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やみのうた

第3幕


『首のない死体は、首をもがれた布製の人形のように哀れにもの淋しく見えた。』
E・クィーン『エジプト十字架の秘密』より

「……美寛…美寛!!」
私が気付いたのは、幸い家に担ぎ込まれてすぐのことだった。水を疾風に飲ませてもらって、ぼんやりと開きたくなかった目を開ける。やっぱり、これは…現実なんだ…。疾風の優しい顔で、逆にそのことを強く意識する。ふと横を見ると、美留奈はまだ目を覚ましていない。そうか、私が早く目覚められたのは、抗体のせいかもしれない。何せ私は、今年の1月にも死体を見て気を失っているからなぁ…。私がそんなことを思い始めていたときだ。

「ひゃあああああああああっ!!!!」
突然、家の中に悲鳴が響く。私は起き上がり、辺りを見回した。まず疾風がいる。私の右手をさっきから、ずっと握ってくれている。その横には、おびえた顔の美依夢。美留奈の傍で介抱をしていた美月も、思わず顔を上げる。その美留奈は1人だけ、安らかに目を閉じていた。一方、階段のあたりでは南がヒステリックに泣いていて、それを夫の道夫がなだめている。美沙さんも気分が悪そうだ。彼女も玄関の近くにいたから、「あれ」が見えてしまったのだろう。二階からは叫び声を聞いてか、急いで満夫が降りてきた。とりあえずこの場にいないのはミロ、古谷さん、未来、民人くんの4人。そして物置に行ったパパと宇治原さんと中矢さん。そして実大と実亜那だった。で…今の悲鳴は、誰の声?
しばらくして、物置から3人が出てくる。中矢さんは完全に気を失っていた。彼女をパパと宇治原さんが担いでいる。ちょうど泥酔した人がつま先だけで運ばれていく感じだ。
「今の悲鳴は…中矢!一体、何が!!?」
まず口を開いたのは満夫だった。階段を下りきり、パパたちの下へと駆け寄る。パパは中矢さんを壁に持たれかけ、満夫の問に答える。
「満夫さん!…そうですね、医者であり実質的な家長のあなたには、現場を見せてもいいかもしれない」
げ…現場!?それじゃあ、まさか物置にも…?パパと満夫は物置へと向かう。パパの足取りは、いつに無く重そうだった。宇治原さんが私たちに現状を説明する。
「えっと…あの、これはおそらく皆さんの想像以上に残酷なお知らせです…その、気分の優れない方は、耳をふさぐなり別のお部屋にいくなりしてください…。それより皆さん、まず質問なんですけど…さっき、中矢さん以外の誰かの悲鳴が聞こえたのは、僕の気のせいですか?」
それには道夫が答えた。
「いや、気のせいじゃない…君も玄関から外に出たまえ」
宇治原さんは言われたとおり、玄関の扉を開けて外に出る。その瞬間、彼の「うっ…!!!」という声が聞こえた。彼は青ざめた顔をして戻ってくる。
「あ…あ…あれは、片割れ…!!?」
その言葉に反応したのは疾風だった。
「…宇治原さん、今あの死体を『片割れ』って言いましたよね?…まさか…」
宇治原さんはどうにか平静を装う。
「あ、あの…本当に、気分の優れない方は今すぐダイニングなりラウンジなりに入ってください」
そう言われて、まず美沙さんがラウンジに走りこんだ。続いて美月さんが、青ざめた顔のまま口にする。
「えっと…美留奈を部屋に運びたいの。誰か…」
「お姉ちゃん、私が手伝う」
今度は美月さんと美依夢が、美留奈を2階の部屋へと運んでいく。結局この場に残ったのは、道夫と南の夫妻、そして私と疾風だった。
「南さん、大丈夫ですか?」
宇治原さんは念押しする。南は毅然とした口調で言った。
「ええ、大丈夫です!私が子供の様子を聞かなければ…」
「分かりました。それでは、お話します」
宇治原さんは一呼吸置く。
「…物置にあったのは…その、切断された頭と…手足です。もちろん、人間の」
私は想像していたとはいえ、疾風にしがみつく。南は必死に目を見開いていた。
「おそらく、噴水に突き刺さっている胴体と同一人物でしょう。物置には無造作に首と手足が転がっていて…その、血まみれでした」
「…それで、その首は…」
南の質問に、宇治原さんは軽く首を振る。
「…ええ、僕も数時間前に見たから分かります。それは…夜屋実大くんの、首でした」

夜屋実大が殺された。それはこの家にいる人間全員にとって、大きなショックだった。私たちがその話を聞いたところで、物置からパパと満夫さんが出てくる。そして、その後ろに古谷さん…って、あれ?古谷さんは、一体どこから出てきたんだろう?彼の顔も、やはり青ざめていた。しかし何とか平静を保てているようだ。
「ん、古谷…?」
道夫も私と同じことを疑問に思ったらしく、彼に尋ねる。
「道夫様…その、ミロ様とのお食事中に、誰かお嬢様の悲鳴を聞いたものですから…立ち上がってミロ様の部屋を出ると、今度は真下から別の悲鳴が聞こえて…それで階段を使って物置に下りたのでございます。そうしたら、あのような事に…」
古谷さんは俯く。そうか、あそこにも階段があるのか…。
「とにかく…どうも、近辺に得体の知れない殺人者が潜んでいる可能性が否定できません。まず、私と宇治原で近辺を調査してきます。その後はとりあえず、物置は鍵をかけて誰も立ち入らないようにしましょう。それから、各所の戸締りも確認しましょう」
パパが提言し、しばらくはみんなでラウンジに待機する。その後、戸締りの徹底に追われた。2人1組で行動することになったので、私は疾風と各所の窓や扉をチェックする。そして玄関に戻ってきたときに、疾風がふと足を止めた。
「…ねえ、疾風どうしたの?」
「…音が聞こえる…」
「…音?」
言われて私も耳をすます。すると、確かに音が聞こえてきた。パシャ、パシャという音…これ、まさか!!
「疾風、これって…!!」
「美寛、どっちでもいいから呼んできて」
もちろんこれは、パパか宇治原さんか、と言う意味だ。ちょうどその時、書斎と呼ばれているスペースから道夫と宇治原さんが出てきた。私はすぐに宇治原さんを呼ぶ。
「…あっ、宇治原さん!大変なの!!」
「美寛ちゃん、どうしたんだい?」
2人が玄関に駆け寄ってくる。そこで疾風が口を開いた。
「…パシャパシャ音が聞こえるし、さっきから少し光も見える…きっと、間違いないです」
「おい、まさか…誰かが、実大の死体を写真に収めているとでも言うのか!!?」
顔を紅くした道夫が、すぐに玄関の扉を開けて叫んだ。
「おい、貴様何者だ!!!」
扉を開けると同時に、宇治原さんが噴水の前の影に近づく。そこにいたのは40歳に届かないくらいの男だ。野球帽を阿弥陀にかぶり、かなり本格的なカメラを手にしている。どう見たって、迷い込んだような人ではない。その男はさして抵抗もせず、宇治原さんと連れ立って家の中へと入ってきた。意外にきれいな格好をしている。髭もきれいに剃られている。肩からは茶色のバッグがかかっていた。道夫は顔を紅潮させたまま問い詰める。
「貴様は何者だ!?そのカメラ…どこの週刊誌だ、え?」
「俺ですか?『週刊芳香』の記者ですよ。名前は日野光輝」
日野と名乗った男は落ち着き払って答える。道夫は飛び掛りそうな勢いだった。宇治原さんもあまりいい顔はしていない。少なくとも私は、ドキドキしながらこの展開を見ていた。一人疾風は、興味なさそうにしている。
「なぜここにいる?住居不法侵入だろう」
「なぜここにいるかと言えば…爆破事件があったからですね。あんな寂れた一本道を爆破する意義は1つしかない。これからこの夜屋家で事件が起きる。それを警察に短期間でも邪魔されたくないから。違いますか?そこで俺はK山の道なき道を数時間歩きとおして、ここに至ったわけです。住居不法侵入については…ええ、もちろん認めます。あなたが訴えるならそれも結構。もう既に、それ以上の価値を見出させてもらいましたからね。何も惜しくない」
「…写真のことだな?貴様、馬鹿じゃないのか?そんなもの、没収だ」
「それくらい分かっていますよ。ただ、現実にその場にいて記事がかけるという、それだけで儲け物です」
日野はあっさりと、道夫に写真のフィルムを手渡す。道夫はその場で、フィルムを感光させ破棄した。
「他のフィルムは…すべて預からせてもらおうか」
「……。しょうがないですね」
日野は軽く舌打ちして、残りのフィルムと使い捨てカメラ…おそらく予備だろう…をカバンから取り出し、道夫に渡す。道夫はそれらが未使用であることを確認して、自分の懐にしまった。
「今すぐ歩いて帰れとは言わん。翌朝には道が復旧するから、それまではこの家の中にいろ。このフィルムは翌朝返してやる」
「監視というわけですか…分かりました」
その時、パパと満夫が二階から降りてきた。
「この騒ぎは…?日野、どうしてお前がここにいる?」
パパは日野に向かって問いかける。どうやら見知った顔らしい。警察で記者会見を行うから、きっとパパも何人かの記者とは知り合いなのだろう。…もっとも、あまり仲が良さそうには感じられないけど…。
「一見無意味な爆破事件から推理しただけですよ。しかし…雪川警部自ら夜屋家にいらっしゃったとは…いよいよ大事件ですね」
「心配するな。俺は別件でここに来ていただけだ。少なくとも関連性は無い」
しばらく沈黙。その時私は、この日野の目に気を取られていた。まるで蛇のような目…。丁寧な口調とは裏腹に、どうも一筋縄ではいかないような人物らしい。
「そうでしたか…では、その別件とは何ですか?宙丘総合病院の不正経理についてですか?それとも、夜屋内科のカルテ偽装?」
「何だと、貴様!!!」
道夫は今にも日野に飛び掛りそうな勢いだった。満夫もあまり変化は見せないものの、顔は紅潮している。
「おや、その反応は…どうやらクロですが、今回の件とは関係がなさそうですね。すると…ああ、宮蔵氏に砒素が盛られているという疑惑ですか?」
その言葉で、道夫は本当に日野に飛び掛ってしまった。パパと宇治原さんが急いで割って入る。
「何様のつもりだ、貴様!!!そうやって他人の生活のアラを探して食っていくとは、見下げた男だな!!」
「おや…人間は本来、そのような醜聞を求める人間ですよ?私はそれに応えているだけです」
「ふん、下らん!!そうやって誰かを貶める行為を貴様は正義と呼ぶのか!?正義とは患者の病気を治すような、高潔な行為だ!!!」
「…少なくとも俺自身は、これも民衆の関心そして利権に絡む正義だと思っています。医療費を不正に要求しながら、患者の病気を治すことを正義だと平気でのたまう人に言われる筋合いは無いと思いますが?」
玄関前では、ますます騒ぎが大きくなろうとしていた。その時だった。
「…美寛、行こう。意味がない」
疾風が、いつに無く大きな声を出す。その声で、周りの大人たちは一瞬、止まってしまう。一番に口を開いたのは日野だった。
「…そう、君の言うとおり。こんな連中と、どちらが真の正義か争うことは意味がない」
疾風はそれを聞いて、大きくため息をつく。
「違いますよ…真の正義というものが存在する、と思っている時点で間違ってる。…だいたいあなたたちが議論している正義を守り通して、そんなに大事なものが得られるんですか?」
この言葉に、その場にいた男たちは黙り込んでしまった。私は何も言わずに、疾風の後についていく。疾風は階段を半分ほど上ったところで、振り返らずに言った。
「ああ、それから日野さん…あなたにしては可愛らしい、ケータイの音でしたね」
「……!!貴様、実大の死体をケータイのカメラにも収めたな!!!?」
それからまた道夫と日野の間で悶着があったらしいけど、私は疾風と一緒に用意された部屋へと入った。これでもまだ、夜10時過ぎのことだった。

「ふう…」
私はため息をつきながら、部屋に入る。そこは美留奈の部屋と同じような間取りだった。冷蔵庫もあったけど、中には水しか入っていない。疾風はベッドに腰掛ける。私は疾風の隣に座って、彼の顔を覗き込んだ。
「…何、美寛?」
「『一人にして欲しい』って顔してるな〜、って」
疾風はわざと、私から顔を背ける。
「…ごめん」
「ううん、いいよ。一人になりたいときは…あるもんね」
「それにしても、よく…分かるよね」
「ん?疾風の気持ちのこと?うん、私はほとんど何でも分かるよ。でも…」
「でも?」
「分からない時もたまにあって、その時がちょっぴり、怖い…かな」
疾風は背けていた顔を戻して、私のほうをじっと見る。次の瞬間には、静かに疾風の両腕が、私の背中にまわっていた。私は疾風の体にもたれかかる。
「きっと…そこは、分からなくていい。全部知ると…その方が、怖くなる」
疾風の声は、いつもよりも重かった。きっと、真剣にそう言ってるんだ。
「…うん、分かった。私、しばらく別の場所にいようか?」
「ごめん…ありがとう」
私は疾風から離れて、部屋の扉に向かう。私が部屋を出るときに、疾風がそっと、口にした言葉は…
「愛してる」だった。

私は別の空室をノックする。階段を上がって東側を見ると、そこに二つの空室が並んでいる。このうち北側…つまり道夫一家の住む棟にいく廊下に近い方…を日野に渡し、南側…つまり美留奈たちの部屋が並んでいる方…を、パパと宇治原さんが兼用で使うことになった。どうやら2人は、念のため交代で見回りをするらしい。今は宇治原さんの番だという事が分かったので(それは玄関のところに彼の姿が見えたから)、私は扉をノックする。
「どなたですか?」
「パパ、私。入っていい?」
それから少し遅れて、扉からパパが顔を見せた。私はパパの部屋に滑り込む。
「どうしたんだい、美寛?」
私は、ちょっぴり迷ったけど、思っていることを口にした。それから…おこがましいとは思ったけれど、遺産のことも。もちろん、声は十分に潜めている。何せ隣にはあの日野がいるんだから。
「パパ…正直に答えて。これ、本当に…外部犯の仕業?」
パパは備え付けの机とセットになった椅子に腰掛ける。私はベッドに座った。パパは腕組みをして答える。
「全く…しょうがないな。美寛…」
そこで一瞬、静寂。
「あれは、間違いなく…内部犯だ」
やっぱり、そうだったのか。私はちょっぴり頷いて、パパの顔をじっと見る。
「胴体の方、切断された方の両方の死体を満夫さんに診てもらった。専門ではないから確かとはいえないそうだが、死後4〜5時間経っているらしい。後頭部に鈍器で殴られた跡があった。それから胸に刺し傷が残っている。こちらが死因だろうな。つまり、何かで殴って気絶させた実大くんを刺し殺し、切断した…」
死体を私たちが見つけたのは9時半くらい。すると…4時半から5時半の間って事になる。私たちが実大を最後に見たのが5時くらいだから…時間はあう。
「ただ…想像以上に、これは不可解だ」
「えっ?」
「美寛…この事は他言しないようにな」
私はこの言葉を、「夜屋家の人間に」と拡大解釈する。つまり、疾風には話すつもりということ。
「お父さんたちがこの家の近辺を調査している時に、一緒に外の現場なども見てきたんだ。…まず、血のたれた跡が続いていた。それは噴水のあたりから、あの物置の裏口にまで続いていた」
「裏口?」
「ああ、あの物置には3箇所の経路が存在する。1つ目は鍵を開けて家の中から入る方法。つまり、お父さんと宇治原と中矢さんが死体を発見した時のルートだ。2つ目は2階の階段を下りる方法。古谷さんが下りてきたあの道だ。そして3つ目が今言った裏口になる。ただ…どれも、通れない」 えっ…?
「1つ目は、実大くんがまだ生きているときに、月倉くんによって施錠された。彼がずっと美寛たちといた以上、彼から鍵を奪うことはできない。」
それは当然だ。疾風に近づいた人たちは、誰もそんなそぶりは見せなかったし、そもそもそんな事をしたら今度は、疾風に気付かれないように鍵を疾風のポケットに入れなおさないといけない。これは無理よね。
「2つ目は、ミロ殿によって塞がれている。実はあの階段自体にも、天袋のような形の扉があって、それもさっきまで施錠されていた。ミロ殿がずっと以前から施錠していたらしい。鍵はそのままミロ殿が持っていたから…少なくとも体力的に、あの犯行は老女であるミロ殿にはできないだろう。彼女がウソをついているとも思えない。あの扉は外にしか鍵穴が無いから、鍵がかかっている状態で内側から開けるのは無理だ。そして3つ目は、やはり施錠されていた」
「ねえ、鍵の形は?」
「1つ目の経路はもちろん、3つ目の経路も、鍵を使って開閉する、普通のシリンダー錠だ。どちらにも、糸や氷や蝋などを使ったトリックの形跡は認められなかった」
「窓や換気口は無いの?」
「窓はない。換気口は…上のほうに開いていたけど、柵状になっていて、頭を突っ込める程度しか隙間は無い。…人間の胴体は通らないな。それ以前に、あそこの床には鉈のようなものを振り下ろした跡もあるし…残酷な話だが…肉片もちらばっていた。間違いなく、死体の切断は物置で行われている」
ここまで聞くと、明らかに不可解なことが見えてきた。
「ねえ、パパ…そんな事言ってたら、そもそも実大が物置に入れないんじゃ…」
「いや、3つ目の入り口がある。中矢さんに聞いたら普段は施錠されているそうだが、先に実大くんが内側から鍵を開けたという可能性は否定できない。ただ…」
「そうか、やっぱり犯人が外に出られないのよね」
これは…またまた、密室…?でも、それ以外の疑問はある。
「ねえ、実亜那くんはそれじゃどこに行ったの?」
その言葉にパパは首を振った。
「いや…分からない。とにかく美寛、気をつけなさい」
私はその言葉を受けて、パパの部屋を出る。美留奈の部屋から話し声が聞こえる。どうやら美留奈と美依夢が話しているらしい。きっと2人とも、1人になりたくないのだろう。私もそういう自分…1人になりたくない自分に気がついて、すぐに疾風の待つ部屋に戻った。

「ただいま〜」
「おかえり、美寛」
疾風はベッドに座ったままだった。彼はちょっぴり笑顔を見せて、私を迎えてくれる。
「あ、よかった」
「何が?」
「もう『私といたい』って顔になってるから」
疾風は何も言わずに私に手を差し出す。私はその手を握って、疾風の隣に腰を下ろした。
「美寛…ありがとう」
「はい、じゃあ次は私の番」
「確かに…何かを話したそうにしているのは、俺にだってわかる」
私はさっき、パパから聴いてきた話を疾風にした。つまり、実大が殺害、切断されたと思われる物置が密室だったという事を。それを聞くと、疾風がため息をつく。
「…そんなことだろうと思った」
「え?どうして?」
「美寛が少し、嬉しそうな顔だから」
…疾風も私の顔を見ただけで、少しは私の気持ちが分かるんだ…。私の頭はそんな、全く関係ないことを考える。さて、目の前の話題に話を戻して…。
「ねえねえ、それで…どう思う?」
「親父さんの言葉をそのまま使うなら、1つ目の経路は確実に無理だな。だって俺が鍵を閉めたのは確認したから」
「そうだよね。もっとも、あの鍵が複製されていた…なんていう事があると意味がないかもしれないけど」
「でも、あの鍵…複製は難しいだろうな」
「え?まさか電子ロックだったとか?」
「違うよ…電子ロックの扉の立て付けが悪くなる、って不自然じゃないか?…ただ単に、ボロボロだったってだけ」
「まあ…分かった、とりあえずあの鍵は複製できない、と。じゃあ…」
「先に言うけど、3つ目も無理だろうな。実物を見たわけじゃないから何とも言えないけど。美寛の好きそうな、細工の跡はなかったんだろ?…ところで、何でそもそも密室にするわけ?」
そういわれても困るなぁ。単純に不可能性を公表することで人々に恐怖を与えるため、というのではきっと疾風は納得してくれないだろう。私はそれで納得するけど…。
「例えば考えられるのは、偶然そうなってしまった場合」
「偶然?」
「うん、そう。例えば、今日2つ目の経路をミロさんが閉じちゃったのは偶然でしょ?それから疾風があそこの扉を閉めたのも偶然。そうなると、例えばミロさんが犯人で、その犯人は疾風が鍵を持ったままだ、っていう事を知らずに2つ目の経路で犯行に及んで、そこの鍵を閉めちゃった、とか。これならさ、犯人側は1つ目の経路を使えば誰にでも犯行ができる、って考えていたことになるよ?」
「え?…だったら2つ目の経路の鍵をかけなくても一緒じゃないの?」
「ううん、もし2つ目の経路の鍵だけ開いていたら、その鍵を保管しているミロさんにしか、結果的に犯行ができなくなるじゃない」
「可能性はあるけど…まあ、いいや。これくらいの家のことだから、隠し通路くらいあっても不思議じゃないしな」
…疾風、「隠し通路」はミステリでは禁じ手なんだからね?疾風は構わず話を続ける。
「大体…普通に考えておかしいだろ?血の跡が裏口から噴水のところに続いてるなら、犯人は物置で死体を切断して、それを裏口から噴水のところまで運んで…それから一度、わざわざ物置に戻って密室を作ったことになる。そうまでして密室を作る意義ってあるか?そもそも、何で死体を噴水のところに運んだんだ?」
「そんな事言われても…。う〜ん…ダメ、全然分からないや」
とりあえず、密室についてはここで考えるのをやめた。疾風と私の話は、別の側面に入っていく。
「…俺が少し考えていたのは、タイミングのこと」
「ん?タイミングって?」
疾風はちょっぴり、私との間を詰める。より小さな声でも届くように、という配慮らしい。…確かにここは夜屋家なんだから、あまり大きな声で話していると誰かに聞かれちゃうよね。
「宮蔵が死んで、遺言が公表されて、予告状が来て、山が爆破されて、実亜那が消えて、実大が死んだ…。いくら何でも、重なりすぎだろ」
「…そういえば、うん、確かに」
「これって、やっぱり金の問題か?つまり、遺産相続」
そうか…確かにこの事件、動機が明白すぎる。つまり、遺産だよね。
「そうだね…よし、疾風。ちょっと、夜屋家の人のことを考えてみようか」
「美寛が思いつく限り、話してみて」
疾風に促されて、私は少しずつ話し始める。
「うん。とりあえず動機があるのは、夜屋家の人間だよね。まず私と疾風、パパと宇治原さんには動機が無い」
「ああ、それは大丈夫。それから?」
「あの日野って記者は…ちょっぴり怪しいかな、って。あの人なら、夜屋家に起きるスキャンダルをネタにして、遺産ほどじゃないけど利益を稼ぐことができる。それに、アリバイは全く無いし」
「灰色、かな。…それで?」
「次は古谷さんと中矢さんと美沙さんだよね。あの3人は、アリバイも無いけど動機も無いよ。だって何が起きても、自分がもらえる遺産は増えないもの」
「ちょっと待って」
疾風が一度ストップをかける。
「美寛、鵜呑みにしないで。…中矢さんが情報を歪めている可能性は否定できない」
「…えっ?」
「いい?俺たちが盗み聞きしたあの話は、中矢さんが美沙さんにしているものだった。つまり、例えば中矢さんがそこで情報を曲げておいて、自分が有利な立場に立つこともできる。仮に彼女の言っていた『一定額』っていうのが、正確には『民人の取り分のX%』だったとしたら?」
そうか…その時は、遺産相続者は民人だけであってほしい…つまり、他の5人からカップルができないようにしたほうがいいのか。でも、このたとえ話は疾風自身がすぐに却下した。
「まあでも、この可能性は無いと思うな…。何となくだけど、中矢さんの話しぶりは本当に聞こえた。でも改めて考えると、あの遺言は…本当に、邪悪」
「うん、私もそう思う…あれじゃまるで、誰かに殺人を起こさせようとしているよね…」
「美寛は気付いてる?あの遺言の最後の方に書かれていた『結婚及び出産ができなくなるケース』の意味」
「え?不妊症とか、って言ってたやつ?」
疾風は私から顔を背ける。
「あれはきっと……『実大と実亜那の両方』または『美月と美留奈と美依夢の3人全員』が死んだケースだよ」
「…えっ!?」
私は思わず息を呑む。そんな…そういう事なの…!?
「夜屋家の人間の動機を考えると、動機がないのはミロだけだ。親の4人は子供6人を全員殺せば、遺産は自分たちのものになる。日野の話を信じれば不正経理だのカルテ偽造だの、不穏な話も多いみたいだからな。首が回らない状況かもしれない。それに宮蔵と満夫・道夫は仲が悪いって言われていた。もしかしたら本当に、宮蔵は砒素で殺されたのかもしれない。…その方がタイミングも合うし、ね…。一方、美月と美留奈と美依夢は…実大と実亜那が死ねば、少なくとも自分の好きな人を外から婿養子として選んでいいわけだ。民人も当然、取り分を増やせるし、今は行方不明の実亜那が生きているとすれば、実大がいなくなることで、順当に行けば誰かが自分を選ばないと遺産が手に入らない。そういう意味では利益がある。…この中でアリバイを証明できるのは、美留奈と美依夢だけだ。ずっと俺たちと一緒にいたからな。あと…足が不自由っていうのがウソじゃないなら、民人にも無理だろう。それから体力的にミロにも厳しいけど…あとの人間なら、できない話じゃないな。実大は…中学生とはいえ、比較的小柄だった。両手両足切られているから、そこまで重くはないはず。女でも持てるかもしれないし…。それから切断にしても、特に医者は…人体の切断が一番簡単にできそうな職種だ」
私の体は、さっきから寒気で震えていた。まだ、夏なのに…。私は思わず、疾風に抱きつく。
「怖がらせた?ごめんな、美寛」
「ううん…ただ、考えれば考えるほどさ…」
「どうしたの?」
「このままじゃ、終わらないよね…」
私が今一番恐れているのは、その事だった。だって、例えば満夫や道夫が犯人であれば、己の目的のためにあと5人…しかも当然、自分の子供が含まれる…を殺さないといけないわけだ。どうして、そんな事ができるんだろう…。
「大丈夫だよ、美寛。…実大を殺したやつは、きっと…」
「疾風が見つけてくれる?」
私は疾風を見つめる。…疾風は何か別の言葉を飲み込んで、かすかに頷いた。
「とにかく、もう寝よう…。美寛、俺の傍から離れるなよ」
「うん」
私は不必要に疾風の体を、強く自分のほうに引き寄せる。そしてそのまま、わずかな安らぎとともに眠りについた。

目が覚めたときには、まだ夜だった。ケータイを見ると、午前2時。疾風は私のすぐ傍で眠っている。疾風の左手が、今も私の腰の辺りに添えられていた。それが嬉しくって、私は疾風の頬に、ご褒美をあげようとする。その時。
不意に窓の外に目が向いた。…仄かに紅い。もう一度ケータイの時計を見る。やっぱり午前2時。それなのに、この赤は…一体、何?私は疾風の左手をそっと下ろし、窓の傍にくる。そして、そっとカーテンを開く。
思わず、息を呑んだ。まず、呆然とする。そしてすぐに、我に帰る。とにかく疾風を起こそう!
「ねえ、疾風…疾風!!起きて!!!」
私は何度も耳元で呼びかけ、疾風の体を揺さぶる。幸い、疾風はすぐに起きてくれた。
「ん…何、美寛…?」
「大変なの!あの『離れ』…ベランダに出て右のほうにあった木造のやつ…あれが、燃えてるの!!!」

私と疾風は慌てて起きだした。2人とも、昨日のお昼にこの家に来たときの服で眠っていたから、服を着替えるなんて手間はかからない。私たちは急いで、パパか宇治原さんを探す。幸い、パパが階段の下…玄関の前に立っているのが見えた。私と疾風は階段を駆け下りる。
「…美寛!月倉くん!そんなに急いで、どうしたんだ?」
「ねえ、パパ!裏口から外に出て!!離れが燃えてるの!!!」
「な…何だって!!?」
私は、急いで裏口…これは当然物置にあるものじゃなくて、美留奈の部屋の真下にある扉だ…から外に出た。すると、確かに離れが燃えている。でも、盛大に燃えているわけじゃなかった。もうその盛大さは峠を越えている。つまり、ほとんど全焼していた。その紅い炎もあと少し、離れの残骸を燃やせば自然に消えるだろう。幸いこの辺りの地面は草などではなく土なので、延焼の心配はなさそうだった。だけど…。
「どうして、こんな事を…?」
私の独り言に、パパが同じく独り言のような形で答える。
「さあ、分からない…。美寛、消火器がどこにあったか覚えていないか?」
パパがそう言った時に、ちょうど疾風が裏口から出てきた。手には懐中電灯と、見越したように消火器を持っている。
「ああ…月倉くん、ありがとう。とにかく、火を消そう」
離れを包んだ炎は、消火器1本で完全に消えてしまった。パパは火が消えたのを確認してから、離れの残骸に近づいていく。私は懐中電灯でパパの手元を照らしていた。闇のように黒くなった木を、パパは慎重にどけていく。その時。
「あ…」
懐中電灯の光が、露骨にある物を照らした。それは…人の、手首…。もちろん、既にそれは命を失っている。とにかく黒い。完全に焦げていた。倒れそうになる私の体を、後ろから疾風が支えてくれる。
「こ、これって…」
「美寛、下がっていなさい」
パパは私の手から懐中電灯を受け取る。そして、1人でそれを調べ始めた。
「それから美寛、宇治原を呼んできてくれ」
私と疾風はパパの言葉に従って、家の中へと戻る。その途中で、私は疾風に話しかけた。
「ねえ、疾風…あの手、見たよね?」
「正確には手首…しかも、その手首にはまっていた時計…だろ?」
私は答える代わりに頷く。
「それだけであれを…実亜那だって決め付けるにはまだ早いよ」
「でも、でも…」
「ああ…たぶん、間違いないだろうな」
疾風はそれきり、何も言わなかった。

私は遠慮せずにパパたちの部屋のドアを開ける。すると、そこでは宇治原さんが椅子に座ったままで眠っていた。私はちょっぴり荒っぽく、彼を起こす。
「…ん…もう交代ですか…って、あれ…?美寛ちゃん、どうしたの…?」
「宇治原さん、寝てる場合じゃないの!!」
私は事情を簡単に説明する。それを聞くと、彼は椅子から、文字通り飛び上がった。
「な…何だって!?わ、分かりました、すぐ行きます!!」
宇治原さんは慌てて外に飛び出す。私たちも後を追って、再び裏口から外に出た。そこではパパが、焼け跡を調べている。わずかな懐中電灯の光が照らす先に、確かに…それがある。
やはりそれは、1人の人間の死体だった。原形をとどめないほどに焦げてしまっている。私は一瞬見ただけで、顔を背けてしまった。
「やられたよ…おい、宇治原。お前が見張りをしている間に、誰か階下にきたか?」
「いいえ、誰も来ていません。あの玄関ホールに誰も来ていないことは断言できます」
「西側の物置部分を完全に施錠した今となっては、普通外に出る方法は表玄関と裏口だけ。しかし、そこを通り抜けようとすると必ず俺か宇治原の目に触れるわけだ。つまり、そこは通れないとなると…誰かが、自分の部屋のベランダか窓から抜け出して、火をつけたか…」
パパのその言葉を受けて、疾風がちょっぴり口を出す。
「もしくは、離れに時限発火装置があったか…」
宇治原さんは、いつの間にか死体に近づいていた。死体を確認しているらしい。
「あの時、離れの中までは調べませんでしたからね…それにしても、これ、誰ですか?可能性が高いのはやはり、実亜那くんですよね?」
ここで私が、さっき疾風と話していたことを口にする。
「あのね、パパ…その、時計…」
「ん?美寛、時計がどうかしたか?」
「その時計…今日、実亜那くんが左手にしていたの…。もちろん、それだけで決めることは出来ないけど…」
「なるほど…可能性は高いという事だな。よし、夜屋家の人間には悪いが、一度全員を呼び集めた方がいいだろう。全員の安全が確認されれば、消去法で…」
パパはそこで言葉を切る。もちろん、後に続くのは「この焼死体が実亜那だと確認できるだろう」なのだ。私たちは死体をそのままにして、家の中へと戻った。

「それじゃあ…全員で動き回ったほうがいいか。誰がどこに潜んでいるか分からないしな。それで、1人ずつラウンジへ移動させよう。…宇治原、お前は1人目と一緒にラウンジに残れ」
パパのその提案を私たちは受け入れた。
「えっと…裏口から一番近いのは、民人くんの部屋だよ」
私がそう言って、西側の部屋を指差す。民人くんだけは、車椅子生活なので夜屋家本家の人間でありながら1階に部屋があるようだ。
「そうだね…でも、小学生の彼がこんな時間に起きれるかな?まあ、無理にでも起こしますか〜」
宇治原さんは気軽にそう言って、彼の部屋をノックした。もちろん返事を期待しているわけではない。そして、無造作に扉を開ける。鍵はかかっていなかった。
「……えっ!!?」
「…?おい、宇治原、どうした?」
宇治原さんの声に、パパが敏感に反応する。私たちは、民人くんの部屋に駆け込んだ。
「な…何だって…」
パパは部屋の電気をつけた。もちろん、その手はハンカチで隠されている。私は思わず息を呑む。民人くんは床に倒れていた。両腕は体でYの字を作るときのように、大きく開かれている。左足は机の隅に引っかかっていて、右足は左足から60度くらい離れていた。でも、そんなことより…。
彼の胸には、銀色のナイフが刺さっていた。血が、民人くんのパジャマを、黒く染めている。
「…ダメだ、もう息は無い…」
パパと宇治原さんは、民人くんに近づいていた。私は、部屋の入り口で立ちすくんでいる。そして、両手でしっかりと疾風を捕まえていた。疾風ももちろん、部屋の入り口から動かない。私の視線は、できるだけ「それ」を視界に入れないようにしていた。壁にはクレヨンで描かれた絵が飾られている。机の上には社会科の授業で使う、一般的に地図帳と呼ばれるものがある。その机の横に掛けられているのはリコーダーだ。本当に…普通の、真面目な男の子の部屋なのに…どうして、こんな事に…?パパが立ち上がったので、ふと私の視界は狭くなる。
「しかし…この死体の格好は気になるな。おい、宇治原…彼の右手は見たか?」
「ええ…どこかを指差していますよね」
私は恐る恐る、民人くんの右手を見る。…本当だ、右手でどこかを指差している。その先にあるのは…窓?もしかして、犯人は窓から出入りした…とか?ううん、今は、窓の鍵は閉まっている。…あ、でも犯行時に窓から出入りして、その後で彼の部屋から入りなおして、鍵を閉めれば別に問題は無いのか…。
「…この事件は…普通じゃないな。宇治原、急ぐぞ!他の人の安否を確認しなければ!」
「は、はい!」

私たちはすぐに、美沙さんと中矢さんを起こして、ラウンジ…2階に上がる階段の奥にある部屋…に移動してもらった。二人と一緒に宇治原さんも入り、彼はそこでラウンジ内の人を守る役目を請け負う。私と疾風は、パパの傍を離れないようにした。2階に上がると、ふとどこかから煙草の煙が流れてくる。
「…道夫さん!」
「おや…刑事さんか。どうしたんだ?顔色が悪いが…何かあったのかね?」
パパは言葉を濁らせる。
「ええ…。具体的な話は、あとで詳しく…。とにかく今は、皆さんを一箇所に集めたいのです」
「そうか…私もついて回っていいかな?」
「ええ、構いません」
私たちは、それから二手に分かれて一箇所ずつ部屋を回ることにした。美月・美留奈・美依夢の女子学生の部屋は、さすがに大人の男は遠慮するらしく、高校生…つまり私と疾風だけで入った。まず私たちは美留奈の部屋に入る。美留奈は寝付けなかったみたいで、私がちょっぴり揺すっただけですぐに起きた。
「え…?美寛ちゃん…?」
「あ、美留奈…ごめんね?だけど、ちょっとさ…その、色々あって…今から起きて、ラウンジに行ってくれない?」
美留奈は何も言わず、静かに従ってくれた。一方パパと道夫は外で話している。どうやら未来の部屋に入ってきたらしい。
「そういえば…満夫が未来に睡眠薬を渡しているところは、何度か見たことがある…」
「ええ…どうやら服用したみたいですね。どうします、そのまま運びますか?」
「どうしても、というなら止むを得ませんな」
そんな会話を聞きながら私と疾風は、美留奈の隣の部屋、つまり美月さんの部屋に入る。形式的にノックをして、私は扉を開けた。その瞬間に、ひんやりした夜風が頬にあたる。
「…えっ?」
私は目を疑った。ウソ…?疾風も私も後ろで、小さく「えっ?」と口にする。
「なんで…美月さん、いないんだ?」
「ねえ、疾風…。窓が…」
私はカーテンをはらう。すると、そこからは夜屋家の裏庭、そしてその奥に控える自然が目に飛び込んできた。私の視界を遮るものは、何もない。窓が開いていた。それって、つまり…?
「ねえ、これって…美月さん、ベランダから外に出たって事?」
「まさか…」
疾風はベランダに出る。私も一緒に出てみた。疾風は左右を見回して、あるものに気付く。
「…美寛、そこに排水管があるのは分かる?」
私はベランダを出て左側…つまり東側を見る。すると、確かに黒っぽい色の排水管があった。私は頷く。
「つまり疾風、これを学校にある登り棒みたいな要領で下りれば…?」
「そう、下には降りれるよね。…でも、一体どうして?」
「…それは美月さんみたいなおしとやかな人が、そんなマネはしないって事?」
私はちょっぴり疾風につっかかってみる。疾風は優しく首を振ってくれた。
「そういう意味じゃないよ。…純粋に、どうして?って事。こんな日に、しかもこんな時間に外に出て行く理由なんて普通無いだろ?」
「うん、それはそうだけど…?って、疾風、まさか…」
私は後の言葉を飲み込んだ。疾風は…美月さんが離れに火をつけた、って思ってるんじゃ…?
「とりあえず、パパに報告しよう」
私と疾風は美月さんの部屋から出る。パパたちは外にいなかった。未来の部屋の扉が開いている。どうやら本当に、2人で眠っている未来を階下のラウンジに運んでいるらしい。
「えっと…疾風、先に美依夢を起こす?」
「そうだな」
美依夢の部屋に入ると、美依夢がベッドでぐっすり眠っていた。…あ、やっぱり美依夢も化粧を落とすと、美留奈や美月さんに似た顔つきなんだ…。そう思いながら、私は美依夢を起こす。美留奈より時間はかかったけど、意外とすぐに美依夢は起きてくれた。私と疾風はあまり何も言わずに、とにかくラウンジに下りてくれるように頼む。
「えっ…?どうして…?」
あ、やっぱりギャルの言葉じゃない。その素直な表現が、なぜかちょっぴり嬉しかった。とりあえず、私と疾風は彼女に付き添って一度ラウンジまで行く。中では正面に立っている宇治原さんが、まず視界に入る。隅のほうに立っているのは中矢さん。美沙さんと美留奈は、左手の方に座っている。右手の方にあるソファには、未来が横たえられていた。美依夢はまだ虚ろな表情で、髪に手をやりながら美留奈たちのほうへ近づく。一方、私たちの後ろからはパパがやってきた。
「皆さん、こんな真夜中にすいませんな…。ところで中矢さん」
パパは中矢さんの方を向く。彼女は怯えたように一度体を震わせた。
「は、はい、何でしょうか?」
「一番北にある空室…つまり今、あの雑誌記者の日野が使っている部屋ですが…あの部屋の鍵はどこにありますか?」
「え?…あ、はい、今私が持っておりますが…?」
「ちょっと貸していただけますか?どうやらあの男、鍵をかけたまま熟睡しているようでして…」
パパは中矢さんから鍵を受け取る。円形の金具に、たくさんの鍵がかかっていた。後で聞いたところ、この家のほとんど全ての鍵が、ここに揃っているらしい。例外は疾風が使った物置の鍵で(あれはボロすぎて円形の金具に通せないらしいの)、これだけ食堂の棚の中に保管してあったそうだ。持ち出しは自由、という事になる。
私たちはパパと一緒に、ラウンジの外に出た。そして小さな声で、パパに美月さんの部屋のことを伝える。パパも小さな声で…でも間違いなく驚いた調子で…私に確認する。
「何だって…一体、どういう事だ?」
「もう私にも何がなんだか…。ところでパパ、その鍵、どうしたの?」
「え、この鍵かい?日野が部屋の鍵を内側からロックしたまま、中で眠っているらしい。…いくらドアを叩いても返事がないんだよ。だから無理やり部屋に入ろうと思ってね」
私と疾風は、パパについて2階に上がる。そこでは道夫が、日野の部屋をノックしていた。
「駄目だ、あの野郎全く気付かない。…ああ、すみませんな。開けてもらえますか?確かここは…『萱』と書かれた鍵で開くはずだ」
「え?『萱』ですか?」
「ああ…萱光彦という、前の使用人の名ですよ。彼が使っていた部屋なので」
パパは鍵束の中から目当ての鍵を見つけ出し、鍵穴に差し込む。カチャッ、という音が鳴った。…しかし。
「あれ?開かない?」
「えっ?そんなはずは無いでしょう」
パパと道夫が交互に鍵をいじったり、ドアを開けようとしたりする。しかし、ドアはびくともしない。
「これは…?一体、どうなってるんだ?」
パパたちは首をかしげている。その時、疾風が口を開いた。
「あの…何かで内側から塞いでいるんじゃ…?」
「なるほど。…道夫さん、これはドアを突き破ることになりそうです。…手を貸してもらえますか?」
「よし、分かった。…ドアのロックは開いた状態かね?」
パパは頷く。そして、2人で体当たりをする。2人が体当たりをするたびに、微かにだけど、なにかビリビリと音がする。この音は…私はパパに向かって、思わず叫ぶ。もちろん、できるだけ小さな声で。
「ねえ、パパ!ガムテープの音だ!!」
「…えっ、ガムテープ?まさか、内側から目張りされているのか!?」
パパは驚きを隠せないようだった。一方、道夫は悪態を付く。
「おいおいそりゃあ…いくら何でもやりすぎだろうが。…全く、あの男は何を考えてやがる…?」
「とにかく、ガムテープなら突き破れる。道夫さん、もう少し手を貸してください!」
それから3度の体当たりで、ドアは勢いよく内側に開いた。パパは何とかよろめくことなくその場に持ちこたえるが、道夫はそのままドアが開いた方向へ倒れ込んでしまった。しかしその瞬間には、私たちの視線が別の場所に釘付けになっていた。
部屋の電気はついていた。寝た形跡の無いベッド、ベッドの脇には日野が持っていたカバンが置いてある。でも、その前に…。部屋の入り口から、奥に向かって続いているのは…。 血の跡だ…。
私も疾風も、思わず部屋の中へ足を踏み入れる。そして、パパの後ろから血の跡を追う。それは、ガムテープで四方を固められた窓のギリギリ手前、ベッドの奥まで続いていた。ベッドの奥には…。
「な…何だと!?」
パパが驚きの声を上げる。そこに倒れていたのは、紛れも無く日野だった。目をむき出したまま、倒れている。胸元には、やはりナイフ。しかし民人くんの命を奪ったものとは別の…柄の黒いナイフだった。
「一体、何の騒ぎですか?…これは!?」
私たちが振り向くと、部屋の入り口のところに満夫が立っていた。彼も明らかに、この部屋に付いた血の跡に驚いている。今までの冷静そうな表情とはまるで違う。そこで私は初めて、ドアの様子にも目が行く。確かにドアには、三方にびっしりとガムテープが貼られていた。
「まさか…?」
「ああ、そのまさかだよ。日野が死んだ」
私たちにちょっぴり遅れて死体の元へきた道夫は、慣れた手つきで脈を取っていた。満夫は室内を改めて見回す。
「こんな…なんだ、これは…?ガムテープ?つまり…自殺、なのか…?」
「おいおい…ここに死体を引きずった跡があるのが見えんのか?他殺だよ」
パパもようやく立ち上がる。
「すみませんが、どちらか…視ていただけますか?美寛、月倉くん…2人はラウンジに行っていなさい」
私は呆然としていた。そんな…こんな短時間の間に、これだけの殺人が…?私は疾風に促されて外に出る。
「ちょっとちょっと、何なのよ、さっきのドスンドスンいう音は!?向こうにまで聞こえてきたじゃないの!何が起こってるの!?」
私たちが部屋を出てすぐに、右の方でそんな声がする。それは南の声だった。私たちがそちらを見ると、そこには古谷さんもいる。どうやら、古谷さんもたった今起きてきたらしい。その割に、服装はきちんとしていた。
「恐れ入りますが、南様…私も先ほど起きたばかりですので、どうも…」
「もう、使えないわね!…あら、あなた達がどうしてここにいるわけ?」
私は聞かれないようにため息をつく。疾風が二人に向かって、無表情に言った。
「とりあえず…ラウンジに下りてください」
「あのね、私は何が起こったかって聞いてるのよ!」
紅潮した南に向かって、疾風は冷たく言い放つ。
「実亜那くんと思われる焼死体が見つかりました」
その言葉で、一気に南の力が抜けていった。彼女は途端に青ざめ、その場にくず折れる。空気が抜けた風船のようだ。私はとりあえず彼女を支えて、ラウンジまで下りることにした。ラウンジにあるのは、ただ静寂、そして沈黙。私と疾風は、部屋の北東の隅に、2人だけで固まっていた。

この夜は、いつ明けるんだろう…。


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