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Pinch Kicker

第5話 eve
翌日の夜。
「イェーイっ、1点ゲットぉっ!!」
人数が揃い、実践的な試合形式の練習の場に、ユニフォーム姿の海瀬が居た。
「先生が先制なんてねっ!」海瀬は他のメンバーに比べ取り分け楽しんでいるふうだった。

「まさか、あのおっちょこちょいな感じの海瀬先生がサッカー得意だったなんてねぇ…」差し入れ部隊のつかさがその様子を眺めながら言う。
「都大会で準優勝した武蔵林高校のエースだったんだってさ」と千尋。「で、他の先生に黙っとく代わりに練習に参加させてくれ、かぁ」
「よっぽどサッカー好きなんですねぇ」湊が言う。「他の人たちもつられて楽しそうな顔してますし」
「そうそう」いつの間にか並んで座っていた小百合が言う。「サッカーなんてのは少人数でやるのもいいけど大人数でやるのが楽しいってもんよ。あたしもサッカーやってたから分かるわぁ」
「あの、そう言えば…」
「ん?何?湊ちゃん」
「小百合さんって、麻倉先輩の何なんですか?」
「そう言えば…」とつかさ。「さり気なーく輪の中入ってきてたけど、誰だかよく知らない…」
「まだ自己紹介してなかったっけ?」と小百合。「あたしは、知之クンがバイトしてる駅の売店の店長よ」(参考→「強盗犯・矢吹烈馬」)
「あ、道理でどっかで見たことあるなぁって思うわけだ」と千尋。「私駅前の着付教室でバイトしてたからよく見てたんだわ」
「だからジュースも箱で持って来れるってわけね」つかさが言う。
その時、湊はふと道のほうを見た。するとそこには、一人の男子学生が居た。
「…あのー…」湊はその青年に声を掛けた。しかし彼は、すぐにその場を立ち去ってしまった。
「……?」その後ろ姿を、湊は怪訝そうに見つめていた。

「えーっと、いよいよ明日が本番なんで、今日はホントに試合形式で実践練習します」
陽の落ちた河川敷に、堀江の声がひびく。
「ゴールキーパーの猪狩が来てないから代わりに岩代入れて、ほぼ当日のメンバーで試合。相手チームは篁君達や他のサッカー部員で11人ね。審判は海瀬先生で、副審は浅倉と小百合サンにお願いします」
「OK」いつの間にかホイッスルを手にしている海瀬。「それじゃ始めるよ!」
そして今度は、ホイッスルが河川敷にひびいた。
「こっちだ、桜庭」
「あいよっ」桜庭はディフェンスをかわし、堀江にパスを廻す。堀江にもディフェンスが来る。
「麻倉!」堀江は、ゴールの前に居た知之に絶妙なパスを送る。
「えっ、えっ…?」知之は慌てふためき、結局頭を抑え身を屈めてしまった。ボールは彼の頭上を飛んでいった。
「…あっ、ご、ごめんなさいっス…」深々と頭を下げる知之。
「大丈夫、気にしないでいいよ」と堀江。「これは練習試合なんだから」
「堀江、も少し低めのパス出した方がええんちゃうか?」桜庭が言う。
「ああ、そうだな」と堀江。「じゃ、次は向こうチームのスローインか」
「ホントにすみませんでしたっス」叉頭を下げる知之。
「ほら、そんなにいじいじ悔やんでないで」海瀬がホイッスルを片手に声を掛ける。「それじゃ行くよー」

差し入れ部隊は今日もその様子を見守っている。
「いよいよ明日が試合なんだよねぇ…」つかさが呟く。「明日はなんとかバイトの休みも取れたし、応援に行こっと」
「試合って明日の2時からだったよね?」と千尋。「明日土曜日だからわたしも学校終わって駆けつければ間に合うね」
「私もそうしまーす」笑顔で言う湊。「だって麻倉先輩ガンバってるからっ☆」
「ところでさ千尋」とつかさ。「さっきのってさ、あの堀江ってヒトのパスが悪かったのかな?それとも知之クンの所為?」
「うーん…わたしにはよく分かんなかったなぁ…でもボールは眼の高さくらいまで来てたようにも見えたけど…」
その時、3人の後ろから声が聴こえた。「…球を恐がるようじゃ、まだまだだな」
「え…?」3人は振り向いた。そこには、湊が前に此処で見かけた男子生徒が自転車を止めて様子を見ていた。「あ、あの…」
その男子生徒は矢張り、すぐその場を立ち去ってしまった。しかし千尋は、その生徒の着ていたジャージが秀文高校の物で、背中に「猪狩」の文字があるのに気づいていた。

「ええっ?!猪狩が来てただって?!」
休憩に入り、差し入れのおにぎりを食べながら言う堀江。
「う、うん…」と千尋。「試合の様子を見てたかと思ったら、すぐ行っちゃって…」
「そんで、猪狩の奴何か言うてへんかった?」と桜庭。
「ああ、そう言えば何か独り言言ってたわね」つかさが言う。「"球を恐がるようじゃ、まだまだだな"とかって」
「え…」思わず手に持っていた缶を落とす知之。「それって…僕のことっスか…?」
「き、気にすんなよ麻倉」と岩代。「猪狩先輩はちょっと口悪いけど、そんな悪い人じゃねぇって」
「そうそう」祥一郎が言う。「悪口なんて、気に揉むだけ損だぜ」
「さ、これ食べ終えたらもうひと練習だ」堀江は言いつつ、知之の表情がどこか暗いことに気づいていた。

「……」
知之は蒲団から起き上がると、枕元の時計を見た。3時2分。そして叉蒲団に肩を沈める。
練習を終え帰って来てから、知之はその一連の動作を繰り返している。
眠れない。
彼の耳の中で、いとしい声が放った残酷な言葉が渦巻いている。
―球を恐がるようじゃ、まだまだだな―
思わず頭の中で、そのいとしい声を低い男の声―猪狩の声に変換してしまう。
「…やっぱり、僕じゃダメなのかなぁ…」
他の誰か―例えば実兄である祥一郎が聞いたら"下らない考えだ"と言い捨てられてしまいそうな、しかし彼にとっては非道く重量級な不安であった。
逃げ出したい。今更な感情が彼を冒してゆく。
どうしよう。
彼は無意識の内に、叉蒲団から起き上がり枕元の時計を手に取る。3時6分。
「…お前、なんでこんな真夜中に時間なんか気にしてるワケ?」
「…え」知之は視線を、光が差し込む扉の方に向ける。黒いタンクトップ姿の祥一郎が、そこに立っていた。「ど、どうして…兄さんが…?」
「あのなー…隣の部屋でなんかぶつぶつ呟かれて、ぐっすり寝てろって方が無理な話なんだよ」大きくあくびをすると、祥一郎は知之のベッドの横に歩み寄る。「…不安か?」
「え…」突然祥一郎がやって来たことへの驚きと、彼の言葉がしっかりと的を射ていたことへの驚きとで、知之は何も言えなかった。
「…ったくよぉ、あんなコトくらいでいつまでもいじいじしてっか?普通」祥一郎は床にあぐらを掻いて座る。
「……」思わず視線を背ける知之。「…兄さんには、分かんないっスよ」
「…あっそ」と祥一郎。「でもさ」
「え?」
「別に、お前はお前らしく居りゃいいんじゃねぇの?」
「…ぼ、僕らしく…?」
「そりゃ、球を恐がっちゃサッカー選手にも野球選手にもお手玉するピエロにもなれねぇかも知れねぇけどよ、別にそれで人間性全部否定されるわけじゃねぇんだし。んな奴この世にゴマンと居るだろ」祥一郎は、知之の眼を見て言う。「おめぇは、麻倉 知之でいいんじゃねぇ?」
「兄さん…」知之の瞳に、涙が溢れ出す。
「ばーか、泣いてんじゃねぇよ」立ち上がる祥一郎。「泣いてるヒマがあったら早く寝ろ。寝不足じゃ試合なんか碌に出来ねぇぞ」
「う、うん」知之は笑顔を浮かべ、蒲団にうずまろうとする。
「あ、ちなみに今何時何分か言ってやろうか?」部屋を出る間際の祥一郎が言う。
「…いいっスよ」
「…そっか」
知之は、蒲団越しにドアの閉まる音を聞いた。
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