inserted by FC2 system 「受験勉強の妨げになるから本を読むな」という親がいるそうです。これは効率性を過度に追求する現代人の悪い癖の例の一つと云えるでしょう。効率性を追求するあまり大切な物を失うとすれば、そして僕に身近な例で云えば、「本を読まなくなる事」でしょう。本に限らず、効率性の追求によって失われるのは「余裕」の部分です。世の人々が、「余裕」を取り戻す事を願ってやみません。だって、それが人生を充実させるのですから。

風葬の夢

序文
 中学生時代、太宰治は芥川龍之介に強く憧れていた。中学の時から太宰は同人誌活動をしており、当時の彼の表現技法には、芥川の手法を真似た物が多く見られる。太宰が東大を受験したのも、芥川の後輩になりたかったからである。そして、死に様をも、太宰は真似た。高校生が使う国語要覧などに、主要作家の概略が載ってある。そのうち、自殺した作家というのは、太宰治と芥川龍之介だけである。この二人の偉人に影響された人間は多くいるだろう。それは素晴らしい事である筈なのに・・・・


 現在の高校生で、高木彬光のファンがいるとすれば、おそらくその人は相当なミステリーマニアだろう。高木彬光とは昭和の本格推理小説作家で、神津恭介・霧島三郎・墨野龍人などを世に送り出した人物である。そんなマニアの一人が、本編の主人公、茶川隆典(さがわ・たかのり)である。茶川の日課は学校の図書館で推理小説を見つけ出す事だった。見つける度に一日で読んでしまうため、彼は毎日図書館で本を探すことになる。そんな彼の様子を、同級生は「発掘野郎」と名付けた。同級生は「よぉ、発掘野郎」と声をかけてきては、逃げてみたり、隠れてみたりした。同級生は「発掘野郎」の戸惑った顔が、彼の生まれつき不細工な顔を更に間抜けにするのを見ては面白がった。が、茶川の方も、戸惑った振りをするだけで喜ぶ同級生の姿を見て、密かに楽しんでいた。
 「おい、茶川、これ誰だと思う。」
放課後の図書館で声をかけたのは、数少ない茶川の友人、太田治(おおた・おさむ)である。
「誰だろう。結構格好いいよね。」
茶川の見ている写真は、25くらいの芥川龍之介の写真である。
「芥川だよ。」
「芥川?・・・。ああ!国語で前にやった『鼻』の作者だ。」
「お前、もしかしてそれしか読んだ事ないのか。図書館で発掘しているくせに。」
「発掘しているのは推理小説だよ。純文学にはあまり興味がないんだ。」
「ふ〜ん。漢字も似ているのになぁ。」
というと太田はいなくなった。部活にでもいったのだろう。しかし、茶川には彼の最後の言葉の意味が分からなかった。学校だとどうしても推理小説に目が行くので、茶川は帰り道に古本屋に寄った。芥川の本を買うためである。背表紙を見て茶川はやっと太田の言葉の意味が分かった。芥と茶が似ていると言いたかったのだ。誰にでも分かりそうな事なのだが、意外と茶川本人には気づかない事なのかも知れない。とりあえず古本屋では唯一100円だったS文庫の『羅生門・鼻』を買った。芥川が14歳の少年に与えた影響は大きかった。家に帰ってから、羅生門を読んだ後、茶川は芥川の熱狂的ファンになったのだ。


 芥川龍之介が東大卒業だと知ったのは、『羅生門・鼻』を読んだすぐ後だ。それから、茶川は、ある芥川についての本で、芥川が受験した時の東大の問題を見た。その問題と、芥川の解法を見た時、彼はふと「東大に行って芥川の後輩になりたい」と思った。何の理由もなく、ただ、そう思った。彼は両親に話してみた。両親は、このあたりだと、逸秀(いっしゅう)学園に行くしか東大に行く道はないと言った。何の反対もせず、簡単な事のようにいうので、茶川は驚いた。が、逸秀学園の名前が出たのも驚きだ。逸秀学園は、茶川の地元では最高に難しい高校である。茶川の両親には経済的余裕があったので、彼は地元の進学塾に通うようになった。この塾の生徒は1学年約90人で、80人もが、逸秀学園に合格している。逸秀学園の定員は200名だから40%の生徒がこの塾出身という事になる。逸秀学園に入るのに、何故か茶川は苦労しなかった。塾でやれと言われた事をやっていたら、塾の成績がどんどん上がっていき、何故か80人中1位をキープするようになり、当然のように、逸秀学園に合格した。茶川が入る前からこの塾にいた太田治も、同じような感じで逸秀学園に合格した。ただ、二人ともが辛かった事は、本を読めなくなってしまった、という事だった。


 逸秀学園の図書館に二人は毎日通った。茶川は芥川とミステリーで、太田の方は「敗北の美しさ」に興味を持ち、太宰をよく読むようになっていた。
 二人の高校生活は順調に進み、成績も良好のまま、夏休みがやってきた。二人とも、借りれるだけの本を借りて一学期を終えた。夏休みに入って、二人とも、宿題の多さに圧倒された。ここで、二人は全く違う道を選んだ。茶川は読みたい本を読まずに宿題を終わらせた。一家で1週間海外旅行にでかけたら、残り全部が勉強の日になってしまった。対して太田は、殆どの宿題を無視して、借りた本を読みつづけた。太田の方は経済的事情から旅行になんて一度も行った事がなかったし、今年も行かなかったので、夏休み中部屋にこもって、読書に明け暮れた事になる。新学期が始まって太田の急変に茶川は驚いた。授業は寝ている事が多くなったし、宿題も出さないし、授業中に読書に励んだりしている事もあるのだ。そんな状況が3年続いた。途中、二人とも色気づいたりもしたのだが、容姿が悪いのが幸いしてか、恋人がいた日はなかった。


現国の先生が、「本を読め」とよく言う。しかし、教員側の出す宿題は、読書時間の余裕など残させない。自分は元々、本好きであり、ゆえに芥川の後輩になりたくなり、ゆえに東大に行きたくなったのだ。しかし、東大合格という目標を効率的に達成するがために、元々のきっかけだった本はおろそかになったのだ。茶川の成績優秀は続いたが、高2頃から、彼はこんな悩みを抱くようになっていた。が、ただぼんやりとした理由で勉強を続け、見事に東大には合格した。彼の高校時代には取り立てて騒ぐべき事が何も起こらなかった。部活も委員会もしなかったし、読書もせず、映画もテレビも見ず、勉強を続けた。彼は、東大文Tに合格した後、太田が地元の大学の工学部が駄目だったと知らされた。太田も当初の目標は東大理Tだったが、どんどん成績も下がり、逸秀学園の生徒なら最下位でもとおるといわれている大学を受け、見事に落ちたのだ。それから数日後、太田は自殺した。遺書には全体を通して「敗北は決して美しくない」といった事が書かれていたそうだ。
茶川は春休みを、親友の葬儀などで、忙しく過ごした。太田の両親はとても悲しそうな顔で「どうして」とずっと言っていた。長い迷路を彷徨って、自殺という結論を出したのだろうが、その迷路の正体は、太田以外には誰にも分からない。ただ、茶川は、自分が高2の頃から抱いていた悩みと、同じような迷路ではないのかと思った。結論が出せないのが辛くて、死ぬしかなかったのではないだろうかと。彼は、東大を卒業し、芥川の後輩になったし、就職もすぐに決まった。しかし、彼が14歳の時に漠然と夢見た事、そんな夢は生きていくうちに風化してしまうものなのかもしれない。そのせいか、彼が目標を達成したかしないかが、筆者には甚だ疑問なのである。

もどる

inserted by FC2 system