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とわのうた

第3部


「うわ…何、この感じ?」
私は思わず口に出してしまった。ここは中央の塔と左の塔を結ぶ渡り廊下。問題はその壁面だ。壁面が青と黒の不規則な波線の連続になっていて、空間自体が歪んでいる印象を受ける。錯視を利用した絵、つまりオップアート(オプティカルアート)のようなものらしい。まるで別世界に移動してしまうようだ。
「壁面の絵は博士のデザインだ…最初は戸惑うだろうが、しばらくすると慣れるよ。向こうもそうだからね」
デュランがこともなげに言う。向こう、というのはおそらく中央の塔と右の塔をつないでいる渡り廊下のことだろう。急ぎながらも、疾風がデュランに聞く。
「それよりデュランさん…P塔って言ったのは?」
「ああ、それかね…いや、博士がそう言うのさ。右の塔をF塔、左の塔をP塔とね。理由は教えてくれないが…大方、個人的な理由だろう」
疾風は頷く。渡り廊下を抜けると、まったく普通の空間…中央の塔に似ている…が開けていた。私はちょっぴり安心する。疾風はまだ腑に落ちない顔をしていた。
「どうしたの、疾風…まだ何か、気になることがあるの?」
「ああ…あの、誰でもいいんですけど…」
疾風はデュラン・空岡・南奈の3人に呼びかける。
「この塔に、南奈さんと空岡さん、それから安土さんに美寛…この4人以外の女性はいるんですか?」
その質問にデュランが振り返らずに答えた。
「いや、いない。…だから調べにいくのだ」
私たちはデュランを先頭に階段を上がっていく。後ろに空岡と南奈が続き、その後に私、そして疾風…。2階に上がると、廊下から何か変な音がする。
「ん…焔さんか?」
私も廊下をのぞいてみる。そこでは焔がだらしなく眠っていた。さっき持っていたワインが、もう1瓶空いている。彼を起こすと何を言われるか分からないので、私たちは起こさないように気をつけながら2階を調べた。しかし、何も変わったところはない。
「…問題はなさそうね。3階へいきましょう」
空岡の号令で、私たちは3階へと向かった。その途中で、私は南奈と話すことにした。
「あのさ、南奈ちゃん…」
「何ですか?」
南奈は無愛想な表情を見せる。でも、こちらに顔を向けてくれるあたりは、真に無愛想というわけでもない。
「3つの塔がどうなってるか…えっと、つまり構造だよね。それを教えてほしいんだけど…」
「構造ですか。どの塔も基本的な作りは同じです。1階がホール、2階が個室、3階がその他の空間です。P塔の3階は礼拝堂です」
「えっと…じゃあ、他の塔は?例えば玄関がある、中央の塔。あの塔の3階は?」
「あそこは客間です。皆さんに宿泊していただくのもそちらになります」
「あ…そうなんだ。じゃあもう1個、反対側の塔は?その、博士がF塔って呼んでる塔」
「F塔の3階ですか?博士の実験室になります」
「ふ〜ん…あれ?じゃ、南奈ちゃんはどこで寝るの?」
「中央の塔の2階に、私の個室と恵比須さんの個室があります」
そうこうしているうちに3階に着く。ちなみに後で聞いたところによると、P塔の2階には焔と空岡の個室があり、F塔の2階に博士とデュランの個室があるそうだ。
「もう、構いませんか?」
「…え、あ、うん、今は大丈夫。…あのさ、南奈ちゃん…。私には敬語、使わなくていいのに」
私がそう言い終わらないうちに、南奈は何も言わずに行ってしまった。代わりに疾風が近づいてくる。
「どう?南奈ちゃん…」
「う〜ん、打ち解けるには結構かかりそうだね…それは残念だけど、でも反面ちょっぴり安心かも」
「安心?何が?」
私は疾風をちょっぴり睨んで言う。
「どこかのメイドさん好きでロリコンの男の子が惚れないでしょ?」
疾風はちょっぴり顔を紅くして、わざと一息つく。
「もう、美寛は…それより手伝ってよ」
私は素直にいう事に従った。疾風はある場所を目指して歩く。それは礼拝堂の北西の壁にかけられている不自然な抽象画だった。丸や三角、四角などの図形が折り重なるように描かれている。
「礼拝堂にこれはおかしくないか?」
「うん、確かに。普通礼拝堂なら、イエスの絵とかマリアの絵とか…。とにかく普通は聖書に関係する場面を描くよね。少なくとも、こんな丸とか三角とか、記号だらけの絵は変だよ」
「この絵を外すの、手伝ってくれる?」
どうやら疾風は隠し通路のようなものを探しているらしい。確かに、これならお誂え向きのような気はする。かなり大きな絵なので、通路を隠すのにも十分な大きさがあるだろう。隠し通路が無いと仮定すれば、中央の塔のホールからこの礼拝堂までは一直線。唯一隠れるスペースがありそうな2階の個室もちゃんと調べた。まさか焔があんな声を出せるとも思えない。となると、論理的にはどこかに隠し通路があるはずだ。叫び声を上げた女はそこから出入りしている、と考えるのが妥当だろう。私と疾風は両側から絵を外す。その時、空岡の叫ぶ声がした。
「あっ、2人とも、外しちゃダメ!」
「…えっ?」
私も疾風も意味が分からず、抽象画の下に隠されていたものを視界に捉える。
「えっ?これが、どうかしました?」  「きっ……」
疾風は平気な様子で空岡に聞き返した。だけど…。
「きゃあああああぁぁぁっ!!!」
私は森中に聞こえるような悲鳴を上げて、驚いて眼を閉じる。私がまともに見てしまったのは…悪魔の絵だった。勝ち誇ったかのようにあざ笑う数匹の悪魔…。そして、その下には残虐なまでにいたぶられた、人間の死体、死体、死体…。気を失いそうになった私を、疾風が慌てて抱きとめてくれる。私が目を開いた時には、もうさっきと同じ抽象画になっていた。どうやらデュランと南奈が元に戻したらしい。私の意識がはっきりとしてきたところで、空岡が説明してくれる。
「雪川さん、大丈夫?」
「は…はい、何とか…」
「あそこの壁に描かれているのはね、神と悪魔の戦いの絵なの。すごくリアルで、グロテスクでしょ?だから、あの抽象画で目隠ししていたの。博士は『あれも私の求める世界の1つだが…』って言って渋ったんだけど、ちょっとあまりに残虐だから…ね」
つまり疾風が平然としていられたのは、神や天使の絵しか描かれていない方を見たから、らしい。でもそれを確かめる気にはなれなかった。私は疾風に食って掛かる。
「ひどいよ、疾風!!私にあんなもの見せて…」
「ごめん、美寛…」
「今日嫌な夢見たら、疾風のせいだからね!!」
疾風はその後しばらく、ずっと私のことを抱いてくれた。きっと「気の済むまで」という意味だろう。しばらくして私は疾風の体から離れる。
「もう大丈夫…ありがと、疾風」
「もう大丈夫?ごめんな、美寛」

「結局、何も異常はありませんでしたね」
P塔の階段を下りながら南奈が言う。
「そうだね…まあしかし、異常がないに越したことはないさ」
私たちはあの渡り廊下を抜けて、中央の塔に戻ってきた。そこでは柿崎と安土がサンドイッチを食べている。2人とも、先ほどの悲鳴のことはすっかり忘れたような表情だ。執事は慎ましげにその様子を眺めていた。
「おお、どうだった?」
「いや…別に異常はなかったよ。多少気味は悪いが、問題はなさそうだ」
「はぁ、よかった…もう私、ユーレイでもいるのかと思って…」
「ははは…幽霊、ね。でも大丈夫さ、マドモワゼル。少なくとも私がこの“永遠塔”に来てからは、幽霊は出ていないよ。…ああ、そうだ」
デュランは執事の方を向く。ついでに私と疾風が示される。
「恵比須さん、この2人に自己紹介を」
執事は私たちに向かって会釈をした。
「どうも…“永遠塔”の執事、恵比須弁蔵でございます」
恵比須はそれだけ言うと、また視線を中空に戻した。それを見た私は、空岡に耳打ちする。
「ヒソヒソ…(空岡さん、もしかして恵比須さんも南奈ちゃんと同じ…?)」
「ヒソヒソ…(ええ、そうよ。歳は離れているけど、『第二のアダム』といったところね)」
空岡はジョークで言ったつもりだろうが、私は笑えなかった。疾風が私にサンドイッチを差し出してくれたので、気を取り直して1つ食べる。柿崎は満足そうな表情で恵比須に礼を言う。
「上手かったよ!ごちそうさん」
「いえ、どういたしまして。…ところで皆様」
恵比須が私たちに顔を向ける。
「ご主人様には会いに行かれましたか?」
「えっと…それって博士のことですよね?」
私が聞き返すと、恵比須は先ほどと同様に頷く。質問に答えたのは疾風だった。
「いえ、まだです」
「では、ご案内いたしましょう」
恵比須は歩き出す。その動きを止めたのはデュランだった。
「いや、ムッシュー…あなたは夕食の準備を。今夜は人数が多いから、今までよりは時間がかかる。南奈さんにも手伝ってもらって、準備を先に済ませたほうがいい。博士の部屋に4人を案内するのは私が引き受けよう」
「かしこまりました、デュラン様。お任せします」
デュランの言葉を聞いてか、南奈も奥のほうへと移動していった。どうやら中央ホールの奥が調理場になっているらしい。それはつまり、玄関を開けると人々が食事をしている、という展開もありえるわけだが、普通“永遠の世界”に来客などないから、そんなことには無頓着なのだろう。
「私も行っていいかしら?」
空岡がデュランに聞く。デュランは何も言わずに頷いた。柿崎と安土も立ち上がる。
「そういや、さっき聞きそびれたんだけどよ」
「何かな、柿崎さん?」
デュランが聞き返す。
「みんな博士博士っていうけどよ…博士の名前、何て言うんだ?」
「あ、そうそう!私も気になってたんだよね」
確かにそうだ。柿崎や安土の言うとおり、私たちはまだこのシステムの考案者を「博士」という名称でしか聞いたことが無い。それ以外の呼称といえば、さっき恵比須が「ご主人様」と言っただけだ。それも名前ではない。
「ああ…そういえばそうだな。私も普段、博士としか呼ばないから…。博士の名前は斑だ」
「ハン?…えっ、もしかして日本人じゃないの!?」
安土が聞き返すと、デュランは微笑んだ。
「その通り。博士の名前は斑太時、韓国の方だ」
それを聞いて疾風が、ちょっぴり納得した表情を浮かべる。
「そうか、それで礼拝堂…」
「そう、韓国はアジア圏にありながらフィリピンなどと同じくキリスト教の影響が比較的強い国で、博士も昔は敬虔なカトリックだったそうだ。もっとも、今は違うだろうが…。博士は向こうの国で言う“Infant genius of the scientific section”で、幼少時から抜群の才能を示してきたらしい。その才能は今も衰えることを知らない」
「うわ…なんか恐れ多い気ィしてきた」
柿崎が縮こまる。しかしデュランはそんな彼の様子を一向に介さないようだった。
「大丈夫さ、そんなに畏まらなくても…それでは行こう」
私たちはデュランの掛け声で、F塔の3階…博士の実験室へと向かった。


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