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かぜのうた

第12章 孤高の凱風

今日は1月9日。深月高校第3学期の始業式。といっても始業式のあとにすぐ授業を始めるんだから、うちの学校もひどい。でも毎年のことだから文句は言えない。「これが必修の履修漏れ問題と絡んでいたりすればもっと大きな声で文句が言えるのに」とか、かなり冷や汗物の発言をする友人もいた。もちろん、こんな事を言うのはその友人なりの「優しさ」なんだろう、と私は穿って考える。みんな、今は彩芽のことを思い出したくないのだ。それなのに私は、その話を蒸し返そうとするこれからの自分の行為を、今更後ろめたく思っていた。
今日は、パパに内緒で、あの日学校にいた人たちに「探り」を入れてみようと思っていた。ある意味そのために学校に来た、といえば怒られるかもしれない。でも、私はすぐにでもおじさまのお見舞いに行きたいのだ。「事件解決」という最高のプレゼントを持って。
授業が終わってからまず私は、北校舎の屋上に上った。でもこれは、自発的な行動ではない。5日前にこの学校にいた先生たちは…もっとも姥山さんは司書だけど…全員普段は北校舎にいるから、まずは北校舎へという気持ちで向かったら、自然に足が、まず屋上に向かってしまったのだ。屋上の扉を恐る恐る開ける。何かがつかえているような感触がないことに、まず心から安堵した。でも、すぐにその安堵は消え去った。屋上の床部分に、まだ血のあとが残っていた。もうほとんど消えかけているとはいえ、やっぱり見ていて気持ちのいいものじゃない。気を抜くと今にも、あの状況を思い出しそうになる…。
私が視線を前へと戻すと、意外なことにそこには人が、しかも2人もいた。生徒たちは気味悪がって、少なくとも今は北校舎の屋上には近寄らない。それなのに誰かがいるなんて、私は思っても見なかった。
「ああ…えっと、彼女は5組の雪川さんだったかな…?」
「ええ、そうですけど…」
二人はそのような会話をした。私もそれを聞きながら、目の前にいる2人をやっと認知する。そうだ、私から見て右にいるのが理科の鏡野爽先生で、左にいるのが萌葱将弥君…。鏡野先生は少し太り気味の柔和そうな人だ。今は実験用の白衣を着ていて、その下には明るい緑色のセーターを着ている。一方の将弥くんは当然学生服で背が高い。たぶん180センチくらいはあると思う。隣に鏡野先生がいることもあってかなり細く見える。顔立ちもよくて、けっこう女の子には人気がある。顔立ち以上に頭もいいし。女子はよく「あれでスポーツ万能なら言う事ないんだけどなぁ」って彼のことを評する。そういえば将弥くんの体育の成績は5段階評価で2、って誰かが言っていた気がする。私も他人の事は言えないけど。そんなことを思っている間に、将弥くんのほうが話しかけてきた。
「雪川さん、何しに来たの?…って、その状況じゃお供え、だよね」
私は手に紙パックのジュースを持っていた。おもわず頷いて、扉を開けてすぐのところにそれを置き、ちょっぴり黙祷する。頭の中では「ああ、このジュース、私が飲む用だったんだけどなぁ…」などとケチな事を考えていた。私の目的はみんなに話を聞くことにあってお供えじゃないんですけど。なんて言うといくらなんでも失礼だ。一応二人の前ではそういう事にした。でも、本当にもう、彩芽はいないんだ…。その悲しみの中で、こうして死者に祈りを捧げることの意味が、初めて分かった気がしてちょっぴり怖くなった。冷たい風が、私を包む。
「ありがとう、彩芽のために…」
鏡野先生がそう声をかけてくる。私は少し気後れしたけど、どうにか話すことにした。
「いえ、それはいいんですけど…。でも、本当に誰が、こんなこと…」
私がそう哀しげに口に出すと、やはり鏡野先生は乗ってきてくれた。
「そう、本当に…誰が一体、彩芽を…」
「先生、怪しい物音とか、声とか、聞かなかったんですか?」
私は出来るだけさりげない好奇心を装って尋ねてみる。
「いや…ずっと新しい化学に関する論文を読んでいたから…あの日の朝にアメリカの学会から臨時に発表されたものでね、つい熱中してしまって…何にも気がつかなかったんだよ。いや、いつもの事だがね。細かいあれやこれやは全て萌葱君に押し付けてしまったし…」
「いえ、別にいいんですよ。どうせあの時は…」
そこまで話した将弥くんは、ふとそこで黙り込む。次に出てきた彼の声は、いつもより随分低かった。
「12時過ぎまで彩芽を待つつもりだったから…」
…という事は、彩芽は私と疾風の「密会」を撮るためだけに学校に来てた、って事か。さっきまでの悲しみとは一変して、彩芽にちょっぴり怒りの気持ちが起きる。その時、鏡野先生が校舎側の出入り口のほうへと歩き始めた。
「いや…すまんね。でも、ここにいると彩芽との想い出ばかりが蘇ってくる。悪いが、先に失礼するよ」
彼はいそいそと校舎の中へ引き返していった。私は将弥くんのほうを向いて、もう少しだけ話をしてみる。
「先生、つらそうだね…」
「ああ、そうだね…。最近よく先生といるけど、やっぱりあの日から…かなり、辛そうにしてるよ…」
「萌葱君、あの日もずっと先生と一緒にいたの?」
「うん、いたよ…もっとも、俺が廊下の掃除をしている間は別だけど。それでも5分くらいだしね。それ以外はずっと理科準備室。だから、ずっと一緒にいたって言ってもいいくらい」
「ふ〜ん…じゃ、先生ってあの日、理科準備室から一歩も外に出なかったんだ?」
さすがにここまで露骨に言うと、先生を疑っているのかと不審がられるかと思ったけど、幸い将弥くんは何の反応も示さなかった。
「ああ、それは間違いないよ」

萌葱くんはしばらく時計塔にいたいと言ったから、私は時計塔に向かう彼を見送ってその場に佇んでいた。今日も風は強い。私の茶髪は、その風にゆっくりと流されている。私…1人でもがんばれるよね…そんなことを考えていると、そこに別の人がやってきた。見たことのない男の子だ。背は私と同じくらいに低くて眼鏡をかけている。さらさらの前髪がすごく印象的で、その前髪はほとんど睫毛にかかるくらいだった。私は脇によけて彼の横を通り過ぎようとしたが、ふと彼の名札を見て立ち止まった。
「あ…君が、鎖井くんなの?」
「…?ええ、そうですけど?」
私はどう言葉をかけようか迷った。すると、彼のほうからいきなりこの場にそぐわない一言が飛んできた。
「…父の話は、しませんよ」
私はかなり戸惑ってしまった。なんでいきなり彼のお父さんが出てくるんだろう?私は咄嗟に、前半は本音を、後半はウソをしゃべった。
「えっ?ど、どういう意味?私、あなたのお父さんのことなんて全然知らないけど…ただ、ねむねむ…2年の白沢さんから、鎖井っていう珍しい名字の生徒がいるって聞いただけで…」
「…そう、それなら別にいいんです。さっきのことは忘れてください。白沢先輩の友達ですか?」
鎖井くんは急に友好的になった。ここは少し上手く誘導して、あの日の行動を聞くことにする。
「う〜ん、そこまで親しくはないんだけどね…。この前もお説教されちゃったし。ほら、本の調査が正月明けとかにあるんでしょ?あのことで」
「ええ、そうです。先輩、そういう管理関連のことには、とかく神経質ですからね」 やっぱりそうだよな、と本人がいないのをいい事に大きく頷く。私は出来るだけさりげなく質問を続けた。
「あれ、いつやってたの?もう終わってるみたいだけど…」
「ああ、あれなら4日と5日で…。本当は一日で終わる作業なんですけど、4日は例の事件がありましたから。そのせいで、お昼から学校に来る気だったほとんどの図書委員が締め出されて大変だったんですよ」
鎖井くんは「例の事件」と、ほとんど今までと変わらない口調で言った。彼にとって彩芽は身近な存在じゃない。だからこそ、私たちより冷静に…というよりは対岸の火事のように…発言できるのだろう。
「ああ…あれね…じゃあさ、警察の人にいろいろ聞かれたりしたんじゃないの?大変じゃなかった?」
「まあ、そうですね。同じ事を繰り返し聞かれるのは面倒でしたね。少なくとも僕は図書館から出ませんでした、って一度聞けばそれで放免してくれそうなものですけど。外部犯なんでしょう、あれ?」
確かに、警察はまだそういう事にしている。でも、少なくとも私はもうその線を捨てている。風化の怨念じゃないなら、あの日この学校にいた誰かがやったに違いない、と思い込んでいた。私はそういった事を気取られないように言った。
「じゃ、あの時間図書館にいた人たちは…みんな、図書館から出てないんだ?」
「ええ。もっとも、その言い方は不正確ですけどね」
「あれ?不正確なの?」
「ええ。まずみんなといっても僕と白沢さんと姥山さんの3人だけですし、新しい図書の搬入のために、白沢さんは何度か非常階段にでました。一度だけ図書館の外の廊下で、死んだ人と話もしてましたし。それに、姥山さんも司書室に何度か出入りしましたしね」
「そうなんだ…あ、なんか変な話になっちゃってごめんね?それじゃあ」
私は急ぎ足でその場を去った。合歓と「死んだ人」…つまり、彩芽との会話に触れられたくなかったから。まさか鎖井くんも、私があの話で罠にかかった当人だとは思っていないだろう。私は階段を下りながら、それと同時に3つのことを考えていた。1つめは非常階段だ。そうだ、私は非常階段の存在を忘れていた。非常階段の位置は校舎の左側端。でもここから屋上に上がることは出来ない。あれは1階と2階をつないでいるだけの階段だったはずだ。そして2つめは司書室の存在。もしかしたら、姥山さんのアリバイがそこで崩れるかもしれない。もっとも、アリバイが崩れたところでトリックが分からなきゃ何にもならないけど。そして3つめは、事件と直接の関係はないけど、鎖井くんのお父さんの話だ。私は今になってやっと、ある有名なデザイナーの名前を思い出していた。その人の名は鎖井入策。特に男性のスーツや、それに似合うカバンのデザインで有名だった気がする。そうだそうだ、お父さんだって「イリサク」ブランドの服を持っていたはずだ。推理小説の世界でなら2人ほど知っているが、現実の世界で回文名の人に出会うなんてかなりレアな経験だ。そうか、彼はお父さんにコンプレックスがあるのか、あの時気がつかなくてよかった…などと1人で納得しながら、私は2階へと下りていった。


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