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そらのうた


第八羽

ハッチを通り抜け、まず私たちはシーツを探した。もちろんこれは、教授の死体を隠すためだ。さすがにずっと死体を見ながら捜査が出来るほど、私たちの肝も座っていない。教授の死体に白いシーツをかけて両手を合わせてから、私たちは捜索を開始した。
「さて、と…まず、このラベンダーの匂いはどういう事、美寛?」
いきなり疾風が質問する。でも、これについては説明できる気がした。
「疾風、これは簡単よ。推理小説でも類例はある…香水であったり死骸であったりを使ったトリック、ね。疾風、何で女の子は香水を使うか分かる?」
疾風はその質問にちょっぴり戸惑っているみたいだった。
「え?さぁ…まさか匂いで男を近寄らせたい、とかそういう事?」
「まぁ、遠くはないよ。逆に、自分の汗のにおいとか消したいの。つまり、強い匂いは弱い匂いを打ち消せる」
「それは、そうだろうな。それで?」
「だから、この場合も一緒よ。消したい匂いがあったから、ラベンダーの匂いで部屋を充満させたの」
私は手近なサイドボードなどを捜しながら話す。もちろん、手にはハンカチを持ったままだ。ゴミ箱の中を軽く探ってみると、ラベンダーのアロマオイルが5本くらい出てきた。もちろん中身は全て空っぽだ。
「なるほど、それを撒いたって事か。…じゃあ美寛、ここまでして犯人が消したかった匂いは何?」
私は自信満々で答える。
「きっと麻酔よ」
「…麻酔?」
「そう。麻酔で教授を眠らせてから殺した、ってことが分からないようにするためね。別にたいした問題じゃないよ」
疾風は納得したような納得していないような顔をした。私はそれよりも大事な問題に考えを向ける。
「とにかく疾風、今回の事件は空中密室なのよ!!」
「空中密室、って…」
「昔話したことがある『準密室』だよ。覚えてる?」
「ああ…確か、全ての出入り口に鍵がかかった本物の密室って訳じゃないけど、現実的には出入りが不可能だから密室と変わらない…っていうあれだろ?」
「うん、そうよ。雪が降った日の離れ、とかね。今回、鍵がかかっていたのはあのハッチ上の扉だけ。ベランダの鍵もお風呂場の窓の鍵も開いてたの。でも、ここは地上10メートルくらいの高さにある。そんなとこから飛び降りて、重傷を負わないわけがないの。つまり、出ることは不可能。ね?密室でしょ?」
「確かに、ね…。で、美寛?さっきから何を探しているわけ?」
私は疾風のほうを向き直って答える。
「まずは、犯人そのもの」
「…?」
「だから、さっきも言ったでしょ?この密室から逃げ出せないなら、答えは1つ。犯人がまだこの離れの中にいる場合だよ。…でも、正直期待はしてない」
「だよな。さっきからサイドボードやゴミ箱の中を探してるもんな」
「うん…ね、先に疾風、この可能性を潰そう。この離れの中で、人間が隠れられそうな場所を全部探すの」
それから私と疾風は手を取り合って(急に襲われると困るし)、離れの中で人が隠れられそうな場所を虱潰しに調べた。しかし、やはり誰もいない。
「…さて、いない…な。次はどうする?」
「さすがに構造的に、この家に隠し通路はなさそうだし…。だとしたら、何らかのトリックを使ってこの離れを脱出したはずなの。とにかく、トリックの痕跡が何か残っていないか、それを調べなくちゃ!いい、疾風?真新しい傷とか、何か増えてるもの、無くなってるものがないかを調べるのよ!」
「だな。…さすがに両腕切られてちゃ、自殺も事故死もありえない。そういえば、腕はどこに消えたんだ?」
いきなり私が必死で忘れようとしていることを言う。
「う〜…きっと家の中には無いって!海に投げれば処分できるし」
「ごめん、想像させた?悪かった」
私はまずベランダに出てみた。ここを調べるという理由が一番大きいけど、きれいな空気を吸うためでもある。空気は何も変わらず澄んでいるが、この離れの周りを取り囲むように、鷲たちが駆け巡っている。その情景はさすがに、気分のいいものではなかった。手すりを調べるが、何も傷はない。昨日のお昼にここを出たときとの差は…鷲のフンがいっぱい落ちているくらいだった。…そういえば、このベランダの掃除などは誰がやっているんだろう?鷲戸さんだろうか。私は室内に入る。すると疾風が待ち構えていたように声をかけてきた。
「美寛…なかなかありえないことが起きてる」
「えっ、疾風、どうしたの!?何か手がかりが見つかった!!?」
「ほら」
疾風はテレビのリモコンを私に手渡してくれた。
「朝のニュースを見れば分かるよ」
私は疾風に言われるままに、テレビの電源を入れようとした。
「…あれ?」
いくら電源スイッチを押しても、テレビがつかない。これは間違いなくテレビのリモコンだし…ちゃんと電池も入ってる。これはいったい…。
「疾風、どういうこと?」
「これ、見ろよ」
疾風はテレビの裏側を指差している。私がその部分をのぞくと…。
「…あっ!テレビのコードがない!!!」
「な?これ、どう考えても異常だろ。他の家電も見たんだけど、パソコンのコードやコンポのコードも無くなってるんだ。少なくともコンポは、昨日俺たちも音楽を聴いていたんだし、間違いなく昨日までは普通だったはずだ」
「ということは、昨夜のうちに…」
「ああ、誰かが何かの目的で外したに違いない。そしてこんなもの、普段の使用者である教授が外して、しかも持ち去る理由はない」
「犯人の行動、ね。それにしても…」
疾風も腕組みをしたまま、私の言葉を引き取る。
「ああ…一体何だって、コードを引き抜く必要があるんだ?…とにかく、他に何か変化がないか探そう」
私と疾風はリビングの捜索を終え、台所へと入っていく。改めて見回すと、きちんと掃除されていて清潔感がある。フライパンだけコンロの上に出ていたが、その他の部分はモデルルーム並だ。あ、でも冷蔵庫がない。これはきっと保存の利かない食品をおく必要があまりないからだろう。私が辺りを見回していると、疾風の驚く声がした。
「どうしたの、疾風!!何かあった!?」
「美寛、逆だ!この棚、ごっそり何かが引き抜かれてる!!」
私は風呂場の前の棚を見た。本当だ…真ん中の棚の中身が、ほとんど無くなっている。残っているのはフェイスタオルに体を洗う時に使う薄いタオルか。
「ここ、何が入ってたんだ?」
「他の棚の中身を見れば、ある程度推測できるはずよ」
私は他の棚を片っ端から開けてみた。上の棚は下着に髭剃り、下の棚は詰め替え用のシャンプーやリンスに石鹸…。私は自分がお風呂に入ったときのことを思い出す。
「…そっか、バスタオルだ!!」
「バスタオル?なるほど、確かにないな。…でも、どうしてそんなものが…」
疾風は私のほうを見つめるけど、私も首を横に振るだけだった。その時…。
「みひろちゃ〜ん、ハヤく〜ん」
お姉ちゃんの声だ。私たちは慌ててハッチのところに駆け戻る。いくらシーツをかぶせているとはいえ、この惨状をお姉ちゃんに見せてしまうと、また1人気絶する人間が増えかねない。幸いお姉ちゃんはハッチの前にもおらず、その下の玄関付近で待っていた。
「あ、来た来た。一度お家に戻って、って」
私たちは素直に頷き、お姉ちゃんの後を追いながら、家へと戻っていった。もちろん、帰りながらも私と疾風の話はさっきの続き。
「う〜ん…家電のコードにバスタオル、ねぇ…」
「美寛、とにかく今は、そっちは考えない方がいい。それより、問題は密室そのもの」
「え?疾風、私は今密室の話をして…」
疾風はちょっぴり微笑む。
「違うよ、美寛ちゃん。美寛が言ってるのは密室の作り方でしょ?俺が言いたいのは、なぜ密室を作ったか」
それを聞いて、私はふと立ち止まった。
「…なぜ?」
「そうそう。美寛はいつも、密室の作り方のほうに気を取られるけど…今回の事件で密室を作る意義って何?」
「意義って…それは、現実的には発見を遅らせるため…」
「発見を遅らせても、メリットがないんじゃないの?だって今回は、教授が起きてこなければ誰かは不審がる。しかも、ハッチから血まで滴ってたんだぞ?合鍵だって母屋の方にあるんだ。それを使えば密室は難なく普通の部屋になる。わざわざ密室を作る意義が、俺にはよく分からない」
「でも、そのほんのちょっぴりの時間が欲しかったのかもしれないじゃない」
「そうかもな。…ただ、教授の死んだ時間にもよるよ。夜中に殺されたんだとしたら、夜明けまで何時間もある。その中でわずか数分が欲しい理由は?」
私は考え込んだ。確かに…そんな時間、たとえあったとしても何に使うんだろう…。
「ま、それは教授の死亡推定時刻が分かってからだよね。城之内先生に聞けば大方は分かるだろ」
「じゃあさじゃあさ、不可能性を強調して、みんなに恐怖心を植えつけるって言うのはどう?」
「…まだ殺人が続くって言いたいの?」
そっか…それは嫌だ。まして今、私たちはいわば自然の監獄に囚われている。この状況で殺人を連続させるのは、何より容疑者が狭まってしまうために実行するのは難しい。さすがにそれは推理小説の中だけでの話だ。
「ごめん、今のはナシ。…あとは、自殺に見せかける…っていうのは、今回は絶対違うよね。何せ腕が切られているんだから。あと、誰かをスケープゴートにする…のも出来ないか」
「ね?そもそもあの状況で、わざわざ密室を作る意義なんてないんだよ。少なくとも俺には思いつかない」
むう、しょうがないなぁ。私は別の話を始める。
「ね、疾風?狂言っていうのはどう?」
「え?狂言?」
「そう。実は最初に発見した時、教授は死んでいなくって、最初に見つけた城之内先生が…」
「美寛ちゃん、先生が鍵を開けてから俺たちがたどり着くまでの10分にも満たない時間で、どうやって返り血を浴びずに教授の両腕を切断するの?」
あっ…そっか、教授の両腕は切られていたんだ…。あれ?
「ね、疾風。何で教授の腕は切られていたんだろう?」
「そう…それも不思議なんだよな。腕を切らなけりゃ、自殺や自然死っていう解釈の余地が残されていたのに…1つ思いつくのはね」
疾風は目を閉じて、フッと息を吐く。
「大鷲さまの話」
「えっ?大鷲さま?」
私は驚いて疾風の顔をのぞきこんだ。空の上から、鷲の低い鳴き声がひっきりなしに聞こえてくる。
「この島を侮辱した教授に天罰を下すために、大鷲さまがやってきて、教授の命を奪った挙句、その両腕を噛み千切って、再び空へと戻っていった…」
「バ…バカなこと言わないでよ、疾風!!まさか、あれが見立て殺人だったなんて言うの!?」
「きっと俺たちがこの島に来る前に出会ったばあさんなら、喜んでそう解釈するだろうね。大鷲さまなら空も飛べるから、密室の疑問も無くなるし。ベランダの窓、鍵はかかっていなかったからな」
「疾風…まさか、疾風はそんな事…信じてないよね?」
疾風はちょっぴり笑みを浮かべる。
「当たり前だろ。そんな大鷲さまが万一いたとして、何で凶器に花瓶を選ぶ?それにコードを引き抜く理由もないし、あの傷口は明らかに刃物で切られた跡だった」
疾風はまた真剣な顔に戻った。
「きっと、全て何かの理由があって行われたんだ。でも、それが一体何なのか…これがまだ、全くつかめない。でも…」
疾風は私の右手をギュッとつかんだ。
「少なくとも犯人は、まだこの島の中にいるだろ。こんなところまで教授を自分の船で追いかけてきて殺すような、酔狂な殺人者がいるとは思えないしね。美寛…」
「なに?」
「俺のそばから、離れるなよ」
その言葉に、私は思わず疾風の胸の中へと飛び込んだ。
「うんっ!!」
疾風は決まり悪そうに私を引き離す。私が振り向くとそこには、クスクス笑っているお姉ちゃんがいた。


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