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つきのうた

第5幕

「また強い風が吹いた。何だか今日は風が強い。なんか、嫌な予感がする。」
深駆「かぜのうた」より

次の日、私は疾風を誘って硫太君の家へ行った。もちろんこんな時に聞き込みなんてする気はない。それは、ちょっぴり期待してはいるけど…目的はただの献花だった。
献花台はマンションの入り口においてあった。私たち以外に、そこには1人の老婆がいた。
「あら…こんなお年頃の子達が…珍しいねぇ…」
老婆はそう、私たちに話しかけてきた。
「え…もしかして、硫太君のおばあさん…?」
私がそう聞くと、老婆は上品にかぶりを振った。
「いえいえ…私はこのマンションと隣のマンションの管理人ですよ…」
確かに、硫太君の家があるマンションの隣に、3メートルくらい離れてもう1つ、7階建てのマンションがあった。
「硫太君ともよくぬいぐるみで遊びましてねぇ…それが、どうしてあんな事に…犯人は気が狂っていますよ」
「うん…そうですよね…私たちも、そう思います…。早く、犯人に捕まってほしい」
「あんな血のような文字で死者を弄ぶような手紙を残して…絶対に許せません」
老婆は空虚な目で上を見る。そして私たちに向かって、また口を開いた。
「それはそうと、どうしてあなた方は…?」
「あの…あの日の、ちょっぴり前に私たち、公園で硫太君と出会って…」
そう言いながら、私は献花台に花を、疾風はオレンジジュースの缶を置く。かなり低いこの献花台は木製だった。後で聞いたけど、これは日曜大工が趣味の、管理人さんの夫のお手製らしい。
「そうですか…きっと、硫太君も喜ぶでしょうねぇ」
しばらく話をしてから、私たちは静かに黙祷した。それが終わった頃に私たちの後ろで、管理人さんに向かって低い声がした。たぶん「沈痛な」という形容詞が一番ぴったりする声だ。
「ああ…佐田さん」
私たちが振り返ると、そこには背の高い中年男性が立っていた。中年とは言ってもかなり紳士的な人だ。40歳には届いていないだろう。って、それじゃ「中年」は失礼か。
「ここのところ毎日…どうもありがとうございます…硫太のために」
私はそこで気がついた。…どうやらこの人、硫太君のお父さんらしい。
「いえ、いいんですよ…安月夜さんこそ、仕事が大変でしょう?」
「まぁ確かにそうですが…気は全く晴れません。女性ブランドの売り上げが低迷している、という話よりもおもちゃ売り場の売り上げの話を聞くほうが、今はつらいですからね…」 彼はジョークにしようとして軽く笑おうとしたが、上手くいかなかった。そのとき彼は、初めて私と疾風のほうを見た。
「君たちも…ありがとう。硫太のために…ああ、硫太…」
その時、どこからかここに似つかわしくない電子音が響いてきた。どうやらそれは、安月夜氏の携帯電話らしい。
「失礼…ああ、日向君か…例の訴訟の件だね?分かった、すぐにそちらの事務所に行くよ…」
彼は私たちに一礼をして、そのまま去ってしまった。私と疾風も、静かにその場を去った。
その帰り道でのことだった。私と疾風はふと、いつもの公園に立ち寄る。そして何気なくベンチを見たら、そこには1人の男性が座っていた。別にそれくらいなら驚きはしない。驚いたのは、彼の側に知り合いがいたからだ。
「あっ…」
思わず小さな声を漏らす。
「ん?美寛、どうした?」
「ね、疾風!ちょっと…ストップ」
私たちは遊具の陰に隠れる。セメントで出来た山に穴が空いていたり手すりが付いていたりする、かなり大掛かりな遊具だから、私と疾風の体ぐらい簡単に隠れた。疾風はもう一度、私に聞いてくる。
「どうしたの?」
「あのね、あれ…私たちがいつも座っているベンチの横で、新聞を開いている人…。あの人、警察なの」
パパの一番の部下だから、よく知っている。
「ただの休憩じゃないの?」
「バカ、そんなわけないでしょ!」
「じゃあ、何?」
そこで私は、警察官の隣のベンチに座っている男をもう一度見る。かなり痩身の男だ。丸眼鏡をかけていて、雑誌を読んでいる。言い方は悪いけど…根の暗そうな、でも頭良さそうに見えなくもない人だ。
「きっと、あの隣の人…あれが、大神なのよ」
「オオカミ?…ああ、獣の狼じゃなくて名字か…それで?誰なの?」
「あれは大神良一郎。警察が今、一番マークしている人なの。前科もあるって言ってた」
本当は、軽々しくこんな事を言っちゃいけないんだろうけど…。そこでふと、私の中を変な感情が通り過ぎる。…そうだ、きっとあの人は…。
「で、美寛はどう思うわけ?」
疾風は私の顔を覗き込む。やっぱり、さすがだよね。疾風は、私の聞いて欲しいこと、すぐに分かってくれる。私の思い込みでも、それは嬉しい。
「ううん、違うよ。あの人は…あんまり使いたくない例だけど…田川みたい。…きっと、“ピース”じゃないわ」

結局また、それきり「the lunatic」の足取りは途絶えてしまった。いや、無理やり閉ざされた、と言うべきだろう。重要参考人として大神良一郎が警察に連行されたからだ。きっと証拠不十分で釈放になると思うけど、一応それでマスコミの矛先はそれるらしい。もと警察関係者のコメンテーターは「きっと日本の警察ですから、十分な証拠を見つけた上での行動でしょう」と言っていたけど、それが本心でないことに、その人も薄々気付いているのではないか。何もないまま、もう14日になっていた。学校はもう春休み。私はヒマなので、疾風の家に行くことにした。
疾風の家には、疾風のお母さんしかいなかった。疾風はけっこう前にどこかに出かけたらしい。すぐ戻るような気もしたし、疾風の部屋で待たせてもらうことにした。疾風の部屋で、勝手に疾風のベッドに寝転ぶ。疾風の香りに包まれると、なんだか心が休まる気がした。それなのに、頭の中はあの事件のことでいっぱいだった。
まだ、全然分からない。なんで死体が増えたのか?なんで密室に出来たのか?そもそも被害者のリンクは?手紙に意味はあるのか?それらの事を、一つずつ考えてみる。
死体が増えた件。私たちは1人目の死体を見つけてから、ずっと洞窟の入り口にいた。4人が洞窟に入ってから生きた人間は見なかったし、どこかに隠れるような横穴、天井の穴もない。確かに死体の上の方には穴が開いていた。無理すれば子供くらいは通るかもしれない。でも、あの穴から死体を投げ落としても死体があんなにキレイに「安置」されるはずがない。そもそも、落とした傷なんて死体にはなかった。結局、そんな方法は私には思いつかなかった。でも、“黒い鏡”だなんて、私は信じない。
密室の件。ドアノブの指紋の件を考えれば、扉に細工をするのは考えにくい。かといって窓も無理だ。現場を見るまでは隣の建物から飛び移れるんじゃ…と思っていたけど、3メートルくらいあると分かると、これも望み薄。しかも今回は人が降り立てるスペースがない。もちろん、発見当時には開いていた窓、っていうのは何かのトリックを予感させるけど…。
被害者のリンクは?これが未だに全く分からない。天城潤の殺害動機は色々ありそうだけど、どう考えても理菜と理沙の姉妹や、まして硫太君…あの子達を殺害する理由が、全く分からない。もしかして、本当に無差別…?いや、無差別であんなに手の込んだことをするわけない。それと同時に、手紙の意味…。もっとも、手紙に付随してトリックを考えているような気がする。だとしたら、その手紙に意味はあるの?もしかして、ただの偽装かもしれない。
そこまで考えて、ふと思い当たった。…嫌な想像だった。事件は、これで終わったの?
この事件の犯人…マスコミがつけた名前を借りれば「the lunatic」…は、いつも犯行時に手紙を残す。そしてその手紙は、ゲーム“STORY OF MOONLIGHT”のブレイブノートからの引用だ。という事は、まだ犯行につながりそうな文章が残っていたら、「the lunatic」はそれを利用する可能性が高い。そうだ、まずそれを調べてみなくちゃ…。
私は、疾風の本棚から勝手にそのゲームの攻略本を抜き出した。本の中身は数字だらけで、数学嫌いの私にはつらかった。敵のHPはともかく、力や素早さの値までこんなに細かく記述しているなんて…そんなところまで見る人がいるのかな?ページをめくっていると、「ブレイブノート」をまとめた箇所が見つかった。私は1つずつ読んでいく。意外に他愛もない文章が多くて、怪奇的な文章はほとんどなかった。私は読み流していたが、最後の方の文章にふと目が留まった。マッドウルフという敵のノートで、こんなことが書かれていた。

「この世に存在する“狂狼”は血に飢えている。その血を求め、狂狼は人を歯牙にかける。しかし狂狼は決して大量の人間を見境なく殺してはいない。彼らは1人の人間の血で、その四肢と牙を一つずつ染める。そうして狂狼の爪と狂狼の牙は真紅に染まっていくのだ。これら全てを紅く染めた時、狂狼は地獄へと還って行く」

四肢と牙を染める…ってことは、5人分の血を求めている、って事だ。つまり、「the lunatic」がこのノートを使おうとしているなら、殺される人間は5人だ。今殺されたのは4人…。あと1人、もしかしたら…。
私はもう一度、これらのノートを読み返した。そういえば、疾風…まだ帰ってこないなぁ。そのとき、ふとあるノートが目に留まった。それは、私の記憶にある。今読んだからじゃない。ずっと前に疾風に見せてもらったノートだ。

「私は目の前に佇む美しき月の女神に尋ねた。“月の女神よ、あなたはどのようにして不老不死の力を得ているのですか?”女神は優しい微笑みを浮かべて答えた。“それは月の民からクレセントフィアーを得ているからです。”私はさらに尋ねた。“そんなものは聞いたことがありません。一体どのようにして手に入れるのですか?”女神はその微笑みを絶やすことなく答えた。“月の民をいたぶり殺すのです。彼らの断末魔の叫びがクレセントフィアーになります。私は彼らを、何日も時間をかけていたぶり殺すことで、彼らの叫びを、恐怖を集めて、不老不死の力を得ているのです…。”」

「月の民をいたぶり殺す」…?なぜか私の思考が、そこで止まってしまった。待って…思い出して!最初の被害者、天城潤は…芸名だ。本名の名前は仁司…。そう、そして名字は…お父さんが水無月市長なんだから、そうだ。彼の本名は水無月仁司だ。そして次の被害者、理菜と理沙の姉妹の名字は月下…。そして、3番目の被害者、姫原硫太は今の氏名であって、死亡する2週間前の名字は、そうだ、彼のお父さんとお母さんが離婚していなかったんだから…安月夜!みんな…みんな、名字に「月」の字が入ってる…。これは、きっと偶然じゃない。
そうだ…きっとこれが、この「月」こそが、被害者たちを結ぶリンクなんだ!それじゃあ、次の被害者は?思いをめぐらせて、まず頭に浮かんだのは硫太君と一緒にいた「ゆうなちゃん」だった。昔疾風が、「ユウナは沖縄の方言で月を意味するんだ」って言ってたことがある。…ううん、でも違う。今まで、ちゃんと名字に「月」という字が入ってる。いきなりそんな、苦し紛れなことにはならないはずだ。じゃあ、他に誰が…。
その瞬間が訪れたのは突然だった。考えたくもない想像。きっと私の心が逃げ続けていた想像だ。でも、ついに私はそのことを思い出した。足が震え始めた。目に涙がたまり始めた。そんな想像、できるなら今すぐにでも捨てたかった。それなのに、それを否定してくれる人が、今私の側にはいない…。

疾風の名字は……「月倉」…。
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