トライ・トーン
File4 扉の向こうへ「それにしても…」
14時35分。住宅街の中を歩いていく5人。
「犯人の狙いは一体何なんでしょう…?3回も暗号出して僕達を色んなところに移動させて、何かを要求してくるわけでもないし…」
「そうだなー…もし万一警察に連絡でもされてた時に警察をまくため、とか?」結局4人前のシーザーサラダを全部平らげて腹いっぱいの時哉が言う。「誘拐事件には時々あることだってオヤジが言ってたさ」
「そうなんですか?」悠樹は暗号に書かれた地図を見ながら歩みを進める。「でも、なんか腑に落ちない気がしてるんですけど…あ、公園に出たからここで右折ですね」
「お姉ちゃん、大丈夫かな…」ふと、美弥子が零(こぼ)すように言う。そのうつむいた瞳からは、今にも涙が落ちそうであった。
「…大丈夫ですよ」
「え?」悠樹の強気な言葉に、ふと顔を上げる美弥子。
「ボク達が、何とかしますから。大丈夫です」
「…悠樹さん」美弥子はじっと悠樹を見つめる。「ありがとう、ございます…」
「……」深穂は、少し不機嫌そうに顔を背け、すれ違う電信柱に眼をやった。
「此処、ですね…」
14時50分。5人は目的地に辿り着いた。其処は、閑静な住宅街の中に建つ、ごく普通の一軒家だった。
「…って、なんか本当に何の変哲も無い一般住居って感じなんですけど…」悠樹は何度も地図と見比べる。「でも、此処に間違いないと思うんですけど…」
「いや、確かに怪しいさ」時哉が言う。「ほれ、この壁。これっていかにも、元々ついてた表札を取り外したみたいな感じさ」
時哉が指差す壁には、確かにかまぼこ板程の大きさの穴が開いており、壁の土色が見えていた。
「今度は暗号とか見当たらないですね…」と美弥子。「ということは、この家の中にお姉ちゃんが…?」
「…かも、知れませんね」悠樹は、ドアベルのボタンに手をかけた。「…行きましょう」
「え…って、そんな普通にベルとか鳴らしちゃっていいんですか…?」美弥子は焦ったような表情で言う。
「大丈夫だと思いますよ。わざわざ暗号で此処まで呼び出してるんです。ベルが鳴らされたところで向こうにとっちゃ意外でも何でも無い筈ですから」そう言うと、悠樹はベルを鳴らしドアの前に立った。
強気なことを言っていても、心の中ではとてもハラハラしていた。
このベルを押すことで僕に何かあったらどうしよう。
そもそも、暗号の解き方が間違っていたら?
そんな僕の密やかな葛藤は、ドアが開くと共に消え失せてしまった。
ドアが開いた瞬間、パンという乾いた音が、僕に向かって鳴らされたからだ。
「おめでとうございますっスーっ☆」
「…へ?」
瞼(まぶた)を開けた悠樹の視界に飛び込んで来たのは、思わず顔をガードした腕に絡みつく紙テープと、満面の笑みをたたえた青年の姿だった。
「あ、さくらさん…?」
「へへ、その顔は、大成功ってことっスね♪」
目の前の青年、麻倉 知之は、何故かこの上なくご機嫌な表情で言葉を投げる。
「え、えっと…」悠樹はオーバーヒートしそうな頭をなんとか落ち着かせようとしながら言う。「こ、これって、どういう…?」
「…やっぱり、悠樹君は気付いてなかったんだね」
「えっ?」悠樹は声のしたほうに振り向いた。其処には、悠樹と比べて殆ど驚いていない様子の深穂が居た。「ど、どういう、意味ですか…?」
「だーかーらー、これって全部、麻倉さんがわたし達に用意した推理ゲームだったってこと」
「げ、げぇむ??」悠樹は、まるで長時間炎天下の太陽にあてられたかのような、今にも倒れそうな気分になった。
「なんだ、深穂ちゃんは気づいてたんさね」笑って言う時哉。
「ええ、だって最初から怪しかったじゃないですか。警察にも通報してないのにわたし達の助けをすんなり受け入れちゃったり、暗号が出る度にちょうどヒントが出てきたり。それに、誘拐されたお姉さんの名前からも一目瞭然だったし」
「え…?」ふらふらしながら訊(たず)ねる悠樹。
「じゃあ悠樹君、誘拐されたお姉さんの名前、分かる?」
「えっと、確か由希亜さんでしたよね…苗字は確か、桜本さん…」悠樹は頭を抱えながら考える。「桜本 由希亜…さくらもとゆきあ…あっ!」
「そうっス」知之は悠樹の服についた紙くず――さっき知之が鳴らしたパーティー用のクラッカーから飛び出したものだが――を取ってやりながら言う。「その名前、僕の“あさくらともゆき”って名前を並べ替えただけなんっスよ」
「それにさっき見かけた電柱に書いてあった町名、麻倉さんからの手紙に書いてあったのと同じだったよ?」と深穂。「つまりこれって、暗号を解いて楽しませつつ、わたし達を麻倉さんの家まで案内しようとしてたってことですよね」
「なーんだ、深穂ちゃんには完全にバレバレだったってことっスね」頭を掻きながら笑う知之。
「そ、それじゃあ、この2人は…?」まだ戸惑いを隠せない様子の悠樹。
「あ、はい」“美弥子”は、さっきまでの表情とは別人のように凛とした顔を見せる。「私、麻倉さんの同級生の妹で、弥勒 寿美って言います。あ、ちなみに兄は麻倉さんのクラスメートと一緒に新横浜駅でヒント出す係をやってたんですけどね」
「それから私は、麻倉先輩の中学の後輩で、園川 湊です」“美園”も、さっきまでの泣き虫で無口なキャラクターから一転して微笑んでみせる。「ちなみに喫茶店に居たのは私の弟です」
「あとは柏原駅の売店の小百合さんとか、喫茶店の人たちとかにも協力してもらったさ」と時哉。「それと…ほら、出て来いよ」
時哉が声を投げたほうを見る悠樹。曲がり角から、見知った2人の青年が現れる。
「あっ…篁さんと、矢吹さん…?」
「当ったりー♪」茶髪で長身のほうの青年、矢吹 烈馬が、いたずらっぽい笑顔を浮かべて言う。「俺、新横浜で君らの動向を監視しとったんやで。気付けへんかったやろー」
「オレは柏原駅と“ライム”(=喫茶店)で見張ってたぜ」黒髪で面倒臭そうな眼をした青年、篁 祥一郎が言う。「ったく、なんでわざわざオレがこんなことを…」
「まぁまぁ。マクラのおふくろさんから5000円分の図書券で釣られたんだろ?」笑って言う時哉。
「う…っるせぇよっ」赤らめた顔を背ける祥一郎。ちなみに“マクラのおふくろさん”は結果的に彼の母親でもあるのだが。
「ま、そんな感じで色々あったっスけど、全部悠樹君たちに楽しんでもらおうと思って何日も前から準備してたんっスよ。シーザー暗号のことを手紙に書いたのとかもわざとっスし、表札も無理矢理外してもらったっスし」
「そう、だったんですか…」ようやく落ち着いてきた悠樹。「…ありがとう、ございます…」
「うんっ☆」満足そうに笑う知之。「改めて、お久し振りっス♪そして、神奈川にようこそっス!」