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とわのうた

第4部


「げっ!?何じゃこりゃ!?」
中央の塔とF塔をつなぐ渡り廊下のドアを開けた瞬間に柿崎が叫んだ。
「うへ〜、何これ…」
安土も気持ち悪そうに壁面を眺める。やはりこちら側にも、P塔へ行くための渡り廊下と同様のオプティカルアートが施されていた。違うのは壁面の基本色となる青が赤紫というところだけで、あとは同じだった。
「なんか潰れてくるよ…」
安土が頼りない声を出す。
「ははは…そうだ、2人は初めてだったね。次第に慣れると思うが…少し歩を早めよう」
私たちは渡り廊下を抜ける。そこに広がっていた空間は、先ほどのP塔とほぼ同じものだった。安堵する柿崎と安土を見やりながら空岡が言う。
「博士はおそらく実験室にいるでしょうね。…あら?」
彼女の声が止まった。…今、遠くでした音は何だろう…?何かガラスが割れるような音だった…。空岡は私たちに問いかける。
「今の音、何かしら…?」
「音?そんなもん、しましたか?」
「いやよ、空岡さん、驚かさないでよね」
柿崎と安土が言う。デュランも聞こえなかった、というジェスチャーをしていた。でも、私の耳にもその音は微かに残っていた。私が疾風の顔を覗き込むと、疾風はすぐに口を開いた。疾風も不思議そうな顔をしている。
「…俺にも、聞こえました。食器が割れるような…博士が何か実験器具を落としたんじゃないですか?」
「なるほど、そうかも知れないな…とりあえず、博士に会おう」
私たちは3階へと上る。…しかし、塔というものは移動に時間がかかる。階段しかないからなおさらだ。私は二階堂黎人が書いたメタ小説のシーンを思い浮かべて苦笑した。そのシーンでは小説内の登場人物が、塔の最上階まで駆け上がるシーンを書く作者に、「自分たちにこんな辛い思いをさせて」と不平を漏らすのだ。しかし私たちは駆け上がっているわけではないし、ましてこの塔は3階建てだ。普通のアパートと大して変わらないくらいなのだから、不平はもらすまい…不便には違いないけれど。そう考えると、一日にこれだけ階段を昇降するのも珍しい。思わずちょっぴり空腹感を覚えてしまう。
3階に上がると、不意に大きな扉が現れた。どうやらこれが、博士の部屋の入り口らしい。デュランが先頭に立ち、扉を大きくノックする。
「博士…デュランです。日本からのお客人を案内しに来ました」
「入りたまえ」
良く通った低い声がした。その声を聞いてからデュランは扉を開く。扉の先にいたのは…。
おそらく還暦は迎えていないであろう、アジア系の男性だった。しかし鼻は団子鼻というより鷲鼻で、西洋人のようにも感じる。頭髪は禿げ上がっていて、側頭部に白髪が残っている程度。ちょっぴり猫背で白衣を着ている。確かに科学者という感じの人物だ。だが、手に持っている箒と塵取りがこの場の雰囲気に全くそぐわず、どこか可笑しい。ただ…異様に落ち窪んだ目が、恐怖心をあおった。
「ようこそ、諸君。私が“永遠の世界”の主、斑太時だ」
「は…初めまして…」
私たちは彼の異様な雰囲気に圧倒されていた。かろうじてそれだけが言葉になる。その様子を察してか、空岡が進み出て博士に話しかけた。
「博士、本日は多くのお客様がいらっしゃっております。中央の塔で一緒にお食事をされてはどうでしょうか?」
「まぁ、それもよかろう」
博士は箒と塵取りを置き、胸ポケットから懐中時計を取り出す。そこに柿崎が口を出した。
「あ、そういや…俺たち、時間がわかんねえんだっけ…」
「君、ここは“永遠の世界”だ。時間はあっても意味を成さんよ。一応私のものと、中央の塔のホールに大時計はあるがね…これらはコンピュータから直接読み取っているから狂うことは無いが…気にすることはなかろう」
「あ、は、はいっ!」
柿崎は訳も無く畏まる。その様子を安土はおかしそうに見ていた。私は実験室を見渡す。不要なものは何もない、といった感じの部屋だ。実験室にはどことなく雑然としたイメージがあるが、この部屋には一切それが無い。何台も置かれたコンピュータには、私には理解の出来ない文字の羅列で埋まっていた。紅く分厚いカーペットには、塵1つ残っていない。おそらく博士はかなりの潔癖症なのだろう。博士は私たちのほうへ近づく。私より背は低いようだ。
「それでは行こうか」
「…博士、少し聞きたい事があります」
博士の歩みを止めたのは疾風だった。
「…何かね、君?」
「俺たちが“現実世界”に戻るときは、どうすればいいのですか?」
…そういえばそうだ。私たちは“現実世界”への戻り方を知らない。これは大問題だ。しかし、博士はあっさりとその疑問を流す。
「おそらく日本の何とかという企業の担当者から連絡が入るはずだ。それは諸君の脳波に直接語りかける。非科学的な言葉で答えるならばテレパシーのようなものだ。その時に担当者の指示に従いなさい。…他にも何か聞きたそうだな」
「ええ…渡り廊下の壁面にあの絵を描いた理由は何ですか?それから左右の塔をP塔、F塔と呼ぶ理由は?」
疾風がそう言うと、博士は目を閉じた。
「どちらも永遠への布石、または永遠のための実験と答えておこう」
「じゃあ最後に聞かせてください。博士にとって“永遠”とは何ですか?」
博士は目を閉じたまま真直ぐ歩く。そして部屋の入り口で止まり、後ろを振り向かずに答えた。
「それは有と無の狭間…創造と破壊の狭間に存在するものだ」

私たちは中央の塔に戻る。博士も一緒なので7人だ。中央の塔のホールでは、すでに食事の準備がされ始めていた。もっとも料理はほとんど出来ていない。それなのにさっき感じた空腹感がちょっぴり和らいでいる。不思議なものだ。私たちが中央の塔に戻るのとほぼ同時に、向かい側の扉…つまりP塔と中央の塔を結ぶ扉も開いた。こちらから出てきたのは焔だった。焔は辺りを見回す。
「なんだ、まだ出来てないのか…お?博士、どうされました?珍しいですな」
どうやら博士にだけは焔も敬語を使うらしい。意外だった。博士は自分の懐中時計を見てから大きく頷き、先ほどと変わらない調子で答える。大時計の鐘が1つ鳴った。午後6時半の鐘だ。
「なに…実験がどうやら成功したらしいのでね。祝杯だ」
私は意外に思った。…さっきまで博士は何の実験をしていたんだろう?私たちが部屋に入ったときには掃除しかしていなかったような…。しかし博士に説明を求めて、逆に理系でも分からないような用語で説明されたくは無いので黙っていることにする。
「おお、それはそれは!食事より先に一杯、どうですか?」
そう言って焔はテーブルの方へと向かっていく。しかしかなりの千鳥足だった。それに気付いた空岡が手を差し伸べようとするが、それより早く焔は倒れこんでしまった。倒れた拍子に棚にぶつかり、花瓶が倒れる。花瓶は棚の上から転がり落ち、派手な音を立てて割れた。博士が呆れた顔をする。
「全く、君の酒癖は治らないのかね?」
焔はしおれる様子も無く「こればっかりはね」といい、何とか席に着いた。その時、奥から南奈が出てきた。手には雑巾やバケツを持っているから、おそらく焔の後始末なんだろう。柿崎や安土は席に着いて話を始めている。疾風は、と思って周りを見ると、掃除中の南奈と何か話している。私は急いで2人に近づく。疾風の小声が聞こえてきた。
「手伝おうか?」
「いえ、大丈夫です」
南奈の態度はそっけない。私はその返事を聞いてちょっぴり安堵する。私は…つまり、妬いているらしい。我ながら苦笑してしまう…だけど、その次の疾風の行動に私は驚いてしまった。
「…こういうの、やり慣れてないでしょ?」
「え?…はい、初めてですけど…」
「そういうときに無理はしないで。手伝うよ」
「……ありがとうございます…」
疾風は南奈と一緒に掃除を始める。私は、自分の頭に血が上ってくるのを感じた。私は何も言わず後ろを向いた。そこには…ここに初めて来た時に、焔と空岡が座っていたテーブルだ…チェス盤が置いてある。駒の数の多さからして、おそらく白の方が優勢だろう。私が眺めていると、後ろから声がした。
「妬いてるの、美寛ちゃん?」
疾風の声だ。…でも、私は振り向かない。代わりに後ろからでも分かるように、大きく頷く。この後の疾風の行動を私は予測する。多分、私の顔を覗き込むか、後ろから私を…。
「ごめんね」
こんなふうに、抱いてくれるか…。私は思わず涙ぐむ。そうしてくれると分かっていても、その通りのことをされるとやっぱり嬉しい。私は疾風の腕の中で体の向きを変える。
「えっと、疾風…やっぱりさ、彼女が間近にいるんだし…あんまり、他の女の子と仲良くして欲しくはないな、って」
「美寛がそう思うのは分かるよ。でもさ…」
疾風は言葉を切って、自分の口を私の耳元に寄せる。
「南奈は…1人で今の姿に生まれてきて、この城の使用人という立場しか…知らないだろ?それ以外の立場…例えば俺や美寛の友達、ってことを…分からせてあげたくてさ。…こういう考えは、俺のわがままかな?」
私はその言葉に、一瞬息を止める。
「…うん、そうだよね…。それは、そう思うけど…」
私は優しい声を出してから、疾風の頬を思いっきりつねる。
「でも、私の目の前で、あんな露骨にしないでよね〜」
疾風は声にならない声を出した。おそらく「分かった」と言ったのだろう。それを確認してから私は疾風の頬から手を離す。疾風はつねられたところを手で押さえながら私のほうを恨めしく見る。
「もう…ちょっとは手加減しろよ…」
私はそんな疾風を見て笑顔になる。その時、奥から食事を乗せた台を恵比須が運んできた。
「あ…ほら疾風、ご飯みたいだよ」


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