きみのて ぼくのて
3 fragile音も立てず淑(しと)やかに弁当を食べる麻倉。
そしてその横で、なるべく静かにメロンパンを齧り牛乳で流し込む俺。
(…気まずい…)
さっき会話を交わして俺が座って以来、何十秒だかずっと会話が無い。
(さすがに、もうちょい会話しよか…)
俺はメロンパンから口を離すと、ゆっくり声帯を震わすように言った。
「えっと、麻倉クンは、なんでこんなトコでお昼食べてるの?別にお弁当なら教室でも食堂でもいいのに…」
麻倉は、これまた音を立てずに箸を置くと、躊躇いがちに言葉を紡いだ。
「ああいう所…好きじゃないから…」
「え?」
人ごみが嫌い、という意味なのだろうか?俺は聞き返そうとしたが、彼は更に続けた。
「それに…此処から見える景色が、好きだし…」
「景色?」
俺はそう言われて初めて、フェンス越しに見える景色を眺めた。
3階建ての校舎だったが、それなりに広いと思っていた町をすっかり一望出来てしまえた。
気がつくと俺は、食べかけのパンと牛乳を置いてフェンスに掴まっていた。
「うわー、確かにこれはいい景色だねー」
振り向いてみると、麻倉はそんな俺を見て小さく微笑んでいた。
自分の好きなモノを他人に褒めてもらうと喜ぶ、そんな類の素朴な笑みだ。
「麻倉君は高いトコ好きなんだねー」
もう一度景色を見ながら俺はそんなことを言ってみた。
それが俺の思考を、また過去に引き戻すのだった。
――高い所が好き――
それは、兄貴の特徴の一つだった。
二段ベッドは上を陣取ったし、木の上に秘密基地を作ったりしたし、下宿先もアパートの最上階だった。
そして、兄貴が死んでいた場所も、丘の上だった。
方角が違うらしく此処からは見えない。見えたとしても見たくはなかった。
人は自分の死に場所を選べるとしたら、自分の好きな所を選ぶのだ。
俺が兄貴から教わった最後のことは、そんな…
「……うき君?結城君?」
「…あ」
俺の(偽りの)名を呼ぶ高めの声を聴いた俺は、ふっと振り向いた。
「大丈夫っスか…?なんか、ぼうっとしてたっスけど…」
少し大きな眸で、麻倉は俺を見ていた。心配そうだ、という気持ちがその眸から溢れていた。
「あ、ああ、ゴメンね。ちょっと、考え事しちゃった」
笑顔を繕う俺は、背筋に2種類の汗を感じていた。9月の残暑に対する汗と、若干の冷や汗。
俺はそれを気付かれないように手でさっと拭うと、再び麻倉の隣に座り、食べさしだったパンを齧る。
「あー、でも、ホントにここっていい眺めだねー。明日からもここでお昼食べようかなー」
誤魔化すつもりで、俺は笑って言ってみた。
「…スよ」
「え?」
麻倉の口から零れた声は余りに小さく、俺は思わず聞き返してしまった。
「…僕と一緒にお昼食べるなんて、やめたほうがいいっスよ」
「…え?」
俺が言葉を継ごうとした時には、既に麻倉は閉じた弁当箱を手に立ち上がって歩き出していた。
「もうすぐ、お昼休み終わるっスから」
そう言うと麻倉は、逃げるような早歩きで去っていった。
「…何なんや…?」
取り残された俺は、とりあえずメロンパンにかぶりついて景色を見ていた。
放課後すぐ、委員長が俺の机に来た。
「結城君、たぶん入らないと思うけど、部活とかって考えてるかな」
「部活?えっとー…みんな入らなきゃいけないの?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど、一応聞いておこうかと思って。ちなみに僕は演奏部の部長なんだけどさ」
(こいつ委員長であり部長でもあるんや…)
俺は内心苦笑していた。
「そっかー…でもまぁ、ボク運動も楽器も出来ないし、帰宅部でいいよ」
その時だった。
「ヒューヒュー、オカマ君のお帰りーっ!」
突然、委員長の後ろのほうから、妙な歓声が聞こえてきた。
それとなく目をやると、廊下に接した席に座る体格の良い男子生徒が、廊下に向かって窓越しに何かを喚いていた。とても楽しそうに。
「…何、あれ?」
俺は視線を戻すと、委員長に小声で尋ねた。
「ああ、あれ…このクラスの麻倉君っていう子が居るんだけどね、あの山本(やまもと)君は中1の頃から麻倉君を、その…いじめてるんだ」
「えっ…」
俺は先刻(さっき)麻倉が呟(つぶや)いた言葉を思い出した。
――僕と一緒にお昼食べるなんて、やめたほうがいい――
「…そういう、意味かよ…っ」
俺の口は、思わず言葉を吐いていた。
「え…?」
「あっ、ごめん委員長、ボク用事思い出したから帰るねっ!」
俺は力強く立ち上がると、鞄を引っ掴んで駆け出した。
「え、ちょっと結城君?!」
「部活は帰宅部で宜しくねーっ!また明日ーっ!」
委員長に向かって手を振ると、俺は全速力で教室を出て行った。