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そらのうた


第三羽

ひとまず子鷲島へ向かう一行。鷲戸要は舵を取っている。雪川美寛と鷲戸翔は甲板に出て話をしている。尾鷲正は月倉疾風と川内一香を相手に熱弁をふるっている。南由里は船酔いに苦しんで休んでいる。谷在家昌文は眠ってしまっていた。雪川雅も…先ほどの宣言どおり…眠っていた。ここでは甲板と船内の様子を交互に見ていくことにしよう。

「ふ〜ん、じゃ姉ちゃんは、あのキレイなお姉ちゃんの妹なの」
翔くんは「キレイ」を強調して言う。
「ふん、似てないって言いたいんでしょ」
「まぁねぇ」
疾風相手なら即殴っているけど、さすがに初対面の男の子なだけに、そうはいかない。わたしはぐっと拳をこらえる。しかも翔くんは10歳(つまり今は小学4年生)だそうだ。細身で、背の高ささえなければ小学校低学年にも見えかねなかった。
「あれ、小学4年生ってまだ3学期終わってないんじゃないの!?今日は日曜日だからいいけどさ」
「俺?俺はトクベツ」
「特別?どういう事よ?」
「俺、父ちゃんにワシショウの訓練してもらってるから。それだったら学校休んでいいって決まりがあるんだ」
私は聞きなれない言葉に戸惑う。
「へ?ワシショウって、何?」
「後で教えてやるよ」
翔くんはニヤニヤしながら答える。…む〜っ、タチの悪い子だ。
「姉ちゃんも、島に着いたら俺のいう事を聞けよな。大鷲さまに祟られるぜ」
「えっ、大鷲さま?…祟られるって…何よ、それ?」

「じゃあ、まず基本的な伝承の話をしておこう。おや、君も聴くかね?」
そう尾鷲教授は切り出した。横にはメモを持った川内さんが控えている。俺は…さっきの由里さんの忠告もあることだし…覚悟を決めてから席に着いた。
「うむ、聴き手は多い方がいい。では始めよう。川内くんは、大鷲さまの話は知っているのだろう?」
「もちろん多少は心得ております。しかし、私に記憶違いがあってもいけませんから、ぜひ最初からお願いします。それにこちらの…」
川内さんは俺のほうを見る。それぐらいなら、いくら他人でもその視線で何を求めているのか分かる。
「月倉です」
「月倉さんは、ほとんどご存じないでしょうし」
「うむ、分かった。では始めるかの。元来、日本と離れた環境にあった子鷲島と比等鷲島には、独自の風習が明治の頃まで残っていたとされる。元来日本でもこのような制度はあっただろうが、さすがに明治期までとなるとそうそう存在するものじゃない。本当に古来のものが、近代まで続いていた、というわけじゃな。この風習は、アステカ文明と相互に影響を与えあったと考えてみるのもいいかもしれん。何せ縄文時代の人間が、船によって現在のペルーまで行ったとする説もあるという。それを考えると、あながち両島は日本より中南米と交流があった、と言えなくもないんじゃ。もっともそんな歴史学的な考察は、今はよかろう。世界史に関しては私も疎いからな」
教授はほっほと笑う。
「ええ、そうですね。それで…つまり?」
「うむ、両島に独自の制度、それがつまり生贄じゃな。漂流などで偶然その両島にたどり着いた部外者を、生贄に捧げたのじゃ。もちろん島内の犯罪者も同じ目にあわせていたのだろう」
「これは何のために?」
「アステカ文明では太陽の神に、戦争の相手国の捕虜を捧げることで豊穣を祈ったとされておる。同様に、島であることから豊漁を祈ったと考えるのが自然だな」
「でも、それだけならどこにでもありそうな気がしますけど。要は生贄を使った祈りでしょう?」
俺の質問に教授は目を輝かせた。
「そうだ、月倉くん。これだけならどこにでもある。民間伝承の面白さは、その地方に独自の発想・伝説が加わってくるところにあるからの。この子鷲島・比等鷲島の場合、それが大鷲さまなのじゃ」
大鷲さま…。何となく、嫌な響きだ…。
「両島の伝承では、この祈りの方法がかなり残酷なのじゃ。古代、秦の時代の中国にも劣らない。しかしその前に、大鷲さま自体について話さねばなるまい」
教授は姿勢を正した。
「島に伝わる伝承によると、昔現在のS県の遥か南に大きな光とともに一羽の鳥が舞い降りたという。これが大鷲さまじゃな。一部では朱雀ではないかという説もあったが、年代的に朱雀ではなかろう。ある文献の指し示す年代が…この文献の記述を信じることが前提だが…どうも日本に朱雀などの概念が伝わる以前であったことを示しておる。そして、その大鷲さまが自分の羽根を休める場所を作ろうと、ある場所の周りを何度も何度も旋回したというんじゃ。そのときに落ちた羽が集まって、現在の子鷲島は作られたという」
「…?つまり、最初は子鷲島しかない…つまり比等鷲島は存在しなかったのですか?」
「そうなる。大鷲さまはしばらくその場で過ごしていた。しかしそこに人間たちが流れ着いてきたというわけじゃな。あるとき大鷲さまは、遠くの地へと旅に出た。人間たちは、大鷲さまの飛び立っているうちに流れ着いたようじゃ。大鷲さまが帰って来たときには人間たちが家を作り、すでに生活をしておった。大鷲さまはたいそうお怒りになった。多くの鷲を放ち、人間たちを生きたまま啄ばませ、殺していったという」
川内さんはそこで息を呑む。
「人間たちは恐れおののいた。そこで大鷲さまを神として祭ることにしたのじゃ。まず人間たちは何年も何年もかけて、子鷲島にあった、たった1つの山を切り崩し、自分たちの島の海岸線をも切り崩して、近くの海に運んで新たな島を作ったという」
「じゃあ、それが…」
「そう、比等鷲島じゃ。この島が、大鷲さまが新たに羽を休める場所じゃな。しかし、大鷲さまの怒りはこれだけでは静まらなかった。つまり、生贄の要求じゃな。自分と、自分が放った鷲たちのための生贄を要求したのじゃ。人々はこれにも従った。優先的に漂流者のような部外者や犯罪者を選んだ理由も、おそらくここにあるのじゃろう。できるかぎりの種…というよりも家の保存じゃな。どうじゃ、月倉くん。生贄の処刑法が分かったかね?」
「…死体を、鳥に食べさせる…?」
「大正解じゃ。生きながらの場合もあったし、太陽光で焼けて、言葉は悪いが丸焼きの状態になっていた場合もある。しかし、その方法はまさしく生贄じゃ。無数の鷲たちに、その体を啄ばまれて果てていくのじゃからの…もっとも、一部の部族には鳥葬の習慣もあるようじゃが。例えばゾロアスター教では鳥葬が行われるが、あれは教義に従えば死者を天国へ導くためじゃ。生贄とは訳が違う。まぁ、とにかくそのためか、島の連中は比等鷲島には近づかん。不用意に近づくと己の体を啄ばまれる、と信じているのじゃ。ただし鷲匠は別じゃ」
「鷲匠?」
聞きなれない言葉に、俺は思わず聞き返す。

「ふ〜ん…」
「あれ、姉ちゃん、あんまし怖がらないね」
「だってシンデレラってそうじゃない。今は書きかえられてるけど、昔は最後にシンデレラをいじめていた姉たちが、燕かなんかに生きたまま目をえぐられるんでしょ?」
私は内心の驚きを隠すように言う。本当は胸がドキドキしていた。幸い翔くんには気付かれなかったようだ。
「げっ、そうなの!?うへぇ」
「でも、だとすると何で翔くんも翔くんのお父さんも、比等鷲島で生活してるのよ?島の人は近づかないんでしょ?」
「だから、俺たち鷲匠だっていったじゃん。鷲匠、ってのは…神社の巫女さんと似た感じ」
「大鷲さまに仕えてる、ってこと?」
「おうよ。だから俺たちは平気」
翔くんは胸を一度叩いてから話を続ける。
「鷲匠は鷲とともに生きるからね。現に父ちゃんは普段、比等鷲島で暮らしてるんだ。で、鷲たちの繁殖や子育てが終わった今の時期が一番、鷲は素直に鷲匠のいう事をきく。だから、俺も普段は子鷲島にいるけど、春が近い今の時期だけは比等鷲島に渡って、一人前の鷲匠になるための訓練をするのさ。俺ももう一人前に近いんだぜ」
「そっか。でも大鷲さま、人間キライなんじゃないの?人間が仕えて平気なわけ?」
「えっとさ、そのうち、大鷲さまも人間たちと共存しようとするようになったのよ。いくら脅したとはいえ、ちゃんと生贄も手に入るわけだしね。豊漁でも起こしてやって、人を出来るだけ長く子鷲島にいさせたほうがいいって考えたわけ。でもここで困ったのが、自分の言葉を人間に伝えられない」
「ふ〜ん。で、どうしたの?」
「その時、大鷲さまの子分の鷲の1羽が、島の人間の1人に懐いちゃったんだ。で、その1人と1羽だけは言葉が通じた。それが鷲匠の始まりだって言われてる。つまり鷲匠が子分の鷲から大鷲さまの言葉を受けて、人間とのパイプ役になるわけ」
「…ところでさ、教授の奥さんは?今、鷲匠が島にいないのに平気なの?」
「家に閉じこもってる限りは平気。いくら鷲でも、人の家の壁までは食べられないさ。でも、鷲匠と一緒にいないときに外に出ると大鷲さまに祟られて、島の鷲たちに生きたまま肉を啄ばまれるぜ。気をつけなよ」
「へぇ…」
私の心の中に、一抹の不安が芽生え始めていた。天を翔ける無数の鷲が、私たちの体を啄ばんでいく…?何か、私の想像していた南の島とはイメージが全然違っている。その時、翔くんが身を乗り出した。
「おっ、あれあれ!あれが子鷲島だよ!」

「つまり、大鷲さまに仕える鷲匠を除いて、島の人は比等鷲島には近づかないという事ですか」
「ああ、そうじゃ」
「だったら…」
疑問が残る。俺はそのことを教授に聞いてみた。
「教授の奥さんは鷲匠だってことですか?」
「いや、違うが…」
「だったら、大丈夫なんですか?聞いた話によると、今奥さんは比等鷲島に住んでいるんですよね?鷲匠ではないのに比等鷲島に留まっていても…それとも奥さんは、例えば子鷲島の出身ではないなどの理由で、その話を信じていないのですか?」
教授は目を閉じた。
「ふむ…月倉くん、君はなかなか鋭い。谷在家くんよりセンスがあるの」
そういって教授は笑う。当の谷在家さんは…目を覚ます気配はなかった。
「実はな、今までの話は単なる定説にすぎん」
「えっ?」
単なる、定説…?川内さんも驚いた様子で聞き返す。思わず彼女の手からはペンが転がり落ちていた。
「い…今までの話がウソだと?」
「ウソ、というわけではない。一部には真実も含まれているじゃろう。しかし大部分は後の人間による創作だ、と私は見ておる。その証拠に、なぜ神と人間が共存しておる?古事記などの日本の神話に、神は大勢出てくるじゃろう。しかし、その時代に同時に人間が出てきたことがあるかね?例えていうなら、キリスト教でまだ神が天地創造をしておる時に、既に人間が共同体を作って生活しておった、ということになる。これは明らかに不自然じゃ」
「た、確かに…。でも、でしたらなぜ創作が行われたのです?」
「財宝と考えるのは、子どもじみておるかね?」
「え?」
川内さんはただ目を丸くした。
「当時の地元の名士…しかもおそらく鷲匠じゃろうな…が、そこに財宝を隠したとする。しかし、このままでは見つかりかねない。そこで古文書などをでっち上げて、このような歴史がある以上、鷲匠以外の人間は比等鷲島に近づいてはいけない、と騙ったとすればどうする?日本の識字率が飛躍的に向上するのは江戸時代の後半頃だ。それまでにこの御託宣が行われたとすれば、当時の庶民は信じるより他にあるまい」
「つまり、大鷲さまは伝説として存在するだけで、祟りなどありはしない、と?」
「ふむ、月倉くん、そういうことじゃ。確かにあそこにはシカバネワシという島特有の鷲が住んではおる。そしてその鷲の外見には、確かに少々嫌悪感を催すかも知れんが…。しかしだからこそ、おそらく昔の名士も、そこに気がついてこのような大それたストーリーを作り上げたのじゃろう。ストーリーが壮大であればあるほど、人は騙されやすいものじゃ。それから、鷲匠も今では祭礼などで鷲を操るために存在しているに過ぎない。つまり、鷲匠に大鷲さまに祟られないような特殊な能力、資質があるわけではないのじゃ。だからこそ、私はあの島に家と離れを作り、円を住まわせておるのじゃ。自然だけは雄大で、病にも良いと思ってな。とにかく、大鷲さまの祟りなど、ありゃせんよ」
「そして財宝を探している…?」
「今は探してはおらんよ。古文書のような手がかりが全く無いからの」
教授はおおらかに笑う。…つまりそういう文献が手に入れば、宝探しを始めるという事か。そう俺は邪推していた。その時、教授が立ち上がった。その視線は窓の向こうにある。翔くんと話している美寛の姿も見えた。
「お、島が見えてきたな。あれが子鷲島だ」
確かに、俺たちの前方に島が見えていた。空にはカモメのような鳥の群れ。きっとあれが、シカバネワシなんだろう。この船の上をゆっくりと旋回し続ける…嫌な群れ方だ。しかし…民間伝承なんてそんなものだろう。祟りも、教授には悪いが財宝も無いだろうな。…むしろ、そうあってほしいと、俺は何故か強く思っていた。


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