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リアル


第2話 Circles
少し客足が落ち着いたので、知之と湊はつかさに連れられて色々廻ることにした。
「あれ?これって、『インディケーター』に出てくる蒼樹 茜(あおぎ あかね)じゃないっスか?」知之が陳列された商品のひとつを指して言う。
「うん、そうだね」とつかさ。「『インディケーター』は読んだことあるの?」
「あ、母さんが出版社の人から貰ったのを読んだんっスよ」
「へぇー…」と湊。「あたし茜ちゃん好きなんですよぉ。あ、あっちにはあかりちゃんも居るぅ」
「まーったく、縁日に来た子供じゃないんだから」呆れるつかさ。
「あれ?凪江さん?」
「え?」3人は振り向くと、そこに黒く短い髪の男性が居るのを視た。どうやらコスプレはしていないらしい。つかさは彼を見てすぐ言う。「あ、古井さん」
「こんなトコに居たんですか」古井と呼ばれた男性が言う。「さっきスペースに行ったら未堀さんしか居なかったから」
「ちょっと色々見てこうと思ったんですよ」とつかさ。
「あの…この人は…?」知之が尋ねる。
「あ、この人は古井 一比呂さんって言って、現役の大学生だけど毎回色んなジャンルでコミケに参加してる人なの。あ、古井さん、あたしの友達です」
「どうも、古井です」古井は軽く会釈した。
「あ、どうも…」知之と湊は更に深く会釈をする。
「あ、そろそろ僕スペースに戻らなきゃ…スケブ溜まってたんだった」右手につけた腕時計を見て言う古井。
「それじゃあたし達も一緒に行きますよ」とつかさ。
「そうですか?あ、隣は川戸さんのトコなんですよ」
「そうなんですか?じゃあ尚更行ってみなきゃ。ほら、知之くんと湊ちゃんも」
知之と湊はなんかよく分からない内につかさと古井の後に続いて行った。

一行は古井のスペースに着いた。彼の売り子と思われる人物がせっせと接客している。
「あっ、古井さん!」売り子が古井に気づいて言う。「さっさとスケブ描いちゃってくださいよ、さっきから催促しに来てる人がたくさん居るんですから…」
「あぁ、ゴメンゴメン広居君…」古井は頭を掻きながら言う。「ごめんね凪江さん、ばたばたしちゃってて」
「古井さんの所為でしょう?」隣のスペースでスケブを描いている南江子が言う。いつの間にかコスプレの衣装に着替えていたらしく、千尋と同じ"レヴェリー"の恰好をしていた。「わたしはこうやってリク消化してってんだから。ねぇ実果ちゃん」
「…あ、すみません、接客してたんで聞いてませんでした…」実果と呼ばれたその売り子が言う。「あ、遅れました、私売り子の加護 実果です…」
「よろしくね、実果ちゃん」つかさが笑顔で言う。「あ、それじゃ古井さん、新刊あったら欲しいんですけど…」
「あ、はいありますよ」と古井。「えーっと、幾らだったっけ」
「600円です」広居と呼ばれた売り子が言う。「自分の商品の値段くらい覚えといてくださいよ…あ、僕は売り子の広居 翼って言います」
「よろしくね。はい、600円」つかさはお金を手渡すと古井の同人誌を貰った。「あ、そうだ南江子さん、ノゾミさんって来てないんですか?」
「あぁ、さっきトイレで会ったけど…」南江子はペンを止まらせず言う。「でもさおりと話してる間にノゾミさん出てっちゃったからなぁ…ま、多分またさおりの隣でしょ」
「ノゾミさんって誰っスか?」知之が尋ねる。
「ああ、星江 ノゾミさんって言って、あたし達と同じ『疾風戦記』の同人やってる人よ」とつかさ。「特にさおりさんとノゾミさんは仲がよくて、いっつもスペースは隣同士になるようにしてるのよ」
「なるほど、ヶ瀬さんと江さんだから仲良しってことですね」湊が言う。
「まぁ、それもあるけどね」笑いながら言う南江子。「ちなみにわたしはさおりとは高校時代からの友達なの。同人やるようになったのもさおりの影響なのよ」
「へぇー…」
「あ、じゃあさおりさんとノゾミさんのトコにも行って来ようかな」とつかさ。「あ、その前にさおりさんの本とグッズ買っとかなきゃ」
つかさはさおりの本とラミカを2枚購入した。

「さおりさんでしたら、さっき男の方と何処か行っちゃいましたけど…」
売り子1人しか居ないさおりのスペースに来た一行は、その売り子、鳴戸 日向子と話していた。
「男の人?」
「彼氏だ、ってはっきり言っちゃっていいのよ、なるちゃん」
「え?」声のした方を向いた。黒い服――コスプレではないようだ――を着ている女性であった。
「もうノゾミさんも人が悪いですねぇ」とつかさ。「居るなら居るって言ってくださいよ」
「言わなくても分かるでしょ?あたしはさおりの隣だっていうのはあなたも知ってることじゃない」ノゾミと呼ばれた女性は、ライターで煙草に火を点けた。
「まぁそうですけど…あ、知之くん、湊ちゃん、この人がさっき言ってた星江 ノゾミさんよ」
「どうも…」煙草を銜(くわ)えたまま言うノゾミ。「どうでもいいけどしずく、早くしないと新刊売り切れにしちゃうわよ」
「あ、そうだそうだ」つかさは財布を取り出しながら言う。「それじゃ新刊とグッズ下さい」
「1050円になります」売り子が言う。「あ、私売り子の春田 恵里って言います。宜しくお願いします」
「よろしくね。はい、1050円」つかさは春田から新刊2冊とラミカと便箋を数枚買った。「そう言えば、さおりさん彼氏とどっか行っちゃったんですか?」
「そう…」ノゾミは携帯灰皿を取り出し、その中に灰を落として言う。「ほら、前に南江子の友達だって言って来てた権藤って人居たでしょ?」
「ああ、あの図体の大きな…」
「いつの間にかあの人、さおりの彼氏になってたのよ。なるちゃんは売り子の時にしかさおりに会わないからびっくりしてたわ」
「ええ、まぁ…今日はスケブやらないですから此処に居なくてもいいことはいいんですけど…」と鳴戸。「あ、さおりさん戻って来ましたよ」
「え?」一同は鳴戸の指差す方を見る。人混みの中にさおりと体格の大きな男性が居るのが見えた。
「あっ、しずくちゃん達来てたんだ☆」先刻と同じ、屈託の無い笑顔で言うさおり。
「こんにちは」つかさは会釈する。知之と湊も釣られてお辞儀をした。
「あ、しずくちゃん、この人、私の彼氏の権藤 伴太さん☆」
「どうも、権藤です…」さおりの隣に立つ体格の大きな男性が言う。
「どうも…」本当は初対面ではないが、一応会釈をするつかさ。やはり知之と湊も釣られる。「あ、さおりさん、新刊あります?」
「勿論だよ、ちゃんとしずくちゃん達の分は取ってあるから☆」さおりはスペースのパイプ椅子に座る。「これとこれ。2冊目は締め切りギリギリだったから薄いんだけど」
「いえいえ」とつかさ。「えーっと、幾らですか?」
「940円です」鳴戸が言う。
「940円…あ、10円お釣りあったら50円玉あるんだけど…」
「はい、大丈夫ですよ」鳴戸はつかさから950円を受け取り、10円をお釣りとして渡した。
「ふぅ…」ため息をつくノゾミ。「疲れた…ちょっとコーヒーでも買って来ようかな」
「あ、じゃあ私も一緒に行く☆」とさおり。
「私も咽喉渇いたんで、一緒に行っていいですか?」湊が言う。
「いいわよ。じゃあ3人で行きましょ」ノゾミが席を立って言う。「恵里ちゃんとなるちゃんも何か要る?」
「あ、じゃあグレープお願いします」と春田。
「私はホットコーヒーの砂糖なしを…」と鳴戸。
「それじゃ行ってきます☆」さおりとノゾミ、そして湊の3人は出口に向かって行った。
「そう言えば、出口に出ちゃって次に入る時ってどうするんっスか?」と知之。
「一般は入る時に買うパンフを見せれば再入場できるのよ。あたし達サークル側の人間は許可証を提示するんだけど」
「へぇ…」
「あ、そろそろあたし達もサークル戻っとこうかな。千尋忙しいって言って烈馬クンに当たってたらいけないから」
つかさと知之が去って行くのを、権藤はただ眺めていた。

「えーっと、恵里ちゃんがグレープでなるちゃんがホットコーヒーのブラック…」ロビーの自販機のボタンを押しながら言うノゾミ。「湊ちゃん、だっけ?何にする?」
「あ、私はオレンジで…」と湊。「って、お金は出しますよ」
「いいのいいの」とさおり。「ノゾミは人に奢りたいタイプなんだから☆あ、私はモスカフェのカフェオレね☆」
「はいはい」とノゾミ。「そう言えば、湊ちゃんも同人とか興味あるの?」
「え?」突然話題をふられ驚く湊。「あ、ちょっとだけ…」
「ふーん…ま、興味なきゃこんなトコ来ないわよね。はい、オレンジ」紙コップに入ったジュースを手渡すノゾミ。
「あ、ありがとうございます」
「そっかノゾミ、湊ちゃんを売り子かアシスタントにでもするつもりでしょ☆」
「恵里ちゃんが今年大学入試だって言うからね…」とノゾミ。「はいさおり、モスカフェのカフェオレ」
「サンキュ☆」紙コップを受け取るさおり。「でも残念よね、せっかくウチのなるちゃんと仲良くなってたみたいなのに」
「ま、受験が終われば戻って来るって言ってるから、その時また仲良くなればいいじゃない」ノゾミは自販機の方を向いて言う。「さてと、あたしはユウヒ飲料のブラックにでもしようかな…」
ノゾミが自販機にコインを入れようとしたその瞬間だった。
「うっ…!!」さおりは突然、紙コップと持っていたハンドバッグを落とし、その場に倒れこんだ。
「さ、さおりさん?!」湊はさおりの背中をさする。
「ど、どうしたのよ、さおり!」ノゾミは振り向いた。持っていた財布が落ち、床に硬貨が散らばる。
「あ…あ……」ひたすら藻掻(もが)くだけのさおり。しかし、さおりは床を這(は)うようにして、何処かへ向かって動きだした。
「さおり?さおり?!」ノゾミの呼びかけにも答えず、さおりは暫く体を動かしたが、遂にその動きは止まった。
湊とノゾミはさおりの顔を見た。その形相には、もはや生気はなかった。息絶えていた。
次の瞬間、湊の悲鳴がホールの中にも響いていた。
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