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Pinch Kicker

第4話 in the two weeks
「こういう風にしてメネラウスの定理は用いるんだ。それじゃ隣のページの練習問題をちょっとやってみろ」
数学教師の吉田の言葉で、1年B組の生徒達は教科書の問題をノートに解き始めた。
…ただ2人を除いては。
「…お前ら、いい加減に起きんか!」
「痛ってぇっ!!」「痛っ…!」教室中に響き渡る程のゲンコツの音と、2人の生徒の声が上がった。
「麻倉も岩代も、いったいいつまで寝とるつもりだ」と吉田。「ほら、さっさと練習問題やれ」
「…はぁい」知之と岩代は、眠そうな顔のまま教科書に向かう。
「えーっと…図の様に△ABCが…あってぇ…」知之の視界がどんどん霞んでくる。「ここの…辺の…長さ…が……」
30秒後、E組の生徒にも吉田の「お前ら廊下に立ってろ!!」という声が聴こえたという。

その声を唯一聴かなかった祥一郎は、職員室にプリントの束を取りに行っていた。
「…ったく、んなもん職員室なんかに忘れてくんじゃねぇってんだよ…」ブツブツ言いながら教室に戻る祥一郎。「…ん?」
その時、祥一郎の視界に飛び込んできたのは、B組の教室で立ったまま寝ている2人の生徒の姿であった。
「…すげぇ」呆れる祥一郎。「オレでもこれは出来ねぇな…」
とりあえずその場を通り抜け、隣のC組の教室に入っていった。
(そう言えばアイツ、ゆうべむちゃくちゃ帰ってくるの遅かったなぁ…)祥一郎は席についてから考えた。(確かアイツがベッドに横たわる音が聴こえたのは、オレが矢部 ゆきの小説の真ん中あたり読んでる頃だったから…大体2時前くらいか…。そういや今朝はオレがアイツ起こしたんだっけ。今までで初めてだよな、アイツがあんなになるの…今朝碌に話もしてねぇけど、一体何してたんだ、アイツ…?)

その日の放課後、職員室に知之と岩代は呼び出されていた。
「麻倉君も岩代君も、6時間の授業6時間とも寝通したそうじゃない…」担任の海瀬が言う。「岩代君はまだしも、麻倉君はどうしたの?」
「あ、俺は"まだしも"なんですか…」呆れる岩代。「…でも、麻倉も仕方ないんですよ」
「仕方ない…?」と海瀬。
「す、すみません…」麻倉は懇切に頭を下げる。
「…あっ、もう3時半だ!」岩代が海瀬の机の上の時計を見て言う。「すんません海瀬先生、俺たちもう行かなきゃいけないんで…じゃ」
岩代はそう言うと、麻倉を引っ張って職員室をダッシュで出て行った。
「…い、一体何だって言うの…?」海瀬は呆れてドアを見つめていた。

その日の夜。
「おー、結構ええパス出すようになってきたやん」
「そ、そうっスか?」桜庭に誉められ、少し照れる知之。
「こんだけ練習してるんだ、成果も現れてきてもらわないと困るよ」笑って言う堀江。
「なんか俺まで上手くなってきたような気がするなぁ」と岩代。
「それはない」堀江と桜庭は、ビックリするほど合わせて言った。
「…そっすか」呆れ顔の岩代。
「非道い言われ様だなぁ、岩代」
「え?」岩代は声のした方を振り向いた。そこには、4人の男子生徒が立っていた。「ど、どーして篁達がここに…」
「バーロ、夜遅くまでサッカーの練習出来るとこなんざ、この辺りじゃ数は知れてるよ」と祥一郎。
「篁がマクラはこの辺で練習してんじゃねぇかって言うからさ」時哉が言う。「思ったより人数多いんさね」
「ったく麻倉君も水臭いで、俺たちも誘ってくれたら来んのに」と烈馬。
「ま、オイラは野球専門だから、サッカーは出来るかどうかわかんねぇけどよ」弥勒が言う。
「みんな…」知之は驚きと感動で目を見開いていた。
「麻倉の友達か?」桜庭が尋ねる。「なんか、随分ええ奴ばっかみたいやな」
「君達もこっちおいでよ」と堀江。
かくして、一気に人数が倍増した夜間特訓は、この日も遅くまで続いた。翌日8人ともが授業を寝て過ごしたのは言うまでもない。

次の日の夜、サッカー部員の辻、欄間、川本がやって来た。人数は11人となり、サッカーチームと同じ数になった。
次の日の夜は更に加瀬が噂を聞きつけやって来た。更に、千尋が一行に差し入れを作ってつかさと共にやって来た。総勢14人。
次の日の夜はなんと時哉の父、惣史が部下の勝呂と共にやって来た。差し入れ部隊に湊も加わり、17人になる。
次の日は雨が降ったが、それでも練習した。サッカー部員の須賀と鶴越と流崎も参加し、知之の母、汐里も来てついに21人の大台に乗った。

夜間特訓が始まって1週間――イち総体まであと1週間であるが――の日、職員室で海瀬は、サッカー部員を主とする"授業中居眠り症候群"の原因を突き止め、更生するよう命じられた。
「全くぅ…なんで学年主任でもないわたしがそんなのしなきゃいけないのかなぁ…」海瀬は困り顔で、こないだ買ったばかりの車を走らせていた。「…てゆっかもう10時廻ってるじゃない!"犬にやさしく"(ドラマ)見れないよぉっ!」…おいおい。
と、その時、海瀬は道脇で親指を立てた腕を掲げる中年女性を見つけた。
「ヒッチハイク…?」海瀬はとりあえず車を停め、その女性に声をかけた。「どうなさったんですかー?」
「あ、済まないんですが、ちょっと井ノ口川の河川敷まで乗せてってもらえますか?」
「河川敷ですか?うーん、まぁちょっと家までには遠回りだけど、いいですよ。乗って下さい」海瀬は笑顔で言う。
「あ、ありがとうございます」そう言うと女性は車の助手席に乗り込んだ。車は動き出す。
「それにしても…」と海瀬。「こんな時間に河川敷で何があるんですか?」
「ちょっとね。知り合いの男の子がガンバってるらしいの」
「…はぁ」海瀬は、膝にジュースの箱と思しきモノを抱えるその女性を不思議そうに見た。

練習にサッカー部員で総体出場メンバー以外の面々が集まりだし、30人を越えるメンバーが賑わう河川敷。
「なんか随分本格的な練習になってきちゃったわねぇ…」自称・差し入れ部隊隊長のつかさがその様子を眺めて言う。
「ホント…確か最初は、相手が強豪チームだから諦めムードだったって烈馬が言ってたんだけどなぁ」と千尋。「差し入れの量もどんどん増えちゃって」
「みんな麻倉先輩の気持ちに火をつけられたってトコですか?」と湊。「…あれ?なんか赤い車が来たよ?」
「え?」千尋とつかさは、湊の見ている方向を見た。赤い車が、河川敷で停まったのだ。「何かなぁ…」
次の瞬間、車の助手席から女性が降り立ち、練習をしている一行に大きな声を掛けた。「知之クーン、差し入れ持ってきたわよーっ!」
「あっ、小百合サン…痛っ!」声のした方を向いた時、桜庭が蹴ったボールをモロに頭にぶつけてしまう知之。
「ちょ、ちょっと大丈夫?」小百合は知之の元へ駆け寄る。差し入れ部隊の3人をはじめ、周りの人達も駆け寄った。
「あ、ちょっと頭にぶつけただけっスよ…」あまりにみんなが心配するので笑って言う知之。
「疲れてるんじゃない?少し休んだら?」
「そうっスね…え?」知之は、その聞き覚えのある声のした方を向いた。「かっ…海瀬、先生…?!」
一同は、教師である海瀬が輪の中に加わっていることに気付きどよめく。
「ど、どうして海瀬先生が、ここに…?」と堀江。
「あら、あんた先生だったんですか」小百合が言う。「さっきこの人に乗せてきてもらったのよ」
「じゃあまさか、"居眠り症候群"の原因って…」と海瀬。
「あ、あはは…」と知之。「よ、よかったら先生方には内緒ってことには…ならない…っスよね」
「…フフフ」
突然笑い出す海瀬にぎょっとする一同。
「いいよ、他の先生には内緒にしてあげる。その代わり…」
「その代わり…?」
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