間接的に、その人を殺した…」
「で、でも疾風!そんなのはお門違いの…」
「もちろんそうだとは思うよ。だけど…責任が全くないって、言い切れる?俺たちが知らないところで、俺たちが原因で誰かが死ぬことはない、なんて言い切れるか?俺たちはそうやって、常に誰かを蹴落として、誰かに命を奪わせて生きている。…そんな殺し合いの世界に生きていてさ、自分の目に見える形で人を殺すなんて…そんなこと、わざわざする必要ないと思わない?」
「でも、そんなの…!」
「ああ、違ってると思うよ。…ただ」
疾風は優しい口調で言う。
「今俺以外の3人が言ったことは、少なくとも全部間違いじゃない」
「…え?」
「だから、翔くんが一番楽になるのを選んでいい。どうせ『どうして人を殺しちゃいけないか』なんて問に、正しい答えなんて見つけられない。何も変わらないのさ。だったら、一番気が楽になる答えを選んでいいと思う。単純なのは城之内先生の考え。これはどの時代でも通用するだろ?逆に、今の社会を前提として捉えるなら川内さんの答えでとどめておけばいい。俺みたいに、そこより深いところを探る必要はないよ。…どっちもありきたりで納得できないなら、ちょっとファンタジックな答えが欲しいなら、美寛の考えを選べばいい。…とにかく、自分の想いと合うものを選びな。どうせ正しい答えなんて、ないんだから」
翔くんは俯いた。暗闇に紛れて、その顔の表情はうかがい知ることが出来ない。草むらから一羽の鷲が飛び立ったそのとき、急に幾筋かの光が私たちを照らし出した。
「警察のものだが、殺人事件というのは…」
彼らの前に、影が1つ進み出る。。その影は…翔くんのものだった。

「俺が…やりました」


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