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幻舞月明抄 其ノ壹・罠


「ふぅー、いいお天気ですねぇー」
神社の境内(けいだい)に一人、きっちりしたスーツに眼鏡という、神社という場に余り似つかわしくないような装いの男が、箒(ほうき)を持って立っていた。長い漆黒の髪は後ろで結ばれている。
「掃除ももうすぐ終わりますし、今日は何処かお出かけでも致しましょうか」
微笑んで一人ごつ男の足許(あしもと)には、木の葉が綺麗に集まって山を為(な)していた。
「すみませーん」
男は声のした鳥居の方を向いた。其処には、少し高級そうな着物を纏(まと)った男性が居た。
「はい、何でしょう?」
男は箒を持ったまま彼に近寄る。彼の手には、古ぼけた木箱が大事そうに抱えられていた。
「この辺りに、女性の用心棒の方がいるって聞いたんですけど…」
気の弱そうな発言を聞くや否や、男の脳裡(のうり)には一人の女性が浮かんでいた。
「ああ、氷嘉留(ひかる)さんですね!お仕事の依頼ですか?僕、氷嘉留さんのいとこですからご案内致しますよ」
男の笑みを見て安心したのか、相手の顔も綻(ほころ)ぶ。
「えっ、良いんですか?!」
「良いですとも。それに、氷嘉留さんは屹度(きっと)今頃…」

時は天化三年。
治世は穏やかになったとは言え、未だ賊(ぞく)や盗人(ぬすびと)の類(たぐい)が幅を利かせているため、各地には金を貰(もら)って権力者や旅人の護衛を生業(なりわい)とする“傭(やと)われ用心棒”が存在していた。
この町にも幾つか傭われ用心棒は居るが、その殆(ほとん)どは体力に自信のある厳(いか)つい男ばかりであった。
そんな町の片隅に、この町では唯一の女性の用心棒が看板を掲げていた。
しかし…

「あぁーーーっ、ヒマヒマヒマーーっっ!!」
机に突っ伏したまま、吼(ほ)える様に言う女。腰ほどまである黒髪もぼさぼさである。
「仕方ありませんよ、氷嘉留姉様…お仕事の依頼が来ないのですから…」
同じ机の反対側に座る琥珀(こはく)色の髪をした少女は、目を閉じて茶を啜(すす)りながら言う。
「ったくー…女だからって皆そっぽ向いちゃってさー…あたしだって名門たる鷹月(たかつき)の家の出なのよ?ねぇ穂妙留(ほたる)」
氷嘉留と呼ばれた女は、顔を上げて少女を見る。
「私も一応鷹月の家の出なのですけど…あ、誰かいらっしゃいますよ」
「え?!まさか、久々の依頼っ?!」
氷嘉留は一気に元気を回復したように背筋を伸ばし、耳を欹(そばだ)てる穂妙留を見つめた。
「あ、いえ…この足音は恐らく龍弥(りゅうや)様かと…」
「なーんだぁ、龍弥かぁ…つまんないの」
一気に元気を消費したように背筋を曲げてしまう氷嘉留。
「…あ、でももう一人足音が聞こえますが…私出てきますね」
「どーせもう一人も冬真(とうま)か誰かじゃないの?」
不貞腐(ふてくさ)れる氷嘉留を尻目に、穂妙留は玄関へ向かう。
「はぁー、多分もう一月(ひとつき)もお仕事してないからなぁー…いい加減体動かしたいなぁ」
言葉とは裏腹にごろごろしたままの氷嘉留。
「それでは、思う存分体を動かしてみては如何(いかが)です?」
「…え?」
氷嘉留は声のした戸口を見た。其処には穂妙留と、見慣れたいとこの姿、そして見知らぬ男の姿があった。
「龍弥、もしかしてその人…」
「ええ、お仕事の依頼ですよ。氷嘉留さん」
龍弥と呼ばれた長髪・眼鏡の男は、人懐(ひとなつ)こい笑顔で言った。

「それじゃあ、その品物を甲府まで運ぶ貴方の用心棒をすれば良い、ってことね」
小奇麗な着物に着替え、髪を梳(す)いた氷嘉留が、再び座って言う。
「はい…あ、申し遅れました。僕は榊木(さかき) 黎次郎(れいじろう)と言います。父が商品取り引きの仕事をしていて、僕もその手伝いをしているんです」
榊木は深々とお辞儀をして言う。
「あ、こちらお茶でございます…」
湯呑(ゆのみ)を載せた盆を手に部屋に入ってきた穂妙留が、榊木の傍に腰を下ろして湯呑を置く。
「あ、これはどうもすみません…えっと、こちらの方は…?」
榊木は、机に手をかけて立ち上がる穂妙留を見ながら言う。
「あ、私、氷嘉留姉様の妹で、鷹月 穂妙留と申します…」
穂妙留は眼を閉じたまま、深く礼をして言う。
「へえ、姉妹揃ってこんな美しい人だなんて…」
「あら、お世辞が上手なのね。…でも、甲府までならわざわざ用心棒をつける程でもないと思うんだけど?」
「あ、ええ…まぁ、そう、なんですけど…」
遠慮がちに話す榊木を見て、龍弥が代わって言う。
「氷嘉留さん、“神流党(じんりゅうとう)”っていう盗賊団、知りませんか?」
「神流党?何それ?」
「最近此処から甲府の方へ向かう道すがらに出没しては、商人等から品物の掠奪(りゃくだつ)を繰り返している盗賊団だそうですよ。榊木さんは彼等のことを案じて氷嘉留さんに依頼してきたんです。…あ、すみません、穂妙留さん」
龍弥も穂妙留から湯呑を受け取って言う。
「へぇー、盗賊団ねぇ…」
「はい…どうか、お願い出来ないでしょうか…?」
今にも泣き出しそうな表情の榊木を見て、氷嘉留は茶をひと飲みして言った。
「誰がダメだなんて言ったかしら?」
「…え?そ、それじゃあ…」
「こっちだって、彼是(かれこれ)一ヶ月仕事してないんだもの。断る理由なんて何一つないでしょう?」
「あっ、ありがとうございますっ!!」

「へー、氷嘉留の奴、久々に仕事貰ったんだ」
叶(かのう)の表札がかかる家の居間で、金色のつんつん頭の少年が食器を洗いながら言う。
「ええ。今朝僕のところにその榊木って人が来て、氷嘉留さんを指名していらっしゃったんですよ」
龍弥は何かの機械を手許(てもと)で弄(いじ)りながら言う。
「…え?おい兄貴、先刻(さっき)“神流党”が如何(どう)こうって言ってなかったか?」
少年は手を止め龍弥の方を振り返って言う。
「え、ええ…それが、どうかしたんですか?冬真」
冬真と呼ばれた少年は龍弥の方へ近寄る。
「おい、氷嘉留の出発って何時(いつ)なんだ?」
「え?ええと…確か明朝にでも早速って話だったと…」
冬真は真剣な顔で言う。
「…そいつは、もしかすっとヤバイかも知れねえぞ」

まだほんの少し夜が残る山道を、長い槍を手にした女と木箱を手にした男が歩いている。
「それにしても…随分大きな槍ですね」
榊木がふと呟(つぶや)く。
「んー、そうかも知れないわね。でも、あたしにとってはこれが一番使い勝手が良いし、先祖代々伝わるものらしいからねー…」
「そうなんですかー…」
氷嘉留の槍をまじまじと見つめる榊木。
「それより、貴方こそその箱、随分大事そうだけど、何が入っているの?」
「ああ、これですか?何かの商品らしいんですけど、僕も詳しくは聞かされていません」
「ふーん…あ、そう言えば、一つ気になってたことがあるんだけど」
「何ですか?」
氷嘉留は歩みを止めずに話を続ける。
「いや、こんなことあたしが言うのもヘンなんだけどさ。如何(どう)して、わざわざあたしっていう女の用心棒を選んだの?龍弥の話だと、貴方はあたしを名指しして来たみたいだけど…女じゃ色々不便や不満もあるでしょうに」
「……」
榊木は歩みを止める。足音の途絶えに気づいた氷嘉留も、数歩先で止まる。
「それは…」
榊木は木箱を開けた。中に入っていたのは、銀色の鎖鎌(くさりがま)だった。榊木は素早くそれを手に取ると、氷嘉留に向けて鎌を放った。
「なっ…?!」
氷嘉留は殆ど本能で避けながらも、内心では動転していた。
榊木は戻ってきた鎌を掴むと、指を手にあて口笛を吹いた。すると、周囲の木に潜んでいた黒づくめの着物の男が十人程飛び出してきた。
「アンタを殺すため、なんてのはどう?」
榊木の眼は、それまでの気弱そうな男のそれではなく、野獣の如(ごと)きそれに変貌(へんぼう)していた。
「…まさか、貴方“神流党”の…」
「ああ、そうさ。苦労したんだぜー、神流党の頭(かしら)ともあろう者が気の弱い商人を演じるの。そうまでしてアンタを誘(おび)き出し殺してやるんだ、有難く思えよ」
黒づくめの男達が、じりじりと氷嘉留に近寄ってくる。
「あら、それは感謝するけど…でも、どうしてあたしなわけ?」
氷嘉留は平静を装いながら、槍を手に構え警戒の姿勢を取る。手に汗が滲(にじ)む。
「そうだなー、女のくせに用心棒とかやってんのが気に喰わなかったから、かな?」
榊木は指を鳴らす。それが合図だったのか、男達が一気に氷嘉留に飛び掛る。
「…あら、それは悪かったわね…」
槍を振るう氷嘉留。すると、氷嘉留の周囲に竜巻のようなものが起こる。男達はそれに巻き込まれ、吹き飛ばされていった。
「でも、あたしそういう男がいっちばん嫌いなのよね…」
「ヒュー、やるねぇ。伊達(だて)に女で用心棒やってるわけじゃないって?」
榊木は瞬時に氷嘉留の懐(ふところ)まで飛び込んだ。そして、鎖鎌で接近攻撃を始める。
「まぁね…」
矢継ぎ早の攻撃を、氷嘉留は槍で防ぎ続ける。しかし、確実に氷嘉留の足は少しずつ後退していた。力で押されている、氷嘉留はそう判断せざるを得なかった。
「…だけど、俺もそういう女はタイプじゃないんだ」
声を低くして言うと、榊木は一気に鎌を振るった。氷嘉留は弾き飛ばされ、一本の樹の幹にその躰(からだ)を打ち付ける。
「痛っ…」
氷嘉留の霞(かす)む視界には、一歩一歩自分に近づいてくる榊木の姿が薄(うっす)ら確認できた。
「散々手間かけさせやがって…だが、アンタもこれでお仕舞いだ」
榊木は高く鎌を掲げた。
「バイバイ、氷嘉留さん」
ほくそ笑む榊木の右手から振り下ろされる鎌を、氷嘉留は見ることが出来ず眼を伏せた。
その耳に乾いた一つの音を聞いたのは、その刹那(せつな)だった。そして、鎖の落ちる音。
「…え」
氷嘉留は再び眼を開けた。鎖鎌を地面に突き刺し右手を押さえる榊木。その手からは少し血が流れていた。
そして、遠方を見ると、一台の乗り物の前に立つ二人の男女を見た。男は手に何かを構えている。
「…りゅ、龍弥…?それに、穂妙留も…」
思わず氷嘉留の口から零(こぼ)れた名前。彼女のいとこと、妹の名だった。
「ど、どうしてお前達が…」
榊木は声を荒げて言う。
「おかしいと思っていたんですよ。あなたが最初に僕の前に現れた時、声をかけられるまであなたの気配に僕は全然気づかなかった。僕がぼうっとしていたのかとも思ったんですけど、昨日あなたのことを弟の冬真に話したらはっきりしましたよ。冬真は食堂で働いてますからね、情報に富んでいるんです。教えてくれましたよ、“神流党”の頭の名前は“榊木”と言うらしいってね」
龍弥は手に構えた武器を下ろさずに言う。
「ですから私達、龍弥様の“クルマ”に乗って氷嘉留姉様を追いかけてきたんです…。氷嘉留姉様の身に何か起こるかも知れないと存じまして…」
龍弥より少し小さい声で、穂妙留が言う。
「ちっ…」
榊木は地面に刺さった鎖鎌を手に取る。
「おっと、手荒い真似はしない方が賢明ですよ?この“ピストル”という武器は先日、僕が外国人の方から譲って戴(いただ)いたもので、殺傷能力が高い上にコントロールが難しいという代物なんです。僕も叶の血を引く者ですから自信が無いわけではないですが、余り妙な動きをされると…」 龍弥はいつも通りの人の良い笑顔のまま言う。
「…うおおぉぉーーっっ!!」
突然龍弥の方に向かって走り出す榊木。
「何っ…?!」
龍弥は咄嗟(とっさ)に数回引き金を引くが、弾(たま)は凡(すべ)て榊木を逸(そ)れてゆく。
そしてあっという間に榊木は、龍弥の横に居た穂妙留のすぐ傍まで来た。
「何を…?」
搾(しぼ)り出すような声で言う氷嘉留。
「はは、俺は最初っから気づいていたぜー?この女は眼が見えないってことをな」
榊木は穂妙留に鎌を突きつけて言う。
「なっ…」
ピストルを構える龍弥の手は少し震える。
「そいつを撃ったら、俺はこの女を殺す。それでも撃つのかい?」
榊木は笑みを作る。一方で龍弥の顔から笑みは消えた。
「…撃たなくてもいいと思うわよ、龍弥」
立ち上がり、幹に寄りかかりながら言う氷嘉留。
「えっ?な、何言ってるんですか、氷嘉留さ…」
龍弥は氷嘉留の言葉に視線を外しそうになったが、次の瞬間、彼の視線は榊木の方に引きとどめられた。
榊木の右足が穂妙留の細い足で払われたかと思うと、彼の躰は中空に綺麗な円を描いて、地面に大きな音と共に落ちた。
「…な、何、が…」
榊木は眼を丸くしたまま気を失う。龍弥も眼が点になったままピストルを下ろすことも忘れている。
「…あたしねぇ、穂妙留と武術の練習してる時に一回も勝ったこと無いのよね」
氷嘉留はよろよろと龍弥達のところにやってくる。
「え、あ、あの…今、何かあったんですか…?」
きょとんとしている穂妙留に、龍弥はもっときょとんとしていた。

その後、龍弥が呼んでおいた役人によって、榊木をはじめとする“神流党”の一味は御用となった。
氷嘉留と穂妙留は、龍弥の運転する“クルマ”に乗って家路についていた。
「氷嘉留姉様、お怪我は大丈夫ですか…?」
「んー、まぁ命に別状はないと思うわ。でも、暫(しばら)くは開店休業状態になっちゃうかもねー」
背中を凭(もた)れかけ、自嘲気味に笑う氷嘉留。
「それにしても龍弥、さっきの何とかって武器といいこの乗り物といい、本当にアンタってはいからな機械を沢山使いこなすのね」
「そうですか?」
前を向いて運転したまま言う龍弥。
「どう見たってそうでしょうよ、こんなの大金積んでもなかなか……あーーっっっ!!!」
氷嘉留の叫びに、クルマごと飛び跳ねてしまいそうな程驚嘆する穂妙留と龍弥。
「ど、どうなさったんですか、氷嘉留姉様…」
「ね、ねぇ、穂妙留…榊木から前金とかって、貰って…る?」
血相を変えて言う氷嘉留に、少したじろぐ穂妙留。
「え、ええと…私は戴いてないですけど…」
「あーっ、やっぱりそうよねー…っっ」
「…まさか氷嘉留さん、この仕事(?)で報酬をもらえなかったこと…」
「そうよ、最近全然仕事してなかったからお金がぁ…ああ、事前に少しでも榊木(あいつ)から毟(むし)り取っとくんだったーっ!!」
氷嘉留は少し眼に涙を溜めながら突っ伏す。
「…ね、姉様…」
「はは…」
龍弥は乾いた苦笑いをしたまま、日の昇りきった町へクルマを走らせていた。
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あとがき
はい、げんげつ第1話でございます。
実は完全にキャラ先行型のお話ですので、今回の話にはメッセージ性みたいなものはほとんどないです^^;
まぁ若干男尊女卑の匂いがするのはそういう舞台設定だ、と思ってください。僕自身はあまりそういう考えは持ってないです。
てか第1話なのに、主人公の氷嘉留姐さんが弱っちくみえかねないなぁ(苦笑)。一応黒ずくめの男達をぶっ飛ばしたあたりは実力ちょっと見せてんですけど、まぁ次回以降をお楽しみに(笑)。
…って、次回は冬真メインの話なんですけども(ぉ

さて、この話には、実は或る大きな表現上のトリックが隠されています。
漢字の使用率並びに振り仮名の数が異常に多いというのもありはしますが、それよりももっと心理トリックっぽいものがあります。
気づいた方が居ましたらぜひお知らせください。正解者には特に何も出ませんが拍手と名誉は差し上げます(ぉ
正解は次回の此処のコーナーで発表します。

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