inserted by FC2 system

やみのうた

第4幕


『ねえ、ワトスン、おそらくきみも、怪奇なこととか、日常生活の慣習や月並の事柄から抜けだしたことを愛する点では、ぼくと同じだろうと思う。』
A・C・ドイル『赤毛連盟』より

私と疾風は、ラウンジの隅でひそひそ話を始めた。もちろん、この事件に関して。
「ねえ、疾風…どうなってるの?一体何が起きてるの?」
「さあ…全然分からない。…整理したいの?」
「うん、そう。…疾風、ありがとう。じゃあ…はじめていい?」
私はそっと、疾風の耳元に口を寄せた。目はそれとなく、夜屋家の人間を観察している。誰かが近づいてきたらすぐに話をやめるつもりだった。
「まず、昨日から今までにこの家に起きたこと。それは…まず、実大と実亜那が行方不明になった。そして実大が惨殺されて、さらに実亜那がさっき、焼死体で見つかった。さらに、民人くんも刺殺されて、今度は美月さんが行方不明に。それからついさっき、またまた刺殺された日野が見つかった」
「…美寛、2つ飛んでるよ。最初に宮蔵が死んで、その直後に山道が爆破された。…それから、警察に予告状も来たんだろ?」
「そっか…それもあるよね。でも…ホント、なんでこんなペースで起きるの?推理小説じゃこんな速さで人を殺しまわるなんて、考えられないよ」
私の言葉に疾風は苦笑する。
「あのさ、美寛…忘れないで。これは推理小説じゃないの。現実的に、爆破された道が復旧したら…つまり、あと数時間もしたら、もっと沢山の警察がやってくる。…それまでに殺したい人間を出来るだけ殺さないといけない。普通の犯人はそう考えるだろ?」
「そうだけど…ねえ、じゃあどうして、こんなに人が殺されなくちゃいけないの?今疾風が言った、犯人が殺したい人間って誰?」
「…今一番考えられるのは、親の子殺し。もう一度、遺産の話を思い出して」
「そっか…親が遺産を得るためには、子供6人を全員殺さないといけない…」
「それからミロだね。そもそも現段階では、遺産は全額ミロの元にあるんだから。さっきも言おうと思ったけど…少なくとも、もし犯人が理性的なら…俺や美寛が狙われることは無いよ。ただ…美寛。美寛がこの事件について考えているってこと、絶対に悟られないようにして」
そっか…「口封じ」という動機があるのか…。あれ?
「え、ねえ、疾風?子供たちはともかく、日野はどうして殺されたの?」
「…さあ。だから、口封じなんじゃない?何かを写真に収めてしまったから殺された、とか。もっとも、日野はスキャンダルを探していたみたいだったしな」
「あ…先に、口を封じた…って事?」
「あくまで可能性」
疾風はちょっぴり黙り込む。その疾風の横顔に、私は再び話しかける。
「ねえ…じゃあ、順番に考えていこうよ。まずは、じゃあ、宮蔵の件。あれは…殺人かな?」
「分からないな…。でも、少なくともあんな遺書が書かれていたことを、知っていた人間が犯人だよな。知っていないと、こんな事件は起こせないだろ?…でも、召使いの身である中矢さんが遺書の内容を知ってるくらいなんだから…ガードは甘そうだな。ただ、爆破の件からも分かるけど、これは明らかに計画的。…そう、その計画性を考えれば、殺人の可能性は十分ある」
「山道を爆破した目的って何だろう?やっぱり、警察の到着を遅らせている間に事件を起こすって事?」
「だろうな」
「うん。…よし、それじゃ、実大の件」
「美寛が一番引っかかってるのはそこでしょう?」
私は大きく頷く。
「もちろんだよ。あれは…理解できないことでいっぱい。とにかく、密室の問題ね。3つある経路が全てふさがれているの。…疾風、隠し通路は無いことが前提だからね?」
「分かったよ。それで?」
「物置に入る経路は3つあるの。1つは本館…つまりこの中央の、一番大きな建物から来る方法。次が西側の離れの2階から、階段で降りてくる方法。そして最後が、裏口からそのまま物置に入る方法。…まず、2つ目の経路を考えるね。ここは、ずっと施錠されているから問題外」
そう私が言ったときに、疾風が私のわき腹をつつく。
「そうじゃないよ。鍵はミロが持っていた、ってだけ。ミロならあの扉は開けられる」
「そうか…でも、おばあさんなんでしょ?体力的にあの犯行はできないよ」
「誰かと共犯だったら?」
私の口が止まる。…そうか、それならできない話じゃないかもしれない…。
「…あれ、でも動機は…?」
「そう…この仮定の問題点は、動機が無いことだよね。だってそうだろ?もしミロと結託して遺産を狙うなら、ミロにミロ自身の遺書を書き換えてもらって、主犯に遺産が行くようにしてもらった方が早い」
「なんか…現実的にありそうに無いね」
この後、別の証言からもこの仮定は崩れ去ることになるけど、それはまた後の話。私たちは、今は2人の独断で話を進めていく。
「次は、1つ目の経路ね。これも問題外。だって、疾風が施錠したときに、実大は生きていたんだもの。…疾風、ちゃんと鍵かけたよね?」
「ああ…それは間違いない。すると、3番目しか残らないのか?」
「うん。まず、実大がどうやって入ったかを推理すると、あそこしかないんだよね。つまり、先に裏口に続く扉の鍵を内側から開けておいて、外から入ってきた。犯人も、同じように入って来れる」
「ああ、それは大丈夫。そして、室内で実大を殺害した…ここからだよな」
「うん、そうなの。絶対犯人は物置の中に入っているはずなの。そうじゃないと、あんな切断できないんだもん。パパが中は血の海で、鉈のようなもので付けられた傷跡が床にあって、しかも…その、肉片まであったって言ってたから…そんな事、家の外から出来るわけがない。まして隙間なんて、上のほうの換気口しかないんだから。だから、絶対犯人は物置から、何らかのトリックで脱出している」
「そう…そうなると、1つ目の経路は無理だな。扉のたてつけも悪いし、鍵もかなり力を入れないとかからなかった。ほら、推理小説で糸を使って外から鍵をかけるトリックがあるだろ?あんなのじゃ、あの鍵は動かない」
「2つ目も無理ね。パパが、あの扉には外側にしか鍵穴がないって言ってた。つまり、内側から扉を開けるのは、たとえ鍵を持っていたとしても、鍵自体がロックされていない限り無理なの」
「なるほど…となると、ここでも3つ目の経路か…」
「うん…でもこれは、現物を見ないと分からないなぁ。パパが見た限りでは、糸とか氷とかを使ったトリックの形跡は無かったらしいけど」
「じゃあ…美寛、今はこれで納得する?可能性の一。ミロと誰かが犯人で、2つ目の経路を行き帰りに使用した。可能性の二。犯人は実大とともに3つ目の経路から入り、殺害後に何らかのトリックを使って、3つ目の経路の扉を、外から施錠した」
「うん。そうだね」
「じゃあ美寛、具体的な密室以外の質問」
私は疾風のその言葉に首をかしげる。
「いい?どうして密室を作る必要があったのか。なぜ実大の胴体をわざわざ噴水に運んだのか。そもそも実大はどうして物置に行ったのか」
「え…?えっと、それは…」
「このあたりも考えないと、ね…美寛は『不可能性が増すと怖い、みんなに恐怖感を植え付けられる』って思うかもしれないけど…それ以上の意味が、あるような気がする」
「分かったよ、疾風…。じゃあ、次にいっていい?」
疾風は小さく頷いた。私は辺りを見回しながら、疾風の耳元でそっと話を続ける。
「次は焼死体の件ね。まず、あれは本当に実亜那くん?」
「可能性は4つかな」
え?4つもあるの?私は思わず、疾風の顔をまじまじと見つめる。
「1つ目はその通り、実亜那だった場合。2つ目はもう1人の行方不明者、美月さんだった場合。3つ目は俺たちがまだ会っていない夜屋家の人物…つまり夜屋ミロの場合。そして4つ目は…誰でもない場合」
「え?誰でもないって、疾風、どういう事?」
「まあ、1つ目とそれ以外でくくってもいいよ。要は実亜那かそうじゃないか。あの死体が実亜那だったら、実亜那も行方不明になった時点で…あるいはそれより少し遅いくらいの時間で…殺されていたことになる。問題は…これは誰が被害者でもそうだけど…なんでわざわざ、離れを燃やさないといけなかったのか」
「そっか…そうだよね、わざわざ燃やす意味は…分からない」
「死体が離れにあった意味は、まだ理解できる。あんなところ、普通は探しに行かないからな。でも、燃やすって事はそれなりの準備も用意もいるわけだから…何か意味がないとしないだろ」
「うん、そうだね。…ねえ、あの死体が実亜那くんじゃなかったら、どういう事になるの?」
「そのときはもっと簡単だよ。実亜那が犯人」
私は「えっ!?」と言いそうになった口元を思わず押さえる。今は夜屋家の人間が周りにいっぱいいるんだから、どうしたって注目を集めない方がいい。
「あ、でも…そうか、そうだよね…」
「自分が死んだことにしておいて動きまわれるメリットは大きいと思う。でも、問題はあるんだ。死体が実亜那のものじゃないって事は、DNA鑑定すれば分かるはずだ。死後大分経った骨でも…多少焼けていたところで、完全に灰にはなっていないのなら、鑑定によって被害者は分かる。それが実亜那じゃないと分かったら…?」
「えっと…普通に考えれば実亜那くんが犯人って事になるよね?」
「それはつまり…遺産の相続放棄も同然だろ?遺産を実亜那が相続するためには、必ず誰かと結婚しないといけないんだ。そしてその時には必ず、世間に姿を見せないといけない。誰かをスケープゴートにしても、結果的には意味がないんだよ。警察はずっと来れないわけじゃない。何度もいうけど、あと数時間で来れるはずなんだから」
最後の言葉は、きっと私を励ましてくれたんだ…。そういう細かい優しさが、最近の疾風からはいっぱい感じられるようになった。それは、素直に嬉しいことなの。
「よし、じゃあ次を考えよう…えっと、次は民人くん、だね。でも、彼の事件については、あまり問題点はないかな?」
「そう?あの姿勢は大有りだと思うけど」
「えっ?姿勢?」
「だってさ、美寛…。美寛、誰かに正面から刺されて、あんな格好で倒れるか?」
「あ、確かに…。普通あんなに手は広げないよね」
「手もだけど、俺にとってもっと不可解なのは足」
「え?」
私はそこで、民人くんの体を…胸の方は思い浮かべずに、足だけに焦点を当てて思い出す。確か…60度くらい広げていたような…。
「思い出せる?足を無理に開こうとしていたの」
「え、無理に?」
「無理に、に決まってるじゃない。民人、足が不自由なんだぞ?きっと、ああやって片足を何かに引っ掛けないと、足を上手く広げられないんだろ?」
「えっ、えっ?それじゃ、何?犯人が無理やりそんな姿勢をとらせたって事?」
「そうかもしれないけど、もっと自然なのはその逆。…死に際に民人が、意図的にそういう姿勢をとったってこと」
「そ、それってまさか…民人くんからの、ダイイングメッセージ!?」
「多分、ね…もっとも、じゃあそれが何を意味するのかって言われたら、全然分からないけど」
でも…でも、これは大きな突破口になるかもしれないなあ。私は疾風とラウンジで話をしていて初めて、収穫を得たような気がした。
「それから、もう1つ。…美寛は無いのに気付いた?」
「…えっ?何の話?」
「民人の車椅子だよ。無かっただろ、あの部屋に?」
うう…ダメだ、全然覚えていない。
「そっか…それも何か、関係があるのかもね…。じゃあ、次に行こうか?美月さんのこと」
「これも…今冷静に考えて見ると、2つの可能性がある」
疾風はこの会話中、「可能性」という言葉をよく使っていた。ああ、なんか探偵みたいでカッコイイかも…なんてノロケは置いといて、私は疾風の話に耳を傾ける。
「1つは美月さんが自発的に出て行った場合。もう1つは、美月さんが連れ去られた場合」
「そうか…そうだよね。さっき疾風も言ったけど、こんな時にわざわざベランダから出て行く理由なんて…普通は、ないよね」
「今『普通は』って強調したけどさ…美寛も、気付いてる?」
「うん、気付いてる…。離れに火をつけるために、でしょ?」
「ああ。でも、それなら何で戻ってこないのかは不思議だよな」
「えっ?どういう事?」
「普通さ、何食わぬ顔をしているもんじゃない?つまりさっさと火をつけて、すぐにあの排水管を上って部屋に入り、寝たふりをしていたほうがよっぽど利口だと思うんだけど」
「そうか…じゃあ、疾風は…」
「ああ、俺は…美月さんは連れ去られたと思う。でも…美月さんを抱えてあの排水管を下りるのは…大変だよな」
「う〜ん…なんだかチグハグだよね。何がどうなってるのか、全然分からないもの」
「とにかく、あまり美月さんの件は考えられないかもね。…具体的な進展が無い」
「分かった、とりあえず保留するよ。それじゃあ、最後に…日野の件」
私は一呼吸おく。その時、パパたちが入ってきた。具体的にはパパと満夫と道夫の3人。パパたちは宇治原さんのところへ行き、4人で何事かを相談している。きっと日野の件や美月さんの件を、宇治原さんにも説明しているんだろうな。さて、まだちょっぴり話せる時間はあるようだし、疾風との話の続き。
「しかし…あんな密室、あるんだな。ガムテープで目張りするなんて…驚いた。美寛…あんな例も、まさか推理小説にあったりするわけ?」
「うん、あるよ。私は2つ知ってる」
「応用できそう?」
「それが…どうも出来そうに無いの。1つは心理的なトリックで…つまり、ガラス戸でガムテープが貼ってあるのが見えるんだよね。でも、それは錯覚で…本当は、ガムテープが扉のまわりに貼ってあるだけで、壁にはくっついてないの。ついでに、鍵もかかってない」
「えっと…それは、どういう事?」
「だから、心理的な錯覚なの。ドアノブを握っている人が犯人で、その人が扉に体当たりしてドアを開けようとしているみたいに見せかけながら、本当はドアノブを固定して、開かなくしてるの。それで、頃合いを見計らってノブをひねれば…体当たりによって開いたみたいに感じるでしょ?」
「ああ…つまり、ガムテープで扉と壁が固定されていた、っていう錯覚を与えるわけか」
「そうそう!でも、今回は使えないよね。鍵を開けたのはパパだし、あの時ドアノブを握っていたのもパパだった」
「まさか親父さんが犯人なわけ無いしな。…それで、もう1つは?」
私はもう1つの方法を説明する。ちなみにこれは、J・D・カーのある作品で使われたトリックだ。だからここでは内緒ね。でも、私がさっき詳細に説明した方法は、あるマンガで使われた手法なの。…どうも私の中には、マンガと推理小説に線引きがあるみたい…。そんな自分に気がついて、私はひとり苦笑した。
私は説明を終える。疾風はそれを聞いて首を振った。
「それも今回は無理そうだな。そんな事したら、いくら何でも誰かは気付くよ。親父さんと宇治原さんの少なくとも一方は常に起きているんだしさ」
「そうでしょ?…きっと、無理だよね」
「窓まで目張りされてたよな?あれに意味はあるの?」
「う〜ん…分からないなぁ。密室性を強調するため、かな?」
「じゃあもう一回聞くけど…なんで密室にするの?」
それを聞かれると、ホントに困る。もう、疾風も「怖がらせるため」で納得してくれればいいのに…。私がその返事に詰まっていたときに、別の声が聞こえてきた。
「皆さん、夜分に起こしてしまって、大変申し訳ありませんでした…。今から、状況をごく簡単に説明します」
どうやらパパは、分かったことをある程度は話すつもりらしい。部屋にいた全員の視線が、パパに集中する。この時には、未来も目を覚ましていた。
私はここで、改めて周囲の状況を見る。私たちの一番近くにいたのは…それでも結構離れているけど…美留奈と美依夢と美沙さん。3人は並んで座っている。この3人と反対側のソファーでは、先ほどまで眠っていた未来がようやく起き出していた。そして、その傍らにいる南はなにやらブツブツとつぶやいている。古谷さんは、階段に近い出入り口のドア付近でかしこまっている。一方中矢さんは、部屋の奥…つまり、裏口に近い出入り口の付近に立っていた。そして中央には男4人…パパ、宇治原さん、満夫、道夫…が陣取っている。
パパはごくごく簡単に説明した。私からしてみれば、びっくりするほど少ない情報量だ。でも…それだけでも、与えられたショックは大きかった。一番ショックがひどかったのは未来で、彼女はまた気を失ってしまった。他の人たちも…何かの予感を抱いていたとはいえ…あまりの出来事に、呆然としていた。話が一通り終わったところで、急に電子音がする。それはパパのケータイだった。
「…ああ、失礼…雪川です。…はい、そうですか…はい、こちらの状況は…」
どうやら警察の関係者かららしい。パパは裏口に近い扉から出て行った。そして、しばらく経ってから宇治原さんを手招きで呼ぶ。宇治原さんは、パパに呼ばれてすぐに帰ってきた。
「あ、皆さん」
彼は強いて、明るい口調で話すように努めているようだった。…確かに、この空気の重さは…考えられない。その中で宇治原さんの声だけが、白い陽気に包まれて部屋の中を飛ぶ。
「あと数十分もすれば、復旧作業が終了するそうです。それからは、たくさんの警察が来て…ええ、皆さんの安全は確実に保障できますから…とにかくあと1時間も無いくらいの辛抱ですので、ここで待機していていただけませんか?」
それを聞いての各人の反応は様々だった。美沙さんや美依夢からは、ちょっぴり安堵のため息が漏れていた。南の顔には「そんな言葉、何の慰めにもならないわ」と書かれているようだった。古谷さんは、顔の表情だけでは内心が読み取れない。そして、疾風は…目を閉じて、そっと息を吐き出した。
パパはずっと裏口のあたりで、おそらく警察の関係者と電話をしている。警察が本格的に動き出す前に、何とか色々な話を聞きださなくちゃ!…私は、パパの電話が終わったときに、トイレに行く振りをしてラウンジから外に出た。…あれ?このあたりの床、濡れてない?…ま、いいか。とにかく私は、パパにそっと話しかける。
「パパ…色々、思いついたことがあるの。ちょっと聞いてほしいんだけど…」
「ん?どうしたんだい、美寛?」
私は、実大殺害の密室について話す。とにかく、今は可能性が二つしかないから。…ところが。
「なるほど…でも、1つ目の可能性は無いな」
「1つ目…つまり、ミロと誰かが犯人で、2番目の経路を通る方法は無い、ってこと?どうして?」
「そうか、美寛には言わなかったからな。単純だよ、埃の存在だ」
「埃…」
「そう、その階段には、びっしりと埃が詰められていた。古谷さんが下りてきたあとで確認したが、彼の通った足跡以外に、乱れたところは全く無かったよ。つまり、ここは長年誰も通っていない」
そっか…でも、まだもう1つ可能性は残っている。
「じゃあ、もう1つは?3つ目の経路、つまり裏口を通って外から施錠する方法」
私はパパの顔色を窺う。あまり芳しくない。
「…いや…おそらく、無理だ…」
「ええっ!?…どうして?」
「まずさっきも言ったけど、外から施錠するようなトリックを仕掛けた形跡がない。しかも、それ以上に…」
「それ以上に?」
「あとで試したんだが…裏口の鍵も、本館から繋がる経路の鍵と同様に、かなり動きが悪いんだ。おそらく…動かないだろう」
「ねえ、パパ…」
そんな…こうなったら、私が試すしかないのかな…?私は意を決した。
「今から…確認には、行けないの?私…平気だよ、見ても」
「美寛…いや、それはダメだ。現場だからな…あとでもう一度確認はしておくよ」
私は仕方なく頷く。でも、どこかで内心ホッとしていたかもしれない。
「そう…」
「他の件で、何か思いついたことは無いかい?」
私はまず日野の件を話す。似たようなトリックは2つあるけど、どちらも今回は使用できないこと。それから民人くんの件で、なくなった車椅子の話をした。
「そう言えば、確かに車椅子が無かったな…どこに行ったんだ?」
「それからね、あの姿勢はダイイングメッセージなんじゃないか、って」
「あの姿勢?手足を広げていたことが?」
「うん。だって、どう考えたって不自然じゃない、あの姿勢」
「確かに…。それから右手が変だったな。親指を立てて、人差し指を窓のほうに向けていた…。まあ、考えて見るよ。美寛、いろいろありがとう」
その時だった。どこかでブザーが鳴った。ラウンジの中から、すぐに古谷さんの声がする。
「はい…警察の方でございますね?ただいま門を開けます。少々お待ちを…」
よかった…やっと警察が来たのね…。私は時計を見る。もう午前6時を過ぎていた。

「おお雪川警部、ご苦労。…おや、美寛ちゃんかい?どうしてここに?」
玄関の扉を開けたのは、私も見覚えのある沖宮警視だった。警視自ら現場に赴くなんて、これはやっぱり大事件なんだと、改めて認識させられる。
「美寛は、夜屋家の次女の友人として…偶然、ここに来ていたのです」
「そうか…大きくなったね、美寛ちゃんも。しかし…酷い事になったな。まさかこの夜屋家で事件が起きるとは…しかも君のお出迎えよりも早く、庭先に死体が2つも転がっているじゃないか」
それを聞いたパパと私は、驚いて顔を見合わせた。
「け、警視…?今、2つとおっしゃいましたか?」
「ああ。1つは君の報告にもあった首なし手足なしの死体。もう1つは…あれは溺死だな。噴水の前に、綺麗に横たえられていたよ。整った顔立ちの女だったが…?」
整った顔立ちの女の人って…まさか…。
「夜屋家の長女が、行方不明だという話をしたと思いますが…」
「ああ、なるほど…彼女か。ところで、夜屋家の人間は?」
「皆、階段の奥にあるラウンジ…いわゆる談話室に、集めています」
「ああ、分かった。…いや、しかし大変なことになった…」

私はラウンジに戻った。パパは早速、別の仕事を始めている。警視は少し顔を見せて名乗っただけで、そのままどこかに行ってしまった。ここの「見張り」は、どうやら引き続き宇治原さんの担当らしい。少しでも慣れた人間の方がいいという配慮なのかな?私は疾風にこっそり、美月さんが玄関にある噴水のところで、溺死体で見つかったことを教えた。
「そうか…」
疾風はそれだけ言うと、黙り込む。私もつられて、黙り込んでしまった。不意に、疾風の目が…澄んだ気がした。
「美寛…一緒に、外に出ない?」
「え…?うん、いいけど、大丈夫かな?ちょっと宇治原さんに聞いてくるね」
私は宇治原さんから、夜屋家の敷地内で警官の目の届く場所なら、という条件付きで了承を得た。それを疾風に伝えて、さっそく北側…つまり正面玄関に近い方から、ラウンジの外へ出る。ホールには、紺色の作業着に身を包んだ鑑識員たちが、忙しそうに動き回っていた。夜屋家の玄関自体に、黄色いロープが張られている。彼らは特に私たちの左手側…つまり、バラバラになった実大の死体が見つかった物置の方へと歩を進めている。そうか、人が死ぬって…こんなに、大変なことなんだ…。
私と疾風は正面玄関の大きな扉を開ける。私はもちろん身構えて開けたけど…そこにはもう、実大の「胴体」はなかった。それに私は、ホッと一息つく。ただ…少し噴水の傍に回ると、そこはとても、あわただしかった。私はふと、足を止めてしまう。…白いサンダルが、ぽつんと地面の上に残っていた。そうか…本当に、美月さんも…。そこで指揮を執っていたのはパパだったので、私はちょっぴり近づく。パパは誰かと話をしていた。パパの隣にいる人は白衣…つまり、検察医みたい。
「そうですか…死斑が…。つまり、それはどういう事ですか?」
「うむ…詳しいことは検死して見ないといえないが、明らかに一度、死体が動かされているんだ。死んだのはおそらく午前0時から午前1時ごろだろう…」
「ええ…確かに、被害者の腕時計が12時38分で止まっているんです。もちろん作為の可能性はありますが、まず間違いないでしょう」
「うん、そうだ。…しかし、死斑が一致しない。死斑の兆候は、どうも…2時間くらいですな。つまり、3時半から4時半の間に、一度この死体が動かされているという事になる」
その話を聞いて、思わず私は口を挟んでしまった。
「…えっ?ねえ、パパ?溺死体って、死斑は出ないんじゃないの?」
「…おいおい美寛、どうして出てきたんだ?」
パパはちょっぴり怒った顔をするけど、そこに割り込んで検察医のおじさんが話を始めてくれた。
「ああ…お嬢ちゃんは割と知っているみたいだね。…でも今回は特別だ。通常の溺死体は…例えば海で溺れ死んで、そのまま海に浮いている場合を考えればいい…浮いているから死体が定位置に定まらず、そのため血液が下方向に落ちることで発生する死斑は、確かに発現しにくい。しかしだ…今回は、死因こそ溺死であるものの、死後数時間たってから、死体を動かしたんだろうね。死体は噴水の前に、仰向けに安置されていたんだよ。それこそ葬式の時みたいにだ。このような場合は、普通に死んだ場合と同様になる。つまり、あまりはっきりとした形では見られないが、ちゃんと死斑は見えるんだ」
パパは「やれやれ」といった顔つきをしている。
「美寛。とにかく今は、向こうに行っていなさい」
「は〜い」
私と疾風は、並んで歩き出す。私たちは、なんとなく西側の方に歩いていった。その時、上空から何かの音がした。
「美寛…ヘリコプターだ」
「え?…あ、ホントだ…きっと、テレビ局だよ」
「だろうな…全く…」
私も疾風も黙り込む。…なんでみんな、そんなに事件の起きた場所を見たがるんだろう?見て、恐怖したいのかな?お化け屋敷と一緒で。…でも、今回の事件じゃ無理だ。あまりに陰惨すぎて、陰湿すぎて、凶悪すぎて…そんな生半可な恐怖心じゃ、いられない…。それならどうして、自分の内側に取り込もうとするんだろう?人の死に、凶悪な犯罪に、犯人の「心の闇」に、興味を持つんだろう…?
私は…きっと、自分の正当化だと思う。メディアの映す、自分とは遠くはなれた場所で起きる事件を見ることで、自分は蚊帳の外だって考えたいんだ。自分の周りでは人はまだ死なない、こんな酷い犯罪は起こらない、そして自分には「心の闇」なんて無い…きっと、そう考えたいんだろうな…私だって、そう思うよ…。
「美寛…何を考えてるの?」
「えっ…と、ね…。何でみんな、こんな凶悪な事件のこと、知りたがるんだろうって。疾風はどう思う?」
疾風は俯く。私はいつものように、疾風の顔を覗き込む。
「…望むから、かな」
「えっ?どういう事?」
「結局人間は、誰かを犠牲にして生きてるんだからさ。人の不幸は蜜の味、ってこと」
「…それ、なんかヒドイよ」
「勘違いしないで、美寛。俺がそう考えているわけじゃない」
「疾風は…じゃあ、どう思っているの?」
「知りたくない。自分のことだけで手一杯なのに、他の人のそんなところまで、背負いきれない」
私は疾風の目をもっと覗き込む。…その時、私は…気付いてしまった。


最初に戻る前を読む続きを読む

inserted by FC2 system