inserted by FC2 system

つきのうた

第6幕

「何が正義で何が悪なのかわからなくなった。」
霧舎巧「名探偵はもういない」より

私と疾風は、2人でK山を降りた。夜道を2人きりで歩く。そのときの私の気持ちは嬉しさが99%で、疲れたと感じる神経は麻痺していた。でも、残りの1%が気になっていた。名字に「月」という漢字が入っていることが、被害者たちを結ぶリンクじゃない。それじゃあ、被害者たちの真のリンクって一体何なんだろう…。
「そういう顔をしてる美寛は、きっと事件のことを考えてるんでしょ?」
横から疾風の声がする。見透かされたみたい。
「うん…でも、きっと疾風だって分かってないでしょ」
私はちょっぴり強がる。疾風は私に合わせて、すごくゆっくり歩いてくれていた。きっと疾風だって、ホントは私とできるだけ長くいたいんだ…。
「なんとなく、の見当はついてるけど?」
私は急に立ち止まった。今の言葉をじっくり反芻する。
「な…!?疾風、分かったの!?」
私は思わず、一歩先に進んでいた疾風の左腕を掴んだ。
「だから、何となく、だよ。可能性としてはありえる、っていうレベルの話だけどね」
「じゃあトリックも全部!?」
「ああ。何度も言ってるけど、あくまで可能性だからな」
「…教えて」
「悔しくないの?」
疾風は冗談半分にそう言ってくる。目はいつもより穏やかだから、あんまり反発する気にはなれない。それに、今は…何も考えたくなかった。どうせだから思いっきり甘えた声を出す。
「ふ〜んだ!どうせ私は、最後はいつだって疾風クンに頼らなきゃダメなんだもん!…これで満足?」
「ああ、満足」
私は疾風の肩に、そっともたれた。ちょうど頭の上から、疾風の言葉が優しく降り注ぐ感じがした。
「あのね、被害者たちに共通する、その…ミッシングリンクだった?それは…」
「うんうん」
私は疾風の次の言葉を待つ。
「ないよ。存在しない」
「…え?ちょっと、無いってどういう事!?」
思わず声を大きくしてしまう。疾風はゆっくりと下を向いて、私の目を見ずに話す。
「やっぱり、やめた…。今日は、もう…いいだろ?さっきの雰囲気を、壊したくない」
結局その後、事件の話は明日までの「おあずけ」になった。

次の日…。夕方になって、疾風が私の家に来た。私はついさっきまで詩織と遊びに行っていたところで、ちょっぴり疲れていたけど、でも疾風の頼みを断るなんて思考回路は、私の頭の中にはない。
「美寛、少し出かけない?」
そう言われて、私と疾風は今、並んで歩いている。疾風がどこへ私を連れて行くつもりなのか、私には分からなかった。でも、疾風と一緒ならどこへいってもいいや…。でも、しばらく歩いているうちに気がついた。目の前に、見たことのあるマンションが見えてくる。
「疾風…もしかしてさ、硫太くんの家に行こうとしてるの?」
疾風は曖昧な笑顔を返す。
「ちがうよ、こっち」
そう言って、疾風は勝手にマンションの中へ入っていった。私は急いで疾風の後を追いかけながら、一緒に頭も働かせる。…でも、どうして?ここは硫太くんの家があるマンションの、隣のマンションじゃないの…。
「…やっぱり、開いてるな」
疾風は屋上へ続く扉を開けていた。私はいきなり階段を上らされて、ちょっぴり息切れしている。もう…昨日から、何でこんなに動き回っているんだろ…。
「…美寛、大丈夫?」
「うん…平気…。それより、疾風…どういう、事…?」
息切れしながら疾風に聞く。すると疾風は、屋上のフェンスに近いところに歩いていく。
「…あった。これだ」
私は疾風の肩にもたれかかりながら、そっと覗き込んだ。金網上のフェンスの上に、二筋の真新しい傷跡が付いている。これは…ワイヤーの跡?
「美寛…分かった?」
そう聞かれて初めて、私は考え始めた。二筋のワイヤーの跡…そしてここは、硫太くんの家があるマンションの、隣のマンションの屋上…。フェンス越しに、硫太くんの部屋の窓も見える。ってことは、直線…?
…閃いた!
「ロープウェイだ!」
「そういう事。このマンションの屋上と、硫太くんの部屋にある窓の上方をワイヤーで結んで、こっち側から流し込むだけ。…ぬいぐるみが転がっていたんだろ?あれ、きっとこのロープウェイをしている間、硫太くんの体のバランスを支えるために、使われていたんだと思う」
つまり…死体を、ぬいぐるみに抱かせていた、って事…。
「そんな事が…行われていたのね…」
「距離的にそう遠くないからできることだし、人目がないって前提も当然あるけど…逆にそれがそろったから、出来たんだろうな。…美寛、ここはもういい?」
疾風は私のほうを振り返って言う。そのときの疾風の目…なんだか、暗い。きっと、これから先に起きること…真犯人が捕まることに、そして自分がそれに気付いてしまったことに、きっと…後悔、じゃないけど、少なくとも完全に誇れる気持ちじゃないんだよ、ね…?
「うん、いいよ。…残りの話は?」
「公園でしてあげる」
私はもう、何も言わない。黙って疾風の左手を握り締めて、屋上を後にした。

私と疾風は家の近くの公園に来た。そこまで二人は、何も話さなかった。でも、気まずくなんかない。むしろ心地よいくらい。それが…私と疾風が、恋人同士である証かもしれない。疾風の目は、一度公園へ向く。
「ん…?あれは…」
「え?どうしたの、疾風?」
疾風はそれだけ言って、公園の中へと駆け出してしまった。私もすぐに後を追う。昨日から走りっぱなしだ。きっとマラソン大会の練習でも、私、こんなに走った記憶はない。
いつも私たちが座っていたベンチに2人の人物が座っている。もう8時も過ぎているというのに、カップルでもないその人たちが座っているのは似つかわしくなかった。ベンチに座っていた1人は、ゆうなちゃん…日向優奈だった。でも、彼女はどうやら眠っているらしい。疾風は彼女の隣に座っていた、もう1人の人物に声をかけた。
「優奈ちゃんが…5人目でしょう?」
その声が聞こえた瞬間に、私は立ちすくんだ。…そんな!じゃあ、この人が…この人が、「the lunatic」!?疾風に話しかけられた人物は、ただ微笑んでいるだけだ。私は逆に怖くなった。
「…気は、晴れましたか?」
疾風が続けて問う。
「いいえ…朋明は…私たちをどう思うでしょうか…」
な…!?私、たち…?犯人は、ここにいる1人だけじゃない…?そして朋明って誰?私の混乱振りを見事に無視して、疾風と「the lunatic」は話を続けている。
「どうも思わないでしょう。あなたに一つだけ、戦災孤児の少女の言葉です。『亡くなった人たちの心は、もう動かないんだよ。何があっても、何をしても。目を閉じて思い浮かべる幻みたいに…ずっとずっと、変わらないまま』」
「あなたたちは…全て分かっているのですね」
「全て…じゃないですね。あなたの気持ちは、分かりません」
疾風はそう言って、静かに首を左右に振った。それ以前に私は、今の状況さえ分からない。
「今、あなたたちに出会えた事を、感謝します…。そう、やはりこれは、過ちでした…。しかし、それが社会とは言え、私たちは…許せなかったのです」
その人物は静かに立ち上がった。そして、優奈ちゃんのほうに目を向けながら、疾風の手に一つの紙切れを渡した。
「これは…あなたたちに渡しておきます。この子は…あなたたちが送ってくれますか?」
疾風に手渡されたのは手紙だった。そして中に書かれていたのは、あの犯行声明…私が以前、疾風の本から見当をつけていたマッドウルフというモンスターのブレイブノートだった。定規をあてて書いたような字も、手紙の特徴も一致している。本物に違いない。
「あなたたちには、もう会うこともないでしょう…感謝しますよ…」
そう言うと、その人物は静かに去っていった。その後ろ姿からは、その人物が「the lunatic」だなんて想像もつかない。狂気的でもないその背中には、むしろ哀愁しか感じられなかった。私は我にかえって、疾風にまくし立てた。
「ね、ちょっと、疾風!!…一体どういう事?」
「え?あの人が犯人だって事」
急にそんなことを言われたって、絶対信じられない。
「だって、だってあの人は佐田さん……硫太君が住んでたマンションの、管理人のおばあさんじゃない!!」

翌日。私は朝から疾風の家にいた。…というより、走り疲れたからなんて名目で無理を言って、疾風の家に泊まらせてもらった。目を覚ますと、目の前で疾風が寝息を立てている。私は、疾風のお母さんに貸してもらったパジャマを着ていた。こんなに嬉しい時間は無かった。一晩中、疾風と一緒に過ごせたのは、何年ぶりだろう?きっと幼稚園の時、初めてやることになった「お泊まり保育」が怖くて、疾風の家で予行演習をした時以来だから…もう10年以上は経つ。私は布団から出て、テレビをつけようかとも思ったけどやめておいた。何より疾風を起こしたくなかったし、今テレビをつけたら間違いなくニュースをしている。同じ情報なら、マスメディアなんかから聞くより絶対疾風から聞きたい。私は疾風の側で、おとなしく疾風が起きるのを待っていた。…疾風の耳に息を吹きかけるくらいの起こし方なら、きっとずいぶん「おとなしい」方法に違いない…と勝手に決め付ける。疾風はしばらくして、目を覚ましてくれた。

「ね、昨日の続き!最初からちゃんと話して」
結局私が疾風の話を聞くことになったのは朝食のあとだった。新聞の見出しが目に飛び込んでしまったからしょうがないけど、昨晩遅くに、マンション管理人の佐田ヨシとその夫、佐田勇次が警察に自首したそうだ。
「なんか…美寛、怒ってない?気のせい?」
「怒ってるよ!私より先に答えを知ったうえに、昨日の夜はこの雪川美寛って存在をず〜っと無視して、優奈ちゃんとばっかり話してたクセに!もぉ、このロリコン!!」
「ごめん…。でも、あの子に『もう少しで死んじゃうところだったんだよ』なんて言えないじゃない?」
「言えなくても私と話すことは出来るでしょ!もう!」
疾風はごめんな、って言いながら私を抱いてくれる。…もっとも今の私には、怒りなんて感情は無い。今のは、疾風に抱いてもらうためのちょっとした言い訳と演技。疾風はこういうのにはちょっぴり鈍い。
「何から話せばいい?」
「…やっぱり、トリックから知りたい。死体出現」
「分かった。…でもあれ、美寛が話してくれた“消失”と大して変わらないよ?」
「…えっ?どういう事?」
「だからさ、死体は1回目の発見と2回目の発見の間にあそこに運び込まれたんじゃない。俺たちが最初に見た場面…1回目に死体を発見した状況で、既にもう一方の死体はあそこにあったんだ」
「そんな訳ないよ!あそこにもう1人分の死体があったら、いくらなんでも気付いてるよ」
「だから、それを隠していたんだろ?」
「…隠す?どうやって?」
「もちろん、土で。あの洞窟、洞窟って割に下はほとんど土で、岩盤じゃなかったでしょ?」
「あのさぁ、疾風…土を払ったって事?でも、死体に土なんて全然ついてなかったじゃない!」
「ビニールシートとボンドがあればどうにかなると思うけど」
「…えっ…」
「こういう事さ。丈夫なビニールシートの上に一面ボンドを塗って、その上に薄く土をまく。そして、中央あたりに丈夫な糸を取り付ける。後は、俺たちが死体に驚いて外に出ている間に、滑車か何かを使って糸をシートごと手繰り寄せればいい。糸が見える危険性はあるけど、暗い色で塗っておいたりすれば…あの洞窟、多少日光が入るとはいえ、懐中電灯が必要な暗さだったから…まず、シートも見つけられない」
「え…でも、でも!私たちが死体の側に残ったらどうするつもりだったの?」
「そのときは別に、失敗でよかったんじゃないの?もっとも、あそこに行くのはカップルだけだ。死体を見つけてその場にどっちかが残ろう何て思う?」
確かに…死体と共に過ごすなんてお断りだ。
「携帯電話を使うにしても洞窟の外には出ないといけないし、あの洞窟が一本道だって事は誰でも気がつくと思うし…きっと、出る確率の方が高いと思う」
「それにしたって…そのシート、持ち上げるのは結構苦労しそうだね」
「ああ…だから犯人は2人なんじゃないかとも思ったし、子供を狙った理由もそこだと思うよ。体が小さいからさ」
ああ、「黒死蝶」と同じ考え方か。
「でも、そんなボンドとかって…普通の人が持ってるもの?」
「佐田さんの夫は日曜大工が趣味って…献花台の話をした時に言ってなかったか?」
そういえば、そんな話をした記憶もある。
「じゃあ…分かった、それは一応納得した。でもさ、疾風…。疾風はどこで気がついたの?管理人のおばあさんが怪しいって」
「おばあさんもそうだけど、その後主人も怪しいと思ってた。1つは、前に話したロープウェイのトリック。あれを使うためには、かなり自由に二つのマンションを行き来できないといけないって事。それをするのに自然なのは、やっぱり管理人だろ?それから…あのトリックを使っても、硫太くんの部屋に結んだワイヤーを回収できないだろ?あれを回収できるのは、鍵を開けてからただ1人そこに残った管理人しかいない。もう1つは色だった」
「色?」
何の事かよく分からない。
「美寛はさ、親父さんに聞いてたから違和感無かったんだろ?佐田さん、俺たちと話している途中で、一般市民には公表されていないはずの、手紙に書かれた犯行声明文の文字の色を血のような色だ…つまり赤だって言い切ったんだぞ?普通に考えれば不自然だろ?」
そんな事、私、全然気がついていなかった…。パパに情報をリークしてもらっている事が、逆に私の先入観を生んで、真実を見えなくしていたんだ…。
「とりあえず、あれで気がついた。…それで、あと何が残ってる?」
「ねぇ、疾風…。あの言葉の意味を教えて。疾風、被害者にミッシングリンクは存在しないって言ったよね?あれ、どういう事?無差別殺人なの?」
「無差別なわけ無いだろ?れっきとした動機が存在する」
「それ…何?」
疾風は一呼吸置いた。
最初に戻る前を読む続きを読む

inserted by FC2 system