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そらのうた


第二羽

翌朝、私たちの家の前に7人乗りの大きな車が止まった。後部座席から浅黒い肌の男性が降りてくる。助手席の窓が開いて、運転席に座っている色白の眼鏡をかけた女性が見えた。彼女が明るく声をかけてくる。
「あっ、雅ちゃん!」
「由里ちゃん、お久しぶり〜」
私はその女性を見る。身長は座っているから分かりにくいけど、私と同じ150センチ前半だろう。おかっぱ頭で肉付きのいい女性だった。彼女がお姉ちゃんの友達の、南由里さんね。
「おぉ…あんたが、雪川さん?」
道路に降り立った男性が驚いた様子で声をかける。ちょっぴり頬が紅い。お姉ちゃんは彼に、いつも通りの優雅な微笑みをしてみせた。私はその様子をぶすっとして眺める。基本的に、お姉ちゃんの隣に立つ女性は存在が霞んでしまうので損だ。ムカツクことに、それは私も例外じゃない。
「はい、そうです。谷在家さん、よろしくお願いします」
お姉ちゃんから軽い説明は聞いていたので、私は戸惑わずに目の前の男性を見る。彼は谷在家昌文。2年間留年しているので現在24歳だそうだ。そのため民俗学科では「長老」的な扱いらしい。ウォールクライミングを趣味としていると本人が言うだけあって、見るからにスポーツマンという感じの男性だった。言い方は悪いけど、確かに留年しそうな感じも漂わせている。
「え、ええ、よろしく。で、後ろの2人が…」
「はい、この子が美寛ちゃんで、私の妹。こっちの子がハヤ君で、美寛ちゃんの彼氏」
谷在家さんはお姉ちゃんに見とれていて、私たちにはあまり興味がない感じだった。私たちは挨拶を済ませると、車に乗り込む。見送りにはパパが現れる(ママはまだ寝ていた…)。
「雅、美寛、気をつけてな」
「は〜い」  「疾風がいるから大丈夫だよ、パパ」
パパはちょっぴり疾風のほうを見る。疾風は軽く、でもしっかりと頷いて見せた。あ、私と疾風が付き合っていることは、パパも知ってるからね。
「よし、じゃあ行きましょうか」
車は静かに走り出す。まずはS県まで数時間のドライブ。尾鷲教授たちとはS県内の港町で待ち合わせているらしい。車内では谷在家さんと由里さんと私のおしゃべりが中心だった。お姉ちゃんはいきなり寝始めてしまったし、疾風は元から初対面の人と和気あいあいと話すタイプじゃない。疾風にしてはがんばって喋ってくれた方だったけど、私からしてみれば全然、って感じだった。でもその頑張りは評価してあげるね。そろそろ目的地に着くというときに、話は民俗学っぽい内容に入っていった。
「そう言えば、お2人って卒論、書いたんですよね?」
「うげ、いきなりそんな話かよ」
私の質問に谷在家さんが舌を出す。言葉とは裏腹に目は笑っている。
「うん、書いたよ。私は折口信夫あたりから入って…って言っても分からないよね」
私も疾風も大きく頷く。お姉ちゃんは…頷くように舟をこいでいた。後で知ったけど、このシノブさんは男性らしい。
「ま、日本の研究者たちの足跡をたどっていった感じかな」
「へ〜…谷在家さんは?」
「俺か?聞くな聞くな、もう自分でもテーマは忘れちまった」
「それは無いでしょ、あんなに締め切りギリギリまで粘った人が」
「うるせぇ、俺は過去の汚点は水に流すタイプなんだ」
谷在家さんは笑う。そういえば、と疾風が切り出した。
「その尾鷲教授でしたっけ?その人は何を研究しているんですか?」
「ん、教授か?教授は、俺たちが今から行く島…つまり教授の地元だな…に伝わる民間伝承を研究してる」
「民間伝承、っていうと…」
私の問いかけには由里さんが答えた。
「その島に残っている御伽噺みたいなものよ。卑近な例で言うと、岡山県の桃太郎伝説、とか」
「ゲームの方じゃねぇぞ。電鉄、でもねぇからな」
谷在家さんは笑う。
「確かに、島になると特に民間伝承って多そうですよね」
私は言いながら、竹取島のことを考えていた。もちろん、私たちの現実にはこの島は存在しない。
「そうそう。俺たちも詳しくは知らないが、名前どおり鷲関連の民間伝承が残っているらしい」
私はここまで来て、唐突に思い当たった。普通、文系の大学生は卒業論文を書くはずだ。
「そういえば、由里さん…」
「どうしたの、美寛ちゃん?」
「お姉ちゃんって、一体何の卒論を書いていたんですか?一応書いてるんですよね?」
「え〜っと、確か平安時代の女流文学がどうこう言ってた気がするけど」
それは初耳だ。意外にお姉ちゃんも真面目な卒論を書いていたらしい。昔私の友達が言っていたみたいに、「源氏物語こそ今の日本で見られる“萌え”の原点だ」とか書いたのだろうか。私がそんなありそうにもない物思いに耽っている時、私たちの眼前に青い海が見えてきた。

「…お〜し、ここだここだ」
由里さんが車を止め、谷在家さんは車から降りた。潮の香りが漂っていて、目の前には一面の海が広がっている。今日は3月上旬にしては暖かくて、コートも要らないほどだった。
「お姉ちゃん、着いたよ!」
私はお姉ちゃんの頬をグイグイつまむ。経験的に、これくらいしないとお姉ちゃんが起きないことは知ってる。
「美寛…ずいぶん乱暴な起こし方するね」
「ふ〜ん、じゃ疾風はビンタで起こして欲しい?」
私は思いっきり笑顔で言う。疾風はすぐに視線をそらした。
「…ん…あ、みひろちゃん、おはよ〜」
お姉ちゃんはのんきに起きだしてきた。由里さんも近づいてくる。
「もう、雅ちゃん、寝すぎだよ。これで船の中でも寝るんでしょ?」
「うん、たぶん」
「よぉ、起きたかい?」
谷在家さんも近づいてきた。
「船は来てるんだがね、肝心の教授がまだみたいなんだ。しばらく待つことになりそうだが…とにかく、俺たちの荷物だけでも船に入れよう」
「そうね、そうしましょう。…あ、教授が来ないうちに、3人にちょっと忠告」
由里さんは私たちの方を見た。
「教授に民俗学に関する質問をするときや教授の民俗学の話を聴くときは、覚悟を決めてね」
「えっ、どういう事ですか?」
「それだけ話が長くなるってことよ」
ああ、なるほど。それは心に留めておいたほうがよさそうね。私たちは荷物を持って、船へと近づく。これはきっと、個人所有のクルーザーだろう。やはり教授にもなると、こういうものが買えるのだろうか。そこにいたのは1人の男性と、1人の男の子だった。おそらく親子だろう。特に目元がよく似ている。
「あんたらか、尾鷲さんの大学の学生ってのは」
お父さんの方が話しかけてくる。無愛想な話し方だった。どうも感情の表現が苦手らしいが、それが逆に彼の誠実さを物語っている気がした。
「俺は鷲戸要。尾鷲さんの家で働いている。こいつは、せがれの翔」
「こんちは!」
翔くんが元気に挨拶する。…それにしても、私はさっきから2人の服が気になっていた。2人の服には服とは別に、腕を覆うように厚手の布が巻かれているのだ。どうしてだろう?これがこの地方の漁師とかの格好なのかな?
「しばらくお世話になります」
私たちを代表して谷在家さんがそう言う。
「教授の奥様はお元気ですか?」
「ああ。今は先生も来ているから」
先生?…その時、後ろの方で車が止まる音がした。白い軽自動車。その中から男女が1人ずつ降りてくる。
「教授!!」
谷在家さんと由里さんがそろって口にした。あの人が教授なのか…。
「いや、すまんね、諸君。少々遅れてしまって」
眼鏡をかけた白髪の男性だった。体はでっぷりと太っているが、増加博士のように杖はついていないし、地響きもしなかった。スーツを立派に着こなしてはいるものの、体格がこれではどこか滑稽な感じを受けてしまう。私は19世紀のアメリカの、独占を痛烈に批判した風刺画を思い出して苦笑した。独占企業の社長たちはいずれも、体がお金のたっぷり入った袋になっていて、議会席にどっかと座っている。その議会席に書いている標語は、「一般人入室お断り」と「独占の、独占による、独占のための政治」。
「おお、鷲戸君。君もわざわざご苦労。船は出せるかね?」
鷲戸さんはその言葉に軽く頷いた。
「荷物は?」
「私はこのカバンだけじゃ。彼女の分を頼む」
そういえば、教授の隣にいるこのおばさんは誰だろう?厚化粧でよく分からないが、たぶん50歳はすぎているだろう。しかしスタイルは50代というほど小太りでもなかった。外見だけで判断すると何だかフェニミストっぽそう。それにしても、教授の奥さんは島にいるらしいのに…?みんなの視線に気付いてか、教授が慌てて説明をする。
「ああ、紹介が遅れた。彼女はS県立博物館の館長、センダイくん。センダイとはいうが、宮城県の仙台市ではなくて鹿児島県に昔あった川内市の字を書く。今回、子鷲島に伝わる話を聞きたいというので一緒に来てもらった」
後で聞いたところ、川内市は2004年に合併し、薩摩川内市になったそうだ。知らなかった…。だいたい私たちのように東日本に住んでいると、西日本の地理はよく分からない。特に近畿地方を越えて、山陰地方や九州地方に行ってしまうと…って、これは私だけかなぁ。鹿児島県といえば、私の頭にはミステリ関連で「双面獣事件」とか(この作品をミステリと呼ぶかはみんなの判断に委ねるね)「開かずの扉」の咲さんの出身地、とかいったことしか出てこない。
「よろしくお願いします」
川内さんは丁寧に頭を下げた。鷲戸さんが後ろを向きながら言う。
「よし、行くか。船にトイレは無いから先に行っといてくれ。一応子鷲島で休憩はするが、1時間は降りられないぞ」


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