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Nostalgia

File2 Anfang 〜歯車は動き出した〜
「あ、おーいっ、祐介ー!」
背後からした呼び声に、一瞬驚きながら振り向く立川。
「え…あ、時哉…」
「ん?どうしたさ?顔青いみてぇだけど…風邪?」時哉は無邪気な顔で問いかける。
「えっと…そ、そんなところ…」
「ふーん…俺は最近花粉症でさー…くしゅんっ」
「ふふ、時哉こそ大丈夫なの?」微笑んで言う立川。
「あー、ちっとしんどいけど、まぁ大丈夫…くしゅんっ」鼻をこすって言う時哉。「それに、祐介も昨日は元気なさそうだったけど、ちゃんと笑えてるし」
「え…?」虚をつかれた顔をする立川。
「さ、早くしねーと1限始まっちまうさ」
「あ、待ってよーっ」
駆け出す時哉を追いかける立川。
そしてその数メートル後ろでは、やや赤色の混じった黒髪の男子生徒がその様子を見ていた。

「あれ?祐介いねーの?」
昼休み。1年C組の教室に焼きそばパンと牛乳を片手に入ってくる時哉。
「ん?ああ、昼休みが始まるなりすぐ出てったから、てっきりお前んとこでも行ったのかと思ってたぜ」と祥一郎。
「そっかー、なんか部活でもやってんのかな」
「で?それはわざわざオレに買ってきてくれた昼飯だろ?」時哉のパンに手をのばす祥一郎。
「違ぇよ」

「いーち、にーい…」
真昼間でも薄暗い生物準備室。椅子にどかと座る寺林が、一万円札を数える。
「…確かに10万円だな、悪いねぇ毎度毎度」
彼の前に立ち竦(すく)む立川。その腕は微(かす)かに震えている。
「あ、あの…」
「何だ?」やや不機嫌そうにタバコに火をつける寺林。
「も、もう、終わりにしませんか、こういうの…」立川の声は裏返っている。
「…何だと?」
「そ、そろそろ父さんも、お金がどんどん減ってること怪しんでるんです…そ、それに、もう、お金が無くて…」
「…はっ、所詮は立川の子ってことか」タバコの煙を立川に吹きつける寺林。
「…え?」立川ははっと顔を上げる。
「親父の話じゃ、お前の親父はロクに仕事も出来ねぇそうじゃねぇか。親子揃ってチキンとはねぇ」
「……」黙り込む立川。
「あーあ、折角(せっかく)いい金蔓(かねづる)が出来たと思ったのによお」
遮光カーテンのかかる窓を向く寺林。立川は、机の上の灰皿に目を遣(や)った。
「…ボクのことはいいけど…」
「あ?」立川の零した言葉にふっと振り向いた寺林は、灰皿を持った立川の手が高く振り上げられているのを見た。
「父さんのことまで悪く言うなーっっ!!!」
「やっ、やめ…」
火のついたタバコが、他の吸殻とともに床に落ちた。

呼吸が荒くなっていた。
まだ薄寒いというのに、身体中から汗が滲み出ていた。
目が眩み頭がくらくらして、現状をうまく把握できなかった。
一つ分かるのは、目の前の男が其処に倒れていて、自分の手には少量の血のついた硝子の灰皿が握られているということ。
場違いなほど澄んだチャイムを聴いたのはその時だった。
腕時計を見た。1時15分。今のチャイムは5時限目開始の予鈴である。
「…あ」
何故か声が出た。
自分は、目の前の寺林を殴り倒したのだ。今分かった。
逃げなきゃ、と思った。
だが、今から校外に逃げれば、自分が寺林を殺したことが明白になる。
出来るだけ証拠を消して、何事もなかったように教室に戻ろう。
此処に自分が来たことは、この寺林しか知らないのだから。
灰皿やドアノブ、その他思いつく限りの場所の指紋を拭(ぬぐ)う。
それから、寺林のズボンのポケットに突っ込まれたままの一万円札を抜き取る。
他には…たぶん無い筈だ。
落ち着け。落ち着いて呼吸を整えろ。
平然を装うのだ。
ドアノブに指紋がつかないように気をつけながら、急いでドアを開けて廊下に出る。そしてドアをばたんと閉める。
教室まで走ろうか。いや、それは怪しまれる。
あくまで何事も無いかのように歩いて教室まで戻るのだ。
知っている人に出会わないように…
「あ、立川」
自分の心臓がどくんと大きな音を立てた気がした。
「あ、か、風見先生…」
目の前に、自分の担任である風見 繁(しげる)教諭が立っていたのだ。
「悪いんだが、放課後篁と二人で用事を頼まれて欲しいんだ」
「え、あ、は、はい…」
風見が何かに気づいてしまうのではないかと思うと、話の内容を理解するのに少し時間がかかる。
「篁は放っとくとすぐ居なくなっちまうから、お前からつなぎ止めておいてくれ。頼んだぞ」
「わ、分かりました…」
自分の元から離れてゆく風見。
どっと疲れた。気を抜くと今此処に座り込んでしまいそうだ。
再び歩みを速める。教室へ。背中の汗が止まらない。
後ろのほうにある自分の席を視野に入れると、思わず速歩きになる。
そして椅子に腰掛ける。次は地理だったか。
教科書とノートを取り出す手が焦るのを抑える。
証拠は全部消したのだ。大丈夫に違いない。
呼吸を整えると、チャイムが鳴り出した。5時限目がはじまる。

「…立川?」
祥一郎は目の前に腰掛けた青年の異様な様子を訝(いぶか)しげに見ていた。

「はぁー、次は生物か…かったりぃさ」
1年E組の教室。最前列の廊下から2番目という、真面目な生徒には絶好のポジションにある机にへばりつく時哉。
「しかも一番前なんて、めんどくせぇさ…」
「ぼくもだよ」時哉の隣、最も廊下寄りの席に座る、男にしては長髪の生徒が言う。
「なぁ朝霞(あさか)、席代わってくんねぇさ?」へばったままその生徒のほうを向いて言う時哉。
「それは無駄な悪足掻(わるあが)きだと思うけどなぁ」朝霞と呼ばれた生徒は笑いながら廊下に目を遣る。「あ、岡村(おかむら)先生来たよ」
「あー、めんど…」
程なく、生物教諭の岡村 忠雄(ただお)が入ってくる。ぼさぼさ頭に無精ひげ、よれよれの長い白衣と、とても清潔とは程遠い格好である。
「えーと、じゃあ前回の続きで、今日は複対立遺伝子からだな。これはヒトのABO式血液型などに見られるもので…」
岡村が話し始めると、すぐ時哉の耳はぱたんと閉じてしまう。
「まずはプリントを…と、あれ…」身の回りを弄(まさぐ)る岡村。「…あ、授業プリントを忘れてきたみたいだな…おい、朝霞」
「えっ、ぼく?」突然指名を受け驚く朝霞。
「悪いが、授業プリントを取ってきてくれないか。たぶん生物室か生物準備室、どちらにも無かったら職員室の私の机の上にあると思うから」
「でも、なんでぼくが…?」
「お前が一番廊下に近いからだ」
「…はーい」面倒臭そうに頭を掻いて教室を出て行く朝霞。
(かわいそーに…)朝霞の背中を見ながら机にひれ伏し、睡眠体制に入ろうとする時哉。
「…こら羊谷、早速寝ようとすんな」
「…はーい」目をこすりながら起き上がる時哉。教室中に笑いが起こる。

「うわあああぁぁぁっっっ?!!!」
男の悲鳴だ。方向からすると、ちょうど生物準備室のあたりである。
…見つかってしまったのか。それも、こんなに早く。
「何だ、今の悲鳴」
後ろの席の男、篁は、立ち上がるとすぐ教室を出て行った。
「あ、ちょっと篁君っ?!」地理教師の海瀬の制止は何の役にも立たない。
篁はそう言えば、校内で起こった殺人事件を何度か解決したことがあると噂で聞いたことがある。
これはまずいことになった…
篁に続いて教室を出て行く野次馬に紛れ、自分も教室を出て行くことにした。
何もしないと怪しまれそうだったから。こういう時は集団心理に飲まれる方が良いと思った。
だが、それが失敗であることに、自分はまだ気づいていなかった。

「おいっ、どうした?!」
祥一郎は、生物準備室の前に座り込む朝霞を見た。
「あ、あれ…」朝霞は身を震わせながら、ドアの開け放たれた生物準備室の中を指差した。
「ん?」祥一郎は部屋の中を見た。「あ、あれは…!」
其処には、一人の男子生徒が斃(たお)れていた。仄(ほの)かな血の臭(にお)い。床に散らばる吸殻。薄暗く肌寒い部屋の中では、季節外れのお化け屋敷にでも居るような気分だった。
「…見たことねぇヤツだな…」
祥一郎は顔を確認しようとしたが、そこでまた一つの衝撃があった。グロテスクにも男の左目が潰されていたのである。
「な、何が…?」祥一郎はふと背後に座り込む青年、朝霞の方を向いた。
「ぼ、ぼくは知らないよ、お、岡村先生に言われて此処に来たら、この人が倒れてて…」怯えながら言う朝霞。
「そうか…」ふと祥一郎は、部屋の入り口から廊下の途中まで、足跡が残っているのを見た。とても薄く、数メートルのところで消えていた。「これは…灰か何か、か…?」
その時、野次馬軍団が彼らのもとにやってきた。
「お、おいっ、お前らっ…」祥一郎が危惧した通り、足跡は彼らによって踏み消されてしまった。
「こら、お前らは教室に戻れ!」突然の声に振り向くと、其処には風見が居た。
「か、風見サン…?」
「篁が居るってことは、また何かあったんだろ」風見も生物準備室を覗く。「…やっぱりな」
「オレは疫病神ですか」
呆れ顔で顔をそらした祥一郎は、人ごみの中に立川が居るのを見た。
「あいつ…」
祥一郎はふと立川の様子を見ていた。立川は部屋の中を確認すると、途端に蒼褪(あおざ)めた顔をした。
「う、うわあっっ!!」人だかりから一目散に逃げ出す立川。
「お、おい、立川っ?!」
祥一郎は、去りゆく立川を不思議そうに見ていた。


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おまけ
ストーリーがそろそろ動き出しました。
一人称ぽい感じで長く書くシーンは今回たくさんあるので、気をつけて読んでってくださいな。
ちなみに既に伏線は色々張ってますよ。

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