inserted by FC2 system

リアル


第1話 Another World
「ったく…千尋のヤツいつまで待たせんねん」
10月の始め、バス停で腕時計を見つめている背の高い青年が言う。
「確かにもう待ち合わせ時間10分も過ぎてるっスねぇ…」
彼の隣に立つ青年が言う。身長は160cmちょっととそんなに低くはないが、隣が高すぎて低く見えてしまう。
「コミケの手伝いに来てくれって誘ったんアイツらやのに…ふぁあ」背の高い青年があくびをしながら言う。
「もうすぐバス来るっスね…あっ」もう1人の方が遠くの方を見て言う。「つかささんと千尋さん来たっスよ!」
彼の指さす方を向くと、急いでバス停に駆け寄ってくる2人の女性が大きなバッグを肩から提げ、両手で段ボール箱を抱え走ってきているのが見えた。
「ごめーん、烈馬…知之くんも」長い髪の方の女性が言う。
「ホンマやで…こんな朝っ原から呼び出しといてからに」烈馬と呼ばれた背の高い青年が言う。
「それにしてもつかささん、随分とまた大っきい荷物っスねぇ…」知之と呼ばれたもう一人の青年が言う。
「うん、色々持ってくるモノがあってね」つかさと呼ばれた金髪でショートボブの女性が言う。「あ、よかったらこっちの段ボール持ってくれない?」
「いいっスけど…」知之はつかさから段ボールを受け取る。「…うわっ、ムチャクチャ重いっスねこれ」
「さっき印刷会社から届いたのよ」と千尋。「まぁ入稿したのがだいぶ遅かった所為なんだけどね」
「ん?待てよ」烈馬が怪訝そうに言う。「ほな、このバッグん中は何入ってんねん?売りモンだけちゃうんか?」
「あ、それは…」千尋が言おうとした瞬間、バスがやってくる音がした。「…後のお楽しみってことで♪」
「はぁ…?」男2人は訳が分からぬまま、バスに乗り込んだ。

「うっひゃあ…ココがあの多摩国際交流メッセかぁ…」
バスから降り立った烈馬が、目の前にそびえ立つ建物を見ながら言う。
「ざっと東京ドーム5つ分なんですって」と千尋。「えーっと、わたし達は大ホールBだから…こっちね」
「ほら、知之クン行くよ」つかさが言う。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっスーっ!」知之はよろめきながら3人についていった。

"大ホールB"に入った途端、烈馬と知之は先程に続いて驚きの表情を見せた。只でさえ広いホールには、数え切れない程の長机とパイプ椅子が並び、既に多くの人々が何やら準備作業をしていたのだった。
「なんだか…」あちこち視線を移していた知之が言う。「やけに女の人が多いみたいっスけど…」
「まぁ、同人やってる人って殆ど女の人だもんね」とつかさ。「でさ千尋、あたし達のスペースは何処?」
「えーっと、Dの27だからぁ…」千尋がうろうろしていると、後ろから呼ぶ声がした。
「あ、仙那(せんな)ちゃん!」
「南江子さん!」千尋は振り向くと、その声の主に親しげに話し始めた。「お久しぶりです」
「春コミ以来だっけ?あ、しずくちゃんも」さおりと呼ばれたその長い髪の女性は、つかさを見て言う。「あれ?そっちの男の子達は?まさかカレシ?」
「あ、背の高い方がわたしの彼氏で、あとその友達です」と千尋。
「あ、ども…」軽く会釈する烈馬と知之。
「あの、つかささん」知之がつかさに耳打ちする。「"仙那"と"しずく"って何っスか?」
「あ、それあたし達のペンネームよ。言わなかったっけ?あたしが"凪江(なぎえ) しずく"で、千尋のが"未堀(みほり) 仙那"。ちなみに今千尋が話してる人は川戸 南江子さんって言って、小早川 未帆(こばやかわ みほ)先生の作品を中心にやってる人なんだよ」
「へぇ…」と知之。「そう言えば、つかささん達はどういう作品を扱ってるんっスか?」
「あたし達のサークル――まぁグループみたいなモンね――の『風虹明媚(ふうこうめいび)』は、基本的に桐生 奏子(きりゅう かなこ)先生の『疾風戦記』って作品のパロディやってるんだけど…」つかさが言う。「少女マンガだから知之クンとかは知らないかな」
「うん…全然知らないっス(^^;)」と知之。「僕そんなにマンガ読まないんっスよ」
「ふーん、そうなんだ」とつかさ。「あ、千尋、そろそろスペースに行こうよ」
「あ、そうだね」南江子と話していた千尋が言う。「それじゃ南江子さん、後で行きますね」
「うん、待ってるね」一行は南江子の元を離れそのスペース(割り当てられている場所)へ向かった。

「本にラミカ(ラミネートカード。テレカ程の大きさの紙に絵を描き、それにプラスティックなどの薄板を貼り合せたもの)、便箋(イラストを描き数枚のセットで販売)、スケブ(スケッチブック。客の要求に合わせてその場でイラストを描き販売。値段表示などにも用いる)、ペーパー(=チラシ。今後のサークルの予定などを記したもの。普通無料配布)、Gペン(筆圧を変えることで線の太さを調節できるペン。ペン先を取り替えれば別の種類のペンにもなる。ちなみにインク使用)にカラーペン(色塗るペン。かなり揃ったセットになると5000円以上)、あとぬいぐるみ(キャラもの。客寄せ)と…」
長机の上に箱やバッグの中身をどんどん出してゆく千尋。
「大体、こんなモンかな」千尋はそう言うと、バッグの中から紙袋を2つ取り出し、メモを1枚取り出して烈馬と知之に言った。「あ、ちょっと悪いんだけどさ、このメモにある通りこれ並べといてくれる?」
「え?お前らどこ行くねん?」と烈馬。
「ちょっと着替えてくるだけだから。じゃあ、お願いね」千尋とつかさはそう言うと紙袋を持って去っていってしまった。
「着替えるって…何にっスか?」
「さぁ…ま、とりあえず並べとくか」

「あとこのぬいぐるみをココに置いてっと…これでいいっスか?」と知之。
「ああ、大体このメモの通りやな」烈馬がメモを見ながら言う。「…にしても、千尋ら遅いなぁ…一体何に着替えてるんや?」
と、その時。
「あ、ちゃんと並んでる」
烈馬は後ろから千尋の声が聴こえたので振り向いた。そこに立っていたのは、ヘソ出しミニスカートで赤いブーツという過激な恰好をしている千尋と、胸元の開いた水色のワンピース風の服に革のベルトをつけたつかさだった。
「なっ、なっ…?!」真っ赤になってどぎまぎしている知之。
「お、おい、何っちゅうカッコしてんねん、お前ら…」烈馬もかなり動揺を隠せないといった表情だ。
「え?烈馬知らないの?これは…」
「わーっ、レヴェリーとヴァルムだぁっ☆」
「え?」一同は突然声のした方を向いた。そこには変わった帽子みたいなのを被り、襟の高い服に皮の指抜き手袋をつけた女性が居た。千尋とつかさは彼女を見てすぐ言った。「あ、さおりさん!」
「仙那ちゃんレヴェリー似合ってるね☆しずくちゃんのヴァルムもカッコいいなぁ☆」さおりと呼ばれた女性が言う。
「さおりさんのルシアもいい感じですよ」笑って言う千尋。
烈馬と知之は事態が理解できずただ唖然としているだけだったが、やはりつかさに耳打ちした。
「あのー…よく状況が飲み込めてないんっスけど…」
「あ、これは要するにコスプレよ」とつかさ。「あたしのも千尋のも、あと今話してるのが月ヶ瀬 さおりさんって言うんだけど、そのさおりさんのも全部『疾風戦記』のキャラなの。ほら、あそこに置いてあるぬいぐるみが千尋のやってるレヴェリーってキャラのなんだけど」
「そう言われてみればそんなカッコやな…」と烈馬。「よく見たら周りにもコスプレっぽいカッコの人ぎょーさん居るなぁ」
「あたし達のは、全部あたしやママのお手製なんだよ」つかさが言う。「二人の分も用意してあるけど、着てみる?」
「え…?」

ホールの隅に、ちゃんと男女別の更衣室が用意されていた。半ば押し切られるような形でコスプレすることになった烈馬と知之は、紙袋を持って渋々この更衣室にやって来た。
「うーん…なんかやっぱこーゆーの恥ずかしいなぁ」袋から服を取り出しながら言う烈馬。
「知り合いが来てないことを望む限りっスね」同様に服を取り出す知之。「あれ?なんか僕のは普通の服っぽいっス」
「ホンマやな、なんかマーク入ってるだけの白いシャツに長いベルトのついた少し破れたジーンズにリストバンドか…変わったモン言うたらその猫ミミのついたカチューシャくらいやな。俺のもそないヘンなもんとちゃうかも…」烈馬は服の1つを取り上げ言った。「…ってこともないらしいな」
「黒のヘアバンドにチョーカー、着流しっぽい服に鎖がいっぱいついた革ジャンと革パンにブレスレット…なんかスゴいキャラっスね…」
「…ま、一応着てみっか…誰かに写真でも撮られるわけやないやろし」二人はそそくさと着替え始めた。

着替えを終え、二人は更衣室から少し恥ずかしがりながら出てきた。いつの間にか開場されていたらしく、先程の何倍もの人で会場は溢れ返っていた。
「ホンマにスゴイ人の数やな…」烈馬が首筋を掻きながら言う。慣れないチョーカーが痒(かゆ)いらしい。
「そうっスねぇ…しかもホントに女のヒトばっかり…」猫ミミが気になって仕方ないといった様子の知之。
と、その時。客と思われる女性2人組が、カメラを持って知之と烈馬の元に駆け寄ってきた。
「すみません、一緒に写真撮ってもらえますか?」
「…え、俺ら?」きょとんとする烈馬。「べ、別にええですけど…」
「ホントですか?!うわぁ、嬉しい♪」20代後半くらいと思われるその女性2人は大喜びしながら2人を壁際に連れてゆく。「じゃあこの辺でお願いできます?」
「は、はい…」呆気に取られる知之。
「あ、じゃあ湯木(ゆぎ)ちゃん、誰か撮ってくれる人探してきて」片方の女性がもう片方の女性に言う。
「うん、じゃあ探してきますね、翠子(すいこ)さん」湯木と呼ばれた女性がカメラを受け取って人混みに入ってゆく。
「な、なんかヘンな事になってるっスね…」知之は烈馬にぽつりと呟いた。

「はい、チーズっ」
女性2人と共に2枚写真を撮られた知之と烈馬は、なんだか気疲れしているようであった。
「どうもありがとうございました」笑顔で女性2人は知之達に言い、撮ってくれた人にカメラを受け取ると、その場を去って行った。
「はぁ…しんど」ため息をつく烈馬。「まさかこないな目に遭うなんて思わへんかったで…なぁ、麻倉君」
「そうっスよ…」と知之が言った瞬間、去ろうとしていた写真を撮った人が突然振り向いて言う。
「えっ!?麻倉先輩?!」
「え…?」知之は振り向くと、そこに見慣れた少女が居たのに気づいた。「み…なとちゃん?」

「あははは、それで湊ちゃんも連いて来ちゃったってわけ?」
『風虹明媚』のスペースに、つかさの声が聞こえる。
「お久しぶりですーっ」慇懃とお辞儀をする湊。「それにしても、麻倉先輩と矢吹先輩がコスプレなんてびっくりしましたよぉ」
「こっちの方がびっくりしたっスよ…」顔を真っ赤にして鬱向いている知之。
「あ、一応誤解のないように言うとくけど湊ちゃん」同じく赤い顔の烈馬。「これは千尋らに言われてしゃーなしで…」
「こら、売り子はちゃんと売り子やってよね」
接客をしていた千尋が振り向いて言う。ちなみに売り子とは、サークルのメンバーとは別にイベントでの接客を担当する人のことである。
「へいへい…」と烈馬。「っつーか、なんでお前そない偉そうやねん」
「だーってぇ、烈馬がやってるエルニィはわたしのやってるレヴェリーの弟なんだもん」と千尋。
「実際やと俺の方が3ヶ月年上やけどな…」ブツブツ言いながら接客する烈馬。
「あ、そう言えばつかささん、僕らのやってるキャラって、そんなに人気あるキャラなんっスか?」知之が尋ねる。
「そりゃそうですよぉ」何故か湊が言う。「麻倉先輩のアンジュは、千尋さんのレヴェリーに恋をしてるキャラなんですけど、時々猫に変身したりして、ちょっととぼけた感じもスゴク可愛いんですよぉ」
「ね、猫に…?(^^;)」ようやく頭の猫ミミの意味を知った知之。
「ホントは千尋(レヴェリー)に恋するアンジュは烈馬クンの方がいいかなって思ったんだけど、可愛いキャラだし知之クンの方が似合うかなと思ってね」とつかさ。
「つかささんのキャラに恋する人とかは居ないんっスか?」ちょっと目を輝かせて言う知之。
「えーっとね、あ、烈馬クンのやってるエルニィがあたしのヴァルムとアブナイ関係なんだよ」
「アブナイ関係って…?」
「あ、ヴァルムもエルニィも男の子なんですよ」と湊。「マンガの中では只仲が良いってだけなんですけど、そのカップリングがやたらと人気あるんですよぉ」
「は、はぁ…」知之は烈馬の方を振り向く。どうやら聞こえてないらしい。
「そう言えば、そのカップリングって何っスか?」
「2人のキャラを、そのマンガの中で実際に恋愛関係にあるかどうかは別として、そういう関係にあるってしたもののこと。」とつかさ。「その2人のキャラが男と女なら"健全"って言って、同性同士なら"やおい"(特に男性同士は"ボーイズラブ"とも言う)って呼ぶの。女の人の中ではその"やおい"や"ボーイズラブ"が人気でね。『疾風戦記』ではそのヴァルム×エルニィが一番人気のカップリングなんだよ」
「…そ、そうっスか(^^;)」此処が東京で本当に良かった、と思う知之であった。
最初に戻る続きを読む

inserted by FC2 system