inserted by FC2 system

やみのうた

第6幕


『ただ、あなたですから、正直に打ち明けますが、法律的に有効な証拠をひとつとしてつかんでいないのです。』
S・S・ヴァン・ダイン 『僧正殺人事件』より

「ねえ、パパ!!美依夢が連れ去られたってホント!!?」
私は土曜日の夕方、帰ってきたパパに玄関でいきなり問いかける。パパの顔は本当に憔悴していた。
「…ああ、本当だよ。彼女がトイレに行ったときに、警官が目を離したらしい。その隙を突かれた…」
その時、リビングから雅お姉ちゃんの声がする。こんなシリアスな場面には全くそぐわない、いつもの声が。
「みひろちゃ〜ん、ハヤ君だよ〜」
雅お姉ちゃんは、リビングに置きっぱなしだった私のケータイを持ってきてくれる。私はすぐに、電話に出る。
「もしもし、疾風?ごめん、今は取り込んでて…」
「美寛、ニュースを見た?美依夢の…」
「うん、知ってるから…」
「親父さんに連絡が付かない?」
「え、パパなら目の前にいるけど、ちょっと疾風、後に…」
「ごめん、すぐ終わるから親父さんに代わって」
…もう、人の話は聞いてよね。そうは思いながらも、私はパパに電話を代わる。
「パパ、疾風が何か話したいって」
「…えっ?」
パパは訝しげに電話を手にする。そこからは疾風の声が、ちょっぴり漏れ聞こえた。
「すみません、急に…でも、お願いがあって…」
「どうしたんだい?」
「美依夢が連れ去られたって、聞きました。犯人がまだ新しい事件を起こそうとしている…って考えていいですよね?」
「ああ…そうだろうな」
「だったら…美依夢ももちろんですけど、美留奈の命も危ないと思いませんか?」
えっ!?…美留奈が?私も思わず耳を傾ける。
「…!もう一度言ってくれないか?」
「事件の動機を考えれば…一番ありそうな展開は、親の子殺し…それによって遺産を得るって事じゃないですか?だとしたら美依夢の次に命を狙われるのは、美留奈しか残っていないじゃないですか」
「ああ、確かに可能性としては、あるな…」
「だから…家族の誰にも言わずに、美留奈だけでも…しばらくどこかに、避難させた方がいいんじゃないかと思って」
「しかし…あれだけ警察が残っている中で…?いや、しかし、美依夢の例はあるからな…。ありがとう、月倉くん。そうしよう」
すると、そこで疾風の声が押し殺したように小さくなって、パパ以外の人には聞こえなくなる。パパが何かを考えているから、きっと疾風と話はしているんだろうけど…疾風は、何を考えているんだろう?しばらく重苦しい沈黙が続いた後だった。
「…なるほど、やって見る価値はあるな」
「美留奈には俺と美寛から説明します」
「ああ。そうしてくれ…それじゃ、美寛に代わるよ」
パパは笑顔を見せて、私にケータイを返してくれる。そして、すぐにお風呂場へ行ってしまった。…そっか、パパはシャワーを浴びに帰っただけなのね。私はすぐに、疾風の電話に出る。
「もしもし、疾風!?一体、どういう事!!?」
疾風の声は、はっきりと聞こえた。
「見当が、ついたってこと」
「えっ!!?」
「とにかく美寛、今から美寛の家に行くよ。それから説明する。あ…ご飯食べた?」
「…えっ?ううん、まだ」
「軽くでいいから、食べておいたほうがいいよ。じゃあ、後でね」
そう言って疾風は、早々に電話を切ってしまった。もう、一体何が起こるの?私はちょっぴりの期待とかなりの不安を抱いたまま、とりあえずご飯を食べることにした。

私と疾風は、パパの運転する車で夜屋家に向かう。こうでもしないと、私たちは夜屋家に入る時に、近くにまだ張り込んでいるメディアから、色々言われてしまうから。屋敷内の玄関近くまで来て、私と疾風は車から降りる。玄関からは、ちょうど沖宮警視が出てきたところだった。
「ああ、雪川君、戻ったかね。…?おや、美寛ちゃんがどうして?」
「夜屋美留奈のお見舞い、ですよ。2人ともすぐに帰ります」
「ああ、そうか…」
「ところで警視…」
そこで二人は相談を始める。きっと疾風が言い出したことについて話しているんだろうけど、私はまだ、その詳細を聞いていない。私と疾風は勝手に玄関から中に入る。警官がいるだけで、夜屋家の人間の姿は見えなかった。私たちはそのまま階段を駆け上がり、美留奈の部屋をノックする。
「…誰ですか…?」
「私だよ。美寛」
「えっ…美寛ちゃん!?」
美留奈はすぐに扉を開けてくれた。私と疾風は、すっとその中に滑り込む。
「どうして入ってこれたの!?」
「ああ、美寛の親父さんの車に乗せてもらったから。…それより美留奈、お願い。あまり大きな声を出さないで」
「…えっ?」
「美寛もだけど…今から、俺のいう事をよく聞いて」
私たちは、その疾風の剣幕に黙ってしまう。疾風は本気だった。
「いい?美依夢が連れ去られたのは聞いた?」
美留奈は黙って頷く。
「きっと…犯人は、まだ夜屋家の子供を狙っている。理由は知らないけどね。とにかく美留奈…美留奈も、このままじゃ危ない。だから…逃げてほしいの。すぐに、この家から」
「うん…でも、どこへ?」
「美寛の親父さんに話はつけてあるから、今日は美寛の家に泊まって」
「うん、分かった…でも、どうして急に?」
疾風は右手の人差し指だけを立てて、そっと口の前に添える。どうやら、絶対話すなという意味らしい。
「罠に嵌めるの」
「…えっ?」
…罠…?これには私も美留奈も目をみはる。
「今、美寛の親父さんが警視と協力して、下でウソの情報を流しているんだ。美留奈に命の危険があるから、明朝には安全な場所に避難させる…ってね。きっと、犯人は…焦って今夜中に動き出す。この部屋の前には警官を配備させるけど、ベランダに面した窓の鍵は開けておく」
「つまり…わざと侵入させるって事?」
「ああ。ベッドには人形でも寝かせておいて、犯人がそれに何らかの殺害手段を取った時に、現行犯で捕まえる。…いい、美寛も、美留奈も…。この事件、物的な証拠がほとんどないの。だから…その場で、捕まえないといけない」
私たちは小さく頷く。
「うん、わかった…月倉くん、そうする。…ところで美寛ちゃんはどうするの?」
「俺は、美寛を危険な目にはあわせたくない」
そこで私は疾風を思いっきり睨む。…そんな、ここで私に帰れって言うの!?
「…けど、美寛は知りたいんだろ?」
私は大きく頷く。疾風は諦めたように、ため息をついた。
「もう…俺の傍を、離れるなよ」

そして、運命の時。私と疾風は、美留奈の部屋の東側に備え付けられた、クローゼットの中にいた。部屋にはそれ以外に2人。パパがカーテンと冷蔵庫の間に出来た隙間に身を潜めていて、もう1人私の知らない警官が、ベッドの下にもぐりこんでいる。ベッドには、タオルケットにくるまれた人形。急ごしらえにしては上出来で、きっと月明かりくらいでは人形だとは分からないだろう。もっとも、懐中電灯で覗き込むとすぐにバレるけど。
時刻は午前1時をまわっていた。もう日曜日だ。私は疾風の腕に抱かれている。私はパパに、取り押さえるまで絶対出るなといわれていた。もちろん、疾風も。…といっても、疾風はさっき「俺の傍を離れるな」って言ったから、私が出るなって言われた以上、外には出ないはずだ。でも、さすがに3時間立ちっぱなしはつらいなぁ。いくら疾風に抱かれているとはいっても、ね…。
と、その時だった。微かにカラカラという音がする。もしかして…窓が、開いたの!?私は息を潜める。怖くて叫びそうになる。それを押さえるため、必死に自分の顔を疾風の胸の中へとうずめる。
しばらく、沈黙。
死のような沈黙。
次の瞬間だった。
「動くな!!!」というパパの声。
ドタバタとなる物音。
カラン、という音がした。
それから喚く声。…この声は、一体誰?
そして「もういいよ」という声がした。
私と疾風は外に出る。私は室内の電気をつけた。そこにはパパともう1人の警官に腕を取られている、黒いフードの人物がいた。その人物の足元には、銀色のナイフが落ちている。…これは、民人を刺し殺したナイフと同じだ!
「ありがとう、月倉くん。君のおかげだ」
パパはそう言った。疾風は何も言わずに、黒コートの人物に近づく。パパは続けて言う。
「さて…この人物が一体誰か、教えてくれるかい?」
そのパパの言葉に、疾風は右手を差し出しながら答えた。
「…見たほうが早いですよ」
疾風はその人物のフードに手をかける。そして…。
そのベールを取った。

「……え…えええっ!!!?」

私は思わず驚きの声を上げる。パパの顔も、驚愕の色をみせていた。もちろんそれは、隣の警官も同様。ただ疾風だけが、いつもと変わらない顔つきだ。
私の頭の中は、既に混乱しきっていた。どうして、どうして……!!!?
なんで、なんで今、私の目の前にいる黒いフードの人物が…夜屋…。

夜屋…美依夢なの……?

「ど…どういう事だ!!?」
パパも一呼吸置いて、驚きの声を上げた。疾風がそれに、冷静に答える。
「美依夢の毒殺未遂を考え詰めると、それしか答えが無いんですよ。情けない答えですけどね…。つまり、美依夢を狙って毒殺することは不可能。『本人が毒を入れない限りは』ね」
「ええっ!?…それじゃ美依夢、自分で毒を入れて自分で飲んだの!!?」
「そうだよ。…医者がいるのも計算済みだろ?あとは…念のため…自分で先に解毒剤を飲んでおいたとか。ほら、美依夢、コーヒーを飲む前に洗面所に行っただろ?あの時に、先に解毒剤を飲むことも出来る。つまり、自分が助かる見込みがかなりあったって事」
そんな…そういう事だったのね…なんて単純な、でも何て効果的な方法だろう…。その時だ!!

ドオオオオオォォォォン…

「なっ!!?」
いきなり夜屋家が、大音響に包まれた。…この音、まさか…爆発!!?またダイナマイトなの!?しかし、それと同時に部屋の中で大変なことが起こった。
「ぐえっ!!?」
「…ぐっ!?しまった!!!」
パパともう1人の警官が不意を突かれて、美依夢にお腹を殴られた。美依夢はよろめく2人を尻目に窓のほうに駆け出す。疾風と私は、慌てて後を追った。美依夢は排水管をすっと滑り降り、山のほうに向かって駆け出していく。私と疾風の後を、すぐにパパや異変を聞きつけた警官たちが追っていった。
「上だ、上に逃げたぞ!!」
「くそっ、逃がすな!!」
何名かの警官が、山の上のほうへと上っていく。私たちは警官たちに、すぐに追い抜かれてしまった。私が息を切らして立ち止まっている間に、パパが追いつく。
「美寛、月倉くんも、これ以上は危険だ。2人は下りなさい」
「ううん…大丈夫よ、パパ!疾風がいるもん!!」
「それより、雪川さん…!あの小屋、怪しくないですか?」
疾風が指差した場所には、ぽっかりと開けた空間がある。そしてその真ん中に、古びた木造の小屋が建っていた。扉が開いたままになっている。
「よし…」
パパは銃を構えて、小屋へと近づいていく。私と疾風も…私は恐る恐る…その小屋へと近づく。
「…!動くな!!」
パパの声だ!まさか、本当に!!?私たちが小屋の入り口に駆け込む。その奥には…よく見えないけど、確かに誰かいる。月の光に何かが煌めく。…もしかして、刃物をまだ持っているんじゃ…!
私の予想は当たっていた。美依夢が手にしていたのは…鉈だ。しかも、血がついている…って、まさか、これ…実大の切断に使われた鉈…!!?
「ホント、台無しなんですけど」
美依夢の声がする。…心なしか、今までの声とは違う。ずっと低くて…怖い声だ…。
「一生遊んで暮らせるだけのお金、全部私のものになるはずだったのにさぁ!!」
いや…怖い!!私は思わず、疾風の背中に隠れる。美依夢の声はまだ続いていた。
「ふふ…そうよ、私だって人を殺したのよ!!今だって、殺せるわ!!!」
「無駄な抵抗はよせ!すぐに武器を捨てるんだ!!」
「何よ、撃てるものなら撃ってみなさいよ!!どうせ出来ないでしょ?キャハハ…」

ドンッ!!!

それは、一瞬のことだった。…美依夢の顔は、恐怖に震えているようだった。目を大きく見開き、口を開け…そのまま後ろ向きに倒れていく。
私は驚いて横を向いた。パパも呆然とした顔つきで後ろを見ている。パパが手にしている銃からは煙は出ていない。…ウソ、それじゃ一体誰が!!?私は振り向いた。
「…宇治原さん…」
「ああ…」
宇治原さんは声にならない声を上げて、倒れこんだ美依夢の元へと駆け寄る。急いで脈を診るが、彼は何も言わずに首を振った。…美依夢も、死んだの…。でも、でもそれは…仕方のない事だったのかな…。美依夢は、6人もの人を次々と、殺したんだもんね…。

その時だ!!
「ぐっ!!?」
私もパパも、一瞬何が起こったか理解できなかった。それは宇治原さんの声。…一体何が起こったの!!?
疾風がいつの間にか、宇治原さんの前に立っている。宇治原さんは痛そうにお腹をさすっていて、銃を取り落としていた。疾風はすぐに、銃をこちらに向かって蹴り飛ばす。そしてすぐに離れた。ま、まさか…疾風が宇治原さんを蹴ったの?…なんで?
「つ、月倉くん…?一体何を…」
疾風はその声を無視して叫んだ。
「雪川さん、美寛!!すぐにコイツから離れて!!!」
「えっ、えっ!?どうして?」
訳も分からずに私とパパは、小屋の入り口のほうまで押し出される。パパも当惑して叫んでいた。
「一体どうしたんだ、月倉くん!!?」
その声に、疾風の声が答える。そしてその言葉は、私を更なる絶望へと導く言葉だった。
「ごまかされないで…美依夢も犠牲者なんだ」
「…はあっ!!?」
「考えても見ろよ。美依夢がいなくなった、っていうのは確かに自発的に姿を隠したんだ。でも、俺たちは美留奈が明日にはこの家を離れるって事を、夜屋家の中でしか言ってないんだぞ?その時の夜屋家に内通者がいない限り、美依夢が今晩、美留奈を襲いに来ることは不可能だろ」
「え、え、じゃあ何、疾風まさか…」
「ああ、そうだよ…」
疾風はようやく起き上がった宇治原さんを指差した。

「この事件を全て仕組んだのは…宇治原さん、あんただ」

その言葉に、私の頭の中は、完全に思考回路を失ってしまった。きっとパパも同じような思いで、宇治原さんを見つめていたのだろう。
「ど…どういう事…?」
「美依夢はコイツのマリオネットにすぎないってこと。実際、美依夢が直接手を下したのは多分…実亜那だけだ」
「ええっ!!?」
私は驚いて宇治原さんを見る。彼は起き上がっていたが、顔は俯いていた。その表情は…読み取れない。
「基本的に他の事件は、宇治原が手を下している。実大も、美月さんも、民人もね…そうだろ?大体のことは分かっているんだ。俺が分からないのは…」
疾風はもう一度宇治原さんの方を見る。
「なんで、あんたが夜屋家の人間を殺す必要がある?…あんた、部外者だろ?まさか、将来美依夢と結婚して、遺産を手に入れるつもりだったのか?」
その言葉で、ようやく宇治原さんは顔を上げた。その顔を見た瞬間に、私は思わず声を上げそうになった。…何!?今までの宇治原さんの顔と、全然違うじゃない!!?
「いや…いい舞台だったからさ」
「舞台…?宇治原、お前、何を言ってるんだ?」
「この憎悪…骨肉の争い…嫉妬…その上に散る血こそ、すばらしい…芸術だ」
な…?何を言ってるの…?もう、目の前の男は、私の知ってる宇治原さんじゃない…。
「金はあの女にとってだけの動機だ…俺にはお前らが理解できる動機なんて無い」
「じゃあ俺たちが理解できないでもいいから、あんたの言葉で語ってくれ。そうしてくれた方が、俺たちが後から悩むことが少なくて済む」
疾風が冷静に言う。疾風の左手は私に添えられている。
「はん…そうだな…俺もブンヤに後からああだこうだ言われるのだけはゴメンだ…じゃあ語らせてもらうとするか。それはな…お前たちが理解できる言葉で言えば、芸術だ」
「げ…芸術…!?」
私は思わず口にする。
「そうだよ、美寛ちゃん…芸術だ!この闇のごとき黒い家に降り注ぐ血の芸術…生を失った人間だけが放つ、一瞬の芸術…そう、そのためだ…。血とは、死とは、俺という存在を表現するための道具だ…どうだ、月倉くん?君なら理解できるんじゃないか?」
私は驚いて疾風のほうを見る。しかし、疾風は決然と言い放った。
「一週間前の俺ならともかく、今の俺には無理だな。…美寛という光に包まれているから」
「…フン、そいつは残念だ」
宇治原さんはそう言いながら、小屋に備え付けられていた棚からビンを取る。
「おい、宇治原!!何をする気だ!?もう逃げられんぞ!!」
「ククク…警部、俺はまだ完成していないんですよ。この芸術を…」
宇治原さんはビンの中の液体を小屋にまいた。すぐにある臭いが立ち込めてくる。…まさか!!
「今完成させてやろう!!!」
宇治原さんはライターの火を床に落とす。途端に液体は燃え上がった。やっぱり、あれは灯油だよ!
「美寛、急いで出てっ!!!」
私は疾風と一緒に小屋から飛び出す。ちょっぴり遅れて、パパも飛び出す。小屋はあっという間に燃え上がった。私たちは、ただ呆然とそれを見ている。宇治原さんは出てこない。それは…漆黒の闇の中に浮かび上がる一陣の赤は…。

あまりにも残酷な芸術。
そして、この闇のような事件に、終わりを告げる、眩しい光だった。

次の日の午後。つまり、今日は8月6日月曜日。原爆記念日だ。1945年のこの日にも、多くの人が亡くなった。私たちはこれからも毎年、この日に黙祷を捧げ、あの日亡くなった人たちを追悼する。そして今日は更に…夜屋家で亡くなった7人も、追悼しなければならない。そう、この残酷な事件を、白日の下に晒して…せめてもの、手向けにしたいと思う。
私の部屋には、私と疾風のほかに、夜屋美留奈…今では遺産を相続できる、最後の1人…がいた。美留奈はあれから、夜屋家には戻っていない。もちろんしばらくしたら戻ることにはなると思うけど、今はここのほうが落ち着く、というので私の家にいる。
「美留奈…本当に、大丈夫か?」
「うん、平気」
これから疾風は、私と美留奈にあの事件の全容を話してくれることになっていた。もちろん、疾風は先にパパに説明をしたらしい。
「ね、疾風、早く話して!一体どうやって、宇治原さんがあんなことをした訳?」
「とりあえず、話しやすいのから行こうか…美依夢の服毒は、もう聞いた?」
美留奈はそこで小さく頷く。
「じゃあ、ミロの件が簡単だからまずおさらい。あれは、離れを燃やす時に一緒にベランダを燃やして、木造のベランダをもろくしておいた。あとはミロに電話をかけて、うまい口実をつけてベランダに出すだけ。自分の部屋のベランダがまさかもろくなっているとは思わずに、ミロは足をかけて…転落する」
私たちは揃って頷く。
「ああ、それから…予告状がわざわざ親父さんに送られた意味、分かっただろ?親父さん直属の部下である宇治原が、あの日に夜屋家に違和感なく入り込む手段として必要だったんだよ」
…そっか…そういう事だったのね…。
「次は…美月さんの話。あれも、今となっては簡単だ。だって宇治原には美月さんが死んだ時のアリバイが無いし、美依夢には美月さんの死体が動かされた時のアリバイが無い」
「ねえ、疾風…それじゃ、わざわざ死体を動かしたのは…」
「そう、アリバイを作るため」
「あのさ…お姉ちゃんは、じゃあ…具体的に、どういう事になっていたの?」
「具体的に?…少し想像が入るけどいい?」
「うん」
「まず…普通に考えて、夜中に美月さんと宇治原が外に出て、噴水の近くにいるなんてシチュエーションは無いと思う。そんなうまい口実も見当たらない。それよりは…美月さんが、家の中で殺されたと考えた方がいい」
「えっ!?家の中?」
「ああ…風呂場で溺死させて、そのまま風呂場に浮かべておく。ここまでが宇治原の仕事。それから…午前4時ごろになって美依夢が、美月さんの死体をあそこまで運ぶ」
「でも…大変だよね、死んだ人をそんなに移動させるのって」
「あのさ、美寛…民人の車椅子がどうしてなくなっていたか分かる?」
え?私はその意味を考える。…って、まさか!!
「もしかして…美月さんを車椅子で運んだの!?」
そうだ…電話をかけているパパに近寄った時、床が濡れているような気がした…!!
「ああ、きっとね。美月さんを車椅子に乗せて裏口から出て、そのまま噴水のところに運んだんだろ」
「それにしても…どうして美月さんだけ、あんな丁寧に安置したの?」
「さあね、今となっては分からないけど…噴水のところまで美月さんの死体を運んだのは美依夢であるはずなんだ。当然、美月さんの死体を安置したのも美依夢になる。可能性としてありえるのは、宇治原のいう『芸術』の完成を美依夢が手伝おうとしたってこと。でも…」
疾風はそこでふと、顔を俯ける。
「…美依夢も、心のどこかには、優しいところが残っていたんじゃないか…って。俺はそう信じたい、かな」
そう言って疾風は顔を上げる。そこにはいつもの疾風の顔があった。
「そこは深く考えない方がいいよ。…次は…民人のことか」
「うん、分かった…そう、民人といえばダイイングメッセージ!疾風、分かったの!?」
「ああ、多分こうだろうとは思う。…でも、民人は頭いいよな。美留奈、そう思わない?」
「うん…そうだね、すっごく頭はよかった」
「何が得意だった?」
何でそんな質問をするんだろう?美留奈も間の抜けたように答える。
「えっ…と、社会かな」
「そんな気がした」
思わず私は声を上げる。
「えっ!?疾風、あれに何か関連があるの?」
「大有りだよ。…民人の部屋の机の上にさ、いわゆる地図帳があっただろ?民人は、死ぬ前までそれを見ていた。だからこそ、あんなダイイングメッセージを思いついたんだよな」
「えっ…?そんなものが、何か…?」
そこまできてやっと、私の頭は回転し始める。社会科…地図帳……ん…?地図…。地図…って…。
「まさか!!!」
「美寛、気がついた?」
私は何度も頷いた。
「地図記号なんだ…」
「そういう事。民人がとろうとしていた姿勢はXだと思う、って話は美寛にはしたよね?Xは、つまり×ってことだ。地図記号で×は?」
「え…えっと、何だっけ…?」
頭を抱える美留奈の代わりに、私が答える。
「警察署、だよね」
「…まあいいか。警察署は×を○で囲むから厳密には違うんだけど…正確には×は駐在所や派出所を表す地図記号なんだ。どっちにしても、警官を指すんだよ」
「じゃあ、民人の指の形は…?あの、親指を突き立てて、人差し指が窓を指差していたっていう…」
「あれは見ての通りだったんだよ」
私も美留奈も首をかしげる。
「見ての通り?」
「そう。…した事あるでしょ?ピストルの真似」
私と美留奈は目を合わせた。そうだ…!!そんな、単純なことだったんだ…。
「ピストルを普通持っているのは、これも警官しかいないよね。…じゃあ…最後に、実大と実亜那の話」
「えっ?」
私はその言葉に飛びつく。
「ちょっと疾風、最後ってどういう事?日野の事件は?」
「あれは…話したくない」
「何で?私も聞きたい」
美留奈も同意してくれる。ところが疾風は、その美留奈に対して言った。
「いや…美寛に話すのはいいんだけどさ…美留奈。俺、美留奈には…話したくない」
「ううん、言って!お願い!!」
美留奈は疾風の手を掴む。疾風はしばらく美留奈の手を見つめていたけど、やがて諦めたように視線をそらした。
「…分かったよ。…ただ…気を、確かにね…」
「うん。…覚悟は、できてるから」
疾風は1つ息をついた。
「もしかして…気付いてる?」
「…何となく。月倉くんの、その態度で…分かった気がした」
「そう…じゃあ、いいか?…美寛、あれは…」
疾風は私のほうだけを見る。美留奈のほうを見たくないらしい。でも、その次の疾風の言葉で、私は本気で動揺してしまった。

「宇治原の犯行じゃない」
「え……えええっ!!!?」
私は思わず疾風を見つめる。そして、隣に座っている美留奈も、横目で見る。美留奈は唇をかんでいた。
「び…便乗殺人なの!!?」
「そう言うの?知らないけど、とにかくあれは宇治原の犯行じゃないよ。もちろん、美依夢の犯行でもない。あのガムテープで目張りされた密室から抜ける方法は…」
私は疾風の言葉に耳を済ませる。
「無い」
「はあっ!?」
私は思わずずっこけそうになった。
「だから、美寛…あの時、犯人がまだ部屋の中にいたって事。そう考えないと、日野の死体がわざわざベッドの奥に引きずられていた説明がつかない。あれは、視線を奥に誘導するため。その隙に…犯人が死角から外に出るため」
「し、死角…って?」
「きっと、ドアの内側だろ。うまく道夫に遮られて、見えなかったからな」
「じゃあ、まさか!!?」
私は思わず美留奈を見てしまった。美留奈は顔を伏せている。
「ああ…あの後、真っ先に部屋を訪れたように見せかけた人物…つまり…」
「お父様が…」
美留奈はそれだけつぶやくと、目を覆ってしまった。低く、すすり泣く声が聞こえる。私はそっと、美留奈の背中に手を当ててあげる。
「そう…それしか考えられない…。満夫と道夫が共謀して、やった芝居だと思う。道夫が俺たち…特に美寛の親父さんにくっついて回った理由はそこにあると思う。日野の部屋より先に満夫の部屋を調べられたらアウトだから、色々理由をつけて誘導したんだろうな」
「でも、それなら何であんな、ガムテープで目張りだなんて…」
「密室を作ることで、同一犯の犯行に見せたかったんだろう」
「えっ?」
「実大が密室で殺されていた。次に日野も密室で殺された。普通、同一人物がなぜか密室を作りまわっている、って思うだろ?その印象を与えることで、きっと誤認させたかったんだと思う。…ごめんな、美留奈」
美留奈はまだすすり泣いていた。私は美留奈にそっと寄り添い、それでも疾風に話を進めてもらう。
「ね、もうそれはいいから…次は実亜那のこと」
「あれは…実大と実亜那、一緒に考えた方がいいよ。大仕掛けなトリックだから」
え…?実大が大仕掛けなトリックなのは分かるけど、実亜那もなの?
「実大と実亜那の事件は…夜屋家の人々にとっては当たり前の事実を、俺たちが見逃していたから、こんなに訳の分からないことになっていたんだ。あのさ、美留奈…」
美留奈はそういわれて、ようやく顔を上げた。目がちょっぴり赤い。
「実大と実亜那って…双子だろ?一卵性の」
「え?うん…そうだよ」
「ええっ!!?あの2人…双子なの!!!?」
私は心底驚いた。だ、だって…あのイカツイ実大と、とってもカワイイ実亜那くんが…双子!!?
「ち…ちょっと、疾風!!?いつ気付いたの?」
「何か引っかかってたこと、やっと思い出せたからさ。気付いたのは最近だけど、実亜那と話したときに気付くべきだったんだよな」
「ど、どういう事?」
「いい?実大は中学3年生。それは、襟元の星川中の学年章で分かっただろ?そして、実亜那は俺たちと話したとき、明日が15歳の誕生日って言ったんだ。…今年15歳になるって事は、実亜那が学校に行っていたとすれば、中学3年生だろ?2人が本当に南の実子なら、可能性はひとつしかないじゃない」
「ああ…本当だ…」
「それが分かれば簡単さ。美寛にはこの前、どうして実大は物置に入ったのか?って疑問を話したでしょ?答えは簡単、実大はそもそも物置になんか入ってない」
それを聞いて私は思わず疾風を見つめる。美留奈も急に、疾風の話に再び引き込まれたようだった。
「ど…どういう事!!?だってあそこには、ちゃんと実大の血とかが…」
「だから、それが全部実亜那のものだったって言ってるの。一卵性双生児のDNAは同一でしょ?あそこに残っていた血も…肉片も、全部実亜那のもの。俺たちが勝手に、実大のものだと思い込んでいただけ」
そ、それはそうだけど…つまり、どういう事?
「いい、美寛、美留奈?物置に呼び出されたのは実大じゃなくて実亜那なんだ。実亜那は呼び出されてすぐに、犯人に殺される。犯人は実亜那の体を切断…まではいかないにしても、とにかく鉈でメチャクチャに切る。そうして、いかにも死体切断を行ったような跡や実亜那の肉片を、物置の床につけておくんだ。そして、その死体を裏口から外に引っ張り出す。この時、外にビニールシートが引かれていたはずなんだ。変なところ…それは実際、離れの付近なんだけどさ…に血がつくとまずいからさ。それから内側から裏口…つまり3つ目の経路を閉める。2つ目の経路は一切使わないからな。…あとは簡単で、そのまま1つ目の経路から出て、俺に鍵を閉めさせる」
「…え?それじゃあ、実亜那くんを殺したのって…」
「もちろん美依夢だよ。あの時、美依夢はキューを取りに行ってた、って言ったけど…本当は、実亜那を殺してきたんだよ。だからあの時物置に入れば、実大が死んでいないのに部屋は血まみれだった。返り血はズックや手袋かなんかで防いだんだろうな」
「え、でもそれからは?それから美依夢はずっと、私たちと一緒に…」
「だから、それからは宇治原の仕事なの。宇治原は実大を物置の近くで殺した…か気絶させたかは分からないけど、とにかくそこで意識を奪った。それからまず意識の無い実大と、実亜那の死体を離れに運び込む。つまり、ビニールシートは離れの前から裏口にかけて、ず〜っと引いてあったんだ。二人の死体を運び込んだら、実大の死体を…ここで殺したのかもしれないけど…切断する。そして、まだ血の垂れている胴体部分を裏口あたりから、血の跡をつけつつ玄関に運ぶ。それから手足と頭を換気口から物置に投げ込む。あとはビニールシートをしまって、離れの時限発火の準備をするだけ。これでわざわざ死体を玄関まで動かした理由も分かるだろ?血の跡を裏口からつけることで、犯行現場を物置だったと誤認させるためさ。2時間ちょっとでやるにはかなりヘビーだけど…練習してたんだろうな」
「あの…練習、って…?」
私が尋ねると、疾風はすぐに美留奈のほうを見た。
「美留奈…かなりエグい話だから、聞きたくなかったら耳を塞いで」
美留奈は言われたとおりにした。疾風は小声で、私にだけ囁く。
「あのさ…先週くらいに、隣の市で男子高校生のバラバラ死体が何人分か見つかっただろ?」
その言葉を聞いてすぐに、私の背中を嫌な寒気が襲った。私は疾風の耳に囁き返す。
「じ…じゃあ、その死体…宇治原さんが、切断の練習をするために…!!!?」
「可能性があるってだけだけどね」
疾風はそう言ってから、美留奈の方をトントンと叩く。美留奈は手を耳から離した。
「これがあの事件の真相。離れを燃やした理由は…もう分かるだろ?ベランダをついでに燃やすのが主な目的じゃない。あれは、離れの中に残った実大の血やビニールシート、それから実亜那の死体についた深い切り傷とか、そういうのを全部隠滅するためだ。もっともビニールシートは少し残ったけどね。もちろんこんな大胆な計画を立てた理由は、夜屋家のしきたりとして、家人が死んだら一晩は家の外に出ない、カーテンも締め切るっていう決まりがあったからだろう。だから裏口から離れまでビニールシートを引くなんてバカなことも出来たんだ」
「ねえ…じゃあ、密室は?なんでこんな面倒な密室を作ったの?」
疾風はちょっぴり自信なさげに言った。
「きっと…あれは、結果的に不必要な密室だったんだと思う」
「は?結果的に…不必要?」
「そう。きっと本来は、アリバイ確保のためだったはずなんだ。美依夢が物置を出たときに、誰かに時間を聞いてその時間のアリバイを作る。その後、宇治原が『美依夢が物置を出た後の時間に実大を見た』って言えば、美依夢のアリバイが成立するだろ?本当はそういう事をするつもりだったのに、偶然物置を出たところで、実大と美依夢が出会って、しかもそのことを俺たちが証言できることになってしまったんだ。つまり美依夢のアリバイがより完璧になったって事だよね。一方、宇治原は家の中でそんなことが起きたのを知らなかったはずだから、そのまま計画通り密室を作り上げる。そうして、結果的に不必要な密室が出来てしまったんだと思う」
そうか…そういう事だったんだ…。
とにかく、これでこの事件の謎は全て明らかになった。その意味では光が差しているはずなのに、心はとても深い闇に包まれている。きっと前より濃くなっただろう。でも、それでも、こうしてこの事件が終わりを迎えたことは、私たちにとって、何かの救いにはなるのかもしれない。


最初に戻る前を読む続きを読む

inserted by FC2 system