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やみのうた

第1幕


『もしもそれだけのお金で相続争いなんてことになったら、それこそ殺人事件ものじゃない?』
綾辻行人 『迷路館の殺人』より

7月28日土曜日。私と疾風は、市のはずれの方にある木々に囲まれた場所にいた。位置としては、私たちの学校(私立深月高校って言うんだけど)の北側にあるK山の、学校があるのとは反対側の山すそのあたり。もちろん山を越えるわけじゃなくて、まず学校まで行って、そこから回り込む形で美留奈の家に向かった。
「夜屋の家って…こんな森の中にあるのか?」
「もう、森は大げさだよ。ちゃんと舗装された道だって続いているし、少し街路樹が多いくらいだと思えば…」
「…確かに、これは森じゃなくて林だな」
私の中では森も林も大して変わらないんですけど…。疾風は少し間をおいてから、また話し始める。
「知ってる、美寛?森と林の違い」
「…え?森の方が林より木が多いんじゃないの?」
「違うよ。林は人工的に植樹された木の集合。人の手が加わっていない森とは全然違う。…例えばさ、スギ林とはいうけどスギ森はないだろ?」
…う〜ん、言われてみれば確かにそうかも。でも、杉森さんって人はいると思うけどなぁ。
「このあたりの木は、人工的に植樹されてる。それに、この道路…」
「ん?道路がどうかした?」
疾風は私の顔を見てくれる。私はその目を受け止めて、それから道路を改めて見た。…別に何の変哲もない、一本道の道路。それは、車線がないから離合はちょっぴり難しいかもしれないけど…。でもさっきから車が通る気配はない。だからこそ私と疾風は2人で並んで…つまり、思いっきり道路を封鎖しながら歩いている。
「言い方は悪いけどさ、市の中ではどう考えたってここは辺鄙な場所だろ?それなのにこんなにきちんと道路が整備されている」
「えっ?何が言いたいの?別に道路が整備されているなら、いいじゃない」
「まぁね。言いたかったのは、植樹や道路工事の誘致ができるくらい、夜屋の家に金と権力があるんだなって事」
ああ、そういう事ね。…確か美留奈の家は、代々お医者さんだったような気がする。美留奈のお父さんも医者だ、って美留奈が言ってたかな?街中に「夜屋内科」っていう病院があるけど、多分あそこだろうな。この近辺で夜屋なんて名字は1つしかないはずだから。
「おい、どけよ!!」
いきなり後ろから、疾風の声に比べたら遥かに野太い声が聞こえてきた。私がビックリして振り返ると、自転車に乗った中学生の男の子がいる。…あ、この子の制服、私たちが通った星川中学校の制服だ。襟元に「3」という学年章がついている。…ってことは…美留奈の弟?そういえば弟がいるって聞いたことはあるけど、弟の名前までは知らないなぁ…。とにかく私と疾風は、道の脇に寄った。
「ったく…この先には夜屋の家しかねぇぞ。デートなら別の場所に行け」
それにしても…何よ、この子の口の聞き方!
「ふんだ!私たちは夜屋美留奈ちゃんに呼ばれてきたのよ!」
そういえば納得するかと思ったけど、目の前の男の子は逆にますます敵意をむき出しにする。
「チッ、本家にだと!?…用が済んだらさっさと帰れ!」
それだけ吐き捨てて、彼は奥へといってしまった。私は不機嫌がおさまらずに、思わず疾風に愚痴をこぼす。
「何、あの子!あんな子が美留奈の弟なの!?」
「違うと思うけど?」
さっきまで一言も口を聞かなかった疾風が、ここに来てようやく口を開いた。それにしても…。
「…ね、今『違う』って言った?それって、あの子が美留奈の弟じゃない、ってこと?美留奈、弟がいるっていってたけど…」
疾風と私は、再び歩き始める。もちろん、2人で並んで。
「ああ…だって今、あいつ、『本家』って言ったじゃないか。自分が本家なら、普通あんな風には言わないだろ?この先って、家は1つしか無いんだよな?」
「うん。私も聞いただけだから詳しくは分からないけど、きっとそう」
「だったら、きっと夜屋の家には…『本家』の人間と『分家』の人間が同居しているんだと思う。それが一番、現実的じゃない?今の奴はさ、美留奈って聞いて『本家に用があるのか』みたいに言っただろ?だからきっと…その、美留奈たちが本家の人間で、あいつは分家の人間だろ」
なるほど〜。…でも、そう考えると美留奈の家って、複雑なのね。家系図を描かないと分からないかもしれない。私は推理小説には家系図や家の見取り図があってほしいといつも思っているけど、それをいつも把握できないの…。だから読み進めるたびに、図を見るために前のページに戻るんだけど…。
「ところでさ、美寛…」
その声で我に帰って、私は疾風のほうを見た。疾風は前を見たまま声を上げる。
「まさか、夜屋の家って…あれ?」
私もつられて前を見る。その途端…私は、足が震え始めた気がした。

急に視界が開けたその先に見えたのは、とっても大きな、2階建ての洋館だった。少し色の落ちた紺色の屋根は3つの山からなっていて、数世紀も前のヨーロッパから、そのまま取ってきたようなデザインだった。たぶん漆喰でできている白い壁には、ところどころに蔦が絡み付いている。
「すごいな…」
思わず疾風が、そう口に出していた。
「うん…。私、こんな家、マンガでしか見たことないかも…」
「いかにも美寛が好きそうな、推理小説の舞台になりそうな外見だよな」
疾風が冗談半分に言う。でも…私にも、そうとしか見えなかった。私は視線を、下のほうに徐々に動かす。家の正面玄関は見えない。その前に大きな噴水があって、噴水の中央にあるオブジェに家の玄関は隠れているみたい。さらにその噴水の前にも、私たちの視界を遮るものがある。それは、大きな黒い鉄の門だった。
「とりあえず…中に入るにはどうしたらいいんだ?」
門の前で疾風がつぶやく。疾風は…何も考えられないような顔になっている。私もすっかり、この建物に飲み込まれてしまっていた。とにかく、どうにかして美留奈を呼ばなくちゃ…。そう思って辺りを見回す。
「……あ!疾風、そこ!」
私の目に飛び込んできたのは、3つのボタンと見慣れない装置。私と疾風はその装置に近づく。
「…これ、指紋の認証をする機械じゃないか?」
「うわ…すごいね…。あ、でもでも、この上のボタンは、普通のインターホンじゃないかな?」
指紋の認証をするらしい機械の上にある3つのボタン。そしてその上には、ネームプレートがある。そこには左から順に「夜屋宮蔵」「夜屋満夫」「夜屋道夫」と書かれている。
「えっと…これは、つまり…どういう事?」
私は疾風の顔を見る。疾風もなんとなく、首をかしげているようだった。
「えっと…これはつまり、さっき俺が言った仮定をそのまま当てはめるなら…本家と分家以外に、もう1つ家があるって事…か?例えば分家が2つあるとか。とにかく、どれかを押して話をした方が早いと思う」
そう言って、疾風は左側…「夜屋宮蔵」と書かれているボタンを押した。すると、すぐに反応があった。
「はい…夜屋でございますが?」
聞こえてきたのは、すごく渋い声。たぶん60歳くらいの人なんじゃないかな?でも、渋くてもはっきりと発音されている。聞きようによっては、「無機質」とも言えるかも。ああ、もしかして…執事さん、なのかな?やっぱりお金持ちの家はすごいなぁ…。
「すみません…俺たち、夜屋美留奈さんの友人で、彼女に呼ばれたんですけど…」
疾風が少しだけよそ行きの口調で話す。相手からは、同じ声の調子で端的に返事があった。機械的といってもいい声。なんだか…少し、怖くなってきた。私たちの話し相手は…本当に、人間?
「美留奈様に呼ばれたのでしたら…。お手数ですが、真ん中のインターホン…分かりますでしょうか、ネームプレートに『夜屋満夫』と書かれているものでございます…そちらを押していただいて、応対した者に改めてご用件をおっしゃって下さい…」
「あ、はい。分かりました」
疾風は言われたとおりに、今度は真ん中のインターホンを押す。しかし…美留奈の家ってば、一体どんな家族構成になっているのかしら…?
「はい、夜屋でございます」
今度の声は、かなり明るい声だった。…う〜ん、40歳くらいの、井戸端会議が好きなおばさん、って感じの声だ。ここでも疾風が事情を説明する。
「すみません…俺たち、夜屋美留奈さんの友人で、彼女に呼ばれたんですけど…」
「美留奈様に、ですか?失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
「ええ。月倉疾風と、雪川美寛です」
「月倉様と雪川様ですね。少々お待ちになってください…」
一度会話が途切れる。そこで疾風は、軽くため息をついた。
「…どうもこういう会話は苦手だな…息が詰まりそう」
「うんうん、疾風にしては上出来だったよ」
「疾風『にしては』、って…美寛、どういう意味?」
疾風は私を軽く睨む。それは…もちろん、言葉どおりの意味だけど。もちろん、そんなことを言うと疾風の機嫌が悪くなるから言わない。疾風が口を開きかけたとき、聞きなれた声がインターホンからしてきた。
「…美寛ちゃん?」
「…あっ、美留奈!へへっ、疾風と一緒に来たよ!」
「うん、ありがとう。…ごめんね、扉のことを言ってなかったから…ビックリしなかった?」
「ううん。…ホントはね、もうこの家自体に圧倒されちゃって、そんな小さなところを驚く気になれないの」
インターホンから、小さな笑い声が聞こえる。とても上品な笑い方だった。
「ごめんね、どうぞ」
インターホンが切れると同時に、黒の扉は奥へと開け放たれていった。

「しかし…すごいな、これ」
私と疾風は門の中に足を踏み入れた。しばらく、綺麗に手入れされた庭を通ることになる。私たちの正面に見えるのは噴水で、その中央には1つの石像が置かれていた。
「誰だろうね、この人?」
私はそう言いながら、疾風と噴水を見上げる。弓矢を持っている女の人の像だった。掲げられた弓矢は、夜屋家の玄関に向けられている。なんか…その美しさ自体が、古めかしい。今ではもう失われたような、そんな美しさを醸している。
「彼女はね、アルテミス。ギリシャ神話に出てくる主神ゼウスの子供の1人で、月の女神。狩猟の神でもあるの」
後ろから甘美な声が聞こえてくる。私と疾風があわてて振り向くと、そこにいたのは…。
「あなたたちは、誰のお友達かな?」
最初、私は噴水の上の石像が現代に蘇ったのかと思った。…私たちの目の前にいる人は、誇張ではなく、綺麗だった。まさしく女神、みたいな感じ。私たちのほうを見て、優しく微笑んでいる。この、嫌味の無い優しさ…雅お姉ちゃんに似ているかもしれない。髪も長めで少しウェーブがかかっているし、色白だし…。
「あの、俺たちは…」
疾風がそれに答えようとする。…なんか、疾風のその声、その表情…いつもと違う。
「美留奈ちゃんに呼ばれて来たんです」
疾風がちょっぴり顔を赤らめている間に、私はさっさと話を終わらせる。そして横目で疾風を見た。疾風は…なんだか決まりが悪そう。それはきっと、恋人が隣にいるときに綺麗な女の人を見た男の子がする自然な反応…。そうは分かっていても、疾風がちょっぴり許せない。
その時、後ろにあった大きな白い扉が開いた。中から出てきたのは美留奈だった。
「いらっしゃい…あ、お姉ちゃん!」
その言葉に、私たちは改めて目の前の女性を見つめる。そうか、言われて見れば確かに、ちょっぴり美留奈に似ているかもしれない。
「あ、美留奈ちゃん。お友達だよ」
「うん、分かってる。さっき話したから。…2人とも、こっち」
美留奈が私たちを急かす。疾風は首をかしげながら美留奈の後についていく。私も並んで歩きだした。美留奈のお姉ちゃんは、笑顔のまま私たちを見守っている。美留奈はそれ以上お姉ちゃんのほうを見ることなく、家の中へと入っていった。
…私には、美留奈の気持ちがなんとなく分かる。きっと、この2人の関係は、昔の私と雅お姉ちゃんの関係に似ているんだと思う。疾風と付き合う前の私は、お姉ちゃんの本性から出る優しさが、嫌いだった。いい子ぶってるようにしか感じられなかったもの。お姉ちゃんにとっては、あの優しさが地なの。なのに、お姉ちゃんのことを裏がある、腹黒いと普通に思っていた。それで、髪を茶色に染めたりして…とにかく、お姉ちゃんの様になりたくなかった。でも…私は、今はそう思っていない。それはきっと、私のことを誰より好きでいてくれる人…つまり疾風が、傍にいるからだよね。それにしても、ここで「A is to B what C is to D」なんて構文が頭に思い浮かんだ私は…はぁ、しばらく受験のことなんて忘れていたいのに…。
でもそんな些細な事は、家の中に入って一瞬で吹き飛んだ。

「うわ…何、ここ!?」
思わず大きな声を上げてしまう私。半分くらいは溜め息混じりだ。玄関を入ってすぐの大きな吹き抜け。その上にあるのはシャンデリア。きっと夜になると煌々と輝いて、客人を出迎えるのだろう。中央に階段があり、その手すりの装飾も豪奢だった。もちろんこれはよく言えば、であって、清貧な人からは無駄とも言えるかもしれない。でも、私にとっての威圧感は十二分だった。その階段のそばに置かれている花瓶一つを取ってみても、とても高価そうなアンティークだと思う。もちろん自信はないけど、できれば触るのは遠慮したい雰囲気だった。さらに驚いたのは、この家には玄関…つまり靴を脱ぐ場所がない。床は臙脂色のカーペット。それが少なくとも見える範囲には、ずっと続いている。日本に土足のまま上がれる家があったなんて…。
「とりあえず、私の部屋に…2人とも、大丈夫?」
私は慌てて平静を装う。でも、いくら演劇部だった私にも、それは無理な注文。一方の疾風は、まだ驚きを隠しきれていない。私は疾風の背中を軽く叩いてから、美留奈のあとを追って2階へと上がった。階段を上った正面には、7つの扉が並んでいる。美留奈は真ん中の扉を開けて、私たちを手招きした。
「どうぞ、こっち」
そうして入った美留奈の部屋が、またすごい豪華。さすがにシャンデリアはないけど、まず広い。たぶん私の家のリビングと同じくらいある。南向きに1つ大きな窓があって、どうやらそこからベランダに出られるらしい。部屋を入って左側…方角で言うと東にはベッドがあり、西には机や本棚が置かれている。本棚があるのは、いかにも美留奈らしい。
「じゃあ…とりあえず、ベッドにどうぞ」
美留奈に言われるままに、私と疾風はベッドに腰掛ける。美留奈は机の陰になっている場所から、ジュースとお菓子を取り出した、って…?
「…美留奈、自分の部屋に冷蔵庫があるの!?」
「うん、そうだけど」
平然とした顔で言われると困るなぁ。疾風の目はさっきから大きいままだ。疾風の目が大きくなる状況がこんなに長く続くっていうのも珍しいかも。それほど疾風も、ほとんど表情には出さないけど、この家に驚いているみたいだった。
「本当に…来てくれて、ありがとう」
美留奈は私たちにコップを手渡しして、ジュースを注いでくれる。何だか喉が渇いていたから…きっとさっきから驚きすぎているせい…、私たちはありがたく受け取る。
「そんな、別にいいよ〜。久しぶりに色々お話したいしね。…あ、そうだ、その前に」
私は一度疾風のほうを見る。その視線で、何となく疾風だけは、この先の展開に気付いてくれると信じながら。
「1つ聞きたい事があるの…ちょっぴりプライベートな事だとは思うけど」
「うん、いいよ。どうしたの?」
私が聞きたかったことは、当然、さっきから私たちの頭を悩ませていることだった。
「この家の家族構成を教えて欲しいな、って。ほら…入り口にインターホンが3つあったりさ、それからさっき、すっごく態度の悪い星川中のヤツと会っちゃって…なんか美留奈のこと知ってるみたいだったけど、あれ、誰?」
私の言葉を聞いて、美留奈は一度後ろを向く。美留奈は私たちと向かい合うように、自分の椅子に座っていた。後ろにある机から、紙と鉛筆を取り出しているみたい。
「ちょっと待ってね…少し複雑だから、紙に書いた方がいいと思うの」
しばらく待っていると、美留奈は私たちに紙を見せてくれた。私と疾風は、顔を寄せ合って覗き込む。
「まずね…この家で一番偉いのは、宮蔵おじいさまとミロおばあさまなの。つまり、この2人が私の祖父母にあたる。そして、おじいさまとおばあさまの間には、二人の息子がいるの。兄が満夫…私の父ね。弟が道夫…この人が私の叔父にあたるの」
なるほどなあ…それで3つのインターホンの意味は分かった。つまり、ベースは二世帯住宅なのね。そして「子の世代」に当たる部分に、兄の家族と弟の家族、二つが存在するからこんな面倒なことになっていたのね…。美留奈の説明はまだ続く。
「そして、私の母が未来。そして、この2人に子供が4人いるの。一番上が美月お姉ちゃん…ほら、さっき噴水のところにいた人。次が私で、その次が美依夢。私と同じ白附の1年生なの。そして一番下が民人。民人は…今11歳なんだけど、足が悪くて車椅子生活なんだ。だから学校に行ってない」
そこまで話が進んで、疾風が初めて口を開いた。
「じゃあ、やっぱりさっき会った中学生は、その叔父さんの息子って事?」
美留奈は頷いて、説明を続ける。
「うん。叔父さんの奥さんは南さんって言うの。その2人に息子が2人いて…兄が実大くん、弟が実亜那くん。それで…実亜那くんは、ちょっと理由があって…彼も学校に行っていないの。だからきっと、二人が会ったのは実大くんね。彼、口が悪いし」
「えっ…ちょっと待って。その…民人くんと実亜那くんは、学校に行ってないの?勉強とか、どうしてるの?」
「あ、それは美沙さんがしてくれるの。…って、そうだ、話してなかったよね。この家には、3人の使用人がいるの」
うわ、やっぱり執事やメイドさんがいるんだ…って当然だよね。さっき二人も応対してくれたじゃない。
「一人は古谷さん。彼は60歳くらいのお爺さんで、基本的に宮蔵おじいさまとミロおばあさまの世話だけをしているの。それから、中矢さん…きっとインターホンで応対してくれたと思う…あの人が私たち6人、つまり自分で言うのは何か変だけど、満夫と未来とその娘息子4人の世話をしてくれているの。それから美沙さん…っていう人が基本的に、叔父様一家の世話をしているの。それから彼女は特に、民人と実亜那くんの家庭教師もしているわ」
言いながら美留奈は、さっきの紙にその3人を書き足した。つまり、この家には最大で15人が暮らしているって事になるのか。ここでまた疾風が口を開く。
「そう言えば…市内に夜屋内科ってあるだろ?あれは…その…美留奈の、親の病院?」
さすがに疾風も、これだけ「夜屋」姓の人物が話に出てくる中では、美留奈のことを下の名前で呼ぶしかないみたい。でもまだ、ちょっぴり抵抗があるみたいで、そのもどかしさが私にはおかしかった。
「ううん、あれは叔父様の個人病院。私の父は、宙丘総合病院で働いているから、個人の病院は持っていないの。ちなみに叔父様の奥さんの南さんも、歯医者さんとして同じ総合病院で働いているわ」
どうも美留奈の家は、聞いていた以上にお医者さんの家系らしい。
「うわ〜、なんかスゴイね…としか言えないや」
「そうだね…私も、どちらかと言うと他人事」
美留奈はそこで小さく微笑む。そこに歩道橋の上で出会ったときの、あの面影はない。私はそれに安心した。
「ああ、でもよかった〜。あんなヤツが美留奈の弟じゃなくって」
「ふふ…でも、それはちょっと実大くんが可哀想かな」
「でも、やっぱりイメージが違うよね。あんな怒る人と、全然怒らない美留奈が姉弟なわけないよね」
私が明るくそういうと、美留奈は逆にちょっぴり俯いてしまった。
「…ううん、そんな事ないよ…私だって、怒りたい時は怒る…」
その表情は、かなり真剣そうだった。疾風が少しだけ、口を挟む。
「お姉ちゃんに?」
「うん、そうだよ…。あんな完璧なお姉ちゃんなんか、いらないって…よく思う」
美留奈は決然とそう言った。
「私も…分かるなぁ」
「合わせてくれなくていいよ」
私が同情すると、美留奈から冷たい言葉が返ってきた。その予想外の言葉に私は驚くけど、そこは疾風がフォローしてくれる。
「美留奈…美寛は単純に同情してるわけじゃないよ。美寛の姉も…美月さんだっけ?あんな感じの人だから」
「…え?そう…なの?」
「うん、そうだよ。スタイルも良いし、男好みの甘ったるい声を出すし、性格もムカつくぐらい良いし…。けっこう美月さんと似てるな〜。最近まで、私、お姉ちゃんのこと大ッ嫌いだったもん。もちろん、それよりもずっとずっと昔…私が小学校に入る前とか、それぐらいの頃は自慢のお姉ちゃんだったけどさ?」
私が軽くそういうと、今度は美留奈のほうが驚いた顔をしている。
「そうなんだ…でも、美寛ちゃんは、今…お姉ちゃんのこと、キライじゃないの?」
「う〜ん…まだ好きになれないところはあるけどね。私が中学生や高校1年生の頃に比べれば、大分受け入れられるようになったかな」
「どうしてそう思えるようになったの?」
「きっと…自分のことを誰よりも気にかけてくれる人と出会えたから」
そして私は、疾風に目配せした。疾風は視線を私からそらして、美留奈のほうを見て言う。
「美寛、昔からこういう性格だから…怒らないで」
「うん、分かってるよ…美寛ちゃんって、そういうところ…変わらないよね」
美留奈と疾風は微笑みあう。…ちょっと、それ、どういう意味よ〜!
それからしばらく、私たちは色々なことを話していた。まずお互いのお姉ちゃんのグチから始まって、中学校時代の思い出、友達のことや映画のこと…できるだけ勉強の話題は出さないようにしながら、私たちは楽しくお喋りしていた。内線電話が鳴ったのは、そんな時間だった。
「…あ、内線だ。ちょっと、ごめんね」
美留奈はそう言って受話器を手にする。そしてしばらく話をしていたが、急に美留奈の表情は曇っていった。
「ねえ、どうしたの?」
美留奈が受話器を置いてすぐに、私は声を掛ける。美留奈は部屋のドアまで近づき、そこで振り返った。
「あの…実は、宮蔵おじいさまが…亡くなられたの」
「えっ…!?」
私と疾風は控えめに驚いて、そして顔を見合わせた。
「これは話していなかったけど…おじいさまは心臓を患ってここ数ヶ月、この家で静養していたの。だから…時間の問題、とは言われていたけど…ね。ごめん、私、おじいさまの部屋に行かなくちゃいけなくなった。多分すぐに終わると思うから、ちょっと待ってて」
美留奈は部屋を出て行った。私と疾風は部屋に取り残される。
「なんか…嫌な空気だね」
「ああ…。ねえ、美寛?」
疾風は私に問いかけながら、ベッドから立ち上がる。そして南側の窓へと近づいた。
「ベランダに出るくらいはいいだろ。…ちょっと出てみない?」
「…うん、そうだね」
私はベッドから立ち上がり、南側の窓へと向かっていった。

私は疾風と一緒にベランダに出た。そこに広がる景色は、やっぱり陰鬱な感じ。一面に森のような景色が広がっていて、暗い印象を受ける。視線を少し下のほうにやると、右手…つまり西側の方に、小さめの木造の建物が見えた。
「あれ…何だろうね?」
「さあ?物置かな」
私と疾風はしばらく、何も話さずにいた。その時、扉が開く音がした。私は思わず振り向くけど、美留奈の部屋のドアが開いたわけではない。疾風が私の耳元でそっと告げる。
「美寛、下みたいだ。…きっと裏口か何かがあるんだろ。これだけ広い家なんだから」
言われて私は、ベランダからちょっぴり身を乗り出してみた。するとそこには、2人の女性がいる。1人は50歳くらいのおばさんで、もう1人はもっと若い人だった。う〜ん、30歳には届いていないと思う。おばさんは割烹着のような服を着ていて、ちょっぴり小太りかも。若い人のほうは普通の服…クリーム色のようなブラウスに、茶色のロングスカートで、すらっとした人だった。その二人の話し声が聞こえてくる。おばさんの声のようだが、声の張りは意外に若々しい。私たちは思わず、身を潜めた。
「しかし…美沙ちゃん、あの遺言聴いたかい?全く宮蔵様も、とんだ遺言を作られたことだよ」
な…?遺言……!?あ、でも夜屋家くらい大きな家の当主が亡くなったんだから、遺言くらいあって当然よね。それもきっと、何億円という単位じゃすまないと思う。だって、夜屋家と言えば、日本でも名だたる名家…こんな表現自体は古びているかもしれないけど…なんだもの。
「あの、中矢さん…そんな事、あまり大声で話しちゃいけないことじゃ…?」
それを聞いてこの2人が誰か分かった。なるほど…おばさんのほうが、美留奈ちゃんたちの一家の使用人である中矢さんで、もう1人が道夫一家の使用人である「美沙さん」か。そう思って私はもう一度、二人を観察する。中矢さんはどこにでもいる普通のおばさん、って感じの人だ。少しパーマをあてている。髪のところどころが茶色いのは、きっと白髪染めだろう。一方美沙さんのほうは、髪を後ろで一つにくくっている。顔立ちは…う〜ん、美月さんや美留奈ちゃんに比べると美人ではないけど、でも人好きのする顔だ。きっと同性からの受けはいいと思うなあ。
「いいのよ、別に。ほら、仕事に出ている満夫さんと南さん以外、古谷さんも入れてみんな、今は宮蔵様とミロ様のお部屋に集められているんだから。きっと今頃、修羅場だろうけど」
中矢さんの威勢のいい声がする。きっと彼女は、私たちを案内したことを忘れているのだろう。しかもその2人が、ベランダから自分たちの話を聴いているとは夢にも思っていないだろうなあ。
「修羅場…ですか?そんなに変わった遺言を、宮蔵様は作られたのですか?」
「ええ、そうよ。だって自分の息子夫婦には、どちらにも一銭もやらないのよ。美沙ちゃん、聞いてないの?」
「ええ…遺言に関しては、何も…」
私は目を丸くする。…息子夫婦に何も残さない遺言…?
「ああ、心配はしなくていいのよ。私たちにはちゃんと、一定額支給されるらしいから」
「あ、いえ…そういう事ではなくて…。あの、結局遺言には何て書かれていたんですか?」
そう、一番大事なのはそこだよね。私は、はやる気持ちをぐっと抑えて耳を傾ける。
「ああ、そうよね。美沙ちゃん、いい?まず、第一段階として、遺産はすべてミロ様に渡されるの」
「ミロ様に、ですか?ええ、それは理解できますけど…」
「問題になっているのはここからよ。ミロ様も病弱だし、あまり老い先は長くないわ」
「な、中矢さん…失礼ですよ」
美沙さんの焦った声がする。
「ああ、ごめんなさいね。そうそう、それでよ。ミロ様が亡くなられた時の遺産、これが問題なわけ。まず、私と美沙ちゃん、それから古谷さんには一定額が支給されます。これはいいわね?」
「ええ」
古谷さんと言えば、美留奈の話ではこの家の当主夫妻に使えている執事さんだ。きっと、疾風が「夜屋宮蔵」のインターホンを押した時に応対してくれた、あの渋くてちょっぴり機械的な声の人物なのだろう。
「次にさっきも言ったけど、満夫さん夫妻と道夫さん夫妻には一銭も遺産が入らないの」
「それ、普通に考えるとすごくおかしいですよね…どうしてでしょうか?」
「さあ?仲が悪かったのは周知の事実ですしね。最後の腹いせじゃないかしら」
なんか…本当に推理小説的な展開を見せる遺言だなぁ。疾風のほうを見ると、疾風は聞き耳を立てながらも、後ろを気にしている。そっか、美留奈が帰ってくるとマズイよね…。後ろの扉の監視は疾風に任せて、私はじっくりと二人の話を聞く。
…って、私何してるんだろ?これじゃ、当人にとっては気持ちの良くないゴシップに喜ぶメディアと、大して変わらないような…。でも、どうしても今、部屋の中に戻ることはできなかった。
「それで、ここからよ。遺産の大部分は6人の孫たちに分配されることになるんだけどね…。遺産をもらえる条件がいくつかあって、1つはこの家に住み続けること。そしてもう1つが複雑でね…結論から言うと、今のままだと、遺産をもらえるのは民人くんだけなのよ」
「…えっ?」
私は思わず声を漏らし、慌てて口を押さえる。幸い、美沙さんも同じように「えっ!?」と口に出していて、私の声は聞こえなかったらしい。私は胸を撫で下ろした。
「そ、それってどういう事ですか…!?」
「いい?ややこしいんだけどね、民人くんは、家長の長男として成人すれば遺産をもらえるの。それまでは満夫さんたち4人が信託という形で預かるみたいね。…この『信託』って言葉がミソで、つまり満夫さんたちはあくまで預かるだけ。自分たちがそのお金を自由に使える、って訳じゃないのよ」
「え…でも、それじゃあ他の5人…その、美月様たちは、どうするんですか?」
「そう、そこよ。なんと、条件に従兄弟同士で子供を産むことが挙がっているのよ!」
ええっ…!?従兄弟同士で…!!?これには私だけでなく、美沙さんも、そして疾風も驚きを隠せなかった。
「えっ…えええっ!?中矢さん、それ、詳しく説明してください」
中矢さんはちょっぴり胸をそらして…なぜか少し自慢げに…話し始める。
「いい?民人くん以外の5人に与えられた条件は、従兄弟同士で結婚し、子供を産むこと。満夫さん夫妻の娘3人と、道夫さん夫妻の息子2人ってことよね。ここからもし子供が誕生すれば、さらにお互いが20歳を越えた場合のみ、遺産を手にできるらしいの。さらに民人くんが20歳以上になっている事も条件で、その時点で民人くんが保有している遺産から等分するみたいね。ま、つまり最低でもあと9年は、ミロ様以外誰も遺産に手を付けられない」
「な、何ですか…それって」
「そう、宮蔵様が『血を濃く』するために提案したんだろうね。でも美沙ちゃん、これで終わりじゃないんだよ。この遺言には、例えばの話…っていうのがいっぱいくっついているのさ。いいかい、まず民人くんが20歳になる前に死んでしまった場合」
そこで私は、また息を呑む。…そんなことが遺言に記載されているの!?
「この場合、民人くんの20歳の誕生日…もちろん当人は死んでいるんだけどさ…この時点で、従兄弟同士での結婚、出産があれば問題なし。それも無かったら、遺産はすべて寄付になるらしいよ。しかし、すごいよね…何十億、何百億もの寄付だなんて。それからね、結婚及び出産ができなくなるケース、っていうのがあるのよ。何がこのケースにあたるのかよく分からないけど、例えば女の子が全員不妊症になった、とかかしら?この場合は血が薄まるのは仕方ないとして、相手を夜屋家に入れることを条件として遺産の相続ができるらしいの。それから、全員が20歳になる前に死んだ時なんて物騒なことも書いてあるのよ。…そう、このときになって初めて、満夫さんたち4人は信託された遺産を自由に使えるようになるらしいねえ。ま、でもそんな事、大地震でも起こらない限り、ありえないわね」
中矢さんは気楽に話をする。けど、それを聞いている美沙さんの顔は、ちょっぴり青ざめていた。それは、私だってそうだ。全く自分に関係ない話なのに、背筋が冷たくなっている。そんな、こんな遺言なんて無いよ!この遺言は…これじゃ、まるで…。

まるで…悪魔に「ヒトゴロシ」をさせようとしているみたいじゃない…。


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