Nostalgia
File5 Gefuhl 〜予感〜早く、早くしないと…
パソコンの隅に表示されている時刻を見た。21時47分。
きっと奴は、何らかの手段で調べに来る筈だ。
それまでには…
だけど、どうしてもこれだけは伝えたい。
彼に。
きっと、これなら大丈夫な筈だ。
もうすぐ。
あと一行。
出来た。
彼なら、これを読んでくれる筈。
お願い。
頼む。
そして、ペットボトルの蓋を開けた。
「……」
公衆電話の受話器を置く。相手の応答はなかった。
電話ボックスから出て、例の家の窓を見た。明かりはついている。
ボックスのガラスで自分の格好を確認してから、空(から)の段ボールを持って部屋に向かう。
家の前で一つ深呼吸をしてから、ドアベルを鳴らす。
「すみませーん、宅配便ですがー。いらっしゃいませんかー?」
ドアノブをひねってみる。開いた。
少し驚いたが、開けて部屋の中を確認する。
「…よろしい」
小さく呟いて、外に出た。
これで、総てが終わった。
午後10時3分。月は雲に隠れていた。
「…どうした、時哉?」
首からタオルをぶらさげ、頭から湯気を発しながら言う惣史。彼の視線の先には、冷や汗を垂らした状態で椅子から立ち上がったばかりといった様子の時哉が居た。
「…風呂、空いたぞ?もう10時廻ったんだから早く…」
「親父…今から、車出してもらっていいさ…?」
「な、なんだ、急に…?」惣史は、時哉の小さな声が震えていることに気づいた。
「なんか、イヤな胸騒ぎがすんのさ…もしかしたらアイツ、祐介に何かあったんじゃ…」
少し考えてから、惣史は口を開いた。
「…分かった」
「祐介、祐介、居るさ?」
“立川”の表札がかかった家の前。インターフォンを数度鳴らす時哉。
「部屋の明かりはついてるが…」と惣史。
「そこの部屋の人、何かあったんですか?」
「え?」声のした方を振り向くと、チワワをつれた40代半ばくらいの女性が立っていた。
「あ、私向かいに住んでる烏丸(からすま)ですけど、先刻宅配便の人が来て何かしてたみたいですよ」
「宅配便が…?」時哉はふっと、玄関のドアノブを廻してみる。「…あ、鍵空いてるさ…」
恐る恐るドアを開け中に入っていく時哉。後ろから惣史と、チワワを抱えた烏丸も何故かついてくる。
「祐介、祐介ー、居たら返事…」
突然、一室の入り口で足を止める時哉。
「ど、どうした、時哉…?」惣史は時哉の肩越しに、部屋の中の様子を見た。「な…」
本人の部屋だろうか、整頓された部屋の真ん中からやや窓寄りに、口から少量の血液を垂らして床に突っ伏した立川 祐介の姿があったのだった。その眼には既に生気が無い。
「きっ、きゃああああぁぁぁっっ!!」悲鳴を上げる烏丸。
「…もう、死んでるな…」立川に近づいて様子を確かめる惣史。「俺は県警に連絡するから、お前はその女をつれて外へ…」
そこまで言いかけて、惣史はふっと時哉を見た。今にも泣き出しそうな怒り出しそうな、しかし感情を何とか抑えようとして口唇(くちびる)をかみ締めている時哉が、其処には居た。惣史にも、今まで見たことの無いような眼だった。
「…俺がする、お前は現場を保存しといてくれ」
惣史はそう言うと、チワワを抱きしめたままヒステリックな声を上げる烏丸を連れながら、携帯電話を取り出して玄関に向かって行った。
「…祐介…」
立川の傍にしゃがみこみ、部屋にあったタオルを立川の顔の上に乗せる。タオルの上に、ぽつりとしみが出来た。
「…祐介、祐介ぇ…っ!!」
今にも立川の体に寄りかかりそうになるくらいうずくまると、時哉の眼からはぼろぼろと涙が溢れ出した。
先刻の胸騒ぎがこんな意味だとは。何故か涙が止まらない。
ふとその時、時哉は足許に、半分ほど中身の残ったペットボトルと、ノートパソコンがあることに気がついた。
手で何とか涙を拭うと、時哉はパソコンの画面に眼をやった。
遺書
寺林 久彦と蛭田 正昭を殺害したのは僕です
ごめんなさい
薄々感づいていた筈なのに。
突きつけられたくなかった現実を目の当たりにして、時哉の視界は再び涙で塞がれそうになった。
と、その時、文書にはまだ続きがあることに気がついた時哉は、マウスに指紋をつけないようにスクロールバーを動かした。
追伸
立川 祐介から羊谷 時哉まで
君と約束した優しいあの場所を
その謎の文字列の下には、パスワードの入力欄があった。
「な、何さ、これは…?」