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そらのうた


第五羽

数十分の航海を経て、私たちは比等鷲島に降り立った。この島の上でも、やはり多くの鳥が飛んでいる。意外にも整備された小さな港で、しかも道路のように踏み固められた筋が一本通っている。
「この跡は、この島の建物を作るときに業者が何度も通ったために、自然と出来た跡じゃ。この小さな港も、業者が物資を運搬しやすいように急ごしらえで作ったものじゃ。急ごしらえにしてはいい出来じゃろう?」
私たちは船から荷物を出す。思いのほか荷物は多かった。最後に鷲戸さんが出てくる。
「おい、翔!やってみろ」
「任せとけ!」
鷲戸さんは翔くんに袋を手渡した。翔くんは私たちの前に立つ。
「姉ちゃんたち、危ないから下がっとけよ!」
翔くんは袋の中のものをごそごそと波止場に落とした。これは…焼いた鶏肉?翔くんはすぐさま、口笛を吹く。
「何だ?一体、何が起こるんだ…って、うおっ!?」
「きゃっ!!」
谷在家さんや由里さんが口々に驚く。私も疾風も、その光景にあっけにとられていた。
「わ…鷲が…」
波止場に何匹もの鷲が降り立ったのだ。ある鷲は波止場にまかれた鶏肉を啄ばみ、またある鷲は翔くんの腕のところに乗っている。…そうか、あの分厚い布!自分の腕に止まらせる時、腕を傷つけないようにするためのものだったのか。確か鷲や鷹はもちろん、フクロウなどでも握力は人間の何倍もある。
「鷲匠って、つまり…鷹匠の鷲バージョンってことなのね…」
「ああ。…ナコルルみたいだな」
翔くんは鷲たちを手なずけていた。今改めてこの鷲を見ると、白黒のまだら模様をしている。それは、まるで…。
「骨、みたいだね…」
「ああ…近くで見ると、何だか気味が悪い鷲だな。そういえば教授が、この鷲はシカバネワシだって言ってた」
私と疾風はささやきあった。それにしても、シカバネワシだなんて…物騒な名前だ。こんな鷲に自分の肉を啄ばまれるなんて…確かに生贄にとっては、これ以上の恐怖はなかったに違いない。まるで、今から自分が目の前の鷲たちと同じような姿になる…その暗示のように思えてくるのではないだろうか。私たちの横を、短い綱を何本も持った鷲戸さんが通り過ぎていく。
「よしよし、いい子だな、お前ら。…おい、翔!荷物に綱をかけろ!」
「了解!」
翔くんは鷲たちの足に綱をくくりつけ、反対側に荷物の取っ手の部分をくくりつける。あっという間に、私たちの全ての荷物に綱が…そしてその先に鷲がくくりつけられていた。川内さんの大きな荷物には2匹。他の荷物にはそれぞれ1匹ずつの鷲が結ばれている。翔くんは低く口笛を吹いた。先ほどとは微妙に音色が違う。その口笛を合図に、急に鷲たちが低く飛び上がる。
「えっ、えっ?これって、まさか、教授…」
「『鷲の行進』じゃよ」
鷲戸さんと翔くんに前後を挟まれる形で、鷲たちが荷物を持って、きちんと行列をなして進み始めた。すごい…。
「この島の鷲たちは、シカバネワシという」
教授が説明を始める。
「もちろん骨のような外見がこの鷲の名の由来じゃ。見た目には獰猛そうに見えるかもしれんが、この島に住むシカバネワシはとても利口での。訓練された鷲匠の言う事であれば、たいがい素直に聞くんじゃよ。しかもシカバネワシには昼夜の別がない。昼でも夜でも、焼いた肉をエサに鷲匠が呼べばやってくるんじゃ。鷲戸君の手にかかれば、あの通り…鷲に荷物を運ばせることも可能じゃ。ここに家を建てるときには、あの鷲たちは資材を運ぶのにも一役買ってくれたのじゃぞ。…まぁ、鷲匠がいなくても人を襲うことはないから安心しなさい。要は鷲匠にしか扱えない便利な道具、程度の認識で大丈夫じゃよ。さて、行こうかの」
そうか…それで鷲戸さんは子鷲島で、「この島なら人手がいる」、つまり比等鷲島では荷物を運ぶのに人の手は使わないって言ってたのか…。借りるのは鷲の手(あれは手じゃなくて足かな?)というわけか。
「しかし、すげぇなぁ」
「ほっほ、谷在家くん、これだけで驚いてもらっちゃ困るぞ。何せこの島にはさらに驚きのものがあるんじゃからな」
「えっ!?教授、何ですか、それ?」
教授は軽くチッチと指を振る。
「もうすぐ見えてくる。それまでは秘密じゃ」
「思わせぶりですね。そんなにすごいものなんですか?」
由里さんの問いかけに教授は軽く頷き、歩き始めた。私たちも歩き出す。列は鷲戸さん、鷲たち、翔くん、教授と川内さん、由里さんと谷在家さん、そして私と疾風とお姉ちゃんの順だった。
「本当に自然って感じだね〜」
お姉ちゃんの声がする。本土にいるときよりは、ちょっぴり肌寒さを感じる風が吹き渡っている。私はちょっぴり後悔していた。く〜っ、お姉ちゃんの「南の島」って言葉に騙された。考えてみれば比等鷲島は「S県の南」の島、ってだけであって、ハワイやグアムのような常夏の楽園じゃない。よかった、水着を持ってきたことを疾風に言わなくって…。
「何だありゃ!?」
私の考えは、谷在家さんの突然の言葉でかき消された。すぐに疾風の声もする。
「美寛…あれ、何だ?」
言われて私も右手の方を見る。ちょうど比等鷲島の中心に位置する山間が終わって、水平線が見えるところに差し掛かってきたところだった。私の右手に見えたのは…灯台?私は目を凝らす。
「変わった形の灯台だね〜」
お姉ちゃんの声がするが、私には既にあれが灯台でないことが分かっていた。どこにも海上の船に光を知らせる装置が見当たらないし、第一、建物の形が…。
「気付いたかね?」
教授がにこやかな顔で私たちの方を見る。どうやらこの建物こそ、教授の言っていた「さらに驚きのもの」らしい。
「あれが私の離れだ」
教授はその建物を指差す。その建物は…ワイングラスのような形だった。外観はシンプルなコンクリートの色で塗装はされていない。垂直にそびえる柱、その上に乗った球を真横にバッサリ切って、下半分だけを残した形。きっとそこが部屋になっているのだろう。それにしても、なんて不思議な建物…建築基準法に引っかかっていないのだろうか?まさか中村青司が建てたとか?私は前を行く翔くんに聞いた。
「ね、翔くんはあそこに入ったことある?中、どんなふうになってるの?」
「いや、俺も入ったことないから分かんない」
「それにしてもなんか、あの建物でシェンロン呼べそうですよね」
谷在家さんが笑いながら言う。教授もまんざらではなさそうだった。もっとも、教授がシェンロンを知っているとは思えないけど…。
「気に入ってくれたかね?あれこそ、私の長年の夢のひとつ…」
教授はそこで一呼吸置いた。
「実在する『空中楼閣』なのじゃ」

私たちは教授の家へ着いた。鷲たちは鷲戸さんの掛け声に合わせてゆっくりと降下し、荷物を地上へと下ろしていた。そして私たちはひとまず部屋割りなどを決め、荷物の整理などをして、教授の奥さんに会って挨拶をしてから、有志で教授ご自慢の離れへ行く、という事になった。
「急に時化ってきたの」
教授が海を見ながら言う。確かに…さっきまで穏やかだった海の様子がどことなくおかしい。
「一日ばかり、時化が続きそうだな。でもこの程度ならすぐに止む」
鷲戸さんが鷲たちの足にくくりつけていた綱を解きながら言う。翔くんは綱を解かれた鷲たちを再び空へと帰していた。私たちはそれぞれの荷物を持つ。鷲戸さんはそれを見届けると、自分の荷物を置きに帰る、翔がいるから大丈夫だろうといって、さっさと行ってしまった。
「全く、鷲戸くんも無愛想じゃのう」
先生は家の呼び鈴を鳴らした。すると、見知らぬ男性が出てきた。髭面で白髪の男性である。でも姿勢もしっかりしているし、意外に若そうだ。もしかしたら50歳にさえなっていないかも。
「おお、正さん!お久しぶりです」
「久しぶりじゃな、城之内くん。…ああ、皆、彼は城之内といって、子鷲島で暮らしている医師じゃ。円の主治医をしてくれておる」
「本土から腕のいい医者が派遣されてきたものでね。おかげで私は仕事の面でも楽をさせてもらっているよ。こうして長く、円さんの治療にもあたれるわけだ。…さ、翔くんが近くにいるとはいえ、早く入って入って」
「なんじゃ、城之内くんもまだ信じているのかね?」
教授が靴を脱ぎながら呆れた声で言う。
「大鷲さまのことでしょう?私は歴史には学がないものでね。島で長く暮らしていたこともあって、今更こればっかりは変えられませんよ」
「全く、私だって子鷲島の出身だというのに…科学的証拠がないと駄目なタチかね」
「仰せの通り。…あ、それよりも君たち、携帯電話の電源は切ってくれたかな?」
「何の話ですの?」
川内さんが尋ねる。お姉ちゃんも不思議そうな顔だ。由里さんや谷在家さんは頷いているあたり、教授の奥さんのことは民俗学科の生徒の間では周知の事実なのだろう。私と疾風は船を下りる前に電源を切っていた。教授は2人に説明する。川内さんは一瞬不服そうな顔を見せた。
「まあ!でも私、博物館からの連絡が入るかもしれませんのに…あら?」
「ん?どうしたんじゃね?」
「いえ、教授、すみませんでした。ここが圏外であることをすっかり失念しておりました。ええ、分かりました」
「あ、電波が通じる人がいれば…そうだな、正さんの離れや港あたりまで離れてくれれば使っていいからね」
私たちは家の中へと足を踏み入れた。観葉植物が何箇所かにおかれている。窓から差し込む光は弱弱しい。その光の少なさを反映してか、部屋の内装も清楚な印象を通り越して、どこか儚さを漂わせていた。頷くような鷲の鳴き声が、不意に私の後ろでした。
「本当…テレビやラジオもないのね」
由里さんが思わず呟く。本当だ…テレビやラジオはもちろんのこと、電子レンジや冷蔵庫といった、今では生活必需品とさえいえる家電用品が全くない。明かりも最低限、という感じだった。なんか…教授の奥さんは、電波というか、電気そのものが苦手なのかな?それか、本来の病気は電波だけに反応するんだろうけど、それを過大に捉えて…つまり家電製品全般に対象を広げてしまったのかもしれない。
「教授、これ…ビールとか生ものとか、どうやって保存してるんすか?」
「それはの、谷在家くん。鷲戸くんの家の冷蔵庫を使わせてもらっているのじゃ。彼ら鷲匠は、鷲に与えるエサとして、食肉を多く保存しておる。そのため普通の家庭よりも冷蔵庫が大きいからの、余ったスペースを使わせてもらっているのじゃ。自転車を使えば十数分で取ってこれるしの。もっとも今の時期なら地下においておけば十分保存できるが」
後で分かったことだけど、比等鷲島は徒歩で一周40分くらいかかるほぼ円の形をした島だ。港から時計回りに約10分で、私たちの今いる教授の家。そこからさらに時計回りに10分で教授の離れ。さらに10分で鷲戸さんと翔くんが暮らす小屋がある。そして10分で港、という単純といえば単純な構造だ。港が真南にあるので、ちょうど東西南北に1箇所ずつ、目印となるものがあると考えていいだろう。ちなみに中心部には山がそびえている。高くはないが、海岸沿いに回り道をしていった方が早い。それにしても、ギデオン=フェル博士並みの体格をしている教授が乗れる自転車なんてあるのだろうか?
「私は円を呼んでくる。話もするから、ちょっとばかり遅くなるだろう。皆、その間に勝手に部屋割りでも決めてくれんか?」
空室は4つあるという事だったので、川内さん、谷在家さん、由里さんとお姉ちゃん、私と疾風で1部屋ずつ使うことになった。教授が降りてくる様子はなかったので、私たちは自分たちの荷物を部屋まで運び入れる。
「しかし、本当に何もないところだな」
「ね〜。でもそれが逆に、なんか新鮮じゃない?」
「まぁ、ね」
「あ、もしかして疾風、ゲームできないのが嫌?」
疾風は「やれやれ」って感じで両手をあげる。
「そういうわけじゃないんだけど、さ」
疾風はベッドに寝転がった。
「何て言うんだろ…ゲームをしていると、というか、幻想の世界に入ると、だよね…。少しだけ、嫌な思いとか、辛い現実とか、そういったものを忘れていられるって思う。今、不意にそういう事を、もし思い出したらさ…」
「う〜ん…ね、疾風」
私は疾風の横に寝転ぶ。
「それは分かるよ。でも、本当に大事な時にそこに逃げ込まないでね?そんなときはどっちかっていうと、幻想じゃなくって、リアルに存在する私の胸の中に、逃げ込んできて欲しいな。私、何でも聞いてあげるよ?」
「…ありがとう」
部屋の扉がノックされた。私と疾風は慌てて起き上がる。ドアの向こうに立っていたのはお姉ちゃんだった。
「あ、美寛ちゃん、ハヤ君?教授の奥さんが降りてきたみたい。ご挨拶に行きましょう」


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