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きみのて ぼくのて

10 キヲク
「わー…林檎剥くのめちゃくちゃ上手じゃないっスか…」
湊ちゃんと委員長が帰った後、望ちゃんは委員長が持ってきた詰め合わせの中の林檎を僕のベッドの横で剥いていた。
「そーお?これくらい、慣れれば誰にでも出来るよ。…まあ、トモはおっちょこちょいだからねー」
「おっちょこちょいって言わないでくださいっスよぉ…」
僕は恥ずかしがって布団に身体を隠しながらも、望ちゃんの持つ包丁からするすると落ちてゆく林檎の皮を眺めていた。
「あはは、冗談だよ冗談。でもまぁ、それがトモのかわいいところでもあるんだけどねー…トモ?」
「…え?」
はっと気を取り戻すと、望ちゃんは手を止めて心配そうに僕を見ていた。
「大丈夫?なんか、ぼうっとしてたみたいだけど…」
「あ、うん、ごめん…ちょっと、ヘンなこと考えちゃって…」
「ヘンなこと?」
林檎は再び皮を剥かれ始める。
「うん…この林檎の皮が、僕の頭の中に似てるなー…って」
「…んー、どゆこと?」
「あ、えっと、その…僕、考え事をする時って、だいたいこの林檎の皮みたいに、ぐるぐるぐるぐる、同じところを廻ってるように見えて、ホントはどんどん下へ下へと堕ちてってるんっス…何ていうか、悪循環?そんな風に考えても仕方ないとか、良い方に考えるようにしようとか、思えば思うほど、かえってもっと悪いほうに堕ちてる気がして…」
望ちゃんは、剥かれゆく林檎のほうをずっと見ていた。そして、そのまま口を開いた。
「…パイナップルより、いいんじゃない?」
「…え?」
「あ、喩(たと)えが下手だったかも…パイナップルの切り身って、輪っかじゃない。輪っかみたいに、本当に同じところをぐるぐる廻ってるんじゃ、悪いほうに堕ちなくても良いほうに昇りもしないでしょ。でも螺旋(らせん)だったら、同じところを廻るようでも、悪いほうか良いほうかは別としても、変化はするよね。そして、いつかはどこかに辿り着く」
すっかり身包(みぐる)みを剥がされた林檎は、二つ四つと細分化され、芯や種が取り除かれていく。
「トモの場合、たぶん、自分がその螺旋のどこに居るのかとか、自分が今昇ってるのか堕ちてるのかが、上手く掴めないんだよ。螺旋には現在地を示す標識も無ければ、昇りか降(くだ)りかを示す階段も無いから。だから…」
望ちゃんは、くし形になった林檎を載せた皿を僕に手渡しながら、まっすぐ僕の方を向いて言った。
「頼って、いいんだよ」
僕は、息を呑んだ。
望ちゃんの眸には、僕の顔がはっきりと映っていた。
「地図を見せてくれる人、灯りを点してくれる人、道を教えてくれる人…ただ一緒に歩いてくれるだけの人でもいい。誰かに頼って歩けば、きっと螺旋の先のどこかに連れてってくれる。少なくともトモには、頼りに出来る人が居ることが分かったじゃない。お母さんだってそう、委員長だってそう。湊ちゃんみたいな娘だって居てくれたわけだし、それに…ボクも」
望ちゃんは、いつも以上の微笑で言う。
「みんな、トモのことが好きで、トモに頼りにされたいんだよ。頼られて迷惑がったりはきっとしない。何かあったら、とりあえず手を伸ばしてくれればいい。きっとどんな人にも、そういう人って居る筈だから。ね」

その時、どうして僕の眼から涙が出てきたのか、僕は分からなかった。
でも、その時食べた林檎は、特に甘くも無かったけれど、これまで生きてきた中で、一番おいしく感じられたのだった。

退院してすぐ、僕と望ちゃんは一緒に携帯電話を買いに行った。
僕は校則で禁止されてるし、高校に入りバイトとかを始めて自分で多少なりともお金を払えるようになるまでは持たなくて良いかなと思っていたのだが、望ちゃんが大真面目に、
「別に授業中とかに取り出さなければバレないだろーし、それに、ケータイでボクを繋いでくれたらいいかなぁって思ってさ。もしトモになんかあったら、電話一本でボクが助けに行くよ。ボクをそういう、トモだけのヒーローにして欲しいんだ」
なんて言うもんだから、僕は望ちゃんと色違いの携帯電話を持つことに決めたのだった。

そしてそれ以来、僕はクラスに馴染むようになってきた。
望ちゃんのおかげで、みんなが僕に関わってくれるようになったし、僕も徐々にみんなに心を開きだした。
いじめもいつの間にかなくなっていて、バレンタインデーには生まれて初めてクラスメートからチョコを貰ったりもした(義理だけど)。
一緒の高校に合格した時は、僕は本当に泣きじゃくってしまったのを憶えている。
僕の生活を、本当に望ちゃんがすっかり変えてしまったのだ。
望ちゃんは、僕の中で相当大きな存在になっていた。

だからこそ、高校1年のあの日、あの事件の時、僕は並々ならぬ衝撃を受けた。
まさか望ちゃんが、人を殺すなんて、思わなかった。


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