きみのて ぼくのて
6 スイミー「わー、もうすぐ5時限目始まっちゃうよ」
ボクとトモは、授業開始のチャイムと一緒に、大急ぎで教室に駆け込んだ。
「ごめんね、僕が予鈴聞き逃しちゃったから…」
「いいっていいって、何とか間に合ったんだし。っと、次は数学だっけ…あれ?」
ボクは自分の席に着くと、机の上に日直の日誌が置いてあった。
(あれ…?確かに日誌は机ん中に入れといた筈やのに…)
とりあえず机の中に仕舞おうとしたが、ふと見ると、日誌の中に何かが挟まっていた。
(ん…?)
ボクはゆっくりそいつを引き出した。それは、可愛らしい小さな封筒だった。
(これは…購買に売ってたレターセットやんな…?)
その時、教師が入ってきたので、とりあえずボクは机の上に教科書やノートを出し、封筒をノートの下に隠した。
そして教師の目を盗みつつ、封筒をゆっくり開けた。中には、これまた可愛らしい便箋が入っていた。
そこには、丁寧な字でこんなことが認(したた)められていた。
結城君へ
どうしてもお話したいことがあります
誰にも言わないで、放課後体育館の裏に一人で来てください
よろしくお願いします
(…は、くだらん)
ただのラブレターか、と思い、無視しようかと思った。
が、ふと横を向くと、トモが眼に入った。
(トモだったら…「行ってあげてくださいっス!」とかって言うんやろな…)
ボクは、そっと便箋を閉じた。
放課後。
「望ちゃん、今日も一緒に帰ろうっス…あ」
ボクの席に近づいてきたトモは、ボクが日直の日誌を書いているのを見て言葉を止めた。
「そう言えば望ちゃん今日日直だったっスね。じゃあ僕、日誌出してくるまで待ってるっスよ」
「あー…ごめんトモ、ボク今日、日誌出してから用事があるからさ、一緒に帰れないんだ」
ボクはトモの顔を見て言った。その顔は、一瞬でちょっと淋しそうになった。
「そうなんっスか…それじゃあ仕方ないっスね…」
「まぁでも、明日は一緒に帰れるからさ。ホントごめんねー」
「ううん、それじゃあ、僕お先に帰るっスね」
「うん、じゃあまた明日ねー」
ボクは笑顔でトモの背中を見送っていた。
そして、その姿が全く見えなくなってから、ふと気付いた。
(あれ…?なんか、今違和感が…?)
しかしその違和感の正体に気付かないまま、ボクは日誌の残りを書き始めた。
今にして思えば、その時それに気付いていたら、トモはあんなことをせずに済んだ筈なのに。
家に帰ってから読んで下さい
望
僕の下駄箱にはこんな文字が記された封筒が入っていた。
訝(いぶか)しく思いながら、僕はその封筒を手にしてひとり帰路に着いた。
今にして思えば、その時別の行動を取っていたら、望ちゃんも僕も疵付かずに済んだ筈なのに。
チャイムが聴こえた。
腕時計に目を遣ると、丁度5時を指していた。
(…「放課後」に待ち合わせするには、いっくらなんでも遅すぎやろ…)
ボクは体育館の裏でずっと待っているのに疲れ、施錠されたドアに向かうコンクリート製の2、3段の階段の一番下に腰掛けた。
「体育館の裏」が今居る場所で合っているのか不安になり、このあたりを何度もうろうろしていたのだが、一向に人の気配は無い。
(はぁ〜、何やこれ、ただのイタズラかいやがらせか?)
大きな溜め息を吐くと同時に、ボクはふと気がついた。
(ん?いやがらせ?…そうか、いやがらせや!)
先刻一瞬感じた違和感の所以(ゆえん)は、漸(ようや)くボクの頭に閃(ひらめ)いた。
(なんやおかしい思たら、今日に限ってトモが帰る時に山本らが何もいやがらせせえへんかったんや。帰ってるんに気付いてへんっちゅうわけやないよな…つーことは、今日は何か別のいやがらせを用意しとったっちゅうことか…?)
ボクはふと、体育館の中から聞こえるバスケ部か何かの音を聴いた。
(でも確か山本は何か部活やっとった筈やから、さっさと帰ったトモに追いついてどうこうするっちゅうこともでけへんよな。ほな、何か自動的にいやがらせ出来る仕掛けか何かが…仕掛け?まさか…)
ボクは、こんな所に来る切っ掛けになったあの手紙を取り出した。
結城君へ
どうしてもお話したいことがあります
誰にも言わないで、放課後体育館の裏に一人で来てください
よろしくお願いします
(…まさか…?!)
ボクは手紙を握り締めて、その場を駆け出していた。
(くそっ…これは「引き離すための罠」やったんか…っ!!)
(山本は、ボクらが毎日一緒に帰ってるんを承知した上で、それを引き離すためにこんな手の込んだマネをしよったんや…)
ボクは全速力で走りながら思考を巡らせていた。
(この手紙を読んだボクが素直に指示に従うなら、ボクはトモに用事の内容を言わずに一緒に帰ることを拒む。しかも今日ボクは日直やから、日誌を2階の職員室に持っていくという段階も踏まなあかんことになって、トモはひとりで下駄箱まで向かうことになる。となると恐らく山本は、トモの下駄箱にも別の手紙を仕込んどいたんやろな…たぶん、「家に帰ってから開けてくれ」とか何とか封筒に書いたものを。校内でいやがらせに気付いたら、トモはボクを探し出してしまうかも知れへんから。もしボクが手紙に従わんかったり気付かんかったりした場合も、下駄箱でその2通目の手紙を見つける時にボクが一緒である可能性が高くなり、ただのいたずらと思われるだけで済む…)
そうして、ボクは下駄箱に辿り着いた。トモの下駄箱に、下履きは無い。
(やっぱもう帰ってしまっとるか…くそっ、嫌な予感がする…)
ボクは再び駆け出し、校外に出た。毎日一緒に帰っていたから、目的地までのルートはすぐ分かる。
(…となると、1通目の手紙が日誌に挟まって机の上にあったんもワザとやな…ボクらが5時限目の始まる直前に教室に戻ってくることを見越した山本は、あの手紙をボクが読むのは5時限目が始まって、トモと離れた時になることも計算しとったんや。まぁ、もしトモと一緒に読むことになっても、トモがひとりで帰ることに変わりは無くなって、2通目の手紙の内容如何(いかん)では「1通目の手紙は望ちゃんの一人芝居で、一緒に帰らない口実を作るためのものだったんだ」とトモに思わせることも出来るっちゅうことになるけどな…)
目的地が近づくにつれ、胸の動悸(どうき)がどんどん強まる。
(2通目の手紙の内容も大体想像はつくが…ヘンなことしようとすんなよ、トモ…っ)
そしてボクは、トモの家に着いた。
ドアベルを何度も鳴らし、ドアを叩いてもみるが反応は無い。
(…ん?鍵開いてる…?)
ボクは大きな鼓動を体感しながら、ゆっくりと家の中に入った。
陽が傾きつつある中で薄暗い屋内。その静寂の中、ボクは唯一仄明るい部屋があるのに気付いた。
(あそこは、まさか…)
速い歩みでその部屋に向かう。そこは、浴室だった。
ボクは息が詰まる想いをぐっと堪え、曇りガラスの戸を開けた。
陰惨な映画を見ているような気分だった。
小奇麗に整えられた薄ら寒い浴室の一部が、赤く染められていた。
浴槽の脇に凭(もた)れ座り込んでいる友人の眼は堅く閉じられ、照明の下なのに顔の色は蒼白に見えた。
左の手首は赤黒く垂れ下がり、右手の傍にはカッターナイフが落ちていた。
ボクは暫(しばら)く言葉も出せず立ち尽くしていたが、ふとカッターナイフのすぐ隣に置かれた紙に気付いた。
そこには、少し汚らしい字体でこんなことが書かれていた。
お前なんて友達でも何でもない
死んじまえ バーカバーカ
結城 望
次の瞬間、ボクはがっくりとしゃがみこみ、手を赤い床についていた。
「…くそ…っ…」
それから暫く、ボクは目に涙を蓄(たくわ)えながら、後で思えば意外な程に冷静に、行動を取っていた。