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そらのうた


第九羽

「そんな!!教授が…殺された!!?」
部屋にいた由里さんが驚いて立ち上がる。この場には、翔くんと川内さん以外の全員がいた。翔くんはまだ、家で眠っているそうだ。でも小学生の彼にこんな話をするのは忍びないし、逆に翔くんの寝坊はありがたかったとも言える。一方の川内さんは、腕無し死体が相当応えたらしく、まだベッドから起き上がれずにいた。
「まさか…あの人が……」
「円さん、お気を確かに。しかし、紛れもなく事実なのです」
城之内先生が冷然と言う。谷在家さんは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「それで、教授は一体なんだって…」
「これが言いにくい話なのだが…どうも」
先生はそこで一度言葉を切った。
「殺された、らしいのです」
「な、何ィ!!?」
谷在家さんが大声をあげる。それに隠れて、円さんや由里さん、お姉ちゃんの息を呑む音がする。
「私は専門ではないから大雑把な見解しかできないが…亡くなったのは夜の11時から1時の間だろう。頭部に2箇所、鈍器で殴られたような跡があった」
先生はそれだけで報告を終えてしまった。確かにこれ以上は聞きたくない。…しかし、そんな夜の早い時間に殺されていたとなると、やはり数分の時間稼ぎのための密室、というのはありえなさそうだ。
「おいおい…それじゃまさか、この中に教授を殺した奴がいるってことか!?」
「いやっ!!!」
由里さんが急に立ち上がり、部屋へと駆け出していく。私は呆然と、その様子を見つめていた。
「南さんは…興奮しているようだな。誰か様子を見るだけ見て、そっとしておくのがよいだろう。誰か…」
「じゃあ私が見てきますね」
そう言ってお姉ちゃんが部屋を出る。心なしか、いつもの落ち着いた口ぶりには聞こえなかった。
「さて、警察だが…これはS県警本部の人間が来るとなると少々時間がかかる。それまでは…」
「互いを監視しろってか?冗談じゃないぜ!!俺も部屋に入らせてもらうぞ。来るんじゃねぇぞ!!!」
今度は谷在家さんもいきり立って部屋を出て行く。ミステリ通り、最初は全員で過ごすということにはならない。
「私は…疲れてしまいました…」
「円さん、すみませんな。…しかし、どうしてもいつかは、伝えねばならないことでしたから。…私の話は以上です。とにかく明朝には警察も来るだろう、それまでは…何事もないことを祈るしかない。大鷲様の怒りが鎮まることを祈るしか、ね…。さ、上がりましょうか」
城之内先生は円さんとともに2階へと姿を消していった。
「追い返されちゃった」
入れ替わりにお姉ちゃんが戻ってくる。どうやら由里さんに追い出されたらしい。
「全く、面倒なことになったな」
鷲戸さんがそう呟いて、玄関の方へと向かってしまった。それを疾風が呼び止める。
「鷲戸さん、どちらへ?」
「家へ帰る」
そこで私は急に、鷲戸さんに向かって思いつきを口にしてみた。
「ご一緒していいですか?」
鷲戸さんは表情を変えない。
「監視のつもりか?」
「いいえ。ただ、今の大人の状況を見れば、翔くんが『このこと』を悟るのは時間の問題じゃないですか。できればそれは、ちょっぴり遅らせてあげた方がいい気がして」
「ふん。…来い」
私は広間にお姉ちゃんを残して、鷲戸さんのあとを追っていった。もちろん、疾風も一緒に。

「よぉ、どうしたの?」
翔くんは鷲戸さんの家の2階にいた。パジャマから私服に着替えてはいるが、まだ眠そうだった。
「ん?ここには来た事がなかったから、どんなところかなぁ、と思って」
私は適当にはぐらかす。
「はぁん。…でも、なんか鷲が騒いでるんだよな。何かあったんだろ、兄ちゃん?」
翔くんは疾風に尋ねる。
「いずれ分かるさ」
「はぐらかすなよな。おっちゃんの離れで何かあったんじゃないのか?」
疾風は表情を変えない。きっと翔くんがカマをかけただけだろう…と私は一瞬思ったけど。
「そうかなぁ。さっきから鷲たちが、おっちゃんの離れのあたりをずっとうろついてんだけどなぁ」
うっ、鋭い。…きっと鷲たちは、微かに漏れている死臭を嗅ぎ取っているんだろう。
「そういえば…あの離れって、普段は誰が掃除してるの?」
「ああ、あれは父ちゃんが掃除してるんだ。俺は入ったことない」
「あれ、そうなんだ。そういえば前もそう言ってたよね。どうして?」
「…キライだから」
どうやら翔くんも、璃衣愛と同じ高所恐怖症らしい。それを思って、私はちょっぴり笑った。
「あ、そうそう、もう1つ。翔くんってさ、学校の宿題とか、ちゃんとやってんの?」
「え…」
翔くんは急に口ごもる。勉強は苦手らしい。
「今なら頼みようによっては、疾風が教えてくれるかも」
「マジ?ちょっと教えてよ兄ちゃん、これがさぁ…」
そう言って翔くんは机の上から計算ドリルを持ってくる。机の上には他にも漢字ドリルだの、地図帳だのが広がっている。その端の方に見えるのは…海図や魚の本、それから漁船の操縦に関する本だ。そうか、小さな島に住むと漁師になるのが普通か。一方、計算ドリルを目の前に出されて、うらめしそうに私を見る溜め息交じりの疾風の視線を、私はサラッと受け流した。
「もう、美寛は勝手なんだから…」
「大学生になったら塾講師のバイトとかする可能性あるんだから」
「それは美寛も同じだろ?」
「私算数と理科分かんないもん」
疾風は翔くんに優しく言う。
「翔くん、国語と社会の宿題が分からなかったら美寛に聞いて」
あっ、ヒドイ!

そうこうしているうちに数時間がたった。私は久しぶりに国語の文章題をやらされて萎えていた。もう、翔くんは何で論説文の問題ばかり残しているのよ!物語文だったら楽に解けたのに…。
「おい、翔!飯だ」
「了解!」
階下から鷲戸さんの声がする。翔くんの後を追って1階に降りると、テーブルの上に食器が4つ並んでいた。
「お前らも食っていけ」
「あ、ありがとうございます!」
食事中に話すのは翔くんと私、ときどき疾風。鷲戸さんはほとんど話さなかった。食事中の会話は、他愛も無いものばかり。翔くんの学校の話や私と疾風のこと、都会の話…。ゆるやかな時間だった。
「ごちそうさま〜!」
翔くんは言うなり2階へと駆け上がる。朝食を食べていなかった上に食べ盛りなだけあって、おかずの大半は翔くんによって食べられていた。鷲戸さんは何も言わず食器を運ぼうとする。
「あ、私たちがやります。ご馳走になったんだし、食器を洗うくらい私たちにやらせてください」
疾風をむりやり手伝うことに同意させて私が流しに向かうと、急に後ろから鷲戸さんの声がした。
「お前らは…」
「えっ?」
「この島をどう思う?時代遅れだと思うか?」
急な質問に私は戸惑った。
「えっと…確かに時代遅れかもしれませんけど…でも私は、好きですよ。自然に囲まれていて」
「そうか。なら、あの離れはどう思う?」
離れをどう思う、と言われても…。その質問には、先に疾風が口を開いていた。
「不調和だとは思いますね」
「お前の言うとおりだ。あの建物だけは…異常だ」
異常…か。鷲戸さんからそういう言葉が漏れるとは、私には意外だった。
「最後だ。大鷲さまをどう思う?」
「神に近い存在だと思います」
疾風がそう答える。鷲戸さんはちょっぴり目を見開いた。
「ほう?お前も大鷲さまを信じるのか?」
「そういう意味じゃないですよ」
疾風は鷲戸さんのほうを向いた。…って、疾風、洗い物はまだ終わってないわよ!
「信じるものにとっては現実に存在する。信じないものにとっては存在しない。そういうものだと思います」
しばらくの沈黙。鷲戸さんは黙って煙草をふかす。
「…なるほどな。そういうものかも知れん」
それきり鷲戸さんは煙草をふかすだけで、口を開かなくなってしまった。


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