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きみのて ぼくのて

5 ささやかな祈り
それから僕達は、それまで以上に会話を弾ませながら歩いていた。
曲がり角に来る度、結城君は「あ、ボクもこっちだ」と言って、同じほうについてきた。
数ヵ月後年賀状の時期になって知ったのだが、本当は結城君の家は僕の家とは違う方向にあったのだ。
僕も薄々怪しいなとは思っていたが、久々に味わう会話の愉しさを途切れさせたくなくて、何も触れなかった。

そうこうしているうちに、僕の家に二人で辿り着いた。
「へぇー、ココが麻倉クンちかー」
結城君が繁々と僕の家を見上げていると、ふとドアが開いた。
「あら、お帰りなさい知之」
出てきたのは、薄手のシャツにサンダル姿の僕の母、汐里(しおり)だった。
「あ、ただいまっス、母さん…」
「って、あら知之、その子だあれ?もしかして、知之のお友達?」
「えっ…」
僕は思わず、答えに詰まった。
つい数時間前に出会ったばかりの彼を、"友達"なんて親しい響きで呼んでしまって構わないのだろうか。
彼は嫌がらないだろうか。そもそも、僕にそんな資格があるだろうか。
また僕は深みに嵌ろうとしていた。が。
「あ、はい!息子さんの友達の、結城 望です☆よろしくお願いします」
そんな僕の堕ちる思考を払拭せんばかりに明るい声と笑顔を振り撒いて、結城君が言った。
「あらあら、知之がお友達連れてくるなんて珍しいわねえ。さあさあ上がって、おやつでも出してあげましょうねー」
母は歌でも歌うかのような足取りで家の中に入っていく。
「あれ、でもお母さん、今出かけようとなさってたんじゃ?」
結城君も母に続いて、特に躊躇(ためら)う様子もなく入っていった。
「あー、ちょっと買い忘れたものがあったんだけど、別に後で構わないから。ほら、知之も何突っ立ってんの、早く入りなさい」
母は閉まりかけたドアに手をかけて、僕に言った。
僕は、つい先刻頭を支配していた杞憂(きゆう)を羞(は)じながら、微笑んで家の中に入った。

そうして、僕らはあっという間に友達になってしまったのだった。

一日で家族公認の(といっても母さんだけだが)友達になってしまった僕らは、まるでその肩書きを名実ともに正しくしようとするかのように、付き合いを始めた。
彼は毎日屋上に来てくれるし、放課後は(彼にとっては遠廻りだけど)一緒に下校する。時々寄り道もする。
これまで買い食いなんてことをしたこともない僕にとっては、とても斬新で楽しい出来事だった。
いじめはこれまでと変わらず続いていたが、彼と一緒に居ればその苦しみや悲しみは半分以下になっている気がした。
進路希望の紙を提出する時も、これまで僕は特に希望する学校が無かったのだが、彼が秀文高校に行きたいと言い出したので、僕も乗っかって秀文にしてみた。
それくらい、僕は彼と一緒に居たいと思っていた。一種の依存症だったのかも知れない。

そんなことを始めて間もなく、屋上で彼がこう言った。
「ボクさー、友達はやっぱ苗字じゃなくって名前で呼びたいんだよねー」
「えっ…?」
僕は、これまでクラスメートに名前で呼ばれたことは無かった。躊躇ったというよりは、ちょっと驚いて、言葉を失っていた。
「ダメ、かな…?」
そんな僕に気付いたのか、彼はちょっと上目遣いで僕の顔を覗き見る。そんな表情でも相変わらず爽やかな顔を間近に見せ付けられて、僕は思わず狼狽(うろた)えてしまう。
「う、ううんっ、全然っ!そんなコト無いっスよ!!」
「ホント?じゃあねー…"トモ"って呼んでいーい?」
「あ、うんっ、ぜひぜひ呼んでくださいっス!」
膝に置いていた弁当箱を思わずひっくり返してしまいそうなくらい、僕はテンションが上がっていた。そして、ふと気付く。
「…あ、それじゃあ僕も、名前で呼んでみよう、かな」
「うん、いいよー」
微笑みかける彼の顔を見て、僕はぱっと思いついた呼び名を口にした。
「じゃあ、んっと…望ちゃん」
「なあに、トモ?」
僕は、そんな他愛も無いやり取りでも、舞い上がるような愉しみと笑顔を得ていた。
1ヶ月にも満たないうちに、僕はそんな日々がずっと続くような想いを抱いていた。

そんな絶頂のタイミングで、罠は仕掛けられたのだ。


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