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そらのうた


第二部

「このことは喜んで申し上げるが、ほとんどの人間は密室が好きなんだな」

J・D・カー 『三つの棺』より


第七羽

それは突然のことだった。けたたましいベルの音。目覚まし時計なんかより、はるかに起き心地の悪い音だった。
「美寛、起きたか!?」
すぐ横に疾風の顔がある。疾風は既にパジャマを脱いで、普通の服に着替えていた。
「うにゃ…?どうしたの、はやて〜?」
私は寝ぼけ眼をこする。疾風と一緒に眠った次の日の朝の、のろけたモードからうまく頭が切り替わらない。疾風の顔が真剣なのを見て、やっと私にもちょっぴり、何かただならぬことが起きたのだと想像がついてきた。
「教授の離れで何かあったらしい。例の15パズルの鍵が下りてて、開かないんだ」
「えっ?…でも、それってただ、まだ教授が寝てるだけじゃないの…?」
私の言葉は、疾風の一言で打ち砕かれる。
「…ハッチから血が滴ってる」
「ち、かぁ……って、血!!?」
私は一気に覚醒した。それは、つまり…。
「教授の身に何かあったのね!?」
「ああ…美寛、ここで待ってな」
「ダメ、私も行く!疾風のそばを離れたくない!!」
疾風は一瞬笑顔を見せた。でもその笑顔はすぐに影を潜める。
「そう言うと思った。急いで着替えて」
私はベッドから飛び起きて身支度を始める。疾風は部屋の外へと出て行った…けど、別に私を置いていったわけじゃないのは分かる。単なるマナー、なんだよね。別に私は気にしないけど、疾風は気にするみたいだった。
「ね、疾風」
「何?」
やっぱり疾風は扉のすぐ外側にいた。私はちょっぴり笑顔になって、着替えをしながら疾風に聞く。
「さっきのベルの音は何?」
「あの音?…こっちの家に、あのハッチの合鍵があるんだ。それを使えばあのハッチは開くけど、代わりにその鍵を取り出すとあんな大きな音がなるって事」
「合鍵?あのハッチに鍵を差し込むところなんてあった?」
「あ、悪い…鍵は鍵でもカードキーだよ。ホテルとかにある」
なるほど。しかし…あんな音を聞いて起きださない人間は1人もいない…あっ、いや、お姉ちゃん以外はいない。私は最後に髪をちょっぴり直してから部屋を出た。
「美寛、行こう。もう鷲戸さんと川内さんと城之内さんが向かってる」

私と疾風が離れに向かうと、螺旋階段の前に川内さんがいた。ひどく顔色が悪く、倒れこんでいる。
「川内さん!大丈夫ですか!!」
疾風が声をかける。彼女は放心状態だった。ただ、私を見て彼女はつぶやいた。
「ダメ…あなたは、行っては、ダメよ…」
「どうしたんですか!?教授は?」
「死んで…腕が…」
死んで!?教授が死んだ!!?私の頭に、昨日の老婆の声が蘇る。

……あの島は、「人は死」島じゃ……

「城之内先生は?」
「……」
そのまま川内さんは気を失ってしまった。私たちは意を決して、螺旋階段を上っていく。ハッチの手前には先生のカバンがおいてあった。そして、その前面には…血が少量ではあるが、滴っていた。疾風が大きく声をかける。
「城之内先生!」
「いかん、君たち!!この離れに入ってはならない!!」
先生の声が聞こえてくる。
「正さんは…亡くなられたよ」
先生がハッチの外側へとやってきた。
「どうやら、警察に連絡せねばならないようだな」
「警察…?もしかして」
「ああ…殺されている」
やっぱり…殺された、のか。昨日はあんなに元気だった教授が、こんな突然に別れを告げるなんて…少なくとも私は考えていなかった。気持ちが…うまく、整理できない。まだ、怒りも悲しみも込み上げてこなかった。先生は階段部分に下りてきてから言う。
「君たちはここで待っていてくれ。鷲戸さんは…ああ、ちょうど向こうから来ているようだな。私は下にいる川内さんの処置をしてくる。いいか、絶対に部屋に入らないでくれよ。部屋に入られると、私が処置しないといけない患者の数が増えるからな」
そう言い残して、先生は階段を下りていった。
「どうするの、美寛?」
疾風が一応、って感じで聞いてくる。私の答えは…当然、固まっていた。さっき2人が合鍵を取りに来たっていう事は、この離れの鍵は閉まっていた、ということだ。それはとりもなおさず…『密室』ということになる。
「もちろん…調べるよ。この時化じゃ、そう簡単に警察はこられないわ。それに、島の駐在さんが殺人事件なんて扱ったことがあると思えない。まして密室よ?本土から人が来るまでには大分時間もかかるはずだし…」
「まったく…頼むから卒倒はしないでね」
「大丈夫よ、首なし死体だって見たことあるんだから!」
とはいうものの、寝起きに死体を見るのはどう考えてもいい気持ちじゃない。私と疾風は覚悟を決めて、リビングに足を踏み入れた。その瞬間…。
「え?何だ、これ…」
「ラベンダーの匂い…みたい…」
私たちの鼻をついたのは死体から漏れ来る異臭でも血の匂いでもない。なぜか、強いラベンダーの匂いだった。ここは乗り物嫌いの画家が住むA県の屋敷じゃなかったはずだけどなぁ。冗談はさておき、私たちは辺りを見回す。ソファの後ろに、だらんと足が伸びていた。おびただしい量の血の海も見え隠れする。疾風がとりあえずソファの上から死体を覗き込む。
「うっ!!」
疾風の、声にならないような声が聞こえた。口元を押さえている。
「疾風、大丈夫!?」
「ああ…なんとか。それより美寛…死体を見るなら、覚悟しろよ」
「それは…もうこの部屋に入ったときから覚悟してるから。で、教授の死体は?刺殺?絞殺?それとも…」
疾風は一度首を振ってから答えた。

「腕が無い」

私は思わず聞き返した。何か本能的に、聞かないほうがいいと感じたのだろうか。
「え?え、疾風、何て?」
「教授の両腕が…無いんだよ。分厚い刃物みたいなもので…切り落とされてる」
「ウソ…」
そう言いながら、私は死体を見た。…本当だ、腕が、腕が、無い…。両腕が無残に切り取られている。そこからのぞく、赤い肉片、ズタズタに切り裂かれた切断面…私は思わず顔を背けた。ついでに奥の扉の先にある、台所に向かって走ってから戻る。これじゃ今日の朝食は食べられそうにない。
「大丈夫か?」
「うん…平気。疾風は、平気…なの?」
「美寛がいなけりゃ、とっくに吐いてるよ。…美寛の前では、そんな姿、見せられないからな」
「無理しないでね」
私はもう一度、がんばって死体を眺める。教授の死体はうつぶせだった。いかにも風呂あがりという感じのガウン姿。その脇に投げ捨てられていたのは、壁にかかった斧だった。あれ、オブジェだと思っていたけど…まさか本物だったとは、私もこのときまで思っていなかった。そして、本来あるべき位置に腕がない…。もちろん血は両腕から流れ落ちた跡を見せていたが、それ以外にも血の跡があった。きっと部屋にラベンダーの匂いがなかったら、つまり死臭が充満していたら、疾風も間違いなく吐いていただろう。
「疾風…教授の頭、見える?」
「ああ…殴った跡、だよな。前と後ろに傷が1つずつあるって事は、教授は2回殴られたのか…?でも美寛、見るなら死体より凶器にしよう」
疾風はそう言って、死体の近くに転がっていた花瓶をハンカチ越しに手に取った。花瓶からこぼれおちて、無残に床に散っている花はきっと「鷲の血」だろう。疾風は私に花瓶の底を向ける。
「ほら、血の跡と髪の毛。これが凶器だろ」
「うん、そうみたいね。手近な花瓶を使ったって事は、突発的な犯行の可能性が高いけど…。とりあえず犯人は教授を殺害したあと、なぜか教授の腕を切って出たことになるよね。そして外から鍵をかけて…」
「美寛、待てよ。少なくともこのハッチは、美寛の好きな物理トリックじゃ解決できないよ」 私ははたと立ち止まる。
「えっ?…あっ、そうか!!あの15パズルの鍵を使うから…」
「ああ、まず無理だと思っていい」
「えっ、じゃあ犯人はどこから逃げたのよ!?このハッチが開かないとしたら…」
「ベランダから飛び降りるのも不可能だからな…」
確かに。ベランダの下は岩場か海か、だ。どちらにしても普通に飛び降りたら死ぬことは確実だ。砂浜などはないし、運がよくても軽傷ではすまないだろう。そうなると…。
「美寛、洗面所のほうに窓はあるの?」
そうだ、確か水周りが固まっているスペースにも窓はある。私は再び奥の扉に入った。さっきはそれどころで気付かなかったけど、この部屋からもラベンダーの強い香りが漂っている。まず目に入るのが台所。右手にもう1つ扉がある。引き戸になっているその扉を開けると、風呂場とトイレだった。風呂場はとても整然としていて、タオルをかけるようなところ1つない平板な場所だった。そしてここには…大きな窓がある!
「ここの水って、どう調達してるんだろうな?雨水を浄化しているのかな」
「きっとそうね。それより疾風」
私は窓の外をのぞいた。
「ダメね…階段はこの下に隠れてしまっていて見えない」
この建物は前にも言ったとおり、ワイングラスのような形だ。その北側に面する一部が欠けていて、そこが広いベランダになっていると思えばいい。私たちが今のぞいている窓はワイングラスの側面についている。ここからワイングラスの根元部分の階段までは、どうやっても行けそうにない。
「これ…どうやって逃げ…!!!」
私は慌てて振り向いた。
「な、何、美寛?」
「しまった、疾風!!犯人はまだこの部屋の中にいたのよ!!」
「え?」
「この密室からは出られない、だとしたらまだ犯人がこの部屋の中にいないとおかしい!」
「ああ、それは分かるけど?」
「だからっ!!私たち全員が居間から離れた隙に…」
「…!犯人が逃げ出した、ってこと!?」
私たちは急いでリビングに戻り、ハッチから外に出る。変わった様子はない。念のため下に降りてみると、そこにはまだ川内さんと城之内先生、さらに鷲戸さんがいた。
「どうした?」
鷲戸さんの無愛想な声がする。先生はちょっぴり目を見開いた。
「まさか君たち…部屋の中に入ったんじゃないだろうな?」
「ごめんなさい、先生。それより、誰かがこの離れから降りてきていませんよね?」
「ああ、別に誰も下りてきていないが…それより君たちは、平気か?」
私と疾風は頷く。死体なら何度か見たことがありますから、とはさすがに言えない。
「そうか…ではもう少し残っていてくれないか。鷲匠がいなくても大丈夫か?」
私と疾風は再び頷いた。
「では鷲戸さん、川内さんを家まで運びましょう」
「ああ、分かった」
先生と鷲戸さんは川内さんを抱えた。私はふと、鷲戸さんに聞いてみる。
「すみません、鷲戸さん!あのハッチって一度閉まったら、あのカードキーを使わないと外からは開けられないんですか?」
「ああ、そうだ。あの変なパズルは室内からじゃないと解けん。外から開けられるのは、あのカードキーだけだ」
「複製、なんて…」
「無理だな」
短い言葉とともに、3人は動き出した。
「さて、美寛、どうする?」
「決まってるでしょ、現場検証!私たちにはデータが足りないんだから!!」
そうして私と疾風は、再び螺旋階段を上っていった。あの惨劇の起きた、『空中密室』へ…。


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