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とわのうた

第7部


翌朝のこと。私が目を覚ますと、もう隣に疾風はいなかった。思わず辺りを見回す。遠くから水の流れる音がする。どうやら疾風がシャワーを使っているらしい。私も起きだして着替える。
「おはよ、美寛」
しばらくして疾風が隣のドアから顔を出す。濡れた髪が疾風をよりかっこよく見えさせる。
「おはよっ、疾風!…昨日のこと、何か…考え付いた?」
「その事なんだけどさ…」
疾風は私に近づく。
「ちょっと博士の実験室を調べてみようと思って…美寛も来る?」
私はちょっぴり迷ったけど、結局「シャワーを浴びたら行くね」と答えた。疾風は何もいわずに頷いて、部屋を出て行った。

私がF塔の実験室に行くと、疾風が正面の机の上に座っていた。思わず焔の死体を捜したが、疾風がどこか目につかないところに動かしたようで、少なくとも私の見える範囲には無かった。疾風は後ろを向いているから、表情は読み取れない。私はそっと疾風に近づいて、後ろからいきなり目隠しする。
「だ〜れだっ?」
「…もう、美寛ちゃんは…」
振り向いた疾風の顔は、あまり面白くなさそうだった。
「それより美寛…これを見て」
疾風は博士の机の上にあるノートを差し出した。これは…日記?
「もしかして疾風、これ…読んだの?」
「ああ、読んだよ…上手くはいえないけど、博士の狙いは何となく分かった」
私も博士の手記を読んでみるが、はっきり言ってよく分からなかった。幻想・神・永遠…そのような言葉が並んでいる。世界の事も書いてある。…どういう事だろう?
「でも…これはこの“永遠の世界”が作られた背景の話。焔や博士自身の件とは何も関係がない」
疾風はまた黙り込んでしまう。私は優しく疾風に話しかける。
「無理して思い出そうとしても無理だよ」
「それは分かっているけどね…ただ、少し不安なんだ」
「え?不安?どうして?」
「これだけ待っているのに、“現実世界”から何もコンタクトがないからさ。しばらくは大丈夫だろうけど…。“永遠の世界”も“現実世界”も、流れる時間は同じだろ?“永遠の世界”の時計は“現実世界”のコンピュータを通じて合わせているんだから。だとすると…」
「あっ、そうか!!“現実世界”の私たちは、昨日のお昼からずっとエターナルポッドに入っていることに…」
「ただの試運転なのに、いくらなんでもおかしいだろ?今日は秋分の日だからいいけど、明日から学校だぞ?それ以前に柿崎さんと安土さんは働いているんだ。今日も休みだなんて保証は無い。明らかに…おかしい」
「そういう不安を紛らわせるために考えている、ってこと?」
「それもある」
そうか…考えてみれば“現実世界”では明日から学校だ…。私は疾風の気難しい顔を見つめる。
「うん、それは分かるよ。でも…疾風、やっぱり考えすぎるのはよくないってば。ほら、もう中央の塔に戻ろう?恵比須さんに朝ごはんのサンドイッチでも作ってもらおうよ」
「…ああ、そうだね……」
疾風は机から降り、入り口に足を向ける。私がちょっぴり安心して胸を撫で下ろしたその時だった。
「え…?サンドイッチ…?」
疾風の足が止まる。右手が口の前に添えられる。疾風の考える時のクセだ。
「まさか……まさか!!」
「えっ?どうしたの、疾風!?」
「待って、話しかけないで!!」
疾風は地面の一点を見つめたまま立ち尽くす。私は疾風のそばに寄り添って、疾風の邪魔をしないように気をつけながら疾風の顔を見つめていた。
「そうだ…サンドイッチ、割れたガラスの音、博士の時計、血、悲鳴、F塔とP塔…そういう事か!!」
「え…疾風、分かったの!?」
「ああ、多分」
疾風は私の肩に優しく手を置いてくれる。
「美寛、1つ実験しよう」
「実験?」
「そう、これが上手くいけば、この“永遠塔”で起こった全てのことを説明できる」
「ホント!?うん、やろう!…何をすればいいの?」
私が聞くと、疾風は思いもよらないことを言い出した。
「ここで、『俺のこと好き』って…叫んで」
「…へっ?な…何言ってるの、疾風!?」
私は自分の顔が真っ赤になるのを感じながら聞き返す。
「まあ、別に叫ぶ言葉は何でもいいんだけどさ。とにかく思いっきり叫んで欲しいの。昨日、あの絵を見た時と同じくらい大きな声で」
私の視線が思わずあの抽象画にいってしまう。私はそれを振り切って、疾風に聞く。
「ホントに、そんなことで…分かるの?」
「ああ、きっとね」
「じゃあ…分かった…疾風、耳、ふさいじゃダメよ」
私は疾風から何歩か離れる。そして思いっきり大きな声で…。

「疾風、だ〜い好きっ!!!」

言った瞬間にまた私の顔は真っ赤になった。体から変な汗が流れる。
「ふふ、ありがと、美寛ちゃん」
疾風は私に近づいて、そっと私の耳に囁く。
「俺も…美寛のこと、本気で愛してる」
「……疾風も叫んでよ」
私の言葉は、軽く疾風に流された。
「美寛は耳元で囁かれるのが一番好きでしょう?」
「それは、そうだけど…それなら疾風だって、そうじゃない」
「ありがと、美寛…。さ、早く中央の塔に戻ろう」
結局私は何も分からず、疾風に急かされて中央の塔へと戻ることになった。

「雪川さんに月倉くん」
2階で出会ったのはデュランだった。しまった、そういえばデュランの個室はF塔にあったんだ…。
「今の声は一体?」
「美寛の叫び声なら、ちょっとした実験です」
疾風はやはり、軽く流す。確かにこれは軽く流してもらわないと、私としても困る。
「ほう…」
デュランがあえて内容に触れないのは嬉しかった。私たちは3人で中央の塔に戻る。そこには既に残りの人々…空岡・恵比須・南奈・柿崎・安土がいて、朝食を取っていた。どうやらフレンチトーストのようだ。
「お〜、起きたか、これで全員だな。先に食ってるぜ」
柿崎が元気そうに言う。もしかして昨日のことを知らないのか、と一瞬思ったけど「これで全員」と今言ったから、きっと知っているのだろう。私の心を読んだかのように空岡が言う。
「今…朝食の前に、柿崎君と安土さんに説明したの…。寝起きで申し訳ないとは思ったんだけど、現状を知らせずにいるのもまずいと思って」
そのせいか、安土は顔色が優れない。それとも、元から低血圧なのだろうか?
「ちょっと不穏な空気にしちゃって、ごめんなさい」
「いえ、そんな事…」
私たちは席に着く。ちょっぴり重苦しい沈黙。それを壊したのはやはりというか、柿崎だった。
「おぉ、そういや…」
「どうしたのかね?」
「俺たち、いつ戻れるんだ?な〜んもテレパシーみたいなのを感じないんだが…」
「ふむ…それは、残念ながら分からないな…」
柿崎とデュランの会話に、疾風が口を挟む。
「おそらく、もうすぐでしょう」
それからは和やかな雑談が続く。いずれにしても、他愛の無い話だった。私は疾風のほうを盗み見ながら考えていた。今までに起きたすべての事態を説明できる1つの不条理、って一体何だろう?あんな実験で一体何が分かるのだろう?朝食が終わり、最後にフルーツが運ばれてくる。私がオレンジを食べようと手を伸ばしたその時だった。

疾風、だ〜い好きっ!!!

私はビックリして思わず手を引っ込める。それと同時に頭の中がパニックになった。な、何で!!?今のは…私の、叫び声?
「な、何だよ今の!?」 「ええっ!?」 「今度は何事でしょう!?」
みんなも一斉に口走る。柿崎はまったく事情がつかめず、リンゴを口にくわえたまま立ち上がっていた。冷静さを見せていたデュランや南奈、恵比須までもが狼狽している。この中でただ1人落ち着いていたのは…疾風だった。疾風はパチンと指を鳴らす。
「…約20分か。思った通り」
「は…疾風!!?何が一体、思った通りなのよ!?」
疾風は立ち上がり、南奈や恵比須にも椅子に座るよう勧める。そして疾風は、悠然と言い放った。
「これが“永遠塔”に潜む不条理…そして全ての混乱の元凶、ってことさ」


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