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よみのうた

第5幕


「あれま、2人は…この前先生らといたお嬢ちゃんたちかな?」
「はい、そうです」
袴塚のおじいちゃんは疑うことなく私たちを事務員室に迎えてくれた。
「あれ、でも今校門のとこには警察がおらんかった?」
「あ、ちゃんと事情は説明してきました」
疾風の冷たい視線を無視して私は話す。
「あの、大事な髪飾りを、この前の夜に学校に落としちゃったみたいで…それで探しに来たんです。今、外は一通り探してきたんですけど、何箇所か入れないところがあって…今、鍵がかかってるんですね」
「そうそう、普段は屋上以外、鍵はかけないんだけどな、今はほら、5年生の教室にも鍵をかけてるの。開けようか?」
「はい、お願いします。すぐに探して、無かったらすぐに出るので…」
「いやいや、急ぐような事ないよ。もう掃除は済んだしの。屋上の鍵もいる?」
「あ、はい、お願いします!」
「ん、屋上は気をつけての」
こうして私たちは、教室と屋上の鍵を貸してもらった。

5年生の教室は、机がほとんど両端の方に乱雑に追いやられていた。きっと先生の死体が見つかったときからこうだったのだろう。中央に、今も不自然なスペースが残っている。そのスペースの真上には変にこじ開けられた穴があった。
「あそこにフックを刺して、ロープを吊っていたの。今は警察で調べるために、警察が持っていったと思うけど」
「ふ〜ん…この机だけ、そのロープの位置に近いね」
「そう、1つだけね。きっとこの上に乗ってフックを刺したりロープを垂らしたりしていたのよ」
私は教室の後ろを見る。そこには水平にU字型に出っ張っている棚があった。
「懐かしいな、この使い勝手の悪い棚」
疾風も棚を見上げる。この棚は教室の後ろの壁の、かなり上に設置されている。そのくせ両方の腕にカゴ状のものを引っ掛けたり板を渡したりしないと物が置けない代物で、私たちの学年では一部の人の帽子掛けになっていたくらい。この棚、真ん中が空洞になっているから、よくカゴとかが落ちてたんだよね。……って、あれ…?
「ね、疾風!」
「どうしたの?」
「何か…説明できそう」
私は自分の気持ちを落ち着けながら話す。そう、今の、閃きは…。
「美寛、何か思いついたの?」
「うん、あのさ……偽装自殺、ってどう?」
疾風はきょとんとした顔をした。
「偽装…自殺?」
「そうよ、疾風!偽装自殺。この事件は全て、館田先生の自作自演だったの」
「でも美寛、先生は後頭部を殴られて死んでたんだろ?」
「それはもちろん、トリックよ。トリックに使う道具の基本中の基本といえば」
「もう…何?」
疾風は肩をすくめてみせる。私はそんな疾風の態度に満面の笑顔を見せて答える。
「こ・お・り」
「氷?」
「い〜い、疾風?あのロープはトリックの痕跡なの。つまり、本当はロープの先に、氷の塊がくっついていたのよ」
「それはいいけど…それをどうするの?」
「それを、教室の後ろのU字の棚の上に置くのよ!時間が経てば…」
「なるほど、氷が溶けて棚の間の空洞から振り子のように落ちる、ってことか」
「そうそう!それで、落下点に自分の頭の位置を調節しておけば…ね?朝までには氷が溶けてなくなって、そこに残るのはロープだけ」
「動機は?」
「動機は…それはきっと、先生があの七不思議を広めたからよ。それが生徒の間で大騒ぎになって、その責任を取るために…」
「ねえ、美寛ちゃん」
疾風は私の肩に手を置く。
「だったら…何でこんなまどろっこしい自殺の仕方をしなくちゃいけないの?」
「えっ…と…」
「仮にそうだとしたら、別に飛び降りるとか自宅で首を吊るとか、それでいい。わざわざ教室に来て、しかも他人に殺された、みたいなやり方で自殺する理由は何?」
「えっ…あ、そうよ、それは七不思議の見立て…」
「だったら運動場に行くか、ここでやるなら首を吊るか…でしょ?こんな方法をとる必要ないよ」
むぅ…。疾風は私の頭を撫でる。
「しばらく考えるのは止めにしない?」
「じゃあ、分かった。でもやめる前に1つ聞かせてよ。疾風はどう思ってるの?」
「え?俺はもっと単純に考えてるけど?」
「単純?」
「ああ、普通の他殺。例えばロープの件なら、吊るす前に誰かに…例えば袴塚さんとかに…見つかりそうになったから逃げた、とか。そういう時間的な問題で、やれなくなった。美寛はつまんない、っていうかも知れないけど、よっぽど順当な考え方だと思う」
「む〜…つまんないなぁ」
「とにかく、一度考えるのは止めよう。屋上にでも行かない?」
「う〜ん、分かった」

屋上に出ると、きれいな半月が私と疾風を迎えてくれた。星も1つ2つ輝いている。
「2人で星空を眺めるのも、けっこう久しぶりかな」
「そうだね…。ね、疾風、覚えてる?」
「何を?」
「私と疾風だけの、小学校の屋上の思い出」
「もう…バレンタインデーのやつでしょ?いい加減忘れてよ、それ」
「ヤ〜ダ!絶対忘れないもん」
「美寛は…そうやって俺の失敗したことばかり覚えてる」
「あれは…疾風の失敗、じゃないよ。もちろん、靴の中に入れてた手紙に気付かずに帰る疾風はドンカンだけど〜」
「ほら、覚えてる」
「でも、でも!」
私は疾風の背中にそっと頬を寄せる。
「疾風、夕方になって戻ってきてくれたじゃない。美寛、ごめんね、って言ってくれたじゃない」
「…その前に俺が美寛にビンタされたのがとんでる」
「あ、あれは…つい…。で、でも!私はあれ、すっごく、嬉しかったよ。そのあと、その場で手作りのチョコレート食べてくれて、ありがとうって言ってくれて。…疾風」
私は背伸びして、疾風の耳元に後ろから唇を近づける。
「…だいすき」
そして、そのまま、もっと近づける。そして、しばらく、止まる。
「美寛、ありがと」

疾風がそう言ってくれたとき、急に私の胸が震える。…あ、マナーモードにしているケータイだ。電話の相手は…幣岡(しでおか)さん。今回情報をリークしてもらった、パパの部下の人。
「もしもし、雪川です。はい…えっ?」
彼が内緒で教えてくれた情報は、かなり意外なものだった。ついでに、私のさっきの閃きは打ち砕かれた。
「どうしたの、美寛?親父さんか?」
「ううん、パパの部下の人。ちょっぴり情報を教えてもらったんだけどね」
「また『ちょっぴり』?」
「む〜、いちいち突っかからないの!…あのね、疾風。死体に動かした跡があったって。つまり、事件現場は教室じゃないの。別のところから、あの教室に運んだみたいなの」
「なるほど…という事は、美寛の説は成り立たない」
「残念だけど、ね…。それから、ロープや机から指紋が2人分見つかったって!」
「え…?指紋?しかも、2人分?」
「そう、指紋。先生や生徒のものじゃないの。今のところ誰のものか分からない指紋が2つ」
「ちょっと…それ、今どき珍しくないか?テレビドラマでも見てたら常識だろ」
「あるいはよっぽど気が動転していたか、だよね」
「そう…。さ、美寛、気は済んだ?さっさと袴塚さんに鍵を返さないと、怪しまれるよ」
「あ…そうだね」
私はポケットからお気に入りの髪飾りを取り出す。それを見て疾風は、いつものように大きなため息をついた。

「あ、見つかったかの?」
「はい、屋上にありました。どうもありがとうございました!」
私は笑顔で鍵を返す。疾風の恨めしそうな目は、もちろん見て見ぬ振り。ついでに私は、更に先生に関する情報を引き出そうとする。
「でも、本当に先生の件は…気の毒で…」
「本当にのぉ…かわいそうじゃ」
「あの日も、先生はいつもと同じだったんでしょう?」
「ああ、同じじゃった。午後の10時過ぎに車で帰っていくのを見て、ああ、今日も先生は遅くまで仕事をしなすって…と思っていたんじゃが…無念じゃのぉ」
私と疾風はそれからすぐ、事務員室を後にした。そして行きと同じように、木陰のフェンスを登って学校を出た。

「ねえ、美寛…」
「な〜に、疾風?」
帰り道、疾風はずっと何かを考えていた。私も気になってはいたけど、そういう時は疾風の好きにさせてあげていた。
「親父さんか、さっきの刑事さんに連絡取れる?」
「えっ?…いいけど、まさか、疾風!?」
「まだ何も分かってないよ。分かってないけど…今までの話を聞いたかぎりで普通に考えると、怪しい人がいてさ。俺が迷っていたのは…それが間違いである可能性があるのに、その事を警察に伝えていいのかってこと」
「そっか…間違ってたら、その人や警察に迷惑だもんね…。でも、でもさ、疾風?私たちみんな、生きてる限り誰かには迷惑かけてるんじゃないかなぁ?そういうの、過敏に気にしすぎていたら…生きていけないよ?特に疾風みたいに…影を気にする子は」
「美寛…」
私は疾風の目を見つめる。疾風の目は…また、澄んだ黒になりかけていた。…ダメ。疾風のこの目は…ダメなの。疾風がこの目をしたら、私は、全力で彼を励ましてあげなくちゃいけない。それが、私が自分と疾風のために決めたルール。
「疾風、影ばっかり見ないで。たまには光も見てよ?たとえ疾風のせいで誰かに影が落ちて、疾風がその影に縛られたとしても、私が照らしてあげるから。他の人だって、影ばかり見て過ごしているわけじゃないの。疾風、それは誤解しないで。疾風が影を作ったら、私が照らしてあげるよ?ね?恐れないで…いつでも、いつまでも、私がそばにいることだけは…忘れないで」
「美寛…ありがとう…。じゃあ、いい?」
私はとびっきりの笑顔で頷いて、幣岡さんに電話をかける。
「疾風、何て伝えればいいの?」
「こう伝えて」
疾風は目を閉じて、一呼吸おいてから口を開く。その次の疾風の一言は、私には思いもよらないものだった。
「館田先生の家族…特に奥さんに気をつけてくれませんか、って」


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