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とわのうた

第8部


「一体、どういう事なんだ?」
デュランが疾風に説明を求める。疾風はそれを聞いていないようで、テーブルの周りを歩き始めた。これはもしかして、名探偵にお決まりの、独白しながらの徘徊、ってやつ?しかし疾風は「さて…」というお決まりのセリフでは話を始めなかった。
「昨日一日で、いくつもいくつも違和感を覚えて…今朝までそれを、何も説明できなかった。でも、今から良く思い返してみれば、明らかにおかしいことが何個も出てくる。きっかけはサンドイッチだったんだよな」
「サンドイッチ?それって…私と修路が夕方食べてたやつ?」
「そう…安土さん、あのときのことを思い出してください。何か変わったことがありました?」
安土はちょっぴり俯いて思い出そうとしてから答える。
「いいえ、何にもなかったわよ」
「誰かの叫び声もしませんでした?」
「ええ、しなかった」
「え…?」
思わず声を上げたのは空岡だった。
「安土さん、あなた、雪川さんの悲鳴を聞かなかったの?」
「その通りです」
疾風がその後を引き取る。
「最初に女の悲鳴が聞こえてから、俺たちはP塔へ行った。そこでふとしたアクシデントがあって、美寛が森中に聞こえるような悲鳴を上げた。それなのに戻ってみると、安土さんも柿崎さんも平然とした顔でサンドイッチを食べているし、恵比須さんも全く何もなかったような表情だった。おかしいでしょう?あの女の悲鳴が聞こえたなら、美寛の悲鳴だって聞こえたはずだ。普通はそれにおびえて、また悲鳴があったことを聞くでしょう?それなのに2人も恵比須さんも平然としていた」
私にはまだ意味が分からなかった。疾風は何を言おうとしているんだろう?
「そ、そんな…まさか…?」
デュランが声を震わせる。
「デュランさんには話さなかったと思うんですけど、俺たち、ここに来る時に老人の声に案内されたんです。その老人は、この世界には不条理が1つだけある、と言いました」
「不条理?」
空岡が聞き返す。柿崎と安土は今思い出したような顔をした。
「つまり、ここは“永遠の世界”であって“現実世界”ではない。現実には起こりえない何かが起こっている。その意味が分からなかったんです。でも…ようやくその不条理の正体が分かった」
私は待ちきれなくなって聞く。
「ねえ、疾風、早く教えてよ!!その不条理って、一体何!?」
疾風は私のほうを向く。そして、ちょっぴり格好つけた声で、こう言った。

「美寛、この3つの塔はね…『流れている時間が違う』んだよ」

「な…流れている、時間…?」
私は飲み込めずに聞き返す。
「そうさ、流れている時間。もっと具体的に言おうか?」
私は頷く。私だけでなく柿崎や安土、空岡も頷いている。
「つまり…例えば中央の塔で9時だとするよ?でも、その時P塔は8時40分なんだ」
「は…はあっ!!?も、文字通り時間がずれているのかよ!?」
柿崎の叫びに疾風は頷いた。
「ええ。そしてその時F塔は9時20分。つまり中央の塔に対してP塔は20分遅く、F塔は20分早いんです。この時間に従って、急に音が空間を飛び越える。これが全ての混乱の原因なんです」
「え、え?で、それがどうなっていくの?」
安土が聞き返す。
「例えば安土さんも経験した、女の悲鳴の件で考えましょう。まず女の悲鳴が聞こえた。次に俺たち…俺、美寛、デュランさん、空岡さん、南奈ちゃん…はそれを聞いてP塔に行く。P塔の1階と2階を調べて、3階を調べている途中、美寛が悲鳴を上げた…。それなのに安土さんは美寛の悲鳴を聞いていない。分かりました?」
疾風は一度言葉を切る。
「P塔から聞こえたあの女の悲鳴は、中央の塔から言えば『P塔で20分後に美寛が発する悲鳴』だったんですよ」
つまり、私があの時出した悲鳴が、20分前の中央の塔に先に響いた…。
「きっとF塔にいた博士は、俺たちがあの悲鳴を聞くさらに20分前に悲鳴を聞いていたと思いますよ。もっとも、今となっては確かめられませんけど…」
「そ、そんなことが…」
「現実では絶対に起こりえない事です。でもこれで他の事も説明できる。例えばついさっき、美寛の叫び声がしましたけど…あれ、20分前に美寛に叫んでもらったんです。F塔にいたデュランさんは聞きましたよね?あんな事を言ったら普通は、俺たちが中央の塔に来たときに誰かが何か言うはずだ。でも、そんな素振りは全く無かった。これも傍証の1つです。何なら今からP塔に行けば…あと15分くらいで同じ美寛の声が聞けますよ。それから…」
疾風は空岡のほうを向いた。
「空岡さん、覚えてます?俺たちが博士に挨拶に行ったとき、F塔に入った瞬間にガラスが割れるような音が聞こえたこと」
「え?…ええ、覚えているわ」
「じゃあ、お聞きします。あれから20分後に、中央の塔で何が起きました?」
「え?何って……あっ!!」
「そう、あの時中央の塔では焔さんが花瓶を落として割ったんです。俺たちがF塔で聞いたのは、『20分後に中央の塔で焔さんが落としてしまう花瓶の音』だったんですよ」
そこで私は口を挟む。
「えっ!?ねぇ、待ってよ疾風!私たちが博士の実験室に入ったとき、博士は箒とちりとりを持っていたでしょう?あれは、博士が実験器具を部屋で割って、その後始末をしていたんじゃ…」
「違うよ、美寛…あそこのカーペットを思い出して。あんなに分厚いカーペットじゃガラスはきっと簡単には割れないし、割れたとしても音が吸収されてほとんど聞こえないよ」
確かに…。と、ここで初めて恵比須が自発的に話しはじめた。
「そ、それでは…ご主人様の幽霊というのは…」
「ええ、幽霊でも双子の片割れでも何でもありません。本人です。8時10分に美寛が博士を見た。博士はその足でP塔に向かう。この時点でのP塔は、7時50分ですね?それから8分後に殺された。そのときに時計が壊され、時計が7時58分で止められた。たったこれだけの事です。音は時間に合わせて空間を飛び越えるようですが、時計は連動して動くようですね…おそらく博士は気付いていたでしょう。覚えていますか?焔に博士が『実験が成功した』と言っていたのを。あれも不思議だったんですよ。6時半の鐘が鳴っているのにどうして懐中時計を見るんだろう、って。博士はその直前にも、F塔で懐中時計を見ていた。きっと、自分の時計が遡ったことを確認したんでしょう」
「な!?では、まさか…」
デュランの驚きの声に、疾風は重い口調で答えた。
「ええ…たぶん、この時間の不条理を演出したのは、博士だと思います。壁面にタイムトラベルを象徴するような絵を描いたのも、塔の呼び方を決めたのも博士でしょう?」
そこまで来て初めて、私は塔の名前の意味に気がついた。
「疾風!!それじゃ、FとPって…」
「ああ。PはPastの略で、FはFutureの略さ」
「お、おい、ちょっと待ちたまえ!となると、焔さんと博士を殺害したのは…」
デュランが珍しく取り乱した声を上げる。
「そう、拡声器で彼の悲鳴を拾ったのは、やはり俺たちに聞かせて自分のアリバイを確保するため。それなのに全員にアリバイがある時間を選んでしまったのは…そもそもこの言い方が不正確で…実は犯人にもこの20分のタイムラグを変える術がなかった。本当は血で気がついてよかったんだけどな」
「血?」
「焔さんから流れていた血さ。乾いていただろ?」
「ああ、そう言えば…」
「そもそも人間の血液が凝固する過程は、まず血液に含まれる血小板が破壊される。その後、血清に含まれるカルシウムイオンなんかの酵素反応が進行する。さらに血漿に含まれるフィブリノーゲンが繊維質のフィブリンに変化することで凝固していくんだ。この間、およそ15分から20分。今刺されたばかりの人の血液が既に凝固しているなんてありえない。でも…焔が実際に殺害された時間は、中央の時計で言えば7時50分頃のことだった。これなら血液の凝固にも納得がいく」
「じゃあ、その時にF塔にいた人っていうと…あっ!!」
安土が声を上げる。そう、私も覚えている。博士がいない今となっては、あの時間にF塔にいたのは焔と、焔の様子を見に行った1人しかいない。疾風はその人のそばで歩くのをやめた。
「どうしてこんな事をしたのか、話してくれない…?南奈ちゃん…」


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