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ほしのうた

突然に始まる第1幕

気がつくと美寛は、ビルの屋上に倒れていた。目を覚まして無意識にあたりを見回すと、周囲には何も無い。いや、これは人工的なものが存在しないという意味であって、空はあるし木々もある。しかし、ここがどこかを認識させるような物体は存在しない。まだ少し、頭がクラクラする。少し塔が傾いているような印象さえ受ける。「…ここは…ピサの斜塔、ってわけじゃないよね…。じゃあ首吊塔なのかな?それとも、単純に私が定まっていないだけ?」美寛はそんな事を思いながら、もっとよく周囲を観察する。そこで初めて、塔というよりはビルに近い、ということに気がつく。そして、左奥の方に突き出た部屋のような空間があることにも気付く。普通の建築物であれば、あの中に下の階へと下りるための階段があるはずだ。それ以外に非常階段などの類は見当たらない。それ以前にこの屋上には、フェンスのようなものさえなかった。「なんか…本当に、自殺のための場所みたい…」美寛はそう思いながら、部屋のような空間へと歩き出した。
扉を開けると、確かに階段がある。目の前には小さく、標示のようなものがあった。美寛は、声に出してそれを読む。
「え〜っと…上がRで、下が4か…。つまり、この下はこのビルの4階って事ね」
美寛は階段を下りて、4階にやってきた。…何も無い。がらんとしたスペースが続いている。美寛にはイマイチまだ、このビルが何のために建てられたのか分からなかった。美寛は辺りを見る。すると、中央に机と椅子が置いてある。そして、その上にはノートパソコンが置かれていた。…それだけだ。一見して、それ以上のものは無い。驚いた事に、窓も存在しない。「別に何も無いや」そう思って、美寛は3階に降りる階段を探そうとした。
「そういえば…普通、階段って一続きじゃないの?どうして1つ1つが分断されているんだろ?」
階段はすぐに見つかった。しかし、なぜかその前に扉がある。そして、その鍵がロックされているのだ。しかも普通の鍵…例えばシリンダー錠とか南京錠とか、そういったレベルの鍵ではない。美寛の語彙から最も近い言葉を選ぶなら、それは間違いなく「電子ロック」だろう。
「えっ!?何これ?…ちょっと、どうなってるの!?」
美寛は思わず悪態をつく。その時だ。…かすかなデジタル音を美寛は聴いた気がした。美寛はあたりに気を配る。急に不安になってきた気がした。「デジタル音を発しそうなものと言えば…この部屋ではパソコンだけね…」そう思いながら美寛は椅子に座って、何気なくパソコンの画面を見た。そこに書いてあった文章に、美寛は一瞬、呆然としてしまった。

「このビルには多数の爆弾を仕掛けている。爆発までそう長くは無いだろう」

「え……えええっ!!?ば、爆弾!!!?」
美寛は思わず叫んだ。文章にはまだ続きがある。美寛は出来るだけ落ち着くよう自分に言い聞かせて、続きの文章を読んだ。

「出入り口は屋上から飛び降りるという選択肢を除けば、1階にしかない。1階に降りる手段は、もちろん階段しかないが…各階の入口の扉を、特殊なコードでロックさせてもらった。このロックは、人間の物理的な力で解決する事は出来ない。あくまで電子的な信号でのみ解除可能だ。…さて、その電子的な信号を入手する方法は、暗号形式にしようと思う。各階で暗号を解き、1階から見事脱出してくれたまえ。最初の暗号はこれだ」

美寛は少しの間、放心してしまう。「…そんな、私の一生、こんなので終わっちゃうの!?」美寛の右手は、思わず自分の左手に伸びていた。そこにはいつも、疾風からもらった指輪をしているからだ。…そう、この指輪は今年になってから疾風にもらったもの…。そう、あれは確か、ホワイトデーだった…。急に疾風に会いたくなる。
「そう…このままじゃ、絶対終わらない!疾風に会うためなら、私は何だってするもの!!」
美寛はそう心の中で誓って、パソコンの画面を下にスクロールして続きを見た。こうなったら暗号を解いて、脱出するしかないのだ。

「中と小の間にあるものを、そうする事だ。
解答欄『』

そういってふたたび咳ばらいをすると…ジネット・ヌヴーはフランスの…アメリカへ演奏に向かった途中旅客機が大西洋で墜落したため…来春の黄道吉日と承っております…ブドウの粒をちぎり…尼リリス嬢とは反対に小柄でほっそりしていて…ご両君おめでとう。そうだ、乾盃しよう…さまざまな洋酒の組み合わさった…」

「この下に引用されているのは…鮎川哲也の『りら荘事件』ね」美寛はつぶやいた。本来は創元推理文庫版でいうと、24ページから25ページに相当する2ページがそのまま引用されていたのだが、ここで全てを引用するのは野暮だし、著作権上の問題がないとも限らないから、中略を多用して美寛の特に気になった部分だけを引用しておこう。三点リーダ部分が中略である。美寛は思考をめぐらせる。
「中と小の間…あれ、これ何かで聞いた事があるような…えっと…?あれ、今何かがふっと頭をよぎった…何、これ?あ…『親の隣は、人』?」
美寛はそこで頭を上げた。しかし、その表情もつかの間で、すぐに考え込んでしまう。
「ああ、そうか、あれの事!!え…でも、それがここから何に…?待って…ここにあるのはノートパソコン、そして、中と小の間が意味するもの…あれ、例えばこれって…ううん、もう1つあったはず。それは、確か……あっ!!」
美寛は机を叩いて立ち上がった。
「分かった!!!」

気がつくと疾風は、どこかの部屋に倒れていた。とにかく、暗い。小さなオレンジ色の照明だけが、微かな明かりを投げかけている。とにかくまず、疾風は立ち上がった。体に異常は無い。次に現状を把握する。壁に白い標示が見えた。そこに書かれていた文字は「B3」。少し考えて、地下3階の事だと認識する。
「つまり…地下に監禁された、って事か?それにしても…」
疾風は辺りを観察する。ようやく眼が暗さに慣れてきたようだ。そこは何の間仕切りも無い、がらんとした1つのスペースだった。部屋の形は円形。フロアには中央と四隅に1本ずつ、計5本の柱が立っている。そして、円形の部屋の周囲には様々な物体が置かれていた。例えば何冊か本の入った本棚、音楽CDではなくゲームソフトが並べられたCDラック、小石が敷き詰められているだけの水槽、古びた女性のトルソー、アロマオイルの並んだ棚、そして冷蔵庫や洗濯機といったものまで置かれているのだ。疾風は思わず「ここは物置か?…それとも、バブイルの塔?」と心の中で口にする。
見回っているうちに、ドアがあることに気付く。どうやらエレベーターのようだ。しかし、ボタンを押しても反応が無い。上昇スイッチの横に、不思議な切れ込みがある。
「これは…なるほど、つまりカードキーってことか。神羅ビルとGガーデンにしかないと思っていたけど…」
そう言いながら、疾風は中央の柱の方に近づく。そして、何気なく柱を見ているうちに、その柱に紙が貼ってあることに気がついた。それは緑色の蛍光ペンで書かれている。疾風は明かりの下までその紙を持っていく。そこにはこう書かれていた。

「ここに書いてある話は嘘ではない。まずそれを明記しておこう。
さて…このビルは、そう遠くない未来に爆弾によって爆破される。もちろん、ここが爆破されれば君がここから出られなくなる、という問題も生じるだろうが…しかし、君にとってそれ以上に深刻な問題を教えておこう。それは君の愛すべきMYが、このビルの屋上にいるということだ。君は救助隊によって救出される可能性も否定はしないが、彼女の場合、その可能性は絶望的だろう」

「…なっ…!?美寛が…!!?」
疾風はそこで声を上げた。思わず、手紙をもつ手に力が入る。疾風は続きを読む。出来るだけ、力を抜いて。落ち着けと自分に言い聞かせる。

「君がこの部屋から脱出する方法は簡単、カードキーを捜すことだ。これをエレベーターの横にさしこめば、上の階へと進めるようになる。この広い部屋の中を闇雲に探し回るのは得策ではないから、各部屋に1つずつ、暗号形式のヒントを用意しておいた。それを参考に、がんばってくれたまえ。最初のヒントはこれだ。

母と子は別れ、足跡を辿りて帰らん。  うらあ 戯画 きな 地租 西」

疾風は一通り手紙に目を通す。次に、黒のジャンパーから同じ色のボールペンを取り出して、手紙に書き込みをした。そして一つ、軽いため息。そのすぐ後に、言葉が漏れる。
「はっ…下らない。それよりも美寛、待ってろよ…必ず、美寛は俺が、助けるから…」
そういうと疾風は、この部屋にあったあるものの所へと急ぎ足で向かっていった。

さて…美寛と疾風に最初に出題された暗号に対しては、特別な知識を活用することなく、解読が可能である。なお、美寛に出題された暗号はその一部が省略されているが、この状態で暗号の解読に支障はない。ちなみにここで言う「特別な知識」とは、具体的にはテレビゲームの知識と推理小説の知識である事も記しておこう。次章が始まってすぐに解決が行なわれるので、思考により脳を活性化させたいと思う方も、純粋に自分の力を試したいという方も、とにかく考えてみたいという方はここで一度考えてみて欲しい。なお、これは読者への挑戦といった勇敢な提言では全くない。そう、これはクイズ番組の「それでは、次の問題」という提起に近いレベルだ。以上の点は、これから先でも同様であることも付記しておく。


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