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とわのうた

第1部


「それじゃ、お2人はこちらへ」
近未来的という言葉がしっくりくるデザインの服を着た係員にそう言われて、私と疾風はステージに上がった。スカイブルーホールの大観衆の視線は、完全に私たちだけに向いている。カメラのシャッターが切られる音と多くの光が、私に「特別」を意識させる。ステージの他方ではもう1人の係員が、私の知らない男女2人を、私たちと同じ装置に案内していた。私たちの前にあるのは、卵のような白い物体。扉が付いていて中は個室。オレンジが基調の内部には椅子が2つ設置されている。あとは何もない。
「いいかい?このポッドに入って…うん、そう。疲れない体勢をとって、リラックスして…。しばらく姿勢を変えられなくなるからね…それでいいかな?それじゃ、扉を閉めるよ」
係員は笑顔で扉を閉める。私はふと疾風のほうを見る。疾風も笑顔を返してくれた。もう周りの音は聞こえない。外もよく見えない。自動車の窓ガラスを外から覗き込むような状態だ。反対からは中がよく見て取れるようになっているので、大勢のギャラリーは私たちの姿を見ていることになる。だから疾風の肩に寄り添ったり、疾風に抱きついたりはできない。代わりに私は、疾風の左手をそっと握る。
外が何やら、騒がしそうな雰囲気になった。でも、もう私たちには関係のないこと。気がつくと、いい匂いがしている。仄かに視界がピンク色になってきた。私と疾風は目を閉じて、外が急に赤い光に包まれたのも知らずに、旅立っていく。そう、未だ誰も体験したことのない、不思議な“永遠”の世界へ…。

さて…私たちが“永遠”の世界に旅立っている間に、全く話の筋がつかめていないはずの皆様に、自己紹介もかねて説明ね。私の名前は雪川美寛、18歳。私立の深月高校に通っている高校3年生。身長154センチ、笑顔と大きな瞳がチャームポイントの、かわいい女子高生なの。そして私の隣に座っているのが私の恋人で、同じ高校の同級生、月倉疾風。身長は169センチ、ちょっと長めの前髪と、その奥にのぞく凛々しい瞳のカッコイイ男の子。
今日は9月23日、日曜日。実は今、私たちの間で…ううん、日本中で、いや世界中で話題になっているのが、エターナルポッド…「永遠の匣」というものなの。これはどこかの国の博士が発明したもので、思いっきり簡単に内容を説明すると、VR(仮想現実)の世界で遊べるもの、って事ね。しかもそのVRの中で本当の人間のように生活が出来るらしいの。現にその博士が、このVRの中で生活しているんだって!すごいよね。博士は自分がこの世界に行く前に、この利権とかを競売にかけたらしくて、それを競り落としたのが日本の某企業。…そこで試作品が作られて、出来上がったのがさっき出てきた、白い卵状のポッドなの。そして日本中から抽選で2組のカップルだけ、この世界のテストプレーヤーになれるっていうので、もう日本中が大騒ぎになったの!
ふふ、もう分かったよね?何と、私と疾風がそのテストプレーヤーに選ばれちゃったのです!!

今、私たちは何も無い空間に立っている。自分が立っている、隣に疾風がいる、そういう事が全て、まるで現実と同じように感じられる。私はその性能に改めて驚いた。もうこれは、少なくとも私にとっては“現実”としか言いようが無い。疾風も驚いて辺りを見回している。でも、辺りはただ、明るい紫色がかった砂嵐のような状態で、まだ何も物体は存在していない。すると不意に、紫色だった私たちの周りの景色が水色に変わった。それと同時に、私たちの正面に2人の人間の姿が見えてきた。私は試しに声をかけてみる。
「こんにちは〜」
「おう、こんちは」
2人は私たちのほうに近づいてきた。男性のほうは色黒で体格がいい。おそらく190センチくらいあるだろう。Tシャツにジーンズと、かなりラフな姿だ。一方女性のほうは私と疾風の中間くらいの身長。化粧が濃いからよく分からないけど、おそらく20代の半ばだろう。茶髪のロングヘヤはちょっぴり痛んでいるようだ。彼女もラフな格好だが、ベルトや靴はブランド物だった。
「すげぇな、おい…声まで本当に現実みてえだ」
「うん、ホントにビックリ。ところであなた達、お名前は?」
女性のほうがそう尋ねてくる。
「私は雪川美寛。…で、こっちの男の子は月倉疾風っていうの」
「おお、そうかい。俺は柿崎…柿崎修路って言うんだ。職業は…ま、アルピニストだな」
そういう柿崎の脇を女性が小突く。
「何よ、偉そうに。ただの登山好きのフリーターでしょ?…あ、私は安土麻菜。N県の○○百貨店で働いてるの。あなた達は…高校生?」
疾風は軽く頷くだけだったので、私は疾風の分まで声に出してあげる。
「はい、2人とも高校生です。よろしくお願いしま〜す」
「おう、よろしくな!…って言っても、俺もここからどうすりゃいいか分かんねぇんだけどな…」
柿崎は辺りを見回す。見た目にはちょっぴり怖い感じもしたけど、どうやら根はいい人たちらしく、私はちょっぴり安心した。私も辺りを見回すが、何も変化は無い。とその時、どこからともなく声が聞こえてきた。
「諸君、ようこそ“永遠の世界”へ」
声の感じでは、どうやらお爺さんのような声だった。声は続ける。
「まもなく“永遠の世界”にある唯一の建造物、“永遠塔”にたどり着く。もうしばらく待っていただきたい。…そう、それから1つ、言っておきたいことがある…」
声は一度、言葉を切る。
「それは、この世界における“不条理”についてだ…」
えっ…不条理?何の話だろう?
「要はシンプルなゲームなのだよ。今から諸君が訪れる“永遠の世界”には、たった1つだけ、現実世界では考えられない“不条理”が存在する…。その“不条理”を見破っていただきたいのだ」
「あん…?要するにスケールのめちゃくちゃデカい間違い探しってとこか?」
「そう捉えていただいて結構」
柿崎の質問に声は答える。どうやら声の主には私たちの声も届いているらしい。
「もし見破ることが出来たら、相応の報酬を差し上げよう。…さあ、着くぞ」
声が途切れた瞬間、私たちの視界が急に開けた。水色の砂嵐がおさまり、別の風景へと変化していく。私たちが立っていた場所は、枯れた木がなす森の中心部に、ぽっかりと開けた広場のような場所に変化した。あたり一面を、枯れ果てた木々が包み込む。そして最後まで砂嵐が残っていた場所もその景色を変えた。ちょっぴり遠くに見えるその建物は、どうやら3つの塔のようだった。雲に隠れている太陽は、ちょっぴり西日を覗かせている。
「諸君が思うほど距離は無い。歩いて塔が見える方向に来てくれ」
声はそれきり聞こえなくなった。
「じゃあ、行きますかね…ところで今何時だ?俺、時間が分かんねえんだが…」
柿崎の言葉に私たちは時計を探す。だけど…。
「え、ちょっと修路!私も分かんないよ。時計持ってないし、ケータイ置いてきたから」
そうだった。他の非現実(代表的なものはインターネット)との接触を避けるために、あのポッドに入る前に私たちはケータイを係員に預けたんだ。それ以前にかばんとかそういったものも預けているので私たちは何も持っていない。でも、今の私の発言、なんか変だよね…。本当の私はポッドの中にいるもの。今こうやって疾風や柿崎たちの前にいる私は、本当の私じゃないのに…。なんだか混同してしまう。でも、今の私にとってはこれが現実だから…。で、結局私も時計は持っていないので、時間が分からない。
「…誰にも分からないみたいですね」
疾風が答える。…というか疾風がこの世界で話したのは初めてだ。ああ、よかった、いつもの疾風の声だ…。その事に今更ながら安心した。
「そうか…ま、いいか。おっし、じゃ日が暮れないうちに行こうぜ」
柿崎と安土が歩き出し、遅れて私と疾風も歩き出す。“永遠の世界”でも日は傾き、やがて夜が訪れるらしい。私は疾風にそっと囁く。
「すごいね…いつかこんな時代が来るのかな…」
「そんな時代が来た以上、もう何も言えないな。…でも、今の俺たちにとってこれが現実なら…今はそれでいいと思う。深く考えない方がいい。…とにかく美寛、今は“永遠塔”に向かおう」
そうして私たちは塔に向かって進み始めた。“現実の世界”では大変なことになっているのも知らずに…。

……こちらは現実世界…美寛たちが“永遠の世界”に旅立って数分後のこと……
スカイブルーホールの場内が一斉に、赤い光に包まれた。何らかの異常を表すサインだ。主催者たちの表情が急に険しくなる。近くで待機していたエンジニアが中央のステージに集まる。そこには何事も無いかのように佇む2つのエターナルポッド…。しかし、その周りは戦場と化していた。主任らしき男が叫ぶ。
「おい、一体何事だ!?エターナルポッドに何が起こった!?」
エンジニアらしき男が振り向いて答える。
「分かりません!現在何が起こったかを調査中で…ああっ!!」
エンジニアは立ち上がった。観衆の目が一斉にそちらを向く。
「何て事だ!!…主任、新手のコンピュータウィルスです!!」
「な…何だと!?エターナルポッドのシステムに、ウィルスが入っただと…!?馬鹿な、あれほど厳重で完璧なセキュリティが破られたとでも言うのか!?」
主任は荒々しくエンジニアを押しやり、自らキーボードを叩く。そのうちに、ふと何かに気がつく。
「おい…マイクを貸せ」
「は…?マイク、ですか?」
「ああ…何か音声が流れている…。クソッ、どういう事だ、こりゃ!?」
近くにいたどこかのテレビ局のアナウンサーが、持っていたマイクを差し出した。主任はそれをコンピュータに近づける。ノイズが混じり最初はよく分からなかったが、次第にその言葉が明瞭に聞き取れるようになる。
“Ignorant users, obey the FRESH BLOOD…. Ignorant users, obey the FRESH BLOOD….”
「愚かなるユーザーたちは“鮮血”に従うべし…」
後ろにいたエンジニアの1人が、気の抜けた声を出す。一方の主任は怒りをあらわにしていた。すぐ横にあるテレビカメラから、この様子が全国に中継されているのもきっと忘れているだろう。
「けっ、ふざけたメッセージだ!!…どうやらFRESH BLOODというのがこのウィルスの名称らしいな」
その時、いきなり場違いな音が響いた。
「何だ何だ、こんな時にメールなんぞ…」
主任はメールを開く。そして彼はその文面に目を疑った。そしてそのまま、フリーズしてしまった。これから動くことを拒み続けるコンピュータにように…。

「From FRESH BLOOD
この世に永遠など存在しない。それを理解させてやるために、“永遠の世界”に“不条理”と“恐怖”を送り込んだ。“永遠の世界”の住人たちは今から数時間後に“恐怖”を体験するだろう。そして彼らが“不条理”の正体を悟るまで、彼らは“永遠の世界”に縛られるだろう」

「つ、つまりこれは…」
エンジニアたちが次々と画面を覗き込む。そしてついに、その中の1人がこの意味に気がついた。
「つまりこれは、“永遠の世界”で起きている何かを、今ポッドの中に入っている4人が解決できないと…彼らは…」
「彼らは、ポッドから一生出られない、という事なのか…!?」
その言葉に会場のざわめきは一瞬、止まった。誰もがこの日本語の意味を一瞬、捉えることができなくなった。いや、本能的に捉えようとしなかったのだろう。
「そんな…馬鹿な…」
主任はまだ、呆けたように座り込んでいる。別のエンジニアが声を上げた。
「お、おい、そんな事より!中の4人を助け出そう!!彼らがVRの世界に行っているのには、その媒介としてエターナルポッドの中に充満しているピンク色の煙の影響があるって斑博士が言っていただろう!!エターナルポッドから出せば、すぐに彼らだって目を覚ますはずだ!!」
彼は言い終わらないうちに、柿崎と安土が入っているポッドに手をかける。
…ビリッ…
「うわっ!?」
その現実は、おそらく多くの人間が目撃しただろう。あるいはこの超現実的な瞬間をおさめたテレビカメラもあったかもしれない。ポッドの周りを、青白い電流が駆け巡ったのだ。その様子を見た別のエンジニアが、あわててコンピュータを確認する。
「え…何だ、これは!?見たこともないプログラムに書き換えられているぞ!!」
その後もエンジニアたちは八方手を尽くしたが、どこにも現状を打開する手立ては見つからなかった。ホールに残っている人々はこの状況を、固唾を呑んで見守っていた。しばらくして、あるエンジニアが呟いた。
「“永遠の世界”が…乗っ取られた、という事なのか…」
スカイブルーホールは、その青よりも青い雰囲気に沈んでしまった。そんな人々をあざ笑うかのように静かに佇むエターナルポッドは、中の4人を“永遠の世界”へと誘っていた…。


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