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きみのて ぼくのて

12 JIRENMA
あれは、そう、半年くらい前だったかな。一人の男の子が入所してきたんだ。
綾人(あやと)って名前なんだけど、少し痩せこけてるのと、眼にかかる前髪とが、ちょっと暗そうな感じを醸し出してた。
でも、食事とかでよく一緒になるにつれて、お互い関西の出身だってことが分かると、段々親しくなっていったんだ。
勿論、自分たちがどんな罪を犯して此処に来たか、なんて話はしなかったけどね。

「お前、”多重人格”って、信じる?」
或る日突然、綾人がぽつりと言った。
「え?…まぁ、信じるも信じないも、確か多重人格っていうのは心理学的な症状でしょ?小説とかの題材になって好奇の目に曝(さら)されてはいるけど、確かに実在するものだよ」
「…じゃあ、お前、俺がその”多重人格”だって言ったら、どう思う…?」

その時の、綾人の怯えたような眸を、ボクはよく覚えてる。
綾人が言うには、自分が此処に来る理由となった行為を、自分は全く覚えていないらしい。
当然最初は「自分はやってない」って否定し続けたらしいんだけど、捜査や裁判が進んで有罪が確定する過程で、こう思うようになった。
――「自分」の知らないところで、もう一人の「自分」が罪を犯したんじゃないか――って。
それ以来、浮遊感みたいなものに囚(とら)われた綾人は、自分の無罪を主張するのを諦めてしまったんだ。
だから、「今こうして此処に存在(い)ること」自体、現実味の無いもののように思えてしまうんだって…。

少しずつ、でも確実に、綾人は日に日に窶(やつ)れていた。
ボクはそんな綾人を心配に思って、出来るだけ話し掛けるようにしてた。
けれど、あの日、”それ”は突然起こったんだ。

「なあ…」
その日、綾人は口から言葉を零すみたいに語り掛けた。
ボクは、すごく嫌な予感を背筋に感じてたけど、とりあえず平静を装って応えた。
「…なあに?」
「お前…自殺の仕方って知っとる…?」
「なっ…」
あっという間にボクの平然は崩れた。震えて、言葉がうまく出てこなくなった。
「な、何を…いきなり…っ」
「…やっぱり、俺、あかん…こんなとこおって、よう分からへん罪償ってみても実感あらへんし…」
ボクは、身体中から嫌な汗が滲むのを感じていた。
「家族とかにも心配かけすぎとるし…もう俺なんか死んでしもたほうがええかなって…」

次の瞬間、「俺」は綾人の胸倉を掴んで、その頬に拳を一発振り下ろした。

「おい、お前何やってるんだ!」
数人の看守が俺達の元に駆けつける。俺は看守に羽交い締めにされた。
「綾人、お前っ、巫山戯(ふざけ)んなや!」
綾人は頬を押さえ、きょとんとした表情で俺を見ていた。
「何が死んでしもたほうがええや!お前のことを心配するような奴は、お前が死んでもうたら余計哀しむっちゅうことが何で分からへんねん!大切な人間を失う気持ち、お前考えたことあるんか?!」
俺は、いつの間にか涙を零していた。

…後で聞いた話だけど、綾人はあの日、家族から何か手紙を受け取ったんだって。
そこに何が書いてあったかは知らないけど、綾人があんなことを口走ったのは多分それが理由なんだろうね。
まあ尤(もっと)も、だからって綾人が自殺しようとすることも、ボクが綾人を殴ったことも、正当化されることなんて有り得ないけれど。
それにしても…やっぱり、ボクは変わってしまったんだよ。
別に殴らなくたって、他に綾人の自殺を喰い止める手立てなんて幾らでもあった筈だもん。
そこで感情に任せて暴力に向かうのは、「結城 望」じゃない。
ボクは、もう…


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