やみのうた
開幕
…この世には三色しか存在しない。すなわち、この世界である黒と、それを覆う偽りの白と………血の赤だ。
「楽しかったね〜」
私は疾風の顔を覗き込みながら言った。疾風はちょっぴり不機嫌そうに見える。でも、本当はけっこう嬉しい、って表情。そういうのは、長年一緒にいると分かる。
「…でも、何て言うか…美寛好みのストーリーだったよね」
今日は7月21日、土曜日。今日のデートは映画だったの。今話題の、ちょっぴりロマンチックな純愛映画、かな?男の子が興味あるかは知らないけど、私たちの間では割と評判はいい方だったの。だから無理におねだりして、今日は疾風を映画館に連れ出したの。今はその帰り道。
「ん〜、そうかな?私には少し物足りないぐらいだったかな…って、疾風!今、溜め息ついたでしょ〜!」
私がちょっぴり怒って見せると、疾風は少しずつ謝ってくれる。もう、そんな時に出し惜しみしないでよ…。でも、それが疾風のやり方だから、私は別にそれでいい。
疾風が私に謝っている間に自己紹介をするね。私は雪川美寛。高校3年生。身長は154センチで、ストレートの黒髪は肩にかかるくらい。目が大きくって、色白でカワイイの!男の人が思う、理想の顔のカワイイ女の子にかなり近いと思うの。まぁ、性格はちょっぴり甘えんぼで(友達からはノロケって言われるけど…)、ん〜、言うなればイチゴのショートケーキみたいな女の子、かな。そして、隣にいるのは私の彼、月倉疾風。私の幼なじみで、高校3年生。身長は169センチ。サラサラの髪の、カッコイイ男の子なの。ちょっと前髪が長くて、暗そうに見えるかもしれないけど、私に対してはホントに優しくて、包容力があって…とにかく、私にとっては少女マンガのヒーローみたいな男の子。
「…これくらいでいい?」
もう、疾風も…私がそのずっと前に機嫌が直っていることくらい、分かっても良さそうなのに。私は、歩道橋の階段を上りながら疾風に答える。
「うん、十分だよ…あれ?」
「どうかした?」
「あのさ、あれ…美留奈じゃない?」
歩道橋の真ん中に、1人の女の子がいる。その子は私より少し長めの髪を風になびかせて、道路を行き交う車を見つめている。中学時代はいつもポニーテールだったから、最初は違和感があったけど…間違いない。あれは美留奈だ。
「…誰だっけ?」
「え?夜屋美留奈ちゃん。覚えてないの?中2の時に一緒のクラスだったでしょ、私たち3人とも…」
疾風はまだ首をかしげている。…もしかして疾風、私以外の女の子は眼中にない、とか?さすがにそれは、いくら彼女でも淡い妄想だよね…とちょっぴり思いながら、私は美留奈に声をかけた。
「美留奈〜!久しぶりっ!」
「…え?」
その言葉に彼女が振り向く。美留奈は白附の制服姿だった。あ、白附っていうのは私立の白龍大学附属高校のことで、市内では一番の進学校なの。
「あ…美寛ちゃんに…月倉君。2人で、どうしたの?」
疾風は美留奈に軽く頭を下げただけだった。それに美留奈も軽く頷く。
「えっとね、デートの帰り道。私たち、今年から付き合いだしたんだ〜」
私の言葉に、美留奈は不思議そうな顔をした。
「えっ…じゃあ、小学校や中学校の時って…2人は付き合ってなかったの?」
「うん、そうだよ?…なんで?」
「え、いや、その…すごく、意外だったから…あんなにいつも2人でいたのに、って」
そっか…周りのみんなは、私と疾風のことを、そう見ていたんだ…。そういえば疾風は、中学校のときくらいまでは割と人気があったのに(疾風には失礼だけど…)、告白されたこと、なかったって言ってた…。もしかして、みんな私に遠慮してたのかな?私がそんなことを思っているうちに、ちょっぴりオドロキな事が起きた。疾風が美留奈に話しかけていたの。
「なぁ…夜屋」
「…え?月倉君、どうしたの?」
疾風は不意に、私の手を引っ張る。…私には疾風のとる行動の意味が、最初分からなかった。一瞬後に、もう美留奈と話さない気だ…っていうのは分かったけど、でもどうして疾風がそんな事を…?そう思って疾風を見た時、疾風は美留奈に向かって一言だけ、でもはっきり、口にした。
「今日はやめとけ」
「………うん。分かった」
私は疾風に引っ張られていく。後ろを振り返ると、美留奈はこちらを振り向かずに、私たちがさっき上っていた階段を下り始めていた。
「ね、ね、疾風ってば!!今の、どういう事?」
私はそれから、疾風にしつこく聞いてみた。私の家まで大分近づいたとき、やっと疾風は口を開いてくれた。
「…ねえ、美寛?」
「何?やっと話してくれる気になったの?」
「夜屋の目…見たか?」
「…え?」
私は彼女の目を思い出してみる。…え〜っと、中学時代は眼鏡をかけていることが多かったけど、さっきはコンタクトだったなぁ…。それ以上のことは思い出せない…そう思っていると、疾風が先を続けてくれる。
「あの目はね、澄みすぎてた。これ以上ないって言うくらい、黒いというか…闇、って感じだった。あれはさ…」
疾風は一度言葉を切る。
「…『ひよこの眼』って覚えてる?」
『ひよこの眼』?私は頭の中の引き出しを一斉に開け始める。…確か、山田詠美か吉本ばななか、あのあたりの女性作家の作品に、そんなタイトルの本があって…そうだ、確か現国の授業で読んだ記憶がある。あれは確か、不思議な眼をした男の子に、ヒロインが夢中になって…公園でイイ感じになったその日の夜に、確かヒロインは、彼の眼が縁日で売られているひよこの眼に…自分の死期を悟っている眼に、似ていることに気がついて……!!
「ま、まさか疾風…!美留奈が、あそこから…?」
「気がついたからさ…。美寛、これ以上は…いいでしょ?」
そして疾風は、自分の家に帰っていった。私は、その意味を考える。どうして美留奈は…あそこから飛び降りようとしていたんだろう?そして、どうして…。私はそこで無理やり自分の思考を断ち切った。
それから3日後、24日火曜日の夜のことだった。明後日から本当の夏休み。「本当の」ってついているのは、補習のせい。最近はどこの高校でも、夏休みの最初の一週間や最後の一週間は補習なんだから…まして私たち、受験生だもんね…。それにしても、これって一体誰のせい?学校から帰ってきて夕食を食べて、自分の部屋でベッドに寝転んでそんなことを考えていると、不意に1階から声が聞こえてきた。どこかゆったりした、悪く言えば間の抜けた声…それは間違いなく、雅お姉ちゃんの声だ。
「みひろちゃ〜ん、みるなちゃんからお電話だよ〜」
…え?美留奈から?私はあわてて階下に降りた。
「もしもし、美留奈?」
「うん、ごめんね急に」
間違いなく美留奈の声だ。3日前より元気な声だったから、思わず胸を撫で下ろした。
「ううん、それはいいんだけど…どうしたの?」
電話口から、すこしか細い声が聞こえてくる。きっと美留奈は、はにかんでいるんだろうな。
「なんだか、中学校時代のことが、懐かしくなって…あのね、もしよければ…今度の土曜日に、私の家に来てくれないかな…って。いろいろ、ゆっくりお話したいの」
それを聞いて私はビックリした。嬉しさも当然だけど、それより何より萎縮してしまう気がした。…夜屋家は、この市で一番の名家で、庭に噴水があったりメイドさんがいたりするような、それこそ大豪邸だからだ。…これは、ちょっと1人では行きたくないなぁ…そう思った瞬間に、私は口に出していた。
「あのさ…疾風と一緒じゃダメ?その…ほら、1人で行くには…ちょっと…」
「うん、いいよ」
「ありがとう。じゃあ…お昼食べたら、くらいでいいかな?1時過ぎ」
「うん、それでいいよ。急な話なのに、ありがとう」
「ううん、そんなの気にしないで。それじゃ、またね〜」
そう言って私は電話を切った。そのときの私の気持ちは、色々複雑だったけど、そのほとんどは楽しさだった。久しぶりに会う友達とお喋りすることは、少なくとも私にとってはすごく楽しいことだし。私は、土曜日までウキウキした気分で過ごすことになる。
そしてこれが…悪夢の、始まり…。