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とわのうた

第6部


P塔の3階も、実験室と同様に無残な状態だった。すなわち、斑太時博士も刺殺されていたのだ。
「何という事だ…」
デュランは思わず天を仰ぐ。博士の死体は礼拝堂のドアを入ってすぐ脇のところにあった。そこには聖母のレリーフが小さく飾られていた。どうやら博士はこれに向かって祈っていたところを襲われたらしい。デュラン、疾風と私は死体に近づく。南奈も近づこうとしたが、空岡に引き止められたようだった。
「一体、何が起こったというのだ…」
デュランは死体を調べる。心臓にナイフが刺さっている。先ほど焔の死体を貫いていたものと同じナイフだ。後で聞いたところ、どうやらこれは厨房(中央の塔1階のホールの奥)に置いてあったものらしい。つまり、気がつけば誰でも入手することが出来る。ナイフは前方から刺さったままで、おそらく即死だろう。引き抜かれてもおらず、焔と違って血はあまり出ていなかった…その分、博士の白衣は血にまみれているが。犯行状況を考えると、博士が祈っているところに犯人がやってきて、後ろから抱くような形で手に持っていたナイフを心臓に突き刺したのだろう。博士は祈りの最中で目を閉じていたのだろうから、避けようも無い。現に博士の死に顔は目を閉じたままで、比較的穏やかだった。
「おや、これは…?」
博士のポケットを探っていたデュランは、右の胸ポケットから何かを取り出す。金色の鎖が寂しく垂れた。
「博士の懐中時計だ。博士が倒れた拍子に潰れて、壊れてしまったらしいな」
デュランは何気なく懐中時計の文字盤を見る。
「7時58分で止まっているな。…おそらくこの時間に、博士は殺されたのだろう」
…えっ?
「ウソ…そんなはずないよ!」
私は思わず声に出した。デュランと疾風が振り向く。
「え?どうして、美寛?」
「だって私、焔さんの悲鳴が聞こえてF塔に行く直前に、博士がホールの奥の部屋から出てくるのを見たもの!その時ホールの時計が8時10分だったのも見た!だから、絶対博士は8時10分までは生きていたはずで…」
「そうか…となると、この時計がずれている、ってことに…」
疾風の言葉をデュランが遮る、
「いや、月倉くん、それはありえない。ここは“永遠の世界”なんだ。時間はコンピュータが“現実世界”のものと連動させて正確に把握している。この世界の時計の時間がずれることは絶対にない」
「つまり、中央の塔のホールにある時計と、博士の懐中時計は…」
「ああ。絶対に正確な時間を指している」
私たちは南奈が2階から持ってきたシーツを受け取り、博士の死体にかぶせる。そして礼拝堂を後にした。
「となると、考えられるのは…美寛の見間違い?」
疾風が私のほうを見ながら言う。
「そんな!そんなのって、絶対ありえないよ!!」
「ああ、ありえないとは俺も思うよ。でも…今の状態で信じられる前提を受け入れるとしたら…それしか結論が残らなくなる」
「それは…それは、私にも分かるけど…でも!」
私はそれっきり口をつぐむ。そんな…そんな事が、ありえるわけがない…。

「皆様、どちらへ行かれていたのですか?」
中央の塔のホールには、恵比須が一人で立ち尽くしていた。
「ああ恵比須さん、すまない。まず柿崎さんと安土さんは?」
「はい、お二方でしたら既にお休みになられております」
「そうか…恵比須さん、気を確かに聞いてくれ」
デュランは現状をかいつまんで説明した。恵比須はそれを聞いて、呆然とした表情になる。
「なんと、ご主人様が…!?誰が一体このようなことを…!」
「そう、問題はそこなのだが…はっきり言って、私たちの中に犯人は存在し得ないと思うのだ」
デュランは椅子に腰掛ける。
「これは焔さんの殺害を振り返ればすぐに分かる。焔さんの悲鳴を我々が聞いたのが…雪川さんの証言によれば私たちがF塔に向かったのは8時10分だ。私も8時5分に時計を見て、それから数分経ったときに悲鳴を聞いたから、1〜2分の前後はあろうともほぼ8時10分に間違いない。このとき各人がどこにいた?私と月倉くんはここでチェスをしていた。その様子は安土さん、空岡さん、雪川さんが見ていた。柿崎さんと南奈さんは中央の塔の3階の客間にいた。恵比須さん、あなたはホールの奥の厨房にいたのだろう?」
恵比須は頷く。
「はい、ご主人様と一緒におりました」
「というわけだ。それにそもそも恵比須さんが奥の部屋から出てきたら、私たちの目につかないはずがない。全員にアリバイが成立する」
ここまで来て、私には1つの可能性が思い当たった。
「あの…一応確認したいんですけど…この世界に、というか博士の実験室に…レコーダーとか、ありませんよね?」
「レコーダー?」
デュランが聞く。そう…私が思ったのは、犯人が南奈である場合。それなら焔の様子を見てくると言った時点で、焔を殺して戻ってこられるのではないか。そして、その悲鳴を録音しておいて自分のアリバイのある時間に流せば…。
「いや、その手の機械はここには存在しない。君たちが“現実世界”から持ってきていれば別だが…持ってきたかね?」
私も疾風も首を振る。というか、基本的に私たちは現実世界から何かを持ってきてはいない。携帯電話や財布さえ“永遠の世界”に来る前に係員に預けたからだ。今度は疾風が口を開く。
「あとは共犯関係を考える場合。しかし…どちらにしても俺たちは中央のホールにいた。俺たちの目を盗んで渡り廊下を通ることは不可能だ。俺たち全員が共犯なら話は別だけど、そんな大人数の共犯関係なんて考える意味がない」
「そう、その通り。3階より上の、塔の先端部分にだけ窓…窓というよりは単純に開閉するハッチのようなものだが…は存在するが、そこから左右の塔に飛び移ることは不可能だろう」
「まさか…幽霊?」
ここまで来て空岡が口にする。彼女はすっかり怯えてしまっていた。デュランはやりきれなさそうに首を振る。
「非現実的だが…それ以上に考える余地が無いな。博士の件を考えると、今の私たちでは幽霊説を否定できない…。ここが“永遠の世界”であることを考慮すれば、コンピュータウィルスを使ってそのようなバグが起きないとも限らないが…ひとまず散会しよう。皆、戸締りの確認を怠らないように」

「疾風、起きてる…?」
ここは中央の塔3階の客間の1つで、私と疾風にあてがわれた部屋。もう1人は十分に余裕のありそうな広いベッドの上で、私と疾風は身を寄せ合っている。
「ああ、起きてるよ。…どうしたの?」
「疾風は、私が見た博士のこと、信じてくれる…?」
「できれば信じたいよ。でも、今は…」
私は疾風の目を見た。何かを必死に考えている目だった。
「そうだよね、分からないことが多すぎるよ…」
「美寛…。美寛が分からないことを、今思いつくかぎり言ってみて」
「え?…うん、分かった」
私は指折り数えていく。
「まず、焔はいつ殺されたのか。焔の悲鳴が録音じゃないなら、あの瞬間に焔は殺されたことになる。でもあの時は、焔以外の人は全員2人以上で行動していた。これはね、疾風…別の意味で密室なの」
「…別の意味で…密室?」
「うん、そうよ。焔はF塔の中で倒れていた。F塔に入るための入り口は1つしか存在せず、その入り口は常に私たちが見張っていた…ね?こう考えると大きな意味で密室でしょう?その中で彼を殺す方法は…何個かは思いつくけど、どれも非現実的」
「何個か思いつくの…?たとえば?」
「レコーダーの後にまず思いついたのは機械殺人。全自動の機械を使って、遠くにいても人を殺すことが出来るってやつ。例えばカメラとか覗き穴とか、そういう場所に銃を仕込んでおいて、それをのぞいた瞬間に発砲されるとか。そういうことを、あそこにあった拡声器だけで出来ないかな、って」
「なるほど…でもさ」
「うん、分かってる。銃で口を撃たれて死んだのならともかく、心臓近辺にナイフ、だもんね。次に思ったのは遠隔殺人だけど…」
「遠隔殺人、って言うと…?」
「密室のパターンのひとつだよ。密室に入らずに、外から殺す、っていうやつ。これも機械トリックだけど、ヒモとか何かをうまく使って、実験室に入らずして焔を殺害する、っていう…」
「でも、それもダメだよね。焔が倒れていたのは部屋のほぼ中央、しかも見通しの悪い机のそばだ。おまけに窓とかそういうものが無いだろ、ここ?換気口はあるけど折れ曲がっているし…塔の上にあるハッチから何かを仕掛けたとしても、それを通す場所が同じ塔の上のハッチか、この折れ曲がった換気口じゃ、ね…」
そう言って疾風は部屋の隅に開けられた換気口の方を見る。換気口はどの部屋にも付いているそうだが、途中で何度か折れ曲がっている。ナイフを上手に通すなんて芸当は到底出来ない。しかも換気口はかなり小さいのだ。これでは外から見た時に気がつかなかったのも無理はない。
「だから分からないんだよね…そう、何で焔の死体のそばには拡声器があったの?」
「偶然転がり落ちた、という見方もできる。できるけど、俺は明確な意図があったと思うな。…やけに大きな悲鳴だっただろう?言い切ることは出来ないけど、きっと拡声器は使用されている」
「私もそう思う。さっき疾風とデュランさんで話してたよね?焔が使った場合と、犯人が焔に使わせた場合」
「ああ。前者だと焔が自発的に拡声器を使おうとした理由が分からない。後者だとその目的は、おそらく俺たちに焔の悲鳴を聞かせたかったためだと思う。でも何故、そんなことをする必要があるかは分からない。アリバイのため?」
「う〜ん、でもアリバイのためだったら、犯人にはアリバイがあって、他のみんなにアリバイが無い時にした方がいいと思うけど…」
「確かに。アリバイ確保だとしても、どうしてその時間をわざわざ選んだかが分からないよな」
私と疾風は一息つく。
「それから何といっても…博士の幽霊。私が見たのは、絶対間違いないんだからね」
「ああ…。でも、それ以外の事実を考えてみてよ。博士の死体に入っていた懐中時計はずれることがない。中央の塔のホールにある大時計もずれない。俺たちには時間を知る手段がこの2つしかないけど、これらは絶対に正確な時間をさしている。そして、博士の時計は7時58分を指していた…。」
「それなのに、私が博士を見たのは8時10分…」
「誰かと博士を見間違えた?でも、そんな人はこの塔にはいない…博士はすごく特徴的な人だった」
「あっ、でも待って、疾風!博士が2人いるって言うのは?」
「え…博士が、2人?」
「うん、そう!博士には双子の兄だか弟だかがいて、その2人が交互に私たちの前に姿を見せていたの!」
「それなら幽霊は確かに解決するけど…でも、じゃあ今その片割れはどこにいるの?」
「そうね…きっと、外に出たんだと思う」
「え?“永遠塔”の外?」
「うん、外よ。私たちが実験室であった人を1人目の博士とするよ?するときっと2人目の博士は、最初から礼拝堂にいたんだと思う。それで、あそこで死んでいたのは2人目の博士の方。そう、それで1人目の博士は私がホールで姿を見せた後、外に出て行方をくらました…」
色々なパターンはあると思うけど、私たちがここに来てから、少なくとも誰かは中央の塔のホールにいたはずだ。そのため、中央の塔のホールを通過せず、かつ現状に見合う説明はきっとこれしかない。私は完璧だ、と思ったけど、疾風はそれでも不服そうな顔をしている。
「美寛…懐中時計はどう説明するの?」
「それは2人とも、最初から同じ型の時計を持っていたの」
「じゃあ夕方に俺たちが礼拝堂を探したとき、その博士はどこにいたの?」
「あっ…」
そうか、私たちは夕方に礼拝堂を探したんだった…。と、そこまできて、ふと私の胸の中にもう1つの疑問が湧き上がる。
「ねえ疾風、夕方の女の悲鳴って一体何だったんだろう?」
「そう…俺もそれが気になってるんだ。それだけじゃない、他にも妙な違和感が色々たまっていて…何だろう?」
私は疾風に、更に身を寄せる。
「ね、疾風は他に気になってること、ある?」
「今日のことで?美寛は笑うかもしれないようなこと、色々ね」
「ふ〜ん、聞かせてほしいな」
私は疾風の顔を覗き込む。疾風はふっと息を吐き出してから、ゆっくり話しはじめた。
「まずは、博士の懐中時計が壊れていた理由」
「えっ?」
「懐中時計の前面のガラス部分が粉々に割れていたんだぞ?人間が普通に倒れこんだだけで、あんなに派手に割れるとは思えない」
「あ…そうか、つまり犯人が壊した」
「たぶんね。でも、わざわざ壊して何の意味があるんだろう?美寛の話を信じるなら…犯行時刻を特定させることで博士の幽霊を作り上げるため?」
疾風は最後の方を冗談めかして言う。でも、私には何も言えなかった。
「次に、博士が左右の塔をP塔、F塔と呼ぶようになった理由。それから博士が中央の塔とP塔及びF塔の渡り廊下に、あんな変な絵を描いた理由。あと博士が礼拝堂の絵を隠すのを拒んだ理由」
「えっ…それはさ、博士の単なる趣味じゃないの?」
私は礼拝堂の悪魔の絵を思い出して思わず震える。
「あのね、美寛…俺、この“永遠の世界”って、博士が単に現世から逃れる意味で創った世界じゃないと思う。だってそうだろ?柿崎さんや安土さんも言ってたけど、普通こんな世界に永遠に住みたいって思うか?」
「それは…思わない」
「だろ?そうやって博士が創った世界なんだ、ここは。何だか…陰で博士が色々なことを考えていたような気がする。この世界は俺たちにとっての“永遠の世界”じゃなくって、博士にとってだけの“永遠の世界”なんだ」
疾風は一息ついた。
「あとは…さっきも言ったけど、上手く口に出来ない。細かいことで違和感を覚えている。だけど、それが何かまだよく分からなくて。ただ…最後に、一番重要な問題がある」
「えっ?…2人が殺された以上に重要な問題?」
「ああ」
疾風は私をそっと抱き寄せる。それを待っていたので、「やっと抱いてくれたね」ともちょっぴり思ったけど、でも嬉しい。私は思わず笑顔になるけど、疾風はちょっぴり気難しい顔のままだった。
「この“永遠の世界”に来る前に、老人みたいな声と話したのは覚えてる?」
遠い昔のことのようだったが、覚えている。私は頷いた。
「あの時の老人の言葉、覚えてる?」
「えっ…?あ、そういえば不条理がどうこう…」
「そう、それなんだ」
疾風の声がちょっぴり大きくなった。
「あの声はこういった。『今から諸君が訪れる“永遠の世界”には、たった1つだけ、現実世界では考えられない“不条理”が存在する』って。つまり、この“永遠の世界”ではたった1つだけ、現実世界では起こりえない事が起こるってことだろう。…むしろ、既に起こっていると考えていい」
「そうか、それが博士の幽霊なのね!」
私は喜んで言うが、疾風は首を振った。
「違うよ、美寛…それだけじゃない。きっとその1つだけで、博士の幽霊も、夕方に聞こえた女の悲鳴も、そして焔の殺害も…全て説明が付くと思うんだ」
「え…ええっ!?」
「だってそうだろ?今、既に論理だけじゃ説明できないことが3つも起きてるんだぞ?それに対して不条理は1つ。となれば、1つの不条理で不可解な現象を全部説明するしかない」
私は途方にくれる。そんな、そんな事が…できるの…?
「とりあえず今日はもう休もうよ。美寛、もし何か違和感を覚えたことを思い出したら、すぐに言ってね」
それだけ言うと、疾風は目を閉じた。私はそんな疾風の優しい顔を見て、絶対彼の力になってあげるんだ、っていつも思う。その気持ちを胸の中で高ぶらせて、私はそのまま眠りに付いた。


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